第四話 666ばんすいどうIV 『これがホントのパワーレベリングじゃぁ!!』
ぱたん、とドレッサーの扉を閉じて、姿見の前に立つ。
「……ま、いっか」
あてがっていたのは、可愛らしい水色のワンピース。だが少し逡巡して、結局それをクローゼットの中に再度仕舞い込んだ。いつものように、野暮ったい灰色の上下のまま、ユリーカは小さくあくびを一つして部屋を出た。
666ばんすいどう沿いの会場でのライブから、三日。ユリーカはいつものようにキッチンに移動すると、白を基調にしたエプロンをつけて、慣れた動作で水を汲み上げると入念に手を洗って調理にかかった。今日も普段と大して変わらないメニュー。ただ、少し前からの同居人の好みに合わせて、卵に味付けはしないでおく。
「温もり感じた、教えてくれたのはきっと、そう、でも言わないよ悔しいもん~」
ご機嫌に自分の歌を歌いながら、薪をくべて、火の温度を調節して。
昨日の残りのシチューを温めるべく、鍋を乗せて放置。
ぐつぐつと音をたてる石鍋の前で、しばらく小さな椅子に腰掛けて頃合いを待つ。
足を組んだ膝に頬杖をついて、ぼんやりとここ最近の出来事に思いを馳せていた。
「……シュテン、かあ」
トップニュースといえば、当然それだ。
十日ほど前に、孤島の砂浜に漂着していた一人の妖鬼。尋常では無い力を身に秘めながら、それでもかなわなかった相手でも居たのか腕と足に大怪我を負って、なおかつ魔力をすっからかんにしていた。
近くには、大斧。鬼族に絶大なダメージ増加をもたらす付随効果の加えられた、高価な魔導具だった。研鑽を積んできたユリーカだから、ひと目見ればそんなことは理解出来た。
良い武器だ、ということも。あれならば、そう易々と破壊されることはないだろう。
どうにも手入れをさぼっていたようだから軽く研いであげたのだが、きっとあの分だと気付いていない。武器の状態が生死を分けるということも、今度きっちりお説教してやらないといけないかもしれない。
「大斧…………」
大斧に思い入れでもあるのか、少しばかり湿ったため息を吐くユリーカ。
だが軽く頭を振って、腰を浮かせて鍋の様子を窺う。もう少しすれば、一番美味しい温度になるだろう。そろそろシュテンが起きてくれば、何よりだ。
「……なんて」
自然と二人前の料理を作っている自分がおかしくて、小さく口元に弧を描く。
いつから、一人で暮らしてきただろう。たった一人で投げ出され、その潜在能力を買われて魔王軍に入って。いつの間にか祭り上げられるようになってから、それを逆手にとって味方を増やして。
けれどそれは、自分には遠く及ばない魔族たちを束ねる術でしかない。
四天王と呼ばれるほどの強さを持つ面々ですら、ユリーカには遠く及ばなかった。強いて言えば二年前まで居た先代の四天王たちはそこそこ強かったが、それだってきっと先代"理"のグラスパーアイを除けば他はユリーカと一対一ですら戦うことは出来ないだろう。いや、グルフェイルとブラウレメントが死んだと聞いたから、もう先々代になるのか。だが、彼らもユリーカという孤高には及ばなかった。
そんな折りに、ひょっこり現れた一人の妖鬼。
ポテンシャルは、明らかに自分と同等かそれ以上。磨けばきっと、いつか。
「……パパ。ママ」
或いは、あの大斧を使う妖鬼の存在は運命なのかもしれない。
そう思ってしまうほどに、ユリーカはあの妖鬼を手放したくなかった。
旅に出る、と彼は言った。しかしユリーカは、あまり日の元には出られない。翼が、焼けてしまうから。だから、どうしたら留まってくれるのかを考えてしまう。
「これじゃまるで、恋患いでもしてるみたい。そんな可愛い感情じゃないのにね」
恋をするには少しばかり、目的に傾ける意志が強すぎて余裕がない。
だけど、もしまた慕情を抱くことがあるとすれば、あるとすればやっぱり――
「っ!? アラート!?」
その時だった。
強大な魔力パルスがユリーカの身を貫く。それはつまり、侵入者が現れたことの合図。しばらくたった一人で別荘に来ていた甲斐があった。ユリーカはすぐさま近くの窓から飛び立つと、庭を突き抜けて孤島の橋へと向かう。
他の場所から侵入出来るとすればここだけ。
そう思っていたからこその行動だったが、別の島へと渡る唯一の橋に、敵の姿は見あたらない。
だとすれば、地か空か。
しかし、見渡す限りの空に雲以外の存在はなし。地下でありながら存在するその空には黒い太陽が燦々と輝くのみだった。
弾かれたようにユリーカは別荘へと舞い戻る。
であれば、地下か海かの二つに一つ。
風を切る速度で空を飛び、索敵。そして、見つけた。先ほど飛び出してきた別荘の庭から這いだして来た、多くの魔族を。ドリューソンに代表される地中棲息魔族を先頭に、ハイオーガやトロール、サイクロプスと言った強力なパワー型。そして、当然のように後方で魔法を使う気満々のリッチーやウィッチまで。
完全に数で潰しに来ていた。
「……ドラキュリア卿か。力が無いんだからおとなしくしてればいいのに。まだこの前知り合った吸血皇女のが強いっての」
ドラキュリア卿というのは、魔界貴族の一角にしてそこそこの歴史を持つ家だ。二百年程度前にぽっと出でのしあがったユリーカに対し悪感情を抱いていたのは知っていたし、最近は裏で動いているのも分かっていた。ドラキュリア卿の手勢のみと断ずるには些か兵力が多いのは、そういう理由だろう。
嘆息混じりにユリーカは自らの館の前に降り立った。
存在に気付いた魔族たちが身構える。その数、おそらく千はくだらない。
四天王ほどではないにしろ、栄えある魔王城近郊に住まう最高峰の魔族たちだ。それなりに強い上に、千でバランスを取った徒党を組んだ集団。
「ここ、あたしんちしかないんだけど。何の用?」
「……」
「だんまりか。……覚悟は、出来てんだよね? 車輪様の家に無礼にも攻め込もうとしたその覚悟はさ」
わらわらと地中から現れる魔族たちへの警告は無視された。
ならば、是非もない。
ユリーカの両手を光が包んだと同時、現れたのは二本のサーベル。刃渡りだけでユリーカの足の長さほどはある、長めのカトラス。その二刀。
「車輪、死ねええええええええええええ!!」
叫んだ魔族に合わせ、武器を携えた魔族たちが一斉に踊りかかる。跳躍し、地を走り、空を舞い、八方からユリーカへ。
そんな彼らを冷めた目で見ながら、ユリーカは双剣を軽く振るって調子を確かめると、
「"車輪"ユリーカ・フォ――」
――-クロワ、推して参る
名乗りを上げて殲滅してやろうと、そう思った瞬間。
彼女の上空を突き抜ける黒い影。
「ひゃっはあああああああああ!! レベリングの餌共こおおおんにいちわあああああああああ!!」
凄まじい爆砕音。
ついで、爆風。
砂埃をはらんだその突風をもろに受ける前に、ユリーカはバックジャンプがてら空を飛んだ。何事かと思えば、倒れ伏した十人ほどの魔族の中心に佇む一人の青年。
彼の周囲を、赤と青のライン状の光が旋回する。レベルが、上がったようだった。
「……えっと」
双剣の片方を打ち消して、空いたその手で頬を掻く。
たった十人、大したことのない魔族を倒しただけでレベルが上がったのは、タイミングが良かったのか。振り返って館を見れば、四階の廊下に当たる部分の窓が開いていた。おそらく、視認するや否や飛び出してきたのだろうことは窺えた。
「な、何者だ!!」
「この……まさか、車輪の配下が控えていたなど……!?」
「報告にはなかったはずだ!! それも、妖鬼だと!?」
「この覇気……尋常ではない!!」
シュテンを中心にうろたえる魔族たち。
報告に無い、ということはおそらく魔王城に居る自分の配下たちのことをきっちり調べたのであろう。その上で、本当にユリーカしか居ないことが分かったから攻めてきた。それなのに、開戦する前に現れたイレギュラー。
「こ、この!! 我らがどこの誰か分かっていての狼藉かッ!!」
「おおお!! サイクロプスじゃあん!! 経験値580ゲットォ!!」
「ぎゃあああああああああああ!!」
「と、止まれ!! 我々の任務を邪魔すれば上層部がッ」
「なんだよなんだよウィッチちゃんじゃないか! そんなに多くないけど割りが良いから許してやるぜ!」
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
「この妖鬼、笑いながら同士を殺しやがるッ……!! まずはこの化け物を止めろお前らあああああ!!」
「群でしか現れないと噂のリッチーじゃないですかァ! 美味しい美味しい!!」
「ぎゃああああああああああああああああ!!」
その青年が一度跳躍すれば、着地地点が一瞬で地獄絵図へと早変わり。とんでもない化け物の登場に狼狽える魔族たちだが、上空ではユリーカも唖然とした表情を隠せなかった。
だって。
「さぁ次はどいつだオラァ!! あ゛~れべるあげたのじぃ~!」
十数の魔族をほふる度に、レベルアップエフェクト。もはや彼の周囲から旋回する赤と青の光が消えることがない。常時レベルアップ。そんなおかしな話があるか。
「ら、埒が開かねえこの化け物!! 先に車輪を狙えええええ!!」
「あっ」
油断していた。
訳の分からない挙動を見せるシュテンに気を取られていた刹那、同じく空を飛ぶハーピィとガーゴイルがユリーカめがけて襲撃する。あわてて右手に持っていたカトラスを振るおうとして、突然彼らとユリーカの間に現れる影。
「ざあんねんでしたァ――」
「なっ」
「えっ!?」
「――お前らの相手は美少女じゃなくて――」
ただの跳躍で、館の六階部分にも相当する高さにまで飛んできたというのだろうか。
不意を打たれ、純粋に驚愕する魔族たち。
恐ろしく凶暴な笑みを携え斧を横薙に構えるシュテン。
そして、ユリーカは。
「――たまたま美少女に借りと意趣を返そうとしている通りすがりの鬼マンだァ!!」
「ぎゃらぱ!?」
「ぎゃあああああああ!?」
三体の魔族を難なくなぎ倒したその力量。
あっけなく落下していく魔族たちと、飛ぶ力の無いシュテン。
だが、彼は落ち際ににやりと笑うとユリーカに振り返って。
「思ってたより強いだろ、俺!!」
その姿が、いつかの誰かとダブった。
「え、あ、うん」
ただそれだけを言って、落下ついでに近くの魔族の塊を襲撃するシュテン。
その、大きな背中がどうしようもなく過去の記憶と被って。
強さも驚きだったが、それ以上にユリーカの胸に突き刺さったものがあった。
そっと胸に手を当てると、ちょっぴり痛んだ。
「に、逃げろおおおおお!!」
「どんどん強くなりやがる!!」
「あんなばけもん相手にしてられっかあああ!!」
「待てやコラ餌共がああああああああ!!」
ぶんぶんと大斧を振り回し、地中へと逃げ帰る魔族たちを盛大に打ち上げるシュテン。魔族たちの悲痛な叫び通り、登場時よりもどんどんとその覇気を高める化け物は、有る種ユリーカよりも恐ろしく映ったようだった。
荒らすだけ荒らして居なくなった魔族たち。その勢力のうち実に三分の二の亡骸をこの場にさらしたことを考えれば、もうしばらくは敵対勢力も動くことは出来ないだろう。十分すぎる、戦果といえた。
ユリーカは、なにもしていないが。
「いくつ上がったのかとか、俺の今のレベルとか、そういうの分かるといいんだけどなー。オプション機能とかどっかにねえかな。ボタン押したら発動的なサムシング」
誰もいなくなった庭で、何やら鼻を指で連打しているシュテンの元に、ユリーカはふわりと舞い降りた。
「……ありがとね。びっくりしちゃった、思ってたより強くて」
「はっはっは、シュテンさんをなめちゃいかんよ。や、もう組み手は勘弁なんだが」
「なによ、つまんないわね」
今のシュテンと格闘たら、きっとこの前よりももっとずっと楽しいのに。そんなことを思いながら、しかしユリーカは先ほど起きたことが忘れられなかった。ユリーカを庇い、そしてどこかに消えてしまった父のことを思い出して。
だから。
「さってと、ユリーカ」
「えっ、あ、なに?」
ぼんやりしていたところに声をかけられて、少し素っ頓狂な声を上げてしまったことを恥じる。口に手を当てて、シュテンから目を逸らすと。
彼はそんなこと気にも留めないようで、あっけらかんと言い放った。
「借り、返したぜ」
「……あっ」
ふと、気づく。
そういえば三日前にした約束では。
『ならあれだな、その襲い来る魔族を俺が追い払えば、借りを返したことになるな』
『やれるものならやってみなさい。今のシュテンはポテンシャルの割に強くないから、たぶん出来ないけど!』
怪我が治って借りを返したら、シュテンは出ていく。
そんな約束を交わしていたはずだった。
「嫌な女の子だ、あたし」
「あん?」
「実力を見誤っていたのはあたしの方なのに……出ていって欲しくないって思ってる」
「あーいや、まあ俺のは半ば反則的なことがあるからなんとも言えねえわな」
がしがしと、後ろめたそうにシュテンは頭を掻いた。
その意味も理由も知る由もないが、今わざわざそのことを問い質そうという気分にはなれなかった。というのは、あまり難しい話ではない。
自分がどうにか出来たかどうかは別にして、ユリーカが誰かに"守られた"ことなんて、本当に久しぶりだったから。そして、守ってくれた父でさえ、こうしてユリーカの無事を確認するなりどこかへ居なくなってしまったから。
「……なあユリーカ」
「ん、なぁに?」
「なんか、あれ台所だよな。煙出てんだが」
「……あ」
と、そんなことを考えていたユリーカに、シュテンは言う。指さした方向は、彼女自身が飛び出してきたキッチンで。そういえばシチューを温めていた火を消さぬまま出てきてしまったことに、今更気づく。
「……あちゃー。ごめんねシュテン、シチュー焦がしちゃった」
「あ、ああいや。いつも作って貰っちゃってるから、文句は言えないが」
「そっか。ありがと。……じゃあ、さ」
「あん?」
昨日作ったシチューを、シュテンはとても美味しそうに食べてくれた。
それが申し訳なくて素直に謝ろうとして、ユリーカはふと思いつく。
ぽん、と手を合わせて、謝罪のポーズ。
アイドルだから、知っている。
どういう理屈かは知らないが、こうすればちょっとは、お願いに頷いてくれる可能性はあがるんだ、と。
レックルスが言っていた。これを使えば絶対に言うこと聞かせられるから、本当に大事な時だけやれ、と。
そんなの、今しかないだろう。
上目遣いでシュテンを見上げ、
「ごめんね。作り直すから……最後にあたしの話聞いて……くれないかな。……ダメ?」
小首を傾げて、片目を閉じて。
若干潤んだ目と上気した頬。
シュテンとしっかりと視線をあわせると。
「……あー」
がしがしと頭を掻いて、鬼殺しを担ぎなおして彼は言った。
「わざとやってる?」
「うん。……あ」
「おいてめえ」
しまった、とばかりにユリーカの顔が慌てた少女のそれになる。
シュテンは大きくため息を一つして……頷いてくれた。
「はぁ……分かった、聞いてやるよ」
「え、あ。やった」
思っていたのとはちょっと違う。
けれど、シュテンは脱力しつつ、えっちらおっちら館の方に向かって歩きだした。それを見て、ユリーカは少し安堵する。
今度は、自分を守ってくれたような人が、一瞬で居なくなるようなことはなくて良かった、と。
そして思った。今の彼の強さなら、もしかしたら導師にも迫るのではないだろうかと。




