第2話 身請け
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「コリンど……コ、コリン。サジは今日は親方の所に泊まるそうです。本人が嬉しそうに報告してきていました」
「そうですか。もしかすると、親方さんは雑用だけではなく、サジを弟子として考えて下さっているのかも知れませんね」
コリンが来てから一ケ月以上が経過するが、未だにヴェーラはその呼び方にも慣れない。『敬称など要らない。呼び捨てで良い』と言われたが、どうしてもぎこちなさが出てしまう。もっとも、それを気にするコリンやアルでもない。そして、そういうコリンはヴェーラを呼び捨てにはしない。
「ところでヴェーラ殿。もし、今いる子供達が……下働きに出ている職場なり親方なりから、身請けの話を頂いた場合にどうするのか、アル様から何か聞いています?」
「……い、いえ。そんな話はアル様からは何も……身請けですか?」
年少組はまだまだお手伝いの範疇ではあるも、年長組はそろそろ下働きに出た職場なりに慣れてきている。元々フランツ助祭からある程度の教育を受けていた子たちであり、今では辺境とは言え貴族に連なる者の後ろ盾もある。出自はともかくとして信用度が違う。
きちんと本人達の能力や言動を見て、適切に判断してもらえる土台が出来ている。サイラスなどは働いている酒場で身請けのような話が出たこともあるが、それはサイラス自身が丁重にお断りをしたという。あくまで酒の席での冗談とも言えたからだ。
「ええ。俺は王都の常識には疎いですが、サイラスたちはよく働く。平民の間では丁寧過ぎるくらいの礼儀も弁えている。身請けの話が来てもおかしくはないのでは?
サジも職人通りの雑用といっても、最近良く出入りしているのは家具職人の親方の所でしょう? 俺も一度話をしましたが、何でも子も弟子も一人前になって巣立っていき、今は夫婦で切り盛りしていると。店は自分の代で閉めるとも言っていましたが……外民の町とは言え、王都の職人通りに店を構えている程の御仁です。誰かに店を引き継いで欲しいという気はあるのでは?
ま、弟子になったところでサジがそれ程の腕になるかは分かりませんが……もう一度弟子を取りたいという風でしたけどね」
ヴェーラは皆の世話はよくしていたが、あまり外への関心は向いていなかった。コリンは逆に、下働きは“させて貰っている”のだから、保護者として挨拶はしておくべきだろうと外へ意識を向けていた。
今ではある程度の役割分担が出来ている。当初はヴェーラが自身の落ち度に凹んで、しばらくは鬱々としていたが……少しは立ち直った。
「……一度、アル様と話をしてみないと……コ、コリン。申し訳ありません。私はそのようなことまで頭が回っていませんでした。お恥ずかしい限りです……」
「戦いを生業とする者は細々としたことまで気を遣う必要はありません。アル様も自分は常識人だ。頭のオカシイファルコナーの連中と一緒にするなとよく言っていましたが……俺から言わせると、アル様も戦うこと以外は大概抜けていますからね。あれだけアレコレ考えているのに……それがおかしくてね」
主を軽く笑い飛ばすコリン。流石にヴェーラも彼等のそのような空気感には慣れてきたが、自身でそんな真似は出来ない。主従である以上はそのようなことは……となってしまう。勿論、それが普通なのだが、アルとコリンを見ていると自身が間違っているかのような錯覚に陥っている。真面目か。
……
…………
………………
「はぁ? 身請け? サイラスたちのか?」
コリンとヴェーラはさっそくに相談。最近では学院をふらふら、民衆区をふらふら……としているだけのアルを捕まえて話をする。
「その反応。やはり考えていませんでしたね?」
「か、か、か、考えてるさッ!」
白々しい負け惜しみはともかく、アルも言われて気付いた。ギルドでずっと過ごす必要もないと。むしろ、彼ら彼女らの自立に向けた支援もしなければと。
「……それで? 具体的に話は来ているのか?」
「下手な誤魔化しを……ま、良いでしょう。まだ具体的な話はありません。
ただ、サジが職人通りでの雑用係から、もしかすると特定の親方への弟子入りとなるやも知れません。そうなれば、身請けの話も出てくるかと。
アル様の考えでは、情報が入ってくる仕組みがあれば、別にここに彼等を留めておく必要はないでしょう。むしろ、身請け先の条件が良く、本人が望むなら送り出してやるべきかと」
アルは力無き者を援けるという貴族の本懐を持つ。むしろ、ファルコナー領ではそれが当たり前であり、そうしなければ力無き者がバタバタと死んでいくという過酷な環境だったというだけではあるが。
最近ではギルドを通じて色々と情報は入って来る上、クエストのようなモノも拾えている。その内容は血生臭く、胸糞悪いモノが多いが……
ただ、アルとしては、ギルドが上手くいっているからとサイラスたちを縛りつけることは考えていない。
では、具体的にどのようにするか? ……と、聞かれると、このようなポンコツ具合を晒すことになるが。
「はぁ……なら少し気が早いかも知れないけど、一度その親方と話をしてみようかな? あとサジ本人の意思も確認しないと駄目だろうし……」
「そうですね。使い走りの俺が行くよりも、アル様が顔を出す方が心証は良いでしょう。ま、王都でのやり取りには疎いので、それが正解なのかは分かりませんが……」
コリンはそう言いつつ、ヴェーラをチラリと見やる。残念ながら、ヴェーラもそのような事には疎い為、首を振るのみ。
「申し訳ありません。私もその辺りのやり取りの実情は分かりません……」
「まぁそれはそうだろうね。王家の影に必要とされるモノではないだろうし。別に謝るほどのことでもないさ。とりあえず、近い内に職人通りに挨拶へ行くとするよ」
アル達にとっての日常の一コマ。
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……
…………
………………
ある日、王都の第四区……外民の町の職人通りをふらりと訪れたアル。いきなりなので、今日は挨拶と後日の約束でもという軽い気持ちで、サジが世話になっているという家具職人の工房へ。
「いえ、別に忙しければ後日でも……」
「め、滅相もない! 貴族に連なる御方のお時間を無駄にさせるわけには!」
アルもコリンも知らなかった。
外民の町は特にだが、王都では二人が思うよりもずっと身分の壁は高い。
これまでアルが実感として気付かなかったのは、周りが彼をちょっと良いところの平民くらいにしか思っていなかったからというのもある。近しく関わる者も「アンガスの宿」の主人であるバルガスくらい。わざわざそのことを指摘する者も居なかった。
ヴェーラにしても、これまでは周りには貴族に連なる者ばかりだった為、その辺りは疎い。アルとは違い、彼女の場合は周りから『何か事情があるのだろう』と見られ、気を遣われているという実情もあったようだが。
「(えぇ……サジの保護者だと名乗った途端にこれか……何だか余計に迷惑かけてるじゃん。僕が来たのは逆効果じゃないのか?)」
アルも戸惑う。初めは普通にサジがお世話になっていると挨拶を交わしていたのだが、アル自身がサジの身元引受人、つまり現在の身請け元と知った途端に相手の態度が豹変。
親方からすれば当然のこと。サジの身請け元が貴族に連なる者ということは知らされていたからだ。
「何だかすみませんね。僕は貴族に連なる者と言っても、所詮は辺境の田舎者です。そこまで畏まられる程の者ではありませんから……」
「そ、そういう訳にもいきません! き、貴族に連なる御方は魔道士様。我々の守護者なのですから!」
「……いや、でもですね……」
「し、しかし……!」
……
…………
何とかアルが親方を宥めて、多少の時間は掛かったが普通に話が出来るまでにはなった。ただ、アルの消耗は激しい。
「……えっと……僕が来たのは、サジの保護者としての挨拶です。本当にそれだけなんですよ。サジは親方をはじめ、職人通りの方々には世話になっているとよく話をしていますから……」
「……そ、そうでしたか。て、てっきりワシは無礼討ちにでもされるのかと……あ! そ、そんなことは考えておりません!」
「(おいおい、無礼討ちなんてのが王都にはあるのか……ヤバいな都貴族。どうせやるなら貴族同士だけで陰謀ごっこをやってろよ。力の振りかざし方が違うだろ……)」
実際にはそれほど頻回に発生するものではないが、王都には貴族に連なる者による平民への無礼討ちなるものが確かに存在する。また、それをチラつかせて不利な取引を強要することも。むしろそちらの方が多い。
外民の町の商店通りや職人通りに貴族に連なる者が来る時には、“そういうこと”が往々にして起こっているのも事実。
性質が悪いのは、そんな都貴族達も生活圏が重なる民衆区では比較的行儀が良いということ。貴族区ではそのような行為は以ての外という風潮さえある。親方の警戒は外民の町の者としては正しい姿。
「はぁ……僕は辺境の貴族家に連なる者ですし、そもそも無礼討ちなんてモノがあることすら知りませんでしたよ。事情があってサイラスたち……サジが身を寄せていたグループを保護することになり、彼等の先行きを心配しているだけです。もしかすると、この先、身請けや弟子入りの話が出るかも知れないから、保護者として挨拶に行く方が良いだろうと参上した次第ですよ」
少し落ち着いてきたのか、親方……ティムはアルの話がようやく体に染み込んでくる。
「……へ? そ、それでは魔道士様は、サジを外に出すおつもりがあるので?」
「え? えぇ。それは勿論。身請け先の条件が良く、本人が望むなら送り出してやれと従者にも言われましたし、本人の為になるなら僕もそれが良いかと……」
家具職人のティム。そろそろ老境に差し掛かろうかという男。
子も弟子も巣立った。子に関しては、雇われではあるものの民衆区で小さいながらも店を任される程になり、弟子たちは西方の都で一旗揚げたという。
子が孫を連れて遊びにくる、弟子が便りを出してくれるのが楽しみにもなっていたが、それでもティムは思う。『店を継いで欲しかった』と。
アルの話を聞き、ティムはいきなり椅子から立ち上がり、床に這いつくばって頭を下げた。所謂土下座。
「ちょッ! いきなりどうしました!?」
「魔道士様! サジはよく働く! それなりに筋も良い! もし、魔道士様がサジを外へ出すというなら、是非ともに身請けさせて頂きたい! 弟子として……いや、家族としてアイツを受け入れます故! 何卒!」
アルとコリンの誤算。もしかしたら身請けの話があるかも知れないというモノではない。弟子として身請けをしようにも、親方の方が諦めていた。貴族に連なる御方が身請け元であるなら、声を掛けることも出来ないと。
「は、はい? ……じゃあティムさんはサジを弟子として受け入れるつもりがあったということですか?」
「……ええ! あいつは身体はちっこいが目端が利く。その上でよく働く。あいつなら弟子として、ワシの技を受け継ぐことも出来るだろうと思ってはおりました。ただ、魔道士様が身請け元だとお聞きしていましたので……口に出すのはご無礼かと……」
貴族に連なる者の後ろ盾があるというのは、外民の町では逆にあまりウケはよくない。しかし、近隣地域の顔役であるバルガスの頼みもあって、職人通りでは雑用係の一人としてサジを受け入れた。
はじめはティムもどうせ冷やかしだろうと見ていたが、サジ自身は平民どころか元浮浪児という。その割には普通に働き、話をよく聞き、間違えれば素直に謝る。当たり前のことだが、それが出来ない者も多い。サジはそんな普通のことが身に付いていた。
いつの間にか、ティムはサジを弟子に……と考えてはいたが、言い出すことも出来ず、さりとて邪険にできる筈もなく、サジを見守っていたという。
「はぁ……とりあえずは頭を上げて立って下さいよ。そこまで考えてくれているなら、後はサジの意思次第ですかね。申し訳ないけれど、身請け元とは言え、僕とティムさんだけで決める話ではないでしょう」
「も、もちろんです! サジが良いと言ってくれればの話です。ワシも妻もサジがこの話を断ったからと言って、あいつを邪険にするようなことはありません!」
アルは若干ティムの熱意に引きながらも、サジ自身が望むなら……と、気軽に考えていた。
「(う~ん……思っていたよりもサジの受けは良いみたいだね。もしかしたら、サイラスにも似たような話は来ているんじゃ? 今回みたいに貴族に連なる者が後ろにいるから相手が言い出せないとか? 一応、その辺りのことをバルガスさんにも確認しておくかな。
流石に無知過ぎた。勢いだけで行動しちゃダメだね。ここまで貴族と平民に壁があったとは……もう一年以上王都で暮らしているのに。事情を知らない人からは、僕は普通に平民と思われていたってことか? 改めて名乗った覚えもないし……ティムさんも説明するまでは普通だったよな。そういえば、殺し屋のメアリにも非魔道士だと思われてた……あれはマナ量の加減だけじゃなく、雰囲気的なモノも含めて? それを思うと、サイラスたちや裏通りの連中の方がその辺りは鋭かったということか……)」
アルはようやく自分がどう見られていたかを知る。だからといって、今更特別に不自由もないが……
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