第七話 魔王城I 『女の子めんどい』
庭園、というほど生やさしい造形をしている場所では無いが、魔王城を一言で表せというならばおそらく誰もが"空中庭園"と答えることだろう。
文章で表現することを許されれば、その手前に"凄まじい魔の力に満たされ歪んだ渓谷の最奥に浮かぶおどろおどろしい"という一文が加わるはずだ。
魔界地下帝国の最深部、しかし最も巨大で荘厳なその城は、元々地上に存在したものだ。魔大陸での決戦で、"五英雄"によって二年前に魔王は命を落とした。五英雄の中でも最も強く、地上最強と謳われた天下無双の魔導司書アイゼンハルト・K・ファンギーニの手によって。
その為、魔王軍は魔大陸を明け渡すハメになってしまったのだ。その代わりに魔大陸のありとあらゆる文明を破壊し、その粋を極めた魔王城は大規模転移術で地下へと持ってきた。
魔王の復活によって鋭気を取り戻した魔王軍は、前回の恨みも合わせて今度こそ世界を魔王軍の物にしようと意気込んでいる。
そんな魔王軍の現在の本拠は、実は前回の位置よりもさらに難所と化していた。
城周辺の大地ごと宙に浮くその城に至るまでには、最強格の魔族たちが住まう谷を避けて通ることは出来ない。結果として、かなりの修練を積んだ者でも魔王城にたどり着くただそれだけでどうしようもない疲労に襲われることは間違いなかった。
だがそんな魔王城の膝元に、他者の苦労を馬鹿にするような光景が現れた。
魔王城に至る一本道の坂の手前、そこに一つの小さなひずみが生まれる。それは黒い球体と化してどんどんとその大きさを増し、あっと言う間に人一人があっさりと通れるほどのサイズにまで成った。
ゲート。
知る人ぞ知る、"秤"の四天王レックルスが持つ古代呪法である。
今こそ誰も見ている者は居なかったが、初めて見る者は大抵が驚くことだろう。
ただの転移と違い、双方向の往復を可能とするもの。さらに言えば、この技は一度次元の狭間を経由する代物だ。であればこそ、誰かがくぐり抜ける間にレックルスがその技を切ってしまった瞬間その者は狭間に取り残されることになる。
次元の狭間というのがどういう物なのか知っている者など誰もいない。なぜならば、一度放り込まれて帰還したような者がいないからだ。
次元を操る四天王"レックルス・サリエルゲート"の名は、他の三人の四天王よりも一段格上であった。
しかし。
普段はレックルスが現れるはずのゲートからぴょこりと飛び出てきたのは一人の少女だった。水色のワンピースに身を包んだ可憐な少女だが、その尋常ではない覇気を見れば、誰も彼もが目を背けるか……それとも崇め見とれるかの二つに一つだろう。
実力的には魔王軍のナンバー2。最強の矛こと"車輪"のユリーカ・フォークロワ。
彼女はゲートを潜るなり、大股でさっさと魔王城の方へと歩いていった。その表情には、どうしようもないほどの怒りが浮かんでいる。頬を膨らませ、目つきは半眼で、睨みつけるように前方へと視界を定めながら、結構な早足で魔王城へと歩みを進めている。
あまり怒るようなことの無い彼女だ、いったい何があったというのか。
その理由は、思ったよりも早くこの場に現れることとなる。
「おいシュテン、良いからユリーカちゃんに謝ってこいって!」
「え、や、何であんなに怒ってんだあいつ」
「信じらんねえ! テメエのせいに決まってんだろこのボケが! ユリーカちゃんの前で導師の話するばかりか、やたら親密そうに話すってどういう了見だコラ!」
「親密じゃねえよ殺されかけたし」
「そういうことじゃねえんだよああもう! 良いから行け! 行け!」
「いてっ、いてっ」
ゲートを潜って次に登場したのは、男の二人組だった。
長身に黒い二本角の妖鬼。着流しと下駄という東方風の衣装に身を包んだ彼は、何やら疑問符を浮かべながら隣の男に蹴られていた。
そのもう片方の男とはと言えば、かなり恰幅の良い体つきをしており、あっさりと右手でゲートを消したことからその使用者であることが分かる。
妖鬼シュテンと四天王レックルス。妙な縁で繋がった、魔族の二人組であった。
「おーい、ユリーカ~」
「何よ!」
シュテン的には要領を得ないレックルスの言いぐさに頭を掻きながら、しかし先に行ってしまった彼女をずっと怒らせている訳にもいかないと思ったのか、間抜けな声を出してユリーカを引き留める。どこか仕方なさそうに立ち止まって、ユリーカは猛然と振り返った。
「お、おう……や、何で怒ってんの?」
「何でわかんないの!? あたしの誘い断っておいてヴェローチェのとこに行きたいなんて!! 勝手にすればいいじゃないこの馬鹿!!」
「え、や……うん?」
ふんだ、と鼻息も荒く踵を返し、黒い翼をはためかせて彼女は歩みを再開した。
とりつく島もないユリーカの態度にどうしていいか分からず、シュテンは後を追いかけてくるレックルスに振り向いた。
「おいバーガー屋、なんか俺誤解されてない?」
「知るかよ! それが誤解だと思うんなら現在進行形で誤解されてるだろうよ! 何なら俺も誤解しとるわボケ! 何をとち狂ったらユリーカちゃんの前で導師のとこに行きたいなんて言えるんだよテメエ!」
「や、顔見知りが監禁されてたら様子見に行きたいだろ……何なら俺のせいだし」
「……うん?」
憤懣やるかたないといった表情だったレックルスの顔が、にわかに曇る。
まるで意図を理解しかねるといった様子の彼に、シュテンとしてもどう誤解されていたのか分からず困惑顔だ。
「お前のせいってのはよく分からんが、知り合いの導師が地下牢に居るから会いに行きたい……それだけ?」
「他に何があんだよバーガー屋」
「バーガー屋じゃねえっつってんだろ!! っつーかお前そんならもっと言葉があんだろうが! 『俺はヴェローチェのところに行きたい』じゃねえよ馬鹿が!!」
「どう誤解されてんだよ」
「むしろどう聞いたってユリーカちゃんより導師選んでるようにしか聞こえねえんだよ!!」
「……あー」
ようやく得心がいったらしいシュテンは、ずいぶん離されてしまったユリーカとの距離を詰めるべく軽く跳躍した。あっさりとした着地はユリーカの頭を越え、すんなりと彼女の前に降り立つ。
この一本道の坂は、一歩踏み外せば奈落の底へとまっしぐらだというのにも拘わらずずいぶんと迷いのないものだった。
「……どいて。どーせシュテンはあたしよりヴェローチェのがいーんだ。だからあたしの誘い断ってたんだ。"さん"付けとかしちゃってさ! なに、胸? このスケベ鬼。あいつが脱いだらすごいの知ってるんだ? へー、この変態!」
「知らない間にえげつねえとこまで妄想が捗ってやがんな。あーっと、誤解を招くような発言をしたなら悪かったが、俺は別にヴェローチェさんの下につくとかそういう話をしてんじゃねえんだよ。ってかあの人脱いだらすごいんだ?」
「興味あるんだ!? へー!? そりゃ良かったわねどーせあたしは全然よ!! シュテンの馬鹿! あほ! おたんこなす!」
「あー……また間違った。じゃねえや、えっとなユリーカ。言ってなかったけど俺あの人のせいで漂着するハメになったんだよ」
「……へ?」
ぱちくり、ぱちくり。
長いまつげと一緒に瞳を瞬かせて、ユリーカは一瞬怒りを忘れてフリーズする。
思い出すのはあの日、倒れていたシュテンと出会い、引っ張って帰った時の記憶。
「だってあんた、クラーケンがどうのって」
「流石にただクラーケンに遭遇したくれえじゃ死にかけねーよ。ヴェローチェさんとガチの殺し合いして、なんか魔力全部持ってかれて、そのまま拉致られて。あの人も魔力すっからかんになってて俺も全然力入んなくて、小舟でクラーケンに襲われてあぼん」
「…………拉致?」
「何でも俺を四天王にしたかったとか言ってたけど、っつか結構スカウトは受けてたんだけど、全部断ってたんだよ。知らない仲じゃないから、地下牢に繋がれてんなら無関係じゃねーだろ? だからあの人のとこ、っつか地下牢に行きたいっつったんだ」
「……え、あ……え? じゃ……か、勘違い?」
みるみる顔を真っ赤にさせ、自分との食い違いと、無理矢理自分と導師を天秤にかけさせるような口振りでシュテンを罵っていた記憶が甦ったユリーカはシュテンにおそるおそる目をやった。
するとシュテンは、特に気にした様子もなく穏やかな笑みを浮かべて、
「うぇーい馬鹿はどっちだばーか」
「か、勘違いさせる方が悪いんでしょおおお!?」
指をさして罵倒した。
「……まあ、お前ほどの妖鬼がクラーケン如きに殺されかけるってとこは俺もおかしいとは思ってたんだが……まさか導師絡みだったとはな」
「おうバーガー屋、追いついたか」
「何で俺坂道ダッシュさせられてんだろうな全く……あー、しんど」
膝に両手をついて息をするレックルス。
そんな彼を、きょとんとした目で見続けるシュテン。
その視線に気がついたのか、レックルスは面倒臭そうに言葉を続けた。
「……バーガー屋、じゃ、ねえよ……」
「おし満足」
「何でツッコミ待ちなんだよそろそろまともに呼べよ殺すぞコラァ!!」
あ、整えきってねえうちに声あげたせいで苦しい。
と渋い顔をするレックルスをおいて、シュテンはユリーカに向き直った。
「ま、そんな訳だ。ユリーカが魔王と謁見してる間、俺はちょっとバーガー屋と一緒に地下牢行ってくる。また後で待ち合わせってことでいいか?」
「……勝手にしてよもぅ……」
すると彼女は両手で顔を押さえてしゃがみこんでいた。
「真っ赤な顔のまんま謁見ってのもなかなか珍しいな」
「そろそろシュテン殺すよ?」
「冗談ですすみませんでしたッ!」
金属音とともに片手にカトラスを出したユリーカに、シュテンはノータイムで降伏する他ない。と、シュテンは謝罪しつつ何かに気づいたように彼女の剣に目をやった。
「……そういやユリーカって、バスターソードとかも使うんだっけ?」
「あれ、あたしシュテンにバスターソード見せたことあった?」
「や、なんか聞いた話というかなんというか」
「ふーん。まあ、色々使うけどどうかしたの?」
シュテンの脳内に居たのは、ユリーカではなく"車輪"だった。つまりは、グリモワール・ランサーIIで最後の最後に登場する二人の少女のうちの一人。彼女はゲーム内ビジュアルでは巨大な剣を担いでいたから、疑問に思ったのだった。
「どうかしたって訳じゃあないんだが――」
ふと思い立ってうっかり聞いてしまっただけ。とはなかなか言いづらかったシュテン。彼は少し視線を泳がせてふと己の背負う大斧に目をやった。
「あ、斧使うんだったら教えてくれたら有り難いと思ってさ。俺、我流だから」
「え、あ……お、斧はちょっとね」
「ん? そうか。おそろも愉快だと思うが」
「おいシュテン、それお前遠回しな口説きか?」
「は?」
恥ずかしそうに目を逸らすユリーカと、半眼を向けるレックルス。
そこでようやく己がごまかしに口走っていた言葉の意味をまともに咀嚼するシュテン。どうやら理解がいったようで、彼は「またやった……」と赤い月が浮かぶ空を見上げて呟いた。
今日だけで二回目の誤解である。
そろそろいい加減にしないと、本格的にユリーカの双剣が火を噴き兼ねなかった。
「ま、まあそれはそれとしてよ。とりあえず了解だ。斧があれでもほら、長物とかさ。ユリーカなら色々知ってると思うからよ」
「それくらいなら、全然。……ううん、むしろちゃんと教えてあげるからもうちょっと滞在決定ね!」
「……あ」
「ま、こんなとこで手打ちだろーな」
取り繕うように発した言葉は、今度は誤解を生むことこそなかったが、その代わりに妙な言質を与えてしまう結果となった。
打って変わって明るい表情になったユリーカと、両手を後頭部で組んであきれたように呟くレックルス。なんやかんやこの主従強ぇなと、シュテンは戦慄するのだった。
「いや明らかにお前の自爆だろが」
「……ま、斧を教えてもらうってことならとんとんかぁ」
「ん、分かった! じゃ、さっさと謁見してきちゃうから後でね!」
ばさり、と翼を羽ばたかせ、勢いよくユリーカは飛んでいく。
その後ろ姿を見送って、ふとシュテンは思ったことを口にした。
「……怒ってんなら最初から飛んでっちまえば良かったんじゃね?」
「お前……それをユリーカちゃんが居る時に言わなくて良かったなおい」
「何が?」
「……引き留めて欲しかったから、導師の元なんざに行かないって言って欲しかったから、極論謝って欲しかったからに決まってんじゃねえか」
「ああ、そりゃ……言わなくて良かった」
どうにも心情に関わる面倒臭いことはしたくない。
そう思いつつ、シュテンは切り替えることにして。
とにもかくにも、監禁されたというヴェローチェのところに行ってみようと、思ったのだった。
それがさらに面倒臭いことになる引き金だとは気づかずに。




