第十二話 アルファン山脈III 『改めて』
『魂を燃やせ。越えるべき壁を前に、ハイになるイメージだ』
そう言葉を残して、イブキはまるで燃え盛る炎のようなエネルギーを身に纏い大きく吼えた。
「おおおおおおあああああああ!!」
――鬼神化。
シュテンが以前、珠片を取り込む度に使役していたような中途半端な鬼化や、自分の意志で行えるようになった十全なそれともまた一線を画す、"妖鬼の力の頂点"。
それはつまり、使えるようになれば妖鬼の使えるチカラの最高峰を手にしたことと同義。
故にシュテンも括目してその噴出する覇気の暴力を目にしたが。
「え、なぁにそれ。どうやってんの……」
まるで出来る気がしなかった。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうが!!」
「ヒイラギ、助かってる助かってる」
「はいはい、みたいな感じで流さないでくれませんかねえ!? むしろあんたに流れ弾ぶつけてやりましょうかァ!?」
ルノアールの魔導を弾きながら、ヒイラギが喚く。
彼女がカバーリングしてくれなかったら明らかにシュテンに殺到していたであろうその魔導の使役者は、鬱陶しそうに表情を歪めているがそれはそれ。
「あの闖入者から殺す方が良かったなぁ……!! ヤタ――」
ルノアールが血走った眼をヒイラギに向ける。
魔素で構成された炎は、それだけでヤタノの餌食だ。
今までは対象がシュテンだったから何とかなって居たが、彼女に標的が変わるとなれば話は変わる。
だが。
「はあああああああああ!!」
「――」
ヤタノの番傘がヒイラギに向くよりも先に。
世界の悪意を一身に受けたまま、紅蓮の化身が大地を駆け抜ける。
「――天照」
「おおおおおっらあああああああああ!!」
咆哮。
ヤタノが何かを呟いた気がしたが、それは周囲の誰にも聞こえなかった。
イブキの速度は、今までとはくらべものにならない。触れただけで地面が割れ、隆起し、砕け散る。風を切るという表現がまさしく相応しい速度で以て、彼女の周囲には空気の壁が出来ているようだった。
ヤタノの振るった番傘から迸る魔力パルスが、次々に形を変えてイブキへと。
紫電、紅炎、蒼流、土槍。
数々の自然の猛攻が、新たな脅威目掛けて怒涛の如く襲い掛かる。
先ほどまでは、躱さなくては死んでいた、それ。
「おおおおおらあああああ!! なぁめんなやコケシがあああああああ!!」
「――」
少し前までなら、"コケシじゃないです"くらいの言葉は吐くことが出来たのだろうか。
今は、それすらもなく無感情に無機質な瞳がイブキを見据える。
世界の悪意の真っ只中、わき目も振らず突っ切ってくる"力"の権化を。
「だらっしゃああああああ!」
「っ……」
一歩、ヤタノが動いた。
今の今まで、一度も"退避"をしなかった彼女をそう動かしただけでも大きい。
「行くぞッ……!」
イブキがそう呟いた。
実際、現時点ではシュテンの見るところでは"鬼神化"というのは単純な己の身体強化――鬼化と似たようなものだ。
周囲に覇気をまき散らし、その内包した力を最大限にまで高めることでの純粋なパワーアップ。自身にありったけのバフを追加しているように――否、それだって相当な技量の向上につながってはいるのだが――ただそれだけに見えていた。
しかし。
それは、そこまでの感想で。
それからの感想は、一線を画すものだった。
「鬼神としてはまあ、このくれえは出来ねえとなあ!!」
繰り出したのは、純粋な拳打。
だがヤタノに向けたものではなく、"偶然起きた落雷"を標的としていたもの。
「おい――」
なにを、とシュテンが叫ぶよりも先に、"雷"の行く先がその拳によって捻じ曲げられた。
「はぁ!?」
「っ――」
ヤタノに向けてその雷は一瞬で迸る。その速度はまさしく電光。たった一瞬の出来事であったにも関わらず、ヤタノはそれを防いだ。否。
"偶然"そこで雷が消滅した。
「あーあ、厄介だ厄介だ」
ぷらぷらと、雷を殴りつけた拳をぶらつかせながら尚もイブキは駆ける。
右手を軽く振っているのは、痛みを和らげるため――ではないことくらいシュテンには分かった。
魔素で構築されているらしい今のイブキの体にとって、ヤタノの雷は効きすぎたのだろう。
「――他者の魔素の使役ですか」
ヤタノの瞳が細められた。攻撃をしたかと思ったら跳ね返されていた。その一瞬で理解をすることは不可能だったが、自分の目の前で消滅した雷を見て、そして迫りくる鬼神を見れば分かること。
瞬時に思考を巡らせた彼女の脳内は、かつてないほどにクリアだ。何せ、それ以外に考えられることがない。
そして向かってくる鬼神に向けて、嘲笑うように口角だけを上げる。
「まあ、所詮は不完全な児戯ですが」
「魔導なんざこれしきも使えない身なもんでねえ!! 妖鬼ってえのは!!」
「なら魔素も持たない弱者は大人しく――」
ふぅ、といっそ艶めかしいほどの吐息が、嫌に響いた。
何かが拙い、そう思ったのはイブキだけでなく、ヒイラギやシュテンも、そして生き残っていた魔族たちもだ。
ルノアールだけが訳知り顔で笑みを浮かべているが、それを気にするような余裕はない。
故に、彼の呟きさえも聞き取れなかった。
「拳で魔素を、限定的ながら操る。なるほど、近距離戦しか能の無い魔族なら厄介な力だぁ。けれど……んっんー。たかだか殴りつける、蹴りつけるなどという能動的な動作で方向性の一つや二つ変えられたところで――」
――物量の暴力に対して何が出来る?
イブキが周囲に感じたのは、圧倒的なまでの魔素だった。
まるでこの霊域に存在する全ての魔素が、イブキの周囲に集まっているのではないかというほどの。一瞬、好都合のように思えた。魔素の密度が濃ければ濃いほど、魔族にとっては有利なのだから。
だがそれは純なマナであることが前提で、他人の力に染まったそれでは、どうしようもないのだが。
「――押し潰されては、いただけませんか」
収束。
最大限にまで圧縮された魔素が、一気にイブキの前で暴発した。
「オカアアアアアアアアアン!!」
「っ」
耳がちぎれるような暴風を真正面から受けながら、シュテンは叫んだ。
あまりと言えばあんまりな攻撃方法とその威力にヒイラギは息を呑む。
そして執行者はただただその表情筋の一つさえ動かすことはなく、彼女は冷たい瞳で、手の届く距離に倒れ伏す者の姿を見据えていた。
「く……くく……」
唯一。
この場にあってただ一人、こらえきれないとばかりに笑う男が一人。
「はは、ハハハハハハ!! んっんー、いいなあいいなあこれはいい!! 大地の神とはいえ、"神"を相手にこの蹂躙! これならば、可能だ。払暁の団の願いは果たされるだろう! 少しばかり無駄な労力と対価は支払うハメになったが……これが実証されれば十分だぁ」
ふわり、と舞い上がるルノアール。
何をする気だ、と彼を警戒しながらも、シュテンはイブキに駆け寄った。
「オカン、おい!!」
「心配、するな……あたいの身体は……」
霊体、だから。
そう呟くと同時に、ゆっくりとその姿を薄れさせていく。
どこかで見た五英雄の消え去り方と酷似したそれに、シュテンは軽く息を吐くと。
「それだって、もう戦えねえとか言ってたじゃねえか……!!」
抱き上げていた上体の温もりはもう手元にはなく、虚しく空を掴んだその手を握りしめて。
空を、見上げた。
「んっん―! そうなればもうここに用はない! 最後の実験も終わったことだぁ……あとは純粋にヤタノのレベルアップを図るのみ。霊体じゃあ経験値も得られないことだし、さくっといっちゃいますかあ!!」
すう、と。
ヤタノとルノアールの身体が透けていく。イブキの消滅とは違う、しかしこちらも見たことのある消え去り方。
――古代呪法・連環避縁――
ヴェローチェの使う転移魔導。
「テメエこんだけやらかしといて逃げんのかコルァ!!」
「んっんー! わざわざここにいてやる用はないんだあ、残念だったなあ、アッハッハァ!!」
ちぃ、とシュテンは舌打ち。
そんな彼の肩をポンと叩く一人の少女。
見れば、彼女はシュテンの方を向いてはおらず。
その瞳は、ヤタノを見据えていた。
「――子供だった時に何かを抱えていたとしたら、気づけなくてごめん」
その、決して小さくない声音に対し、返ってきたのは無言と、鉄のように生命の感じられない眼。
ヒイラギは小さくため息を吐くと、もうほぼ消えかかっている彼女に対して、言った。
「けど、何が何でも引き上げてやるから。覚悟して待ってなさい」
「……」
その言葉が届いたのかどうかは分からない。
ルノアールと同時に消えていくヤタノの表情は何一つ変わらず、瞳の奥ですら何かを感じたような雰囲気は存在しえなかったのだから。
けれど、それでも。
ものの見事に魔素の残滓が消え去るその時まで。
「――ずっと、見てた。私たちのこと。……何が何だか分かんないけど、古い友達を助ける機会に間に合って良かったわ」
ふん、と鼻息一つした彼女は、狂化魔族も含めて全てが消え去ってしまったこの場所で、面倒臭そうに隣を見た。
不満をそのまま表情に還元したような顔つきで、いつまでもルノアールの居た場所を睨むその男。
――平常の音が戻ってきた。
ゴーン、ゴーン、と遠い場所で鐘の音が鳴り響く、いつもの霊域。
見わたせば、戦場の爪痕が、主にクレーターや地割れとなってあちこちに残っている。
その殆どはヤタノの引き起こしたものであり、これから戦わなければならないだろう相手としての実力を示しているようで閉口もするが。
それでも、特に恐怖や畏怖、怖気づくような可愛い感情は持ち合わせていない。
もちろん、ここにいる二人とも。
戦闘が終わって、一息吐くと。隣に今誰が居るのか、はっきり認識することが出来た。
シュテンは顔をヒイラギに向けないまま、ちらりと彼女の顔を窺って。
ぴくりと片眉を動かしてから、一瞬の間。
先ほどまでイブキを抱えていたところから変わらなかった片膝ついた体勢から、ごろりと胡坐に切り替えた。
器用にヒイラギに背を向けて。
群青色の着流しの、猫背ながらも大きな背中は彼女にとってはもう懐かしいものだ。
ヒイラギが何かを言う前に、シュテンはがりがりと角の間の後頭部を掻いて。
「あー……手紙見た?」
「……ああ、あの意味不明な奴? ほんとふざけてるんじゃないかと思ったわ。しかもあれ見た時はもうジャポネから出た後だったっぽいし」
「まあ、そんな長い時間じゃなかったしな。吸血鬼軍対帝国軍の戦いに、英雄さんと一緒にカチコミ入れただけだ」
「なんで一瞬で愉快なことやってんのよ。その前は?」
「ヴェローチェに拉致られたあと、気づいたらもう片方――"車輪"の家に居候してて、そっからタイムスリップかましてちょっくら過去変えてきちまったな」
「さらに訳わかんないことしてるし。ていうか過去変わったなら私もなんか変わってたりするのかしらね。じゃあジャポネのあと共和国領では何やってたのよ」
「ジャポネからの共和国領派生は知ってんのか。忍の連中が二チームに別れて仲良く殺し合い始める仲裁っつか始末っつーか。それが後からあのルノアールに操られてると知ってさらに面倒が加速してな。そのまま帰りにラムの村で思わぬ過去改変の一端を知って驚いたり……なあ、おい」
「……ぁに、ょぅ」
すん、と鼻をすするような音が聞こえたせいで、シュテンの過去回想は中断された。
振り向くまい、と思っていたのについつい目が先走りそうになるのを、軽くこらえて。
「たかだか数か月じゃねえか」
「――そのたかだか数か月、随分楽しそうにしちゃってさ。あーあ! 私も一緒に遊びたかった!」
「遊んで、まあ遊んでるか。でもお前も数か月で随分と、何が起きちゃってんだよ。服変わってるし」
「そこなの!? さっきまで私がしてたこと、出来てたことじゃなくてそこなの!?」
「それ言い出したらキリねえよ。クレインくんたちが言ってたぜ? クールなお姉さんだったとかなんとか。お前のキャラじゃねえだろポンコツ駄尻尾」
「うるっさい!! 私がどれだけ――」
「……挨拶も無しに消えて悪かった」
「そーやって私が言いたいこと全部無視してそういうこと言う!? 信じらんないんだけど!!」
「だって面倒じゃん」
「こんの駄鬼ぃ!! もう死んじゃったんじゃないかって、魔王軍に連れ去られて何されるかわかんないって、私が、必死で、この、駄鬼!! 駄鬼!!」
「そうやって罵られるのも久しぶりだわこの駄尻尾め」
「私だって久しぶりよ!! そんで私は!! 私はっ――」
ばしん、ばしん、と。無防備なその背中を文句の度に叩いていたその両手は。
気づいたら、しっかりと布がちぎれるほどに掴んでいて。
「――また、こうやって話したかったッ……」
「……悪かった」
「本当に、心配したんだからぁ……」
とん、と肩甲骨の間辺りに、何かが乗せられる感触。
その重さと、状況的に、彼女が今どんな姿勢で居るのかに察しがつかないほどシュテンもボンクラではなく。
じんわりと湿っていく感触に、彼はぼけっと空を見上げた。
いつの日か、こんな状況になった時は満天の星が見えていたように思う。
今は、まるで夢の中のように靄がかかった桃色と緑色の混ざり狂った遥かな天井だが。
「……こっち向け駄鬼」
「俺なんかに見られねえ方が良いだろって配慮なんだが」
「前と寸分変わらない台詞吐かなくていいから前向け駄鬼」
「それも前回と同じなんだよなあ」
「なんで覚えてんのよ」
「最高級のブーメラン使いだなお前」
くだらない、やり取り。
口ではそう言いながらも、シュテンは立ち上がって前を向いた。
そんな彼の顔一つ見上げることなく、ヒイラギは当たり前のようにその胸元に顔を埋めて。
「……ぐずっ」
「強くなったなお前」
「ここで言う辺り性格のゆがみ具合がよくわかるわ……」
「なんか着物も変に似合ってるし」
「褒める気があるのかすら疑わしいし」
「いやしかし、まあなんといいますか。言うことがあるとすれば、あれだな」
「……なによ」
一切顔を上げずにしゃべるものだから、嫌に胸元がくすぐったい。
しかしシュテンは気にするでもなく、以前は触ってもいいと言われた耳に触れながら呟いた。
「――改めて、おかえり」
「――こっちの台詞よ、馬鹿」
ゆっくりと顔を上げた彼女の表情は案の定涙で大変なことになっており。
そんな彼女を、普段とは違う優し気な笑みで迎えると。
「あいにく、馬でも鹿でもなく鬼なんだよなあ」
そんな余計なことを言った。
一気に表情を怒りのそれに変えたヒイラギはもう一度顔を埋めて、言うのだった。
「くらえ」
「え、ちょ、なにするの――」
ちーんっ。
あ、おまえそれはうぉおおいやめろやめろ!!
ちぃいいいぃいぃん!!
ぎゃああああああああああす!!




