第二十六話 アーシア孤児院IV 『放たれた狂魔、守護の意志』
一方その頃レックルス・サリエルゲートは窮地に立たされていた。
鳴り響く警報、慌てて飛び出した孤児院のバルコニー。見たものは、山の向こうから差し迫る、尋常とは言い難い様子の魔族たち。
「……おいおい、洒落にならねえぞこいつぁ」
「お、おじちゃん! 同じ魔族ならどうにかならねーか!?」
「無茶言うな。連中イカれてやがる。不憫だとは思うが、ここに被害を出すわけにゃいかねえだろうが……!」
手すりから身を乗り出して状況を睨んでいたのは、このアーシア孤児院の少年カルム。
一度魔界に行ってから様子を見に戻ってきてみれば、いの一番にとんでもない事態が待ち構えていた。どういう経緯でこの場所に向けて魔族が迫ってきているのかはわからないが、それでも一つだけ理解が出来るのは、とんでもない非常事態だということだった。
「オーガに、ラミア、ウィッチ、おいおいゴーレムもいんのかよ。なんでそんな連中が簡単に捕獲されてんだバカ共が。魔族として嘆かわしい限りだぞオイコラこの野郎……」
静かに腕を組み、思考を重ねる。
もう間もなく連中はこの場所を襲うだろう。
狂化魔族の危険性についてはもとより、特導兵たちが操ってきたのだとすればその真意は明白だ。このアーシア孤児院の存在に気づき、攻勢に出たと考えていいだろう。孤児院の破壊が任務であればまだまともだが、どう考えても建物ではなく狙いは子供たちに違いない。
そうなれば、いくら隠形に秀でていると言っても所詮は子供の寄せ集め。それも、まだ年齢は一ケタの子ばかり。狂化した魔族に子供に対する慈悲があるとも思えないこの状況は、すでにろくなものではなかった。
「……おい、シュテン。テメエまさかこれを読んでたんじゃねえだろうな」
嘆息しつつ、もう一度バルコニーから見える方角に目を移す。
数はおよそ、数十から百程度。この孤児院一つを潰すのには、もはや過剰戦力とすら言える量。
そして、四天王"秤"の手に多少余る程度。
「しかもこっちは子供を守りながら、か……あの野郎に頼るのは気に食わねえんだがな……」
参った。と小さく呟いたレックルスは、ふと気づいた。
気づいて、周囲をぐるりと見やる。
先ほどまで居た少年の姿が、ない。
「……おい、カルム? どこに行った! ……冗談はあの野郎だけで十分だぞオイコラ……」
座標獄門を展開して慌てて外に出ようとするレックルスだが、しかしその刹那背後から掛けられた声に踏みとどまる。
「サリエルゲートさん!!」
「……"お袋"さんか。どうかしたか」
「こ、子供たちが、みんな裏庭に!!」
「なにぃ!?」
裏庭。その場所は、そのまま敵が進軍してくる真正面だ。バルコニーから身を乗り出せばすぐにでも真下を確認できるため、レックルスはその巨体を揺らして慌てて駆け出す。
のっしのっしとバルコニーの端をめがけて駆け寄って、そこから徐に身を乗り出せば。
「……なっ」
そこには確かに多くの子供たちが居た。
全員が武器を手に持ち、そうでなければ忍術を使えるように身構えた状態で。
「な、なにをやってんだてめえら! てめえらに勝てる相手じゃねえ!」
だからこそ、失念していた。
彼ら彼女らが、全員恐怖に表情をゆがめていることを。
「お、お前ら何を――」
そこで、気づく。
彼らの足元に。具体的には、彼らの影に突き刺さったクナイに。
「……随分と、信頼していてくれたのですね」
「……おいおい、テメエまさか」
「ええ、申し訳ありません」
ゆっくりと、振り返る。
否だ。ゆっくりとしか、動くことが出来なかった。錆びた蝶番のようにして背後を振り向けば、子供たちが最も信頼していたはずの人物が、孤児院の"お袋"が、その長髪を背に流して悠然とバルコニーの中央に立っていた。
レックルスの影を、いくつものクナイで縛り上げて。
「"影縛り"、だったっけか。おいおい、冗談じゃねえぞテメエオイコラこの野郎。何の利があってこんな土壇場で裏切りやがる。それとも……もともとからこの子供たちを殺すつもりだったのか」
「……影縛りを受けてよく喋ることが出来ますね」
「そおじゃねえだろうが。俯いたままぶつぶつ言ってんじゃねえよ。テメエ、こんなことしといて人さまの目すらまともに見れねえってか、おい」
歯噛みする。自分はこんな迂闊な男であったかと。
レックルスの影を縛るクナイは、両腕部分に一つずつ、胴体に三つ、おまけに頭にもう一つ。
子供たちをたった一個で縛りあげているところを見ると、それなりの強度なのだろうが、たった五つで身動きの取れない自分が情けない。
「このまま子供たちが狂化魔族にぶっ殺されんのを黙って見てろってか!? おい!!」
「……すみません」
「すみませんじゃねえんだよ!! 腕一つ動かせずに、真正面から来る気の狂った魔族共に殺させるつもりか!! ふざけんじゃねえぞこの人非人!!」
まさしく怒号だった。
レックルスの叫びで空気が破れるのではないかというほどの。
もう、狂化魔族たちがあと少しでこの孤児院に到着する、少なくとも目視できる位置にまで来ているというのにこのありさま。ここから子供たちを見殺しにして、そして――この"お袋"はどうするのだろうか。
「テメエ、このまま一人だけさよならって腹か。俺やガキ共を餌に命乞いでもすんのか、それとも元々からあっち側で、任務終了って素知らぬ顔で帰るのか? なあおい」
「……すみません」
「すみません、ねえ」
レックルスの頬が引き攣った。影縛りで思うがままに動けない、というのではない。怒りのあまり表情筋が思うように機能しないのだ。何故なら、目の前の女は俯いて謝罪するだけで――その実、この状況に思うところなどどこにもないからだ。
いくら何でも、そんな外道に心を許していたなどとは思えない。
そして、さらに言うなれば――
「あああああああああああああああああああああ!!」
と、その時だった。突然バルコニーの影から現れた小さな影が、"お袋"とレックルスの間に突貫をかましてきたのは。
少年カルムが異変に気付いたのは、レックルスが何かに気づいたようにしてバルコニーに向かってからしばらく後のことだった。"お袋"の提案でみんなで裏庭に行くことになったのだが、そこでカルムは一人だけバルコニーに向かった。その理由は、分からなかった。ただ、なんとなく、そうした方がいいと思ったからだった。
"お袋"の様子が、いつもとどこか違っていたから。
「……なんで、こんなことになってるんだよっ……!」
バルコニーで見たものは、多くの魔族による進軍だった。いつも見張りに立っていたカルムは目も良く、レックルスが指し示した遠い山奥でうごめく何かを目視することが出来た。故に、まず警戒し、レックルスの言葉を聞いて"なら自分がどうにかして倒さなければ"と、レックルスの危惧した通りの考えを抱いてしまったのだった。
だが。
バルコニーを出ようとしたときに、子供たちを連れているはずのお袋が階段を上ってきたことに疑問を抱いてつい隠れてしまったのだ。それもきっと、今日の"お袋"の様子がおかしいことをカルムが本能的に察していたからだろう。だが、それ以上のことは察することが出来なかった。
だから、レックルスを影縛りにしたときには恐怖で声すら出なかった。
今になってみればむしろ、それで存在を悟らせなかったのが幸いしたのだが。
ぐ、と拳に力を入れて、その中にある小袋を見やる。
『本当にやばいと思った時には、これを開け』
そう、たった二日だけの間この孤児院に逗留した変な妖鬼を思い出した。
だが、小さくカルムは首を振る。
確かに窮地には違いない。だが今、"お袋"はこちらに気が付いていないし、レックルスの方がお袋よりも強いのだということを一連の会話で悟ることが出来た。
問題は、あの地面に刺さった五本のクナイ。
それだけだ。なら。
『おまえさんは、すげえ奴だ。あんなになってまで守りたいって思いを、俺はすげえって思った』
もう一つ、言われたことを想起する。
バルコニーで、だれに言われずとも見張りを行っていたそのことを、あの変な妖鬼は褒めてくれた。それは確かに"守りたい"という感情の発露。では、今の状況はどうだろうか。
ここで自分が何もしないのは、きっと違う。
これでシュテンに頼ったら、"すげえ奴"にはなれない。
だから。
幼心に勇気を振り絞り、カルムは飛び出す。
叫び、自身を奮い立たせながら相対する二人の間に飛び込んだ。
「ああああああああああああああああああああ!!」
「カルム!?」
「っ?」
全身から滑り込むようにしてクナイを体の運動エネルギーで弾き飛ばす。知る人が見ればカーリングのようだとも言いそうなその行為。切れ味の良いクナイの中に飛び込んだせいで、触れた箇所に浅くない裂傷が走る。けれどそれでも今レックルスを助けるべきだとカルムは痛みに歯を食いしばった。
「っ、余計な真似を!!」
瞬間、カルムに向けて"お袋"がクナイを投擲した。その表情は今まで優しく彼を育ててくれた人のものなどではまるでない。だからこそカルムは目の前の女性がいっそう怖くなり、身動きが取れなかった。
このままでは脳天に突き刺さるというのがわかっていてなお、恐怖に身をすくませる。
だが。
――古代呪法・座標獄門――
カルムとお袋の間に出現する黒き渦。
それが一瞬でクナイを飲み込んだかと思えば、お袋は慌ててその場所から横っ飛びに飛びのいた。あたりまえのように背後から襲い掛かったクナイは、あえなく地面に突き刺さる。
「ち、外したか」
「す、げえ……」
片手を前に突き出し、舌打ちした男。座標獄門で以て飲み込んだクナイを、すぐさまお袋の背後から射出するというトンデモ芸当。もし自分がやられたら絶対に生きていられない確信があるそれを、しかしお袋は回避した。それだけで、カルムの出番はほぼないのだとはっきりわかる。
しかしレックルスは、カルムをかばうように立つと目だけ振り向いてにか、と笑った。
その獰猛な牙が、しかしどうしてか安堵を誘う。
「助かったぜ、カルム。テメエは、やっぱりすげえ奴だな」
「ぁ……!」
「さあ、俺がどうにかしてる間に、子供たちを助けてやれ!」
「うん!」
予想だにしなかった危機的状況。
カルムはバルコニーから跳躍して裏庭へと飛び降りる。
それを見送ったレックルスは、万全の状態で目の前のお袋を睨んでいた。
「目論見は外れたな、おい……。魔王軍の四天王に刃を向けたこと、後悔させてやる」
「っ……」
歯噛みするお袋は、憎々しげにレックルスを睨み据えるのみだった。
結局、この女が何を思ってこんなことをしているのか、そもそもなぜ孤児院にいたのかはわからずじまいだ。だが、そうなったうえでレックルスは妙に嫌な予感がしていた。
「くっ!」
そう考えるのとは裏腹に、レックルスの行動は機敏だ。確かに体の動きは他の魔王軍と比べると緩慢だが、レックルスにとっての闘いとは体を動かすことに非ず。
水蛇のような奔流を放ったお袋に対して、彼は冷めた目を向ける。
「馬鹿が、俺に魔導を使うなど」
瞬間、どこからともなく開いた獄門に吸い込まれた奔流が、お袋の足元から出現する。
「ぐっ!?」
「ほお、よく躱したな……だが」
回避されたとわかった瞬間、さらに奔流は別の獄門に飲まれる。
どこに消えたかわからないうちに、さらに背後から水蛇が襲う。
「自分の魔導に命を狙われる気分はどうだ、おい。……母親だと思っていた奴に殺されかけた子供たちの恐怖は、こんなもんじゃねえぞ!!」
フレイムスピア
アースグレイヴ
ウィンドブレード
三種の武具がレックルスの背後に形成される。
それを見た瞬間、お袋の表情が凍った。
「まさかっ」
「その、まさかだ」
それが一斉に投擲されたかと思いきや、獄門に飲み込まれて何処かへと消える。
そして、水の奔流と同じように、彼女をどこからともなく狙う凶刃と化した。
背後、上空、地面、正面、視界の端、左右、果ては足止めに、回避妨害。
四種の攻撃が縦横無尽に、どれだけ回避しようとも次々と気配のないところから差し迫る。
これが秤。敵対因子の両天秤。最初は平等か、押していたにも関わらず。次から次へと自らの比重が高まり、何れは地面に縫い付けられる。自らの力が重ければ重いほど、己の首を絞め続ける。
「そろそろ集中力が切れてきたな」
「がっ!?」
必死に回避していた"お袋"だが、かかとを狙うように射出された炎の槍に腱を切られて倒れ伏す。その瞬間、腹部を風の刃が凪ぎ、土の墓標が足を穿つ。そして水の奔流がとどめとばかりに降り注ぐ。
「があああああああああ!!」
「……死にはしねえか。それにしても、耐久低いなオイ。忍ってえのはだいたいそんなもんだとは聞いていたが」
「く……そ……」
バルコニーに倒れ伏し、身動きの取れない"お袋"の正面。レックルスは腕を組んで、その顔を見下していた。怒り心頭、という言葉がしっくりくるその修羅のような表情は、まさしく魔王軍の四天王を思わせる迫力だ。
"お袋"はしかしその上で、悔しそうな表情を隠そうともしなかった。
「なあおい。テメエはあれか。ここの子供のことなんざ何も考えてなかったってのか」
「逐一報告するのが役目だっただけ。忍足る者、潜入くらい造作もない」
「そうかい。オルドラは簡単にスパイの侵入を許し、あまつさえ拠点を任されていたわけだ」
「あんたが……邪魔だったのよ……」
「そりゃ何よりだ。どうせ俺もろとも殺すためにこの機を待ってたんだろうが……魔王軍を甘く見すぎだ、ボケが」
レックルスが背を向ける。その瞬間、腱を切って行方を晦ましていた炎の槍が、突如ゲートから現れて彼女の喉に突き刺さった。
「……子供ってえのは、お袋を信じて育つもんだ。そいつを踏みにじったような奴を、俺が生かしておく道理がねえよ」
レックルスがバルコニーの外に目を向けると、すでに眼前にまで魔族たちが差し迫っていた。
だが、あとは子供たちをレックルスが逃がせばいい話。一つ息を吐いて、バルコニーから飛び降りる。流石にこの家が敵に滅ぼされるのは忍びないが、せっかく優秀な子供たちなのだから魔王軍で引き取るのもありかと考えていた。
なにせ、今の魔王軍は人間を受け入れる。その体制を、導師が作っている。
ならば母親というものに失望した子供たちを連れて帰るくらいは、いいだろう。
そう思いつつ裏庭に降りようとしたその時だった。カルムが、血相を変えてバルコニーに飛び込んできたのは。
「抜けないよ!!」
「あ? なんだって!?」
「だ、だから抜けないんだ! クナイが!」
「ああ!?」
子供たちに使った影縛りと、レックルスに使ったそれが違ったとは思えない。
思わず舌打ちして様子を見にいこうとしたレックルスの耳に、くすくすと笑い声が入ってきた。
「……呪い、よ。クナイを座標に固定させて貰ったわ。私の魂の残滓がここに残るのはあと数十分程度だけれど、その間はこの座標から子供たちを動かすことはできない。貴方が、ゲートで穴に落とそうとしても……ね……。これが忍の執念よ……!」
「ほとほと、気に入らねえな」
まだ息があったのか。
たとえ意識が切れたとしてもあのクナイを動かすことはできないと明言されて、そしてカルムがあれを抜けなかった以上、実際座標に固定されたのは本当なのだろう。
「……ああくそ」
「おじちゃん?」
「いや、まだ手はある。あの野郎が残した包みを……」
がく、とこと切れた"お袋"を無視してレックルスは自らの懐に手を伸ばした。
そして、数日前にバカに手渡された小袋を開き……表情を変える。
「ふざけろあの野郎」
「お、おじちゃん!?」
「ちょっと待ってろカルム。できれば、抜けるかどうか試してくれ。最悪特導兵から何から狂化魔族を全部海に送ってしまえばいい話なんだからな!!」
「あ、う、うん……!」
そうカルムに言って勇気づける。実際、特導兵たちを軒並み海に送れるほどの魔力はもう残っていないのだが、最悪血反吐を吐いてでもやってやるとレックルスは考えていた。だが、それはあまりにも安定しない作戦。強大なゲートを作るためには、そしてより遠くに飛ばすためには尋常でない魔力が必要になる。
過去に向かう際にヴェローチェの魔力を借りたように、聖府首都に攻め入る際に前々から魔法陣を作成していたように。だが今回はそれが出来ない。レックルスの魔力では、今回特導兵たちをどこかへ送るというのは土台無理な話であった。
最悪、レジストされたら目も当てられない。
だがそれでも、カルムを不安にさせて残すわけにはいかなかった。ぐ、とサムズアップしたレックルスはそのまま一秒も惜しいといった表情でゲートの中に消えていく。
正直なことをいえば、小袋に書いてあったことがまだ一番現実味があったのだ。
とても腹立たしい内容ではあったが。
「あ、ちょっ」
取り残されたカルムはといえば、あまりの事態に唖然とするしかなかった。
もしかしたらこのままおいていかれるのではないか。数年間世話をしてくれたお袋に裏切られたばかりの彼にとって、今の不安は尋常なものではなかった。
だが、魔族たちが差し迫っている今、自分がここにぽつんとしているわけにもいかない。
バルコニーから身軽な動作でぴょんと飛び降りると、裏庭にいる子供たちの前に出る。
それぞれの瞳は既に半分絶望に染まっており、まるで身動きできないせいで失禁してしまっている子も少なくなかった。
だからこそ、彼らを守らなくてはならない。
カルムはそう思って、ひとまずクナイをどうにかして外せないかと考えることにした。
カルムと歳の近い女の子が、何とか口だけを動かしてカルムに「たすけて」と涙ながらに伝えるのだ。声すら出ないあたり、影縛りの徹底ぶりとここにいる子供たちの未熟ぶりが頷ける。
もしかしたら必要以上に強くならないようにお袋が仕向けていたのかもしれない。
そう思うとやるせなかった。何故、もっと強くなれる道を選べなかったのか。親だからといって何故その言葉に唯々諾々と従うしかなかったのか。あまりのくやしさに泣きそうになるが、カルムは強かった。影縛りには影縛りでと、クナイに対して影縛りを使おうと試みる。
「大丈夫だ、助けてやるからな!!」
そう、全員を鼓舞して。
しかしその間にも、魔族たちが近づいてくるのがわかる。
裏庭から見える山からすでに異形の者たちが下りてきているのだ。
さながら百鬼夜行のように、次々に魔族たちが殺到するのがわかる。砂煙が徐々に近づいているのがわかる。目が良いカルムは、彼らがまともな瞳をしていないこともよくわかった。
怖い。
そう思うのはカルムだけではないはずだ。
数十分は解除できないこの影縛り。あと数分で敵が来てもおかしくないというのに、数十分とはもはや徹底的にすりつぶすことしか考えてないと言ってもいい。容赦がない。
手が震えた。
影縛りを影で縛ろうとするも、結局固定が強化されるだけだった。
「くそ、何か手は!!」
考えろ、考えろ、と己自身に訴える。
周りを見れば、全員がカルムを見ていた。見ることしか、見つめることしかできないのだろう。
だからこそ自分が助けてやらねばならない。そう頭ではわかっているのに、どうすることもできなかった。
くそ、くそ、くそ。
カルムは唇をかみしめる。
このままでは全滅だ。
だというのに、カルムの中では逃げ出すなどという選択肢ははなから存在しなかった。
自分がみんなを守るんだ。
その考えが、あたりまえだった。だから。
「……魂の残滓……残り時間……ああああううう……!!」
酷なことだった。
どうにかして自分が、と必死になるのに、答えはどこにも見つからない。
だれかを守れる人になりたい。強い忍になりたい。そう思っていたのにこのざまだ。
悔しくて涙があふれた。まだ十歳の子供だ。
あまりにも重い。人の命を背負っているこの状況に、へたり込んで泣き出したい。
なのにそれすらできなかった。
守りたいから。
この大切な仲間を、家族を。
殺させなどしないと、そう誓ったのに。
「……か……る……!」
「アイーシャ!! 大丈夫だ! 今助けるから!!」
どどどど、と砂埃どころか音まで聞こえてきた。死神の足音が。
どうにもできないことがわかっていて尚、それでもそのクナイを外そうと懸命に歯を食いしばる。
抜けろ抜けろ抜けろと、必死でクナイを引き抜こうとするもそれも無理だ。
アイーシャは同年代の、初恋の可愛い女の子だ。そんな子を殺されてたまるかと、カルムは必死だった。
だが、そんな彼に対して、必死で声を出すアイーシャは。
「逃げ………てぇ……!!」
「逃げるものか!! みんなを、オレが守るんだ!!」
涙ながらに訴えるのは、彼の身を思っての心の発露。
しかしそれに、凄絶に首を振ってカルムは拒絶する。
必死だった。どうしようもないのに、それでも皆殺しになんてされたくないから。
だから――。
「たましいの、残滓……そうか!!」
なにかを、思いついた。
「忍術……霊破!!」
勢いよく、魔導をぶつける。浄化のエネルギーを。
ばちん、という音とともにはじかれる。だが、確かに何かの力が弱まった。
「そうだ、これを、これを何度もぶつければ……何度、も……!!」
「グギャアアアアアアアアア!!」
「ゴグアアアアアアアア!!」
「ギャギャギィガアアアアア!!!」
「っ!?」
遅かった。
どうしようもない。
目の前にすでに差し迫った狂化魔族。
霊破を何度もぶつけて全員を解放する余裕なんてない。
「ごめん、みんな……」
そう、呟きかけて。
周囲の絶望に染まった目を見て、首を振った。
そうじゃないだろう。
最後の最後まで、自分があきらめるわけにはいかないんだ。
カルムは首を振った。
『本当にやばいと思った時にはこれを開け』
そういわれたものを、まだ開いていなかった。
あと数秒で裏庭に乗り込んでくる魔族。
それでも、なお逆転の一手があるというのなら。
勢いよく開いた小袋の中身はただの紙切れ。
何かが書いてあるのかと、期待を胸に覗き込んだ。
そして。
「……え?」
呆けた声を漏らした。
ゆっくりと、顔を上げる。
そこに書いてある言葉が本当なのだとしたら。
そうしたら。
「グギャゴゲアアアアアア!!」
狂化魔族が目の前に。
もう、このまま殺されるしかないという状況で、しかし。
一陣の風が吹いた。
――神蝕現象【国士無双】――
目の前のすべてが、赤と青の光芒の疾走によって切り裂かれた。
「……へ?」
目の前に立つのは、知らない青年。
くたびれたYシャツと、靡く銀の髪。握られた二本の槍は、カルムだって知っているあの英雄の姿そのもので。
「間一髪、間に合ったようで何よりでさぁ。……シュテンくんも、無茶を言う」
「あ……あ……」
穏やかな口調とその声音に、カルムは思わずへたりこんだ。
頼もしい背中に、言葉が出ない。そんな彼を分かってか、青年は口元を緩ませて振り返った。
「こんな状況でも仲間を守ろうってぇその心意気にゃあ、心底痺れました。安心しちゃあ貰えませんか。ぼかぁ――」
と、語り掛ける青年の背後から、凶爪を振り上げて襲い掛かるのは狂化魔族。危ない、とカルムが口にするよりも先に、赤と青が閃く。
「ゴギャアアアアアアア!?」
振るわれるは深紅と蒼穹の二振り。音を立てて斃れる、過去形の脅威。
ほんの少しも息を乱さず、彼はつづけた。見る者を心の底から安堵させるような、笑顔で。
「――並び立たせはしない。悪意を、同じ大地には」
いつの間にか目の前に現れていた狂化魔族を一閃。
その美しい動作に、息を呑む。
呆然とした、カルムの手から。
小さな紙切れがはらりと落ちた。
『よく見とけ。今目の前に居る奴が、お前の目指す終着点。世界を守った英雄だ』




