第二十六話 鎮めの樹海IX 『守りたい、その意志だけで』
『今もしかしてボクのこと励ましてくれた?』
『……ちゃんと見てくれてるんだね、先生』
『人の話をちゃんと聞いて、自分で考えて、身の振り方を決めるんだ』
『てひひ。いいじゃん、子供だもーん』
『いい加減、ジュスタって呼んでよ』
――ああ。楽しかったなぁ。
――鎮めの樹海内部。決戦場と化した広場。
ジュスタたちが到着した時には既に、酷い有り様だった。
大地は抉れ、土煙が薄く舞い、生命の息吹が途絶えた樹木が山と成す。
中央には、おどろおどろしい覇気を垂れ流しにする謎の化け物。
樹木に叩きつけられた第八席ベネッタを救うためグリンドルは駆け出し、彼の行動で我に返ったクレイン、リュディウス、ハルナもあの化け物に相対しようと勇気を振り絞って。
たった一人、鬼神と向き合う第三席の加勢をしようとしたその時だった。
「んっんー! よくないよくないよくないなあ! 光の神子はぁ!」
ルノアールの魔導が襲い掛かり、やむなく散開。
どうにかしてヤタノを助けたい。だがそれも、ルノアールという魔導師が妨害する中では難しいもの。歯噛みするリュディウスだが、余裕もなく大剣を振るう。
そしてその中で一人、ジュスタは必死に戦場を駆けずり回っていた。
デジレが、居ない。
泥に飲まれて暴走していたのは、もしかしたらきっとヤタノとベネッタがどうにかしてくれたのかもしれない。けれど、この鬼神は完全に想定外だった。ルノーとあの凶悪な泥だけで手いっぱいだったというのに、それよりもはるかに強いこんな豪鬼なんて。
絶望に染め上げられそうな胸中を懸命に抑え、ジュスタは木々の間を駆ける。
咆哮し、得物の斧で殴りかかる鬼神はまるで嵐だ。周囲を強烈な風の刃で武装し、近づくことさえ許さない。でありながら自らは接近して斧を振るうというシンプルな攻撃に出るせいで、相対する相手はただひたすらに回避を強いられる。斧に当たらずとも、あの男の近くに居るだけで死は免れないようなそんな状況。
――神蝕現象【大地に恵む慈愛の飽和】――
「第三席! 何をしている!! そんなことをすればッ」
――神蝕現象【大いなる三元素】――
叫ぶグリンドルの声が耳に入る。
ヤタノの戦い方は、あまりにも惨い。
彼女たった一人で、今まであの暴走する鬼神の攻撃を抑えていたとしたら、どれほどの苦痛と戦っていたというのか。しかしグリンドルの突貫も、ルノアールの妨害によって終わる。
「……良いだろう、ルノアール。僕を、舐めるなよ!」
リュディウス、クレイン、ハルナと共にルノアールを先に片づけることにしたらしいグリンドル。放っておかれたヤタノはどうするんだ、自分ではとてもではないが助けられない。
「……くっ」
どう足掻いても勝てないような相手に、再生能力のみで足止めをしている人間が目の前に居るというのに。ジュスタには、彼女を庇い立ち向かう勇気がどうしても出なかった。
あの斧――ないしはあの鬼神に一度でもぶつかれば、即死は免れないだろう。
自分など、一瞬でコマ切れになるに違いない。
そんな状況で飛び出していけるほど、彼女は無鉄砲ではない。
せめて、援護を。
そう思い、懐からクナイを取り出したその時だった。
『ぐぉおおおおおおおおお!!』
「……クソが、重い、な」
ヤタノと鬼神の間に、大薙刀を握って立つ男が一人。
しとどに垂れ流す鮮血。モノクルは無残に破損しており、コートも下半分が失われてぼろぼろだ。
しかしそれでもはっきりと見えるIIの文字と、攻撃を防ぎきった健在の大薙刀。
「……デジレ」
「グリンドルのヤツが必死こいてテメエのこと呼んでたぞ。……ああクソ、気が付いたらほぼ詰みじゃねえかこの状況。ごふっ……」
「デジレ、下がりなさい。体内の魔素が足りていません。今、補助を」
「テメエもほぼガス欠だろうが。自分の回復を優先しやがれ」
鼻で笑って、デジレは大薙刀でもって斧を弾いた。
『ぐぉおおおおおお!!』
「はっ、来な。あいにく、斧の相手は慣れてんだよ」
大薙刀を構え、彼は不敵に笑う。
あんな大怪我をして、今にも倒れそうだというのに。
それでも、彼はあの鬼神に相対した。
……遠いなあ。
罠を張り巡らせながら、ジュスタは一人呟いた。
まずはあの鬼神にどんな攻撃が効いて、どんな攻撃が弾かれるのかを確認せねばならない。
ジュスタは鋼糸とクナイを、試しに鬼神に当ててみようと試みる。
と、しかし、鬼神と相対していたデジレが、よろりと足元から崩れた。
「ぐっ……情け、ねえなクソが」
足は何とか動くようになったデジレがヤタノを庇うように立ち、鬼神の攻撃を受け止める。が、当然それは武器を防いだにとどまる。鬼神の纏う暴風までは抑えきれない。
「ぐっ、あああああああああああああ!!」
踏み込みの一撃。
ヤタノと共にデジレは弾き飛ばされた。
もんどり打って地面を何度か跳ね、そうしてようやく落ち着く。
ふと見れば、ヤタノは既に倒れ伏して沈黙していた。
ただ死んでいないことだけを祈りつつ、デジレは立ち上がる。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
『ぐぉおおおおおおおお!!』
並々ならぬ剣戟の大嵐。
その全てをしかしデジレは受け、避け、弾き、凌いでいく。
「てめえがその暴風でオレを攻撃するってんならッ……!!」
デジレは、一瞬だけ背後で倒れているヤタノを見た。
そして、小さく笑ったのを、ジュスタは見逃さなかった。
「……はっ、最後にテメエを庇ったんだ。これで貸し借りゼロってことでいいな」
そうだ。聞いた話では、精霊族の街が滅ぼされた時に、死に体のデジレを守ったのは。
だから、デジレは。
そこまで思考が及んで、ジュスタは強烈な悪寒に襲われた。
まさかとは思うが。この絶望的な状況で。あの人は、ひょっとして。
ヤタノを庇って、死ぬつもりではないだろうか。
――神蝕現象【清廉老驥振るう頭椎大刀】――
「おおおおおおおおおおおお!!」
『ぐ、おおおおおおおおおおお!!』
ありったけの魔素を消費し、代わりに相手の魔素をも削る強烈な一刀。
振るえばあの纏った暴風の鎧すら紙のように切り裂くであろう一撃。
その一刀を、デジレは全力で"振り切った"。
『ごああああああああああああああああああ!!』
吼える鬼神から鮮血がほとばしる。
返り血を軽く拭いつつ、しかしその瞳は油断なく鬼神を見据え――
『ご、あああ……』
大きくよろけた鬼神は、そのまま背中から倒れていった。
――杞憂、だったか。
ジュスタは内心でほっと息を吐く。もうデジレもボロボロだろう。一刀でもってあの鬼神を切り捨てたのは、流石と言うほかない。手当の心得ならあるし、ヤタノとデジレを自分がどうにか――
その瞬間、忍であったからこそ感知できた。
ハルナの声にならない悲鳴。
何事かと顔を上げれば、ルノアールがグリンドルの攻撃を受けながらも鬼神に対して何事かの呪文を紡いでいる姿――!
「デジレっ!!」
叫ぶも、聞こえていないのかゆっくりとヤタノを抱き上げようと鬼神に背を向けている。
このままでは――
最悪のビジョンが脳内に映し出された瞬間には、ジュスタは既に駆け出していた。
怖い。一撃で、自分は死ぬかもしれない。
そう思っていた先ほどまでのジュスタは消えた。
不思議と、恐怖はない。
デジレはようやく鬼神に気が付いたのか、驚愕に染まった表情と共に――しかしとっさにヤタノを庇った。
だよね。貴方なら、きっとそうする。
だから、ボクも。
「……なっ」
「きゃあああああああああああああああああああああ!!」
飛び込んできたのは、少女。
デジレと鬼神の間に割り込んで、両手を広げて彼を庇った。
散った生暖かい赤の液体が。
べっとりとデジレの頬に張り付いた。
「な……クソ、ガキ……!?」
振り向いたわけでもないのに、デジレの呆然とした表情が脳裏に浮かぶ。
不思議だ。そんな顔、見たこともないのに。
地面に、無造作にどさりと落ちる。
ああ、下半身の感覚は既にない。焼けるような胸元から腹部の痛みも、なんだかもう、一切ない。もしかしたら自分はもう死んでいるのかもしれない。
デジレは、大丈夫だろうか。いや、大丈夫なはずがない。鬼神はいまだ健在で、自分はもう意識が朦朧としてきている。もしかしたら犬死かもしれないと、今になって思った。
けれど、仕方がないじゃないか。目の前で、大事な人が死にそうだったんだ。
「なんで……テメエは……」
そっと、頬に手が触れた。温かいのが分かる。
もう、デジレの声も遠いけど。それでも。
でも、良いのかな。悠長にしてる時間なんかないと思うんだけど。
あの鬼神が復活してしまった以上。
「にげ、てよ」
ボクはそれでいいんだって。助からないし。
その言葉に、デジレは一度前を向いて、それから静かに首を振った。
「まだ余裕はある。……忌々しいことだし、テメエにはもう見えねえかもしれねえが……"馬鹿"が間に合った」
「……ああ、クソ妖鬼か」
「テメエもそう言うのか」
「言えって言ったのはデジレじゃんか……」
ああ、でも。ようやく眠れそうだ。
ゆっくりと瞼を閉じていく。
その過程で聞こえる、デジレの罵声。
ヤタノを起こそうとしているようだが、たぶんもう間に合わないんじゃないかな、ボクは。
ああ、でも。ボクのことを重荷にしたら、嫌だなあ。
「ねえ、デジレ」
「ッ! 意識はあるな、ならまだ間に合う。クソロリの魔導はもう残り無いらしいが、それでもまだテメエは生きてられる。何かしらの手段があるはずだ!」
「んーん。覚悟、できてたよ。ボクは、ろくに復讐なんかできなかったけど、それでも」
「諦めてんじゃねえぞ、クソガキ!! お前はまだガキだろうが!」
「……なんだろね。デジレを守ろうっていうのだけは、全然、なんの葛藤も要らなかった。復讐より、ずっとずっと向いてたみたい」
「聞け!! 今から、王都までテメエを――」
「最期くらい、ジュスタって呼んでよ……」
「ふっざけろ……クソガキッ……!!」
デジレは叫ぶ。
意識を取り戻したヤタノに向かって。
何か方法はないのか。どうなったっていい。
「――ようやくだ!! ようやく学び始めた子供が! こんなことで死んでたまるか!!」
「……方法は、あるでしょう?」
「あるのか!? 早く教えろ! 何を躊躇ってる! こうしている間にも、こいつの命の灯はッ!!」
叫ぶデジレとは正反対に、ヤタノは憂いに満ちた表情で彼を見やった。
言葉を躊躇うように、何かを葛藤するように。そして、寂しそうに。
その表情が何を物語っているのか、今のデジレには見当がつかない。それほどまでに事態は紛糾し、状況は急を要しているのだから。
「クソロリ!!! オレはなァ!! もう二度と、目の前で!! 敵に命を奪われるのはゴメンなんだよ!!!」
「……デジレ」
「教えろ!!!」
沈鬱そうな表情で、ヤタノは頷く。
まるでそれは、最後の別れを惜しむかのような瞳で。
「……覚悟が決まっていると、彼女は言ったじゃありませんか」
そのヒントだけで、デジレは全ての解を導き出したようだった。
「っ……そうか。そうだな。半端とはいえ、オレも精霊族だ。祝福の一つや二つ、捧げられなくてどうするッ……!!」
たとえ、半端者の自分が、その魂を燃やすとしても。
胸元に手を当て、ジュスタの頬にそっと触れる。もはや殆ど色は残っておらず、体温も低下する一方だ。意識もないかもしれない。けれど、それでも。
命さえまだ残っていれば、最後の方法がある。
レベルが上がろうが体力は回復しないこの世界で。
祝福によってのみ、あらゆる手段を無視して生命を吹き返すことが出来る。
デジレは、小さく口元を緩めた。
『なに、もとより欠片も残っていない余命を削っただけのこと。大した影響はない』
『そうかよ』
『命を削って真価を示す。そのくらいの魔導、貴様にだってあるだろう?』
『誇り高き帝国魔導には、そんなものはねえよ』
目の前で散った男と、そんな会話を交わした記憶。
ああ、帝国魔導にそんなものはない。
『ほら、もし怖いなら、人間の護衛とか雇えばいいじゃん。ボクの力で祝福を与えれば、すっごく強い護衛になるんだからさ』
『そうだな。そいつらに真っ当な覚悟と力量があればな』
『もちろんそれはそうだけど。あ、デジレはやっちゃだめだよ! これはボクだけの特権なのです』
『やらねーよ。自殺の趣味はねえ』
精霊族として交じり血の自分は。
まともに祝福を与えようとすれば、自らが死に至るとしても。
それでも、良い。
「テメエに、くれてやる。オレの祝福を」
――"大切な人を守るんだ"
――必要練度クリア
――覚悟、完了。
――移行を開始する。……達者でな。
――クラスチェンジ"ミッドナイト"
強大な風が空に舞う。
同時に、小さく意識が覚めた。
覚めて、事態に気が付く。
『……命と引き換えに、祝福で救う?』
『そんなの、ダメだよ!!』
『ダメだよデジレ、そんなことをしたら、死んじゃうじゃないか!』
『何のためにボクが頑張ったのか分からないよ!』
『そんなの! そんなの! ボクは!』
『ボクはそんなの、認めないよ!』




