第7話 託宣からの脱却
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「今更だが神子ダリルよ。本当に良いのだな? お主が女神の役割を放棄するということで?」
「……あぁ。セシリーは託宣とやらの通りにしてやってくれ。少なくとも、彼女が死と闇の眷属に敗北することはない。懸念があるとすれば冥府の王の神子……総統と呼ばれる奴だけなんだろ?」
「そうだ。彼女がそこらの死と闇の眷属に遅れを取ることはない。向こうの神子が出てくれば話は別だがな。
神子ダリル。お主のような覚悟を持った馬鹿は嫌いではない。嘘が付けぬ故にハッキリ言おう。現時点でも託宣からは外れている。しかし、ワタシを縛る神々の力は相変わらずだ。もしかすると、ワタシ自身がこの計画に横槍を入れるかも知れぬ。
いまから託宣をなぞったところで、セシリーの身の安全を完全には保障はできぬ。そしてそれはお主もだ」
とある屋敷の一室。
エルフもどきとダリル。珍しく人外の超越者は一人。その纏う雰囲気は辛うじて常識の範疇。真の姿を晒してはいない。紅い瞳だけが妖しく輝いている。
「それでもだ。俺の選択した道は王国には戻れない。ただ、彼女には“戻れる”可能性を残してやりたい。……セシリーは怒り狂うだろうが……それでも、無為に殺されるよりはマシだ」
「なら何も言うまい。ヨエルやラウノ、残した聖堂騎士も付けさせよう。ルーサム家も戦力を出すと言っておる。神子セシリーには託宣の通り、外法の求道者連中と戦ってもらう」
二人の神子。
一人は託宣に示された役割を果たす。魔族領の瘴気の浄化。だが、最後は変える。冥府の王ザカライアを顕現させない。外法の求道者達の目論見を叩く。
一人は託宣から完全に外れる。外させた。東方辺境地の独立。魔族を取り込み、連中に王都への侵攻自体を止めさせる。託宣の通りの戦乱を起こさせない。無理矢理に抑え込む。
「……俺は自分のことばかりだが、アリエル様たちはそうではない。クレア殿が彼女達を切り捨てるようなら……生と光の女神の力が、その身に降り注ぐと覚えておいてもらおう。
悪いがそうなれば、託宣や貴女の思惑など知ったことじゃない。俺を殺しても無駄だ。俺はこの肉体が滅びても存在し続ける。女神の御使いとして」
「くはッ! ……しかと心得ておこう。まったく。神々も酷なことをする。託宣を果たすまで滅することも許されぬとはの。恐らくは冥府の王ザカライア側の神子も同じであろう。……まぁいざとなれば、向こうの相手はワタシがするがな」
嗤う。美しくも醜悪。歪んだ顔。
神子は託宣……“物語”に縛られている。他の“登場人物”よりも強く強くだ。役割を果たす前に力尽きたところで関係はない。違う位階の存在として役割を続けさせられることになる。
ダリルは以前の御使いとの邂逅で、そのことを知らされた。ヒト族としての死が終わりではない。自分にとっての救いにはならないと。
そしてソレは王国や教会も把握している。だからこそ、神子には託宣の通りに動いてもらいたい。役割を果たす前は彼等をどうすることもできない。ただ、その後は用済み。ただのヒト族。どうとでもできるということ。
「神子ダリル。アリエル嬢にはビクターを付けている。奴は契約者としては新参だが、王都内で彼女を死なせるような未熟者ではない。そこは安心するが良い。
さて……それで? 神子セシリーへの説明はどうする? お主が直接話をするか? ワタシとしてはそれを勧めるがな」
「……俺が直接話をする。信じないというなら、アイツの中にいる御使いを引き摺り出して話をさせる。ああ、ヨエル殿たちにも聞かせて良いんだな?」
当然だと、紅い瞳の人外が頷く。
利害の一致による協働。
ダリルは神子ではあるが、同時に王国の辺境貴族家に連なる者。内乱や魔族の侵攻について賛同できるものではない。しかし、託宣のままに進むと、いま以上に甚大な被害を出すと聞かされれば心も揺らぐ。
女神の力をある程度制御できるようになった今なら分かる。死と闇の眷属であるクレアの語る言葉が嘘ではないと。
いまのダリルは彼女の“契約”とやらを弾くこともできるが、彼女自身はそうではない。縛られているのも解かる。
だが、クレアは自身の縛りを熟知しているのも事実。確かに嘘は付いていないが、全てを語っている訳でもないと……ダリルも勘付いている。何らかの取捨選択、誘導の気配がある。
さりとて、もはやダリルに選択肢はない。
もう一方の可能性。選択肢の一つだった王国と教会も酷い。彼等は託宣の通りにことを進めることに固執している。
都貴族の腐敗を放置していたのも、内乱の火を燃え上がらせる為の燃料だったのでは? ……と、穿った見方もできる。魔族の侵攻を誘発する為に王国をガタつかせるという暴挙ではなかったのかと。
冥府の王ザカライアの顕現を望む外法の求道者集団。彼等は狂信者だ。
だが、託宣に固執する王国や教会は、託宣の……女神の狂信者とも言える。
皆が神々に踊らされている。そして、ほとんどの者は知らない。その神々すらも縛られて踊らされているということを。
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……
…………
………………
虜囚の身となったセシリー達。
一切の情報を遮断されている訳でもない。実のところ、選択された上に小出しで情報は与えられている。もちろん、彼女達も相手側の都合の良い情報であることを承知している。
その中には、ダンスタブル侯爵家が絵図を描き、賛同する東方辺境貴族家があるということ。王国に対しての独立の目論見。その中には、現状を憂う都貴族家も名を連ねてもいたりもする。
オルコット子爵家の名もある。
「……すべてが事実とは思わないが……義父上が与しているのは本当なのだろうな。託宣の神子か……」
セシリーは知った。
自らが『託宣の神子』という存在であることを。ヨエル達が知り得る情報を得たのに加え、手紙が寄越された。彼女を引き取り、愛を持って慈しみ育ててくれたオルコット子爵家。その現当主から。
「セシリー殿。私には『託宣の神子』について詳しくは聞かされていません。ただ、その存在は五十年以上前から囁かれていたと言われています。教会関係者に言わせると、託宣は更に時代を遡るらしいですが……気を確かに持って下さい。連中が出す情報が全て正しい訳ではないし、間違った情報を訂正することも我々にはできません」
ヨエルとラウノは王家の影ではあるが、あくまでも組織の一員としては末端。駒に過ぎない。余計な情報を与えられることもない。そんなヨエル達ですら知っている情報。その深い部分の情報をクレア達が知らない筈もない。
まるで情報を持たなかったセシリーは簡単に誘導されてしまう。そんな危険をヨエルは訴える。
「……真っ直ぐな馬鹿。ダリルがその心に陰を持つのも分かる気がする。はは。すべてがお膳立ての末の話か……」
セシリーの心にも陰が差す。ただ、その陰の大部分を占めるのはダリルの変心についてだ。
彼女はオルコット子爵家での日々のすべてを嘘だとは思わない。王国や教会の命令だけではなかったと……そう信じられるものが確かにあった。
ダリルの方はどうだったか?
引き取られたアーサー家において、彼があまり厚遇されていなかったことは知っている。家族との確執があったと。彼は気にしていない風ではあったが、それはただ蓋をしていただけだったのでは? 託宣の神子の情報で、抑えていたモノも漏れたのでは?
そんな思いも巡る。
することも無く、情報は与えられるモノだけ。堂々巡りで勝手に消耗し、時間だけが過ぎていく。そしてそれでもまた考えてしまうという悪循環。もしかすると、自分達を捕らえている側の狙いはコレなのでは? そんな思いもセシリーの心を過ぎる。
ただ、そんな堂々巡りの悪循環な時間の終わりを告げる者が、唐突にセシリー達がたむろする部屋に現われた。
ノックもなしに扉が開く。
ダリル。
「よう。思いの外元気そうで良かったよ」
「……ッ! ダリルッ!!」
「……セシリー殿! 抑えて!」
ヨエルが沸騰しそうなセシリーを抑える。ラウノは、彼が部屋に入ってくる前に既に臨戦態勢で待ち構えていた。
「(……無理だな。いまのダリル殿には敵わない。何故こんな短期間でこれほどの変化が? 気配と動きが全然違う……)」
ラウノはすぐに諦める。それもその筈。たとえダリルをどうにかできても、人質にするには彼は危険過ぎる力量の持ち主。そして、彼を傷付けたとなれば、自分達は確実に消されるということくらいは分かる。
「セシリーの怒りも憤りも分かるが、我慢してくれ。できれば俺も一度で済ませたい。王都を発つ前に言っただろ? 落ち着いたら事情を話すって。それが今だ」
ダリルとしても何度もここへ来るのは避けたい。一度で済ませたい。そうじゃないと……決意が揺らぐ。
「……くッ……! ……いいだろう。聞かせてもらおうか……ッ!」
険しく歪む顔。荒ぶるマナ。セシリーの剥き出しの敵意がそこにある。昔馴染みの敵意をその身に受けても、ダリルは動じない。女神の力の制御がこんな所で役に立つとは……彼はそんな風に自嘲する。
「ラウノ殿も。リラックスしろとは言わないが……ここで命のやり取りをしても、それが無益だとは分かっているだろう?」
「……承知した……」
セシリーとダリルはテーブルを挟んで座る。ヨエルとラウノはセシリーの後ろに立って控える。従者のような立ち位置。無いとは思うが、いざという時の襲撃を警戒する。その上で、ここは神子の二人が主となる場面だと……そういう判断もあった。
「……それで? どういう話を聞かせて貰えるのかな? 神子ダリル殿?」
「はは。嫌われたものだな。まぁ当然か」
無理矢理に気を静めるが、それでもセシリーはダリルに対しての険を抑えられない。どうして? なぜ? なにがあった? ……そんな思いがぐるぐるしている。
「まだるっこしいのはなしだ。まず結論から言おう。俺は王家の影の長老衆の一人である、クレア殿という御方と手を組んだ。ヨエル殿たちの上役の更に上の上……という立場だな。
その彼女が目指すのは、託宣からの脱却だ。まぁ詳しいことは知らんが、彼女は神々に縛られるのを是としない。そして、俺とセシリーはその託宣を象徴するような女神側の神子という奴だからな。託宣と違う動きをしろっていうことだ」
ざっくりと先に伝える。当然、ダリルもこの説明でセシリーが納得するなどとは思っていない。
「……その託宣からの脱却のために……王国を割るのか? 東方辺境地の独立だと? そんな無茶なことが出来ると思っているのか? 既に血も流れている。お前はそのクレアという奴に騙されているだけじゃないのか……ッ!?」
「……抑えろよセシリー。もちろん、言いたいことは分かる」
セシリーには怒りがある。それはダリルに対してじゃない。彼を利用しようとする者達へ向かう。やはり、ダリル自身を敵として見たくないという気持ちがある。
もっとも、その気持ちは呆気なく否定されるが。
「……託宣のままに動くことの方が被害が大きい。流れる血が多い。俺はそれを知った。少なくとも、クレア殿は民の血が無駄に流れるのを是とはしない。当然それはダンスタブル侯爵家……アリエル様もだ。
俺が騙されている? 確かにそうかもな。だが、それでも俺は……この道が正しいと信じて征く」
「……ダリル……ッ!!」
そこには揺るぎない大樹のようなダリルの姿。決意がある。
彼も貴族に連なる者としての矜持を持つ者。そして、セシリーへの想いもある。自分の行動を彼女が望んでいないと知りながら……一歩を踏み出し、歩き出した。
「……ダリル殿。発言をよろしいですか?」
感情が昂ぶりそうなセシリーを抑えるためにも、ヨエルが言葉を繋ぐ。
「ええ。クレア殿からもヨエル殿たちへの情報伝達を頼まれていますから」
「ありがとうございます。クレア様の思惑は分かりませんが……託宣から脱却するのであれば、お二人の前で言葉は悪いですが……神子を殺せば手っ取り早いのでは? クレア様にはそれすらもできたと思いますが……?」
ヨエルにとっての当然の疑問。クレアのことをよく知りはしないが、彼はビクターの性質は知っている。合理的。必要があれば殺しを躊躇するような者ではない。
託宣からの脱却。なら、『託宣の神子』を殺せばいい。そういう結論を出す者がいてもおかしくはない筈。少なくとも、ヨエルがビクターやクレアの立場ならそうする。
「冷静なヨエル殿は話が早くていいな。クレア殿は俺たちを殺せない。というか、俺たちが死なないと言うべきか。俺やセシリーは死んで終わりではない。流石に生き返りはしないだろうが、別の存在として神子の役割を果たす羽目になる。女神の御使い……死霊の反対のような、女神の力で構成された精霊のような存在……になるそうだ。もちろん、試したくはないけどな」
「……は、はぁ……?」
流石に一同の理解は追い付かない。
死して女神の御使いへ……それは教会関係者にとっては最大の栄誉。聖人や聖女のその命運が尽きた際、女神に寵愛により召し上げられるというおとぎ話の領域。
ただ、ダリルの言葉には嫌悪がある。そして、徐々に意味が染み込んでいくと、セシリー達にもある種の悍ましさを覚えた。使命を果たすまでは死ねない。死ぬことを許されない。女神の奴隷。
「……じょ、冗談の類……ではないようですね。そ、その話が本当であれば、むしろ託宣というのを外れると、お二人の身に危険があるのでは……?」
「だからこそだ。まぁここからが本題だ。……セシリー。ヨエル殿やラウノ殿も。皆には後々、託宣の神子としての本来の役目を果たしてもらう。当然のことながら、拒否権はない。想定外のこともあるだろうが、託宣の通りにしていれば問題はない筈だ」
神子セシリー一行に、心弾まない冒険の予告。
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