第十二話 拓き踏み込みたい道I 『役者』
「ガラフス様!!」
のんびりと陽光の差し込む廊下を歩いていた老人に背後からかかった声。
好々爺然とした風体のまま、彼は口元を緩ませて振り向いた。
ガラフス・ウェルセイア。
どこかの通りすがりの妖鬼と接触し、モンキー・ハッピーデイなどという失礼千万なあだ名をつけられた彼は、実はこうして居るべき場所に居れば"様"という敬称付きで呼ばれるほどの男である。
果たして、彼が振り向いた先に居たのは壮年の男性であった。
一度深く頭を下げると、焦りをありありと見せるその表情のままにガラフスを問いつめる。
「いったいいつまで、レイドアの首長の言いなりになるおつもりですかっ……!」
「いつまで、とはおかしなことを聞くのう。儂は一介の忍でしかない。忍が主人の命で動くのは、当たり前のことじゃよ」
「しかし、我らがゴルゾン州の首長……貴方様のご子息が亡くなった今、我々がすべきは――」
「――滅んだのじゃよ。儂らの居場所は」
「っ……! そ、そんなことはっ!」
「誰も生き残ってなどおらん。ゴルゾン州は滅び、レイドアに吸収された。もっといえば、二年半前の戦役で倒れなかった首長はごくごく少数。レイドアは一大勢力となり、儂等は食客にすぎん。再び立ち上がる場所など、もう無い」
「あきらめろ、とおっしゃるのですかっ……? あのレイドアの首長シュラークの言いなりとして一生生きろと、ただの河原者として、やすい銭で命を捨てる忍になれと、夢を捨てろとおっしゃるのですかっ!!」
憤懣やるかたないといったその嘆きにもにた言葉を、しかしガラフスは笑っていなす。
今目の前に居る彼だけではなく、その他大勢の元ゴルゾン州の人間が同じように思っていると知って尚、ガラフスは仕方のないことだと切り捨てた。
「それにの」
「……ガラフス様?」
ガラフスは、男に背を向けた。
今にも歩き始めかねない彼を、不安げに背後から見つめる男の視線に気づいていながら。
「儂はとっくに、家督を譲った。一人の忍で生きている方が、性にあっているとそう思うてな。十年も前にのう」
「だ、だから関係のないことだと、そういうのですか!? 貴方も治めた、ゴルゾンの地を!!」
「……治めたのではない。忍として共に生きただけのこと」
「そんな……」
愕然とする男に、もう二度と振り向くことはなくガラフスは一歩踏み出した。
追いかけてくる気力さえ、ないのかもしれない。
ガラフスが先頭に立ち、ゴルゾン州を再建する可能性はない。そう断言したようなものなのだ。たまらず男が声をあげたとて、もう取り合わないであろうことは自明。
そんな状況で、どうして気力が満ちようか。
「すまぬのう……」
そう、小さく呟いた言葉が、誰の耳にも届くことはなく。
であればこそ、男がすがる思いで発した言葉にガラフスが気づくこともなかった。
「せめて……せめて姫が生きておられれば……」
姫。男が脳裏に描いたその人物が果たして生きているのかは分からない。
消息不明であると、レイドア首長シュラーク本人の口から告げられた、あれから一切情報が入ってこないのだから。
それもこれも、ゴルゾン州の忍たちが思うように動くことの出来ないこの状況が原因で。故に、彼らは歯がゆい思いをしながらも、結局は何か行動を起こすことが出来ていなかった。
なぜならばそれは、今レイドア州に逆らって無事で居られる可能性が皆無であったからだった。
「神秘の珠片?」
「ああ、そうだ。オレの体の中にも一つぶちこまれてるソイツぁ、実際のところとんでもねえ劇物って訳だ」
「最初からそうやってわかりやすく言ってよ。なんだっけ、ちょうこーみつどふていけいまそけんちん?」
「超高密度不定形魔素結晶だクソが。それも外殻がない状態のな。だから、具現化されたマナそのものの――」
「わっかんないからいいよ別に。ボク研究とか興味ないし」
「やっぱ殺すぞクソガキ」
「なんでそうなるのさ!!」
港町から続く、赤茶けた大地に走る街道。元々粘土の産地として有名であったこの地は、既に廃れてしまっていた。元々寒い地域であったことにあわせ、数年前に起きた温度変化でその寒さはさらに増してしまっている。故に、草木のたぐいもあまり無い。
そんな街道を歩く二人の人影。
一つは、長身の青年だった。青髪にモノクル、そして背中の巨大な大薙刀と特徴的な黒コート。見る者が見ればすぐに帝国書院書陵部の魔導司書だと分かるその出で立ちは、この共和国領においては少々浮いていた。
もう一つは、隣の青年に比べるとだいぶ小柄だ。彼の腰上程度までしかない身長と、頭に巻いたバンダナ。そして、軽い武装。冒険者らしいその見た目は、いまいち彼女の年齢を考えるとしっくりこない。
そんなちぐはぐなコンビは、ぎゃーぎゃーと互いに文句を垂れながらも共に歩みを進めていたのだった。
「で、その神秘の珠片がなんだっていうのさ」
「今回の仕事だっつってんだろ。着いてくんならそのくらい知っておけと思っただけだ」
「何げに着いてくこと了承してくれた辺り、デジレってちょろいよね」
「テメエ本当に脳天かち割ってやろうか」
背中の大薙刀に手を伸ばす青年――デジレ・マクレイン。
反対に、小柄な少女の方はといえば慌てて距離を取っていた。いくらなんでも戦闘になってはかなわないのか、それともその緩んだ口元を見る限りは単なるポーズなのか。
「っつか、オレは仇じゃなかったのかよクソが」
「ボクも色々調べて回ったんだよ。……レイドアの首長がおかしいってことに気づくのに、時間はかからなかったさ。本当に、早く疑えばよかった」
「ガキなんて狭い視野でしか物事考えらんねえ、そんなもんだ」
「じゃあボクはもうガキじゃないね。いい加減名前で呼んでよ」
「……忘れた」
「あああああ! ジュスタ! ジュスタ・ウェルセイア! 覚えろ!」
「断る」
「なんでさ!!」
がー、と八重歯をむき出しにして怒る子供相手に、デジレは白い目で応じた。
――なんだか、無理をしているように思える。それが正直なデジレの見立てである。
仕方のないことかもしれない。事情はあっさりと聞いただけだが、ようやく仲間だと思えた相手に裏切られたのだ。こんな、小さな少女が。
たったひとり、聞けば身よりすらない。
そりゃあ、精神の磨耗も尋常ではないことだろう。そう思うからこそ、デジレは敢えて触れようとせず当たり前のように着いて来させた。彼女もそれは分かっているはずだ。分かっているはずでも、何度も先ほどのように確認してくる辺り、不安でたまらないのだろう。
なんでオレがこんなにガキを気にしなきゃならねえんだクソが。
思わずため息混じりに言い出したくなる気持ちを押さえつつ、デジレはジュスタを見据えて言った。
「それよりもだ。アイゼンハルトは、どこに居んだよ」
「今は教国だと思うよ。任務終わったらおうち帰るだろうけど」
「そのおうちはどこだっつってんだよ」
「任務終わったら教えるって」
これである。
アイゼンハルトは今教国で、ほかの五英雄の墓参りをしている。その情報は確かにデジレも受け取った。だが、彼がどこに住んでいるのかといった話についてはこのジュスタ、一向に口を開く気配がない。
任務が終わったら教える。
それはつまり、デジレが任務遂行するまでジュスタが共に居ることに他ならず、もっと言えば。
「……はぁ」
「人の顔見て盛大なため息吐くって、人間としてどうなのさ」
「さあ、どうだろうな。知らん」
「へー、そういうこと言うんだ。へー!?」
その後も、付きまとうつもりがあるに違いない。
なんで自分がこんなことになってしまっているのか、己の天運を呪いつつデジレは空を見上げた。この先、ずっと職場でも旅先でもガキの呪縛から逃れられないのかと。
「ところでさ」
「あ?」
ジュスタは懐から地図を取り出した。それを見て、デジレの額に青筋が浮かぶ。
「今ここな訳だけど、共和国領の区分結構変わっちゃって大変、だ……なにかなデジレ」
「テメエ、それオレの地図だよな?」
「コートのポケットは不用心だと、ボクは思うんだ。隣には優秀な忍が居るんだから痛い痛い痛いいいいいい!!」
盛大にアイアンクローをかまし、ジュスタの体が宙に浮く。じたばたする彼女の手元から羊皮紙の地図をひったくると、レイドア州までのルートを確かめた。数年前に比べ、レイドア州と呼ばれる場所は数倍の規模に膨れあがっている。首長の数が少なくなったとはいえ、レイドアの首長は帝国からすれば処断の対象だ。手が出せないのは、尻尾を掴ませないからというただそれだけ。
ぱ、と手を離した瞬間にジュスタは盛大に尻から落ちる。
痛みをこらえるように尻をさする彼女をおいて、デジレは歩きだした。
「あ、待ってよ!」
「とりあえずレイドア州に向かう。偵察ってほどじゃねえがな。何ならその場でレイドア首長シュラーク殺してやろうか。事実隠蔽やら証拠隠滅は書陵部がうまくやるだろ、その道のプロに任せるのが一番だ」
「本当に帝国書院ってクズだよね」
慌てて走ってデジレの隣に戻ってきたジュスタ。
彼女のじと目をデジレは鼻であしらいつつ、続けるようにして言った。
「テメエが着いてくるのは勝手にしろ。だが今から行くのは、それこそテメエのその短い人生滅茶苦茶にしやがったクソ野郎だ。覚悟、出来てんのかよ」
「……情けない話、ちょっと怖いけど。別にボクがメインって訳じゃないから平気」
ぐ、と両手を胸の前で握って、自分に言い聞かせるようにジュスタは頷いた。
結局のところ、ジュスタはこの人生で何度も裏切られ続けている。
いつまでも一緒だと言われた親が死に、レイドア首長に騙され続け、そして仲間だと思った人間には重い隠し事をされていた。
そんな人生で、よくまだ正気を保っている。
しかしその正気はもう既に酷く磨耗し、あっさりと折れてしまうに違いない。
今度、何かに裏切られようものならば。
「行くぞクソガキ。テメエの元飼い主にカチコミだ」
「さ、最初から事を荒立てる気満々なの!?」
歩きだしたデジレの後ろを、ジュスタは不安を隠そうともせず着いていく。
共和国レイドア州。この地には段々と、そして着々と、役者が揃い始めていた。




