第十一話 ホワイトスカル号III 『双槍無双の魔導司書』
帝国において、帝国書院に所属するということはただそれだけで大変名誉なことであった。
帝国書院において、書陵部に所属するということはそれだけで大きな称号であった。
帝国書院書陵部において、魔導司書というのは最大にして絶対の存在であった。
そして。
帝国書院書陵部魔導司書の中にあって、その男は頂点であった。
さわさわと。
夜の潮風に靡く銀の髪は月夜に反射して神々しく。細くも強き意志を秘めたその瞳は鋭く。赤と青に塗られた二本の短鎗の握りは軽く。ただの旅装でありながら、存在感は誰よりも強く。
アイゼンハルト・K・ファンギーニは。
人類最強はここに居た。
「……鬼のお兄さんを殺す為に、船が沈むのは仕方のないこと……か……。変わっとりゃしませんなぁ……アスタルテ。お前さんを見ていると、悲しくなる」
「まさか、僕にすら見破れない術式をかけるものが居たとはね。恐れいったよ」
元第二席と、第一席。
世界最強の戦闘組織"帝国書院書陵部"の、最上位に君臨する者たちの対峙。
かつん、とつま先で地面を蹴って。テツ――アイゼンハルトは前を向く。
相対するはアスタルテ・ヴェルダナーヴァ。全てを統べる神蝕現象【九つ連なる宝燈の奏】は既に発動中だ。証拠に、いくつもの武器が彼の背後に浮いている。その中に、アイゼンハルトの愛用する二本の槍の姿もあった。
「青虹、偉天のまがい物。それは使わないのかい?」
「冗談はほどほどにした方がいい。あれを使う理由が僕にあると思うのか」
「ない、さぁね。……アスタルテ、本当にこの船を沈めようと言うのなら。ぼかぁ相手になりまっせ……!」
くるくると、軽く両手に握った鎗を回転させるアイゼンハルト。その捌きにはさほどの脅威は感じない。当たり前のことを当たり前のように行っているような、そんな雰囲気さえするその挙動に、しかし一切の隙がない。
ただただ鎗を弄んでいるだけでしかないはずなのに、その余裕の中に一歩でも踏み込めばその瞬間に殺されてしまいそうな、そんな空気が満ち満ちていた。
「その前に、アイゼンハルト」
「なんでしょうや」
「……きみが、生きていたとはな。……共和国潰しもおかげで叶ったが、一応の確認をさせてもらいたい。戻ってくるつもりはないのかい?」
「何を、言い出すかと思えば」
軽やかなタッチで短鎗を握り、ニヒルな笑みさえ浮かべてアイゼンハルトはアスタルテに向き直る。
「当たり前じゃあ、あらんせんか。ぼかぁもう二度と、人殺しはしないと決めたんだ」
青の鎗――青虹を一振り。心地良い風切り音が、その意志の体現。
曲がることのなさそうな彼の信念じみた物言いに、アスタルテは一つ嘆息して。
その瞬間、纏う雰囲気が変わった。
「そうか。なら、是非もない。船ごと沈めてやろう……!!」
ぶわり、と巻き起こる凄絶な覇気の猛威。
と、ここで我に返る男が一人。
「お、おうおうおうおう。テツがアイゼンハルトってぇのもびっくら扱いたが、こりゃちょぉぉっとまずいんでない?」
「鬼のお兄さんがびびるこたぁないでしょう。あんさんなら泳いで岸まで行けまっせ」
「いやいやいやいやそういう問題じゃねえから。沈む前提で話すすめんの辞めようぜ。もっとクールな方法があるはずだ」
「海の中なんて最高にクールじゃああらんせんか」
「脳を冷やせよ体じゃなくてよ!」
鬼殺しをふるうその速度は尋常ではないほど速い。
妖鬼シュテンと名乗ったこの青年も、相応の技量があるのであろうことはケトルブルグ港で初めて見かけた時から分かっていたことだ。
「ま、大丈夫でさぁ」
だが、別に問題はない。
「ミネリナが眠ってる状況で、船を沈めさせたりなんざ……出来るはずないでしょうや」
「お、おお……?」
シュテンの心配は尤もだ。
この場、船の上などで全力を出してしまったら、船が沈むであろうことは必至。
ならば簡単だ。アスタルテが、ここから居なくなればいいだけの話。
短鎗を構えたアイゼンハルトの前で、アスタルテは指輪を掲げた。
「……随分と悠長だなきみたちは。今ここできみたちを殺すのに手っとり早いのは、沈めてから浮かんできたところを処理するという方法だということを――忘れていないかい?」
――神蝕現象【九つ連なる宝燈の奏】――
祝詞とともに、九つの武器が動き出す。
何からくるかと戦々恐々とさせる暇もなく、アスタルテは全力で番傘を取りにかかった。そこから予想される神蝕現象など、一つしかない。
――神蝕現象【天照らす摂理の調和】――
番傘を握った瞬間の、神蝕現象の発動。
世界が敵に回るその魔導は、アイゼンハルトめがけて悪意を殺到させる。
だが。
「……舐められたもんですなぁ、アスタルテ」
そんな言葉が、聞こえた気がした。
同時に、アスタルテの胸を貫く何かの感触。
目の前には、先ほどまでただただ船の上に立っていたはずの、アイゼンハルト。
そして、突き刺さるは赤の短鎗――偉天。
「……ぁ?」
「天照らす摂理の調和。世界が対象を排除しようと襲いかかる神蝕現象。……なぁ、アスタルテ――」
明らかに、心臓を外しての一撃。だが大量の出血で一度の死は免れないほどの。
いつの間に、こんなところにまで。
たった一瞬の間にたどり着けるような、そんな距離ではなかったはずだ。
だが、思い出した。
アイゼンハルト・K・ファンギーニという男は魔導司書の中にあって異端なのだと。
「――世界程度のスピードで、このアイゼンハルトにちろっとでも……傷を付けることが出来ると思ったのかい」
「……相変わらず、化け物だなきみは」
まさしく一閃。空中に居たにも拘わらず、たった一歩。たった一手でアスタルテの胸を穿つ短鎗の一撃。そしてこれが、アイゼンハルト・K・ファンギーニ。
この大陸にあって、人間という弱種族でありながら。
武術にて、最強。神域の武者。
ここに彼の神蝕現象が加われば、もう誰も手がつけられないというほどの。
だからこそ、彼はこう呼ばれた。
双槍無双の魔導司書と。
「……確かに、ぼかぁもう一線を退いたどころか戦いなんざろくにしちゃあ居ない」
短鎗をアスタルテの胸から引き抜くと、空中で一回転してアイゼンハルトは着地した。わざと、アスタルテを殺さずにいた。アスタルテ・ヴェルダナーヴァは、一度死ぬことで相手に隙を作り出すことが出来る魔導司書であるから。
"十三武錬不敗の巨塔"が、命を蘇らせるから。
だから殺さない。致命傷を負わせてなお、とどめを刺さずにいる。
「けど……鍛錬まで怠ってたわけじゃあない。舐めるなよ、第一席」
「……それは、こちらの台詞だアイゼンハルト」
アイゼンハルトが言葉少なに挑発すると、アスタルテは笑って自らの首を掻っ切った。瞬間、深緑に彼女の姿が包まれる。そして。
――神蝕現象【十三武錬不敗の巨塔】――
「……自害して蘇るとか、どんなクソ度胸だよ」
「慣れたものだよ、この程度」
割り込むことも出来ず傍観するシュテンの呟いた言葉に、アスタルテが反応する。
軽く、されど言葉は重く。その空虚な瞳の奥にちらりと揺れる炎は、彼の意志そのもので。
「今まで、何度も死ぬほどの戦いに身を投じてきた。僕が死ぬのと、他の者が死ぬのでは重さが違う。命など、何度だって張ってやる。そうして帝国の平和を作ってきた。僕は英雄として、幾度でもこの命を投げ捨てよう」
「英雄……英雄ねぇ……」
そういえばこの前出くわした時も同じようなことを言っていたことを思いだす。
英雄としての現人神。それがアスタルテ・ヴェルダナーヴァなのだと。
「いくら強力とはいえ……七割しか力を引き出せないばかりか速度も劣るものに頼った僕の敗北か。……いいさ、アイゼンハルト。この場は退こう」
まるでダメージなど受けては居ない様子で、すく、とアスタルテは立ち上がる。
「逃がすとでも……?」
「それは僕への挑発か? ……もし、今。僕を追うというのなら。一つ勘違いを正しておくが」
「なに……?」
「僕は退くと言った。逃げる訳ではない。もし追ってくるというのなら僕は――」
す、とアスタルテの目が細められる。
「――この十三の命全てを尽くして貴様とこの船を滅ぼそう」
「っ……」
「立場を理解したか? むしろ僕が見逃す側だということを」
巻き起こる覇気の威圧が、甲板を押しつぶすかのようなプレッシャーとなって船上の二人を覆い尽くした。いくらアイゼンハルトが強いとはいえ、この場においては分が悪い。一つ嘆息して、アイゼンハルトは両鎗をおろした。
「二度と会わないことを願うよ」
「それは無理だ。……帝国書院はこれよりジャポネに潜入する。姿を現したアイゼンハルト、"鬼神の影を追う者"、両者の討伐は優先事項に組み込まれる。肝に命じて、……貴様の鎗にこもったその甘さを取り払うことだよ。ああそうだ、吸血鬼がジャポネで暴れているからね、その処分は帝国書院で行うよ」
それじゃ。と、身を翻したアスタルテの表情がどこか残念そうに見えたのは、気のせいなのだろうか。もしそうだったとして、何が彼女にそんな思いをさせたのだろうか。
答えは出ないまま、空を舞う"I"の背中はどんどんと遠くなっていく。
そして。
思い出したように波の音が耳に触れて。
銀髪の青年がぼんやりと、空の向こうを眺めていることに気が付いた。
テツ。
否、アイゼンハルト・K・ファンギーニ。
「なぁおい、テツ……じゃなかったわ。アイゼンハルト」
「テツ、で構いやしませんよ。ぼかぁ、アイゼンハルトってぇ名前は、あんまり好きじゃあないんでさ。それに……」
「あん?」
「テツってな、本名なんですわ。なぁんも力がなかった、ただの子供だった頃の。……帝国書院に来た時に、名乗るには足りねえからこんなたいそうな名前をつけたんでさ。鉄の心……アイゼンハルト。その名前を名乗り続けるには少々、傷つき過ぎました」
なるほど、とシュテンは頷いた。
テツ、というのがむしろ本当の名前であるということに妙に納得がいったらしい彼は、アスタルテという脅威が去ったのを確認してから問いかける。
「良かったのか? かくして、たんだろ?」
「よかあ、あらんせんが。みんなの命を消しとばすわけにゃあ、いかないじゃあらんせんか」
「まあそりゃそうだが。いいやちょっと流石の俺も驚いちまってなぁ」
がしがしと後頭部を掻くシュテンの表情は、確かに普段より精細を欠いている気がした。第一席と第二席の衝突によるプレッシャーかとも思ったが、よくよく考えればそのようなことでへこたれるタマでもないだろう。
では何故か、と問われたところでそこまでつきあいの長くないテツには分からなかった。
だが、どうしてか。
彼は魔族で、自分が魔王を倒した者と知ってる風でありながら、怯えや怒りの感情を出すこともなく。それが少し不思議にも思えていた。
「とりあえず、クレインくんたちには隠した方がいいのかもな。いずれにしてもミネリナが起きねえことにはどうしようもねえんだろ?」
「え、ええ。しかし鬼のお兄さん。あんた、ぼくのことは怖かないのかい?」
「あ? なんで? 今ちょっと色紙切らしてっからどこにサイン書いて貰おうかなーって悩んでるとこなんだが。背中でいい?」
「………………」
強く、気高く、恐れを知らず。
数度、目を瞬かせて、テツはふと、昔の知己を思い出してつい噴き出してしまった。
「あっはっは……妖鬼ってぇな、みんなこうなのか。それとも、シュテンってえ名前の奴ぁ本当にどうしようもないほど……面白ぇ人なのか。分かりゃしませんが……なんというか一緒に居ると、救われた気持ちになりますなあ」
「あん?」
「なぁ、鬼のお兄さん――」
どこか開き直ったように高らかに笑うテツを、奇妙なものを見る目で見ていたシュテン。自分も笑った方がいいのか? などと考えているあたりがまたどうしようもないのだが、それはそれとして。
笑いでこぼれた涙を拭きつつ、テツ――アイゼンハルトはシュテンに向かって問いかけた。
「――昔話を聞いてくれちゃあ、しませんか」




