第8話 道を間違えた先
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既に戦いではない。ただの殺し。蹂躪。作業のような有様。
黒いマナを纏った明らかな魔族……魔人と見られる巨躯の男が、満身創痍の戦士に止めを刺さんとしている場面。
セシリーは咄嗟に動いた。マナを練り、何の警告もなく攻性魔法を放つ。
『あの魔族はダメだ』という直感に従って。
白い輝きを含んだ風の刃が敵に到達する。
それはつい先ほど、アルに語った己の理想とは相反する行動。権限も証拠もない。法ではなく暴力。どちらが正しいかなど分からない。だが、彼女は巨躯の魔人を明確に害する為に魔法を撃ち出した。
その事実に彼女自身が驚愕したのは、風の刃が魔人……ベナークの腕を斬り飛ばした後のこと。
「(なッ!? わ、私は何故……ッ!?)」
もっとも、セシリーが動かなければアルが動いていた。ただ、その反応速度はセシリーの方が早く、アルが対応してたなら、戦士は魔族に殺されていたという程のタイミング。超反応のセシリー。
「……ッ! ぐッ!!? 何だ貴様らッ!?」
明らかに防御に自信ありといった黒鋼の鱗に覆われた身体だったが、呆気なく腕を斬られた。ベナークにとっての衝撃は大きかったが、すぐに切り替えられるだけの戦場の気概は持っている。既に黒きマナで障壁を張りながら動く。
一方、衝撃から立ち直れないのは攻撃した側。セシリーは自分の行動がまるで信じられないまま。
「セシリー殿。惚けてないで、相手をしないと」
「……ッ! そ、そうだな……い、いや、しかし!」
「アイツはヒト族においては外法の者ですよ。黒いマナの遣い手。ま、どちらにせよ敵意満点で向かってくるので、話し合いは無理でしょうね。生かして無力化も。悪いですけど、アイツの相手はお任せします。仕掛けたのもセシリー殿でしたし」
これが大森林の練兵で、アルが教官だったならセシリーを三回はぶん殴っている。
最初の一撃の反応は良かったが、狙いが甘い。本来はあの一撃で終わっていた筈。
次、相手が反応する前に、止めとなる二撃目を連続で放てた筈。
最後に、未だに惚けたまま。
ただ、流石にセシリーも黒いマナを纏った大男が突っ込んでくるのを、ただ眺めるだけという訳にもいかないと切り替える。かなり遅いが、意識が切り替わったことに違いはない。
アルは今回については手を出す気はない。その必要性も感じていない。既に黒いマナを強く纏う者は向かってくる大男しか残っておらず、普通に戦えばセシリーが負けることはないだろうと見越す。
相手の敵意も自分ではなく彼女に向いている。それに“敵”を一目見て『自分とは相性が悪そうだ』という保身的な判断もあった。
ベナークを覆う天然の鎧。黒鋼の鱗。打撃や衝撃には滅法強いだろうと看破する。その上でセシリーの魔法はアッサリとソレを斬り裂いた。自分の出番はない。
あとはセシリーとベナークの二人が、勝者と敗者。生者と死者に別れるだけ。
白いマナを含んだ魔法はそれほどまでに脅威。
ウォレスが曲がりなりにもセシリーの魔法を防げていたのは、『神聖術』をベースに魔法の障壁を張り、生と光の属性が同属性で打ち消し合っていたから。
本来は、女神の力と冥府の王の力を同時に操れるウォレスは稀有な人材だったはずなのだが……情緒の不安定さによって、クレアにあのような捨て駒とされてしまっただけ。そんな事情すら、誰にも知られぬまま忘れ去られるエピソード。
「(くそったれッ! 何だあの魔法は!? 女神の力だとッ!?)」
肘当たりから右腕を切断され、当然に困惑はしながらも、ベナークは頭の片隅では次の一手を冷静に考えている。
苦手な相手だ。距離を取っていると削られる。いや、斬り刻まれる。接近して間合いを潰さなければ、まともな戦いにならないと判断していた。多少の手傷を承知の上で踏み込んで行く。
「(くっ! わ、私は……ッ! いや、コイツはダメだッ!)」
それは彼女が神子として受けた啓示なのか。
黒いマナを纏うベナークに対して猛烈な忌避感。拒否感。使命感が衝動としてセシリーの身を揺さぶる。
死と闇の眷属。しばらく行動を共にしていた、天然とも言えるウォレスに……クレアの契約者には感じなかったモノ。
白く煌めく風のマナを纏い、セシリーはベナークと距離を取るために動く。威力よりも速度。牽制として細かい風の刃を放ちながら下がる。
いつの間にか傍らにアルの姿はない。既にまともには稼働していないが、黒いマナの反応が残っている人形の残骸達に対して、彼は止めを刺して回っている。念の為として。
『風刃』
セシリーが得手とする風の属性魔法。彼女固有の魔法ではなく、基礎魔法の範疇。
彼女は様々な基礎魔法を威力や速度、範囲や数を適宜調整して様々な状況で使い分ける技巧派の魔道士。
元々の彼女は、魔道士として一流からは落ちるという力量だったが、白いマナがそれをアッサリと覆す。速射する基礎魔法の一つ一つが必殺の一撃になり得るという、相手からすれば理不尽の極み。しかも消費マナが極端に少なく継戦能力も高い。数の暴力を一人で可能とする。多数を相手取る前提のような性能。
女神の力を持つ者を敵として認識したベナークは、その強化された防御と運動機能でセシリーに迫るが、彼女が牽制として速射する風の刃に刻まれ、思うように距離を潰せない。
白き風の刃は、速度を優先して威力を抑えているにもかかわらず、黒きマナの障壁を軽々と引き裂く。剥がれる鋼の鱗。その下の皮膚を破る。血飛沫。速い上に数が多くて捌き切れない。
そして、場も悪い。広い造りの領主館内とは言え、ベナークの巨躯で全てを躱し切るほどのスペースはない。どうしてもその身を削る。場を含めてセシリーとは相性が悪過ぎた。
「(……がッ!! 何だよコレはッ!? 反則だろッ!)」
「(この白いマナがここまでとは……)」
セシリーは自身が引き起こす現象に戸惑いを隠せない。とは言え、彼女もまた戦う者。決めた以上はベナークを屠る為の計算のもとで動く。もはや足を止めた。下がる必要がないという判断。
ベナークはそれを好機ではなく、死への誘いと分かっていても踏み込まざるを得ない。
「(くそったれがぁぁッッ!!)」
「…………ッ!」
濃密な黒いマナが影のようにベナークを包む。一縷の望みを賭けて彼はセシリーへ挑む。死中に活を見出すため。
そんなベナークをセシリーは真っ向から迎え撃つ。
踏み込む。開いた間合いを一気に潰す。
ベナークのマナが左拳に瞬間的に凝集し、必殺となる拳が放たれる。
その速度はセシリーが認識できる埒外。アルの本気と同等以上かと思われる動き。
ただ、彼の決死の一撃が実を結ぶことはない。
ズタズタに切り刻まれた左腕。
『風刃・鎧』
単純な魔法。目に見えぬ細かい刃の気流を周囲に生み出すだけ。接近戦を挑んでくる相手限定ではあるが、攻撃は最大の防御を一定範囲で体現した魔法。
ベナークも当然認識はしていたが、それを承知で死地へ踏み込んだ。まさかこれほどまでに一方的な結果になるとは思わなかったが。
傍から見ると、ベナークが展開していた魔法に突っ込んで自滅したようにしか見えない。それほどの差。魔法の質が違い過ぎた。
ベナークはエイダ一族からすれば“戦士”ではないかも知れないが、それでもまごうことなき強者。両腕を失いながらも、即座に次の行動へ移る。
先の一撃の踏み込みによって、踏み割っていた床を蹴り上げ、セシリーに向けて瓦礫を撒き散らす。当然それらも『風刃・鎧』に切り刻まれるが、あくまで陽動。注意を逸らすだけ。
「……くッ!?」
「(こんな化け物、相手してられるか……ッ!)」
逃げの一手。その動きはダメージによる影響がないかのよう。撒き散らされた瓦礫に紛れて窮地を脱する心算。だが、塞がれた視界の端でセシリーはベナークの姿を捉えている。
「(逃がすものか……ッ!!)」
「が……ッ!?」
違和感。ベナークは決定的な違和感を覚える。身体がズレた。
瓦礫の隙間からの一閃。
ベナークの視線の先。敵である女が、自分を目掛けて水平に腕を振り切ったのがハッキリと視えた。認識は遅れる。死神の鎌が自身を裂いたのだと、彼が気付くのには数瞬の時を要し……既に手遅れ。
腰の辺りから寸断されて宙を舞う身体。彼の認識もそうだが、その身体も切断されたことが分からないのか、一瞬、血や贓物も反応しない。まるで時が止まったかのよう。
そして、間違いを正すように慌てて時が動き始めた頃、既にベナークの意識は永劫の旅へと出立していた。
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……
…………
………………
「セシリー殿。そっちは終わりましたか。丁度こっちも一通り終わりましたよ」
「アル殿は何を? この黒いマナは……ゴーレムか?」
もはや周囲に動く影はない。散らばる人形を見て、セシリーも黒いマナを感知する。おおよそ、黒いマナを発する者や人形は、死の闇に抱かれて沈黙している。
「……それで……その……彼女は?」
「セシリー殿。……敬意を。彼女は戦士だ。僕には詳しい経緯は分からない。ただ、彼女は後ろの仲間を庇う為に戦い、そして果てた。黄泉路を渡ったにも関わらず、未だに仲間への守りを解かない。……天晴だよ」
アルとセシリーの二人の前には、女戦士が仁王立ちで立ち塞がる。
その命の灯は既に尽きている。もはや瞳に生命の欠片はない。しかし、その双眸は前を向き、敵を阻む。倒れない。仲間を守るという想いはそこに遺ったまま。残照というには余りにも強く眩い意志の光。
「……名も知らぬ戦士よ。僕は貴女の意を汲み、後ろの仲間の命を可能な限り助けると誓う。……すまないが通らせてもらうよ」
アルはそっと戦士を抱き寄せ、その身に遺る仄かな血の暖かさを感じつつ、丁寧に床に寝かせる。まるで愛しい人を、大切な宝物を扱うかの如く。
血に濡れた顔を優しく拭いながら、『清浄』の魔法で遺体を清める。
それは戦士への敬意を持った厳かな儀式。どのような出自であれ、たとえ怨敵であっても、戦士として戦い果てた者には相応しき振る舞いを。
「セシリー殿。貴女は風の属性魔法を使うようですが、癒しの風……治癒術の心得は?」
「あ……あぁ。多少なら使える。いや、白いマナを利用すれば『神聖術』とまではいかないが、かなりの治癒は可能だと思う」
「なら、後ろにいる彼女の治癒を。虫の息だがまだ命の灯は尽きてはない」
エイダ。アルは女戦士が庇ったのが彼女だとは気付いているが、その命を助ける。個人の諍いにおいての流儀と、命を懸けた戦士への敬意。どちらを優先するかは比ぶべくもない。
「こ、この女性は……ッ!? い、いや、いまはどうでも良い……『癒しの風』よ!」
セシリーも気付く。名も知れぬ邂逅。似た者同士の雰囲気を持つ者。昨日の今日で随分変わり果てた姿となっており、動揺はあったが、まずは治癒術をかける。
彼女が感じたように、白いマナの相乗効果なのか、セシリーがこれまでに使用してた治癒術よりも強い効果を期待できるマナの流動。ただし、エイダが半死半生なのも事実。
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……
…………
………………
「(……な、なんだ? ……わ、私は……まだ現世を漂っているのか……あぁ、カーラの姿が見えない……彼女も私を置いて逝ってしまったのか……?)」
混濁して揺蕩う。散り散りになっていた意識が少しずつ戻ってくる。
しかし、そこには暗闇があるだけ。何やら暖かいモノに触れている気はするが、意識は闇の中。
それは彼女の記憶なのか、何らかの意思の力によるものか。
闇の中でエイダは自身の歩いてきた道を辿る。
『魔族の解放を! ヒト族の中で偽って過ごすなど! 一族の誇りはないのか!?』
「(……はは。馬鹿なことを……誇りとはそんなモノじゃない。愚かなガキが振りかざす玩具であるはずもない。
そして、積み重ねた交渉……一族の身の安全を確保し、ヒト族の社会に紛れることが如何に困難を伴うことだったか……)」
『エイダ。いいのか? ヴィンス様の許可もなく……』
『アイツは“庇護者”の関係者だ! アイツから情報を引き出せば、ヴィンス様も話を聞いてくれるだろう!』
「(……表面しか見ていなかったな。アイツは化け物だった。冷静に、慎重に見極めていれば、あの時の馬鹿なガキでも気付けただろうに……いや、だからこそ愚かだったのか……)」
『エイダ。いや、ナイナよ。お主の名を剥奪する。確かにお主は愚かだったが、最も愚かなのはわしじゃ。恨むならわしを恨め。憎め。じゃが、アル殿への復讐など考えるな。あの御仁にとっては、火の粉を軽く払った程度のこと。命があるだけでも御の字と思うがいい』
『何故だ!? どうして私の名を剥奪するなどッ!? それにアイツは一族の者を殺したんだぞ!? バート、ベラ、ベン、グレタ、ガロン。皆、ヤツに殺されたッ!』
「(先に手を出したのはオマエだ。愚かなガキが。そして相手の強さを見誤った。復讐? ……馬鹿馬鹿しい。愚かなガキが友を道連れに崖から飛び降りたようなものだ。友が死んだからと言って、オマエは崖に復讐するのか? ……悪いのは他でもない、友を道連れに飛び降りたオマエだよ)」
『やぁエイダ。いや、いまはナイナか? まぁどちらでも良いさ。私はシグネだ。魔族の解放を望む一派の者でね。君を引き抜きに来たってわけだ。前々から聞いていただろ? 開戦派のことはさ』
「(……はは。シグネ。アンタも外法の者であり、クズだったが……いま思えばまだベナークよりはマシだったよ。人外故にか、良くも悪くもあまり命に頓着しなかったからかもな。アンタの命令を聞くだけのお人形になって、私は自分の弱さを突き付けられたよ)」
『臆病者めがッ! 人形の後ろに隠れるしか能がないのかッ!
貴様のような小娘如きに、このイーデン・コートネイの命が取れると思うなッ!!
私を殺したくば、あのシグネという化け物を連れてこいッ!』
「(イーデン・コートネイ伯爵。後に都貴族のカラクリを聞いたが、それでもあの時のアンタは戦士だったよ。付き従う者たちもだ。私のような半端者よりもずっと戦士だった。私はアンタを殺したが、結局は人形の陰に隠れて泣きじゃくるだけしか出来なかった。完敗だったな)」
『アンタはさ。確かに間違えた。それは私たちも同じだ。でも、間違えたなら正せば良い。ヴィンス様の下には戻れないとしても、私たちの生きる道は続く。……死に急ぐような真似はよしな。死に場所を求めてどうする?
私らは、この外法の連中とはまた毛色が違う。いざとなったら、こいつらを利用して生き延びるくらいの意地を見せな。どうせクズなら開き直って生き汚くさ』
「(……カーラ。そうは言っても、アンタは逃げなかったじゃないか。私なんかを庇ってさ。本当は知っていたよ。アンタがヴィンス様に直訴の上で出奔したと。そうまでして私と共に行動してくれたってことをさ。
アンタは私と違って正真正銘の戦士だった……幼い頃から、ずっと姉のように思ってたよ……なんで……なんで、こんな私なんかを生かそうとしたんだ……)」
『ふん。清廉潔白で一度も間違えたことがない。そんな奴は信用できないね。
私はさ。見たかったんだよ。
間違いを犯し、馬鹿を仕出かして、戻れない道を行く。それでも、そんな戻れない曲がりくねった道の先で、正道へ辿り着くアンタの姿をさ。
私たちは別にアンタの為に命を懸けたんじゃない。自分の為さ。所詮は自己満足の為。それ以上でもそれ以下でもないよ。戦士の矜持とかさ、そんな大袈裟なモノでもないさ。気にしなさんな』
「(気にするに決まってるだろ? ……なぁカーラ。私も連れて行ってくれよ。何だかんだと、ずっと一緒だったじゃないか……)」
『はは。まっぴら御免だね。さぁそろそろ起きな。後悔の時間は終わりだよ。これからも折に触れて自分の愚かさを反省するんだね。でも、後悔のままに停滞して立ち止まるんじゃないよ。……泣き虫なエイダ。征きな。アンタはアンタが生きる道を』
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