第4話 変事
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馬車に揺られ、整備された街道を行く。
街道の封鎖や正体不明の賊の襲撃などはなく、途中でわざとらしく困っている者にも出会わない。
〝イベント〟が発生しない、ごく普通の旅路。
「終わり……〝えんでぃんぐ〟ですか?」
「うん。まぁ僕が勝手にそう思ってるだけだけどね」
アルとヴェーラは語り合う。命のやり取りなどない平穏な旅路の中で、重要な話から取りとめもない話まで。
もっとも、これまでの軌跡を振り返ってアルが話をすることが多かったが。
「僕自身に自覚はなかったけど、結局のところ、僕も途中からはダリル殿やセシリー殿と似たような存在だったようでね。〝上〟からあれこれと背負わされていたらしい」
「そのあれこれが終わった?」
「おそらくはね。クレア殿やザガーロというやつの諸々が終わり、暗躍してた神々も罰を受けたらしい。色々とあったけど主人公たちは無事に再会した。ヨエル殿とエイダ殿、そしてヴィンス殿とも別れを交わすことができた。アリエルの助けでアダム王子には見逃してもらえた。欲を言えばレアーナを仕留めておきたかったけど……とりあえず、あとは王都へ戻るだけ。たぶん、僕が関与する〝物語〟はこれで一旦終わりなんだと思う。まさに今はエンディングって感じがする」
アルはそんな風に現状を受け止めている。もう誰の記憶にも残っていないが、〝観測者〟であるジレドも言っていた。これからはそれぞれが紡いでいく〝物語〟だと。
この先にあるのは、遠い前世の記憶にへばりついてたゲームシナリオの先。アルの知らない物語。人生という旅が続いていくだけのこと。
「正直なところ、私などには分かりかねますが……アル様がそう仰るなら、きっとそうなのでしょうね」
穏やかにほほ笑むヴェーラ。理解は追い付いていないが、彼女はアルの語りを受け入れている。
関係がないからだ。
〝物語〟が終わろうが、上位存在からの介入が継続しようが、ヴェーラはこれからもアルと共に歩んでいく。
彼女にとって、それ以外は些事だから。
「とりあえず、オルコット領都でアリエルに挨拶したあとは、伝書屋で一度コリンたちに連絡を取ってみるかな? うーん……任せっぱなしだったから、コリンには怒られるだろうけど……」
「コリンさんはアル様のことをよく理解されています。本気で怒ったりはしないでしょう」
すでにどこか懐かしく感じてしまう面影を脳裏に浮かべながら、アルとヴェーラはこれからの日々に思いを馳せる。
王都の〝ギルド〟のこと。
コリンをはじめとした、サイラスたちのこと。
皆との再会後の〝日常〟についてを思う。
「いやぁ、コリンは割とうるさいから……〝連絡を入れるくらいはできたはずだ〟って感じでグチグチと言われそうだ」
「ふふ。その時は私も共に謝りますから」
穏やかに流れる時間。
主従は笑みを浮かべながら、軽口を含みつつ語らい合う。
狂戦士なモブとその従者の物語はこれからも続く。
完
……となれば綺麗だったのだが、残念ながらそうはならない。
蛇足がはじまる。すでにはじまっていた。
遠い地にいたアルとヴェーラには知る由もなかっただけ。
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……
…………
………………
オルコット領都。
その名の通り、オルコット子爵領の中心地だ。
神子や託宣絡みにおいては密かに名を知られていたのだが、表向きにはあくまで東方辺境地の一領地に過ぎない。
しかしながら、ゆくゆくはルーサム家の管轄内において、〝オルコットの鬼〟の出身地(厳密には違う)として広く知られるようになるのだが……オルコット領にいる者は、まだ誰もそれを知らない。それを皆が知る頃には手遅れというだけ。
今現在としては、王家に反旗を翻した東方貴族連合の筆頭であるダンスタブル侯爵たちが逗留しており、王家からの使者との協議の場として機能していた。
当然にそれらは伏せられている事情であり、一般の民衆からすれば、お偉いさんのごたごたがあるという程度の認識しかない。
つまり、オルコット領都では概ね日常の光景が続いている。少なくともアルとヴェーラはそう思っていた。
「……アリエル。これは一体?」
大峡谷からの心休まるのんびりとした馬車旅の末に、オルコット領都に辿り着いたアルとヴェーラを待ち受けていたのは、誰あろうアリエル・ダンスタブル侯爵令嬢。
もとよりアルはダンスタブル侯爵への挨拶を考えていたが、まさか高貴なご令嬢直々に出迎えられるとは思ってもみなかった。
アリエルの表情は硬い。
しかも、後ろには物々しい雰囲気の聖堂騎士らが控えている。明確な敵意はないが、友好的とも思えぬ状況。
「アル、王都にて変事がありました」
硬い表情のままにアリエルは告げる。
「変事ですか。王家とダンスタブル家との和議が不調に終わったとかではなく? 聖堂騎士がこの場にいるということは……教会関連ですか?」
「はい。詳しくは屋敷にて説明いたしますが……王都は今、静かに吞まれようとしています」
変事はともかく、王都が呑まれるとは。
まるで意味不明な言葉。事象。
アリエルの纏う雰囲気から、それが冗談や誇張の類でないのはアルも理解した。
「(ここに来て〝イベント〟か。これは自然発生的なものなのか、それとも〝物語〟に紐付いてるものなのか……さてね)」
周囲を聖堂騎士らに囲まれながら、アルとヴェーラは連れられて行く。
もちろん、魔境の戦士の気質を身に沁みて理解しているアリエルだ。あくまで二人に危害を加える気などない。それについては、連行されるアルたちにも察せられた。
「(わざわざ聖堂騎士を動員して僕らを連れて行く意味は? 僕らがどうとかではなく、なんらかの符丁みたいなものか? だとしたら誰に向けてだ? 潜んでいる教会の暗部連中?)」
貴族令嬢が陣頭指揮をとり、馬車などを用いず、厳しい聖堂騎士たちを引き連れて人目に付く大通りをわざとらしく練り歩いているのだ。
これが単なる屋敷への移動のためだけでないのは明白。その考察は正しい。だが、アルにはこれが〝誰に向けて〟のものなのかの確証がない。情報が足りていない。
「(そもそも、王都で教会絡みの変事があったからといって、神子の二人ならいざ知らず、僕やヴェーラになにができる? それこそ王家や教会上層部なんかの権力側がなんとかするべき問題だろうに……ダンスタブル家にしても、表向きにはまだ王家と反目しているはずじゃ? それとも、すでに和合済みで王家側から協力要請でもあったとか?)」
直にアリエルから答えを得られると知りつつも、アルは足りない情報をもとにつらつらと状況について考えてみる。暇つぶしのようなものとして。
「アル。先に言っておくことがあります」
あれこれを黙考しているアルに声が掛かる。高貴な娘から。
「はい、なんでしょうか?」
軽く応じた魔境の戦士に対して、前を見据え、背を向けたままにアリエルは告げる。
「屋敷にはあなたの客人がお待ちです」
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時は遡る。場面は移る。
王都だ。
コリンたちは密勅を受けたゴールトン家に協力する形で、託宣の成就を未だに諦めていない者たち……託宣の残党連中との暗闘に引きずり込まれた。
だが、間を置かず、すでに王都には〝別の勢力〟がいることを知る。
死霊となった元・助祭が、自身の独自解釈を加えた女神の教えを説いて回っているという……悪い冗談のような状況に行き当たる。突き止める。
本来なら、その死霊を討伐すれば済む話なのだが……そうは問屋が卸さない。
死霊となった元・助祭フランツには、生前から熱烈な信奉者や協力者がいた。彼に命を救われた者も多い。たとえ死霊となり果てようとも、フランツを慕う者は少なくなかった。
その上、死してなおフランツは一貫していた。教会からすれば皮肉な話だが、死霊となった後も彼は女神の徒として活動していたのだ。
そして、フランツの独自解釈的な教えは託宣すらも許容する。つまり、託宣の残党連中との親和性も高く、フランツの影響力を利用しようと近づく者たちもいた。各々に思惑はあれどもフランツ一派は勢力を拡大していく。粛々と、静かに、密やかに。
気付いた時には、フランツたちの〝教団〟は王都に根を張っていた。
王家にせよ、教会の上層部にせよ、今や託宣の残党よりも、死霊となった元・助祭を頂点とするカルト集団を危険視している。
ただし、その認識はどうしても遅きに失した感が否めない。後手に回ってしまった。
コリンたち〝ギルド〟もまた、対カルト集団へと駆り出されていくことになるのだが……。
「結局、オードリー商会も騙されてたってこと?」
魔境に出自を持つ、ギルドメンバーたる隻脚の女が疑問を零す。
「……誰が誰を騙していたかという話でしょう。少なくとも商会長らは、オードリー商会そのものを巻き込まないように立ち回っていたらしい。多くの商会員は教団の動きを知らされていなかった……」
存在感すら希薄な年若い男が……《王家の影》に属するラウノが応じる。
「どちらにせよ、私たちが騙され、まんまと踊らされてたってのは変わらないわけね」
軽い口調のままにそう断ずる女。シャノン。表面上は穏やかな顔を見せているが、その内面は虚な戦気に満ちている。
「シャノン。ラウノ殿への八つ当たりは見苦しいですよ。いかに《王家の影》や聖堂騎士とはいえ、上位者が動いていた以上、末端にはどうすることもできなかったはずです」
「……」
現状、実質的に〝ギルド〟を取り仕切るコリンがシャノンを諭すが……そこには棘がある。
決して《王家の影》の末端であるラウノに寄り添ってはいない。ついでに言えば、聖堂騎士に対してもまたしかりだ。
事実、虚な戦気を纏うのはコリンも同じ。
彼らからすればそれは当然の反応だ。〝身内〟に害が及んだ以上、魔境の住人たちは黙っていられない。
「で? 結局、サイラスの行方はまだ掴めないの?」
シャノンは続けて問う。その視線は、現状〝ギルド〟と行動を共にしている聖堂騎士たちの現場責任者たる騎士ダニエルへと向かう。コリンの言葉などお構いなし。
「うむ……足取りは途絶えたままだ。密かにサイラスの護衛として動いていた者も誰一人として戻って来ていない。我ら聖堂騎士には、万が一の場合は手がかりとなる符丁を現場に残す決まりがあるのだが……それもまだ確認できていない」
「つまり〝現場〟がどこかさえ分からず、誰の遺体も見つかっていない? それとも、皆が示し合わせたように教団に寝返ったとか?」
「後者はあり得ぬと言いたいが……今となってはその可能性すら考慮する必要がある。むろん、洗脳や強制を前提としてだが……」
聖堂騎士ダニエルの口は重い。
《王家の影》にせよ聖堂騎士団にせよ、すでに根を広げた〝教団〟そのものはともかく、首魁たる死霊フランツの討伐は時間の問題だと見ていた。匿っている協力者を洗い出し、その居場所さえ突き止めれば終わるはずだと。
しかし、現実には手痛い逆撃を受けてしまった。
フランツを匿っていると思しきオードリー商会を追っていた者たちが、いきなりごっそりと消えた。〝ギルド〟のサイラスを含めて。
分かり易く固まって行動していたわけでもない聖堂騎士の一部隊が、王都の街中で痕跡も残さず行方不明になるなど……本来はあり得ない話であり、あきらかな異常事態だ。
そもそも、王都の中で死霊の所在が掴めなかったという事実を、誰もが甘く見積もっていたとも言える。ようするにどこかで舐めていたのだ。所詮、相手は死霊に過ぎないのだからと。
そして、間を置かずにオードリー商会が官憲や教会に向けて声明を出す。
〝我々は無関係だ。あくまで一部の者が独断で動いたに過ぎない。オードリー商会としても甚大な被害を受けている〟……と。
すぐさま正規の治安騎士らがオードリー商会に踏み込み、取り調べなどが行われたが、その結果は芳しくなかった。望みに沿うものではなかった。
行方を眩ませている商会長のロナンや一部の商会員が死霊フランツに傾倒していたのは確認できたが、ロナンはオードリー商会の名を利用するだけで、フランツ絡みについては独自のルートで金や資源を捻出していた。怪しい部分はあるものの、今のところオードリー商会全体での関与は否定されている。
「現状を考えれば、オードリー商会は本命を隠すための囮だったのでしょう」
魔境の住民による不穏な空気を鎮めるかのように、凛とした声が場に沁みる。
それは声だけに留まらず、シャノンとダニエルとの間に物理的に割り込んで来る。
「ふふ。安心してよ、シルメス殿。別にここでダニエル殿に八つ当たりする気なんてないから」
「はい。私もそんな心配はしていません」
シルメス。白きマナを内包する聖女はそう言いつつも、決してシャノンから、その一挙手一投足から目を離さない。彼女はシャノンが激発寸前であることを察している。
ギルドメンバーであるサイラスが行方不明となり、すでに数日が経過している。日に日にシャノンとコリンの纏う空気が不穏なものへと移ろう。いっそ分かり易いほどに。
「暫定的とはいえ、〝教団〟が既存の権力者層を取り込んだ以上、我々末端の者にできることは限られています。ここで迂闊に行動を起こせば、後ろ暗い諸々をなすり付けられ、口封じとばかりに逆賊として闇に葬られる可能性すらあるでしょう」
静かにシルメスは続ける。もはや魔境の論理を隠そうともしないシャノンとコリンに語り掛けるように。
オードリー商会のロナンの手腕が見事だったのか、それとも死霊フランツの教えやそのカリスマ性故だったのか……末端の者には判別できない。
ただ、教会や王家の関係者、古貴族家の当主クラスにも、〝教団〟は密かに手を伸ばしていた。その結果を見せつけられただけ。
託宣騒動により、王国との蜜月関係の解消という危機に瀕した教会は、マクブライン王国との関係を途切れさせないために、託宣に関する教義を見直す形で方向性を定めた。それにより、マクブライン王国側も教会に対して譲歩する姿を見せた。
だが、それらの動きに反発したのが、女神の無謬性を疑わない託宣の原理主義者とでもいうべき者たち。託宣の残党。
王家や教会は託宣の残党を敵と見做して動いていたのだが……結局のところ、敵は身の内にもいた。いつの間にか、〝教団〟の掲げる教義こそが真なる女神の教えだという一派が権力者層にまで広がっていたというわけだ。
既存の権力を握り占める上層部らは、神の教えによる求心力と、それらが生み出すだろう先の利益を見誤っていた。
託宣やその失敗も、王国と教会の関係性の変化も、教団や死霊フランツの存在も、ある意味ではきっかけに過ぎない。
すでに教義の違いなどの神学的な話ではなく、具体的な利権争いを見据えて動く者たちが出てきている。既得権益を壊し、既存の権力者に我こそがと成り代わろうとする輩ども。現世に蠢く魑魅魍魎。
流石に死霊フランツについて表立っての言及はないが、今や〝教団〟を女神教会の分派の一つとして認めるような動きまで出ている。賛成派に反対派、中立派に加えて託宣の残党もいる。
貴族家にしても、ダンスタブルの反乱を招いた王家の責を問う者、求心力の低下した王家と距離を取る者、敢えてすり寄る者、忠義を投げ棄てる者まで。
皆が皆、それぞれの立場で戦いをはじめる始末。
結果として、託宣の残党や教団を追っていた現場の末端であるコリンたちは、いつの間にか上役たちから〝今はそれどころじゃない〟とばかりに梯子を外される形になってしまった。
「つまり、聖女様は俺たちに手を引けと? 身内を殺られた俺たちに?」
虚ろな瞳のコリンが薄く嗤う。道理の分からぬ子供に言い聞かせるように。
その鎮められた静かなマナに、場に居合わせた者はえも言われぬ怖気を感じる。
非魔道士でありながらも、今のコリンはシャノンと比べても遜色がないほどに危険な生き物と化している。
だが、聖女はそれでも動じない。言葉を紡ぐ。
「……いえ、コリン殿。私が言いたいのはむしろ逆。権力者同士が落としどころの話し合いの場を持つ前……大勢が決してしまう前に、私は死霊フランツを討ちます。私個人としては逆賊上等。権力者らの都合など知ったことではありません」
「「……」」
コリンとシャノンからすれば、聖女の口から発せられたのは予想外の返答。
今のシルメスもファルコナーに負けず劣らず。その身の内には狂気に似たナニかを孕んでいる。
彼女はずっと疑問だった。
〝なぜ自分のような者に突如として白きマナの力が宿ったのか?〟という問いをずっと抱えていた。
疫病に擬態した黒きマナを解呪するためだったのか?
違う。それだけのはずがない。ナニか他に役目がある。
そんな違和感を抱いたままに過ごしてきた。
そして、今こそ理解する。腑に落ちる。
〝私の白きマナは死霊フランツを滅するためにあったのだ。これこそが神の啓示であり、真の〝託宣〟なのだ〟
正しいか正しくないかはさておき、その理解は彼女にとってはまさに天啓だった。
「シャノン殿とコリン殿にはそのための助力を願いたいのです。もちろん、上からの圧や指示もあるでしょうし、ラウノ殿やダニエル殿には抜けてもらって構いません。ゴールトン家もすでに手を引きましたしね。……ですが、もし私の邪魔立てをするというなら……」
「……ぅッ!?」
「なッ!」
《王家の影》ラウノと聖堂騎士ダニエルは咄嗟に後退する。それほど広くもない室内でありながら、精一杯に距離を取る。遠ざかる。他でもない聖女から。
いかに白きマナを持つとはいえ、あくまでシルメス自体は教会が抱え込んだ神聖術の使い手でしかなく、厳密には王国の魔道士というわけではない。
それでも、ラウノとダニエルは命の危機を察知した。シルメスの視線に、纏う雰囲気に、シャノンやコリン以上の得体の知れぬナニかを感じ取ってしまう。
「ははは! いいねぇシルメス殿! そういうことなら話が早いや。もちろん私たちは協力するよ。だろ、コリン?」
「ええ。もちろん俺も協力しますよ」
当然、魔境の者らも聖女に異様なナニかを感じはしたが……それはそれ。
シルメスが得体の知れないナニかを内包していようが、それこそシャノンやコリンからすれば知ったことじゃない。どうでもいい。
一時でも目的を共にできるなら、それで問題はないという割り切りがある。
「ありがとうございます。私の中の〝神〟が、我々を死霊フランツの下へと導いてくれることでしょう」
己の中に〝神〟と〝使命〟を見出した聖女シルメスと共に、コリンたちは王都の変事の渦中を征く。
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