胃痛仲間だよ長兄♪
ハイブルクの苦労人の長兄バルト様です(^^)
「ふう」
書き上げた文書のインクを乾かしながら一息つく。
この僅かな休息の時が、今のささやかな楽しみだ。
私、バルト=ハイブルクは一応、ハイブルク公爵家の当主である。いまだに自分が公爵として相応しいのか心に問い続ける二十五歳だ。
私よりも当主に相応しい母や、その小型版である妹、戦乱の世であれば王位すら狙えそうな次男の弟、そして頭のおかしい末の弟セルフィル。
平凡な私はセルフィルが産まれてからずっと彼に振り回されてきた。あとレアノ様にも。
思えば土下座の腕も上ったものだ。殆ど妹と弟達のやらかしの謝罪で上達したのだが。自分の為にしたことが無いのは確かだ。
今回のセルフィルのやらかしは特大級のものだった。
放置しておけばよかったのに、ハイブルク家の名に少し傷がつくというだけで第一王子の婚約破棄に干渉して、王家に目を付けられた。
そしてエルセレウム王国内で最大武力を誇ると言われるアレスト女辺境伯と婚約を結び、一時のこととはいえ簒奪者にまでなって王を追い詰めた末の弟。
結果、残されたのは膨大な後始末だった。
知っているか?
国の中で上から数えた方が早い地位の公爵はシャチクというものらしい。
というより国の上層部が働けば働くほど国は栄えるとセルフィルは言っていた。
周囲を見回せば、国の中枢の職に就いている上位貴族達が目の下を真っ黒にして書類に向かっている。
私の目の下も同じ様に真っ黒になっているに違いない。なにせもう五日も公爵邸に帰っていない。というより帰らせてくれない。
血を吐いて倒れたという財務大臣も青い顔をしながら復帰していた。
「知っていますか?良い上司とは部下をやる気にさせる上司です。まあその場合の良い上司というのは所属するグループにとっての良いで、部下達にとってではないですが。愚王はダメ上司でしたが王妃様はいい上司ですかねぇ」
昔から知っていたが我が家の末っ子は悪魔だ。
愚王という楔が無くなったジョデリア王妃はその才能を遺憾なく発揮された。つまりセルフィルが言う良い上司として。
悪魔も助言したのか、自分の派閥を纏めるので忙しいという言い訳も通じなかった。さすがに王国が崩壊してもいいの?と遠まわしに言われたらどうしようもない。
そしてただでさえ第一王子の婚約破棄から公爵邸より王城にいる割合が多かったのに、さらに増えることになった。
自分のベッドが恋しい、セルフィルが見つけた米で作られた公爵邸のおかゆが食べたい。城の食事はこってりしていて、私の胃にはつらい。
「バルト様、少しご休憩になさいませんか?お茶を淹れてきましたの」
室内なのに遠くを見ようとしていたところに声を掛けられた。
いい匂いに誘われて振り向くと一人のメイドがお茶のセットを持って立っている。
「ああ、少し休もうかな」
私の言葉に嬉しそうに近寄ってくるメイドはハイブルク家よりも歴史のあるセイレム公爵家の令嬢、アリシア=セイレムその人である。
第一王子ジェイムズの婚約者であった彼女は、卒業パーティーの時にありもしない罪を着せられて婚約破棄をされた。
寄子の子供達に聞いた話では、ギリギリまで王子を諫めていたらしい。
それが愛ゆえか、忠義ゆえかは本人にしかわからないことだ。
だが、最後には見限ることができる貴族令嬢ではあったのだろう。
セルフィルが唆したと言っていたが、己の方から王子に逆に婚約破棄を申し出たそうだ。
貴族の令嬢が婚約破棄、解消をされる、するとあらばどうしても自分の名に傷がつくのに、彼女は毅然とした態度で被せられた罪を否定したらしい。さすがは王太子妃に選ばれたほどの女性だ。
貴族令嬢としての名声は落ちただろう。だが女性としての格はあげただろう。
セルフィルのおかげでハイブルクの男は理不尽な女性蔑視には理解を示さない。しっかりした女性なんだなと当時の私は思っていた。
それが何故か、彼女は私の婚約者になった。
息子のジェイムズ王子を擁護しアリシア嬢を貶めるような態度の愚王に、今にも切りかかりそうになっていたセイレム公爵を止めて、王を調子づかせないためにセイレム公爵に味方すると公言したら、なぜか娘を私に嫁がせるっ!とセイレム公爵が宣言したのだ。
それからあれよあれよという間にアリシア=セイレム公爵令嬢との婚約が決まってしまった。
断ることもできたが、本人と会ってみたあとに私の方からも婚約を申し込み、了承をセイレム公爵に求めた。
「ふむ、美味しいよ」
カップに入った香ばしい匂いがするものを飲んで美味しさを伝えると、アリシアは満面の笑みになる。
「よかったです!セルフィル様に教えてもらった麦茶を濃く煮だしてみたんですの」
出された飲み物は焙煎という方法で焦がした麦だ。
胃に優しいので私が常飲しているものである。
私を胃弱にした張本人セルフィルが、私の為に作り出したものなので微妙に喜べない。だが胃にはいいのだ。胃には。
まだ夏になる前の今の時期、温かい飲み物が胃に染みる。
加えてアリシアの笑顔が心に積もった澱を洗い流してくれた。
ジェイムズ王子は彼女のどこに不満があったのだろうか。
なぜ回復魔法と媚を売って、男を侍らせるだけの女を選んだのかわからない。
まあ才女なのに、メイド服の方が兄は喜ぶんです!とセルフィルに騙されて素直に着用してしまうのはなんとも…。
あいつは私の初恋が当時私のメイドだった自分の母親だったから、私にそういう風な嗜好があると思って勧めたのだろう。
メイドが好きなわけではないと何度伝えても、わかってますとニヤついて聞く耳を持たない。
腹が立ったのでしばらくはセルフィルの主食を豆の塩スープにしよう。
パンは我慢できるけど豆を主食としては絶対に嫌と、何でも食べるくせに豆だらけの料理だけは嫌がるのだ。
「婿殿、私にもくれないだろうか」
そして新たな澱が降り積もる。
やって来たのはアリシアの父であるセイレム公爵。
アリシアといい雰囲気になる度なぜか毎回登場する、義父になる人だ。
男らしい風格のある公爵で、若輩者の私は尊敬していた。
いや、今も尊敬しているが…、えらく絡んでくる中年は正直ツラい存在で、それが避けられない相手というのが最悪だ。
「お父様…バルト様が困っていらっしゃいます。ご自分の傍にもメイドが控えているのですから、そちらに頼めばよろしいではないですか」
「アリシアよ…。その姿は婿殿の好みと聞いたので許すから、少しは父に優しくしてくれぬか」
「そういうことを教えたのはセルフィルですね。私は否定します。ええ、否定しますよ」
セルフィルの食事は豆料理のフルコースにしてやろう。泣いて喜ぶはずだから山盛りにしてやる。
そして澱はさらにやって来る。
「バルト殿、私にもそれをくださらないか。どうも、胃がシクシク痛んでツラいのだ…」
「…アリシア、義父と宰相にも差し上げてくれ」
アリシアと義父が言い合っているところに、鳩尾を押さえながらやって来たボルダー宰相。
実子のせいで一度は宰相職から降り、再度その地位に戻られた方なのだが。
なぜかセルフィルに気に入られて被害者の一人になっている。
セルフィルはいつも問題を起こす悪魔だが、事務処理能力が異常なほど高い。
だから、最初は後始末で王城から出られない私達が、婚約者と遊び惚けているセルフィルを妬みもあって登城させた。
それが正解でもあり、間違いでもあった。
セルフィルは国でも上位になる王城の文官達の何倍も仕事をこなしながら、ボルダー宰相をからかうという器用な事をし始めた。
公爵邸で私もたまに手伝ってもらっていたが、あれは弟の本気ではなかったようだ。
さらにダッシュと呼ぶ男子とマモト男爵令嬢を連れてきて、事務作業を教えながらボルダー宰相の貴族派の弱みを見つけて嫌がらせをする。
止めさせようとすると、処理能力を普通の文官並みに下げてふてくされた。
強く怒ると、子供に甘い義父や年配者のもとに泣きまねをしながら逃げていく。
グリエダ嬢という最大武力が後ろ盾になっているから?
ハハハ、幼少期からセルフィルはセルフィルだ。
反省、後悔を何処かに忘れてきた悪戯好きの弟である。
「新しい胃薬が調達できそうなので、その時にはまたお分けします」
「ああ、バルト殿の薬は効くからそれは嬉しいですなぁ」
私はセルフィルのやらかしの後始末で胃を痛めて、ボルダー宰相はやらかされて胃を痛めている同士だ。
自分の胃が犠牲になることで皆の帰宅が少しでも早まるなら安いものだ、という言葉は私達の中で名言になっている。
アリシアが麦茶を淹れなおしに出ていこうとすると、同じ胃痛持ちの同士の財務大臣や、ヒルティ騎士団長達が椅子を持ってやって来た。グリエダ嬢に毎日騎士団を壊滅寸前にまでされて予算が危ないことになったため、事務作業をしているのだ。
少し早めの午前中の休憩になりそうだ。
「バルト殿、セルフィル君をしばらく貸していただけぬか。どうも事務は苦手で…」
「いやいや、財務の方にこそセルフィル君を、あのスミまで見逃さない能力を埋もらせておくのは勿体ない」
「おいおい、セルフィル君はセイレムを継ぐのだぞ」
「セイレムにはアリシアの兄上がいらっしゃるでしょう」
まだ諦めていないのか義父よ。
アリシアの兄のエミリオ殿はセイレム公爵領を任せられているお人だ。
私の二つ上で、学生の頃は派閥は違えど後輩に優しい先輩だった。少し影は薄かったが、裏方仕事をしっかりこなせる人なのに可哀そうだ。
「…神よ。どうしてあの悪魔に必要のない才能を与えたのですか」
「…」
天上を見上げて嘆くボルダー宰相に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だがセルフィルがいなかったら家族全員が仲が良いハイブルク家はなかったので、宰相の呟きには何も言えない。
「皆さま、温かい麦茶とそれに合うお菓子も用意しました」
「「「おおっ、ありがたいっ」」」
アリシアが数人のメイドを引き連れて戻ってきた。
さすが王城のメイド達、テーブルを持ちこみ、雑に椅子を寄せていた私達を少し移動させて場を整える。
それを差配するのはアリシアだ。
王妃になるはずだった彼女にメイド達は素直に従う。
いや本当にジェイムズ王子は何が不満だったんだ?
ボルダー宰相をはじめ、全員が私と同じ思いで、おそらく私は彼らと同じ顔をしてアリシアを見ているのだろう。
「少し熱めにしていますのでお気を付けください」
アリシアの心遣いの言葉に宰相と財務大臣が涙を堪えるために眉間を揉む。
セルフィルが悪魔と呼ばれるのに対して、宰相達に優しいアリシアは天使と呼ばれている。
「ほう、濃ゆくて苦みのあるお茶にこの菓子は合うな、アリシアよ」
義父が麦茶を飲みながら菓子をポリポリと音を立てて食べ始めている。
菓子は豆だった。
何かに付け込んでいたのか優しい甘さがある。
「セルフィル君が渡してくれたんです。蜂蜜に付け込んだ豆なので胃に優しいから皆さんにどうぞ、だそうです」
「「「…」」」
あのクソガキ…、どこまでも人をからかうことにかけては手抜かりは無い。
義父や騎士団長は美味しそうに食べ、財務大臣は癒されると呟き、宰相は嫌そうな顔をして食べていた。
他の業務をこなしていた連中にもアリシアは茶と豆を配っていて、感謝されている。
ここはセルフィルが効率化のために主だった部署のトップを一か所に集めた場所、元はあの夜会があった会場だが、ここには天使の姿をした小悪魔とメイドの姿をした天使がいる。
「午後まではあの悪魔に関わらず政務をして、無理難題な仕事を押し付けてやる…」
「そういう仕事を押し付けるとロクでもないことを思いつくのが弟なので、単純に量を増やした方がいいですよ」
王妃様も午前中は愚王と側妃に御執心なので、胃を痛める存在はいない。
思い出さなければいい時間帯なのだ。
「バルト様!セルフィル様が何かをやらかしていますっ」
いい気分が扉を勢いよく開けて入って来たダッシュによって崩れ去る。
天井を見上げて嘆く者、腹部を押さえて呻く者、私は後者だった。
「アリシア、すまないが私の薬を同じ症状が出ている方達に渡してくれ」
なんだろう、私はずっと兄弟の尻拭いをしないといけないのだろうか。
ん?なにか引っかかるものがあったぞ、なんだ?
「あっふぅ、グリエダさんもう少しゆっくり歩いてください。あとお尻をかするように指を動かさないでぇっ」
「それは無理だね。いつもと違う抱き抱え方だからしっかり固定しないと。ほら、ちゃんと首に腕をまわして」
「あなた達は仲が良いわねえ。バルトも勝手に婚約者を決めたけど仲はいいのかしら?」
なぜだろうな、私の魔力使いとしての才能は特に聴力に特化しているのだ。
昔から弟と妹たちが何か問題事を起こした時に、真っ先に気づくためにそうなったのかもしれない。
その聴力が大扉の向こうの会話を聞き取ってしまう。
そして思い出す。
セルフィルの国盗りから完全に忘れていたあの人の事を。
バンっと大扉が勢いよく開かれた。
そこには毎日国家騎士団をボコボコにしている銀髪の女性、グリエダ嬢が立っており。
その腕に抱き抱えられているのは、彼女の首に珍しく腕を回している我が弟。
「やあ!今日は少し早めに来ました皆の人気者、セルフィルですよっ。でも今日の主役は僕じゃありませんっ」
グリエダ嬢とセルフィルの横に立つ人物を見て理解した瞬間、心が無になる。いや、なりたがっていた。
「ハイブルク前公爵夫人ヘルミーナ=ハイブルク様です。僕はすでに怒られたので、愚王を制御できなかった大人の皆さんも怒られましょうね」
「あらあら、私は怒るためにここに来たのではないのよ?」
セルフィルに紹介されて、頬に手を当てて困っているような仕草をしているのは。
「バルト様、もしかしてあの方は…」
「ああ、私の母だ」
アリシアが袖を引いて聞いてきたので、なんとか男として逃避をせずにこたえる。
事が解決したときに、真っ先に連絡しなければならなかった母にしていなかった。
仕方がないではないか。国盗りしたのが弟で、その後始末に奔走していたのだから、忘れるくらいあるだろう?
ハイブルクの家臣も誰か教えてくれればよかったのに。まあ、屋敷に帰ってもほぼ寝るだけで聞く暇はなかったが。
「この悪魔あぁぁっ!なんてものを連れてきたのだぁっ」
「連れて来たんじゃないんですぅぅ」
「あらあら、人をなんてものとか言ったら駄目よ、ボルダー宰相」
宰相は母と面識があるのだろう。
叫ぶほどなので過去に何かあったのは間違いない。
義父も忘れていた…、と苦虫を嚙み潰したような顔をしている。騎士団長達も大して変わらない顔をしていた。
なぜだろう自分も同じ顔をしているのがわかってしまう。
「皆さんは後でお話ししましょうね。大人が揃いも揃って子供に任せた恥ずかしいお話をね?」
「「「ぐうぅ」」」
母の言葉に喉が詰まる義父と大人達。
そこには私も入っている。
「バルト」
「はい…」
母が声を掛けてくる。
皆が後なら先には私しかいない。
「あなたからはいろいろと聞きましょうか。ええ、いろいろとね」
母に視線を向けられたアリシアが掴んでいた袖に力を込めてくる。
そのアリシアを庇う様に私は立つ。
脚は震えている。
だが慕ってくれる婚約者を守れないようではハイブルク兄弟の長男ではない。
そこの弟、こちらを見ながら自分の婚約者にニヤニヤしながら何を言っている。
よし、次からはお前の主食は椀いっぱいの豆だ。
炒るぐらいしてやろう。
ああ、胃がシクシク痛む。
胃痛宰相「あのガキィィイッ!」
胃痛長兄「落ち着いてください。セルフィルに怒るだけ無駄です。あれは反応楽しむので無視が一番です」
尻痛ショタ「無視されたらされたで興味がわきますけどね」
本編何処に行ったーっ!?Σ(-∀-;)
うん、ヘルママが出たなら長兄も出さないとね。
長兄は愚王の夜会からほとんど公爵邸に戻っていません(;´∀`)
まあ、公爵としての仕事も城の自分の部屋でしていますが、屋敷との連絡係をしていたのが変態三人メイド達だったせいでヘルママに連絡しないといけないという重要なことが思い出せませんでした(´Д`)だってショタのメイドですから♪\(^o^)/
ヘルママも連絡をしない息子に呆れつつ、軽くですが情報封鎖したのでタチが悪い女ですね(*´∀`)
なんだろうヘルママ出てきたら話が進むはずだったのに進んでいない…(;・∀・)
そろそろ第二章のタイトルを完成形にしたいのにーっ!(。´Д⊂)
がんばって書こう…(´-ω-`)
応援してもらえると正月太りした筆者がのたうちまわって、痩せて書く速度が上がります(* ̄∇ ̄*)ほんの少しですけれど( ̄▽ ̄;)









