第1話 王都の片隅にて
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畏怖と侮蔑を込めて〝東方の悪魔〟と呼ばれる貴族家がある。
東方辺境地を実質的にまとめ上げているルーサム伯爵家だ。
辺境地の貴族家として、常在戦場の気風が強いのは常としても、他地域とは決定的に違う面がある。
志があり、ルーサム家の規律に従うのであれば、過去の罪、来歴、年齢……種族すらも問わない。
王国の法を犯した賞金首であろうが、教会が認定する異端者や魔族、魔物であっても受け入れるというもの。
ルーサム家私兵団は混成軍。その構成員はヒト族の魔道士に限らない。
それらが〝東方の悪魔〟と呼ばれる所以。
王都の都貴族や他地域の教会関係者からすれば、あり得ざる地だと後ろ指をさされるルーサム家ではあるが、東方辺境地に住む者たちからすれば、ルーサム家こそが地域一帯をまとめ上げており、遠い王家よりも身近な上位者だ。
女神教会の手前、王家とてルーサム家の在り様に否定的な黙認という形を取ってはいるが、実態としては、王家とルーサム家の間には確かな信頼と忠義がある。
放置すればヒト族の生活圏を蝕んでいく大峡谷を管理下に置き、長年にわたって制御しているのだ。
ルーサム伯爵家は、紛れもなくヒト族の生活圏の守護者。
そんな事実の積み重ねがある以上、為政者たる王家が彼の貴族家を信任しないはずがない。
また、原理主義的な者を除く、現実的な視点を持った多くの教会関係者にしても、東方地域においては見ざる・言わざる・聞かざるで通し、教義の一部を誤魔化していたりもする。
ルーサム家を取り巻く環境には、諸々の建前と本音というのが介在していた。
だからこそ、ダンスタブル侯爵家が主導した独立騒動で王家と教会は不意を突かれたのだ。
暗黙の了解として、政や信教に口を挟まないはずの〝東方の悪魔〟が、堂々とダンスタブル侯爵家の支持を表明して王国への反旗を翻したのだから。
しかしながら、ダンスタブル侯爵家が仕掛けた独立騒動は、真に王国からの独立を目論んだものではなかった。
結局は建前と本音の範疇。
蓋を開けてみれば、魔族領を追われた魔族たちを保護しつつ、王国の膿を盛大に絞り出し、託宣という女神のくだらない戯言を脱却するための仕込み。血に濡れた決死の茶番だった。
そして、結果としてマクブライン王家は負けを認めた。託宣を切り捨てる方向で王国の舵を切ることを決めた。今回はダンスタブル侯爵家たちに軍配が上がったというわけだ。
もちろん、今後、何かにつけて王家からの意趣返しや当て擦りがあるのは想像に難くない上、難民化した魔族たちの受け入れ、大峡谷に残る瘴気の処理、ザガーロ一味の残党への対処、どこぞのポンコツが仕出かした環境破壊の後始末などなど……まだまだ問題は山積している。
だが、王家と独立派に関しては、すでに騒動の落としどころを調整する段階へ移行した。直接的な武力衝突を懸念する状況は終わり、後は〝交渉〟という名の机上での〝話し合い〟だ。
もはや東方辺境地での騒動は終わったとも言える。
一方の王国中央。
王都においても、託宣からの脱却という王家の方針転換に合わせ、都貴族家や教会上層部をはじめとした諸々の影響を受ける関係者たちは〝次〟を見据えて動き出す。それぞれが〝やり方〟を見直すことになった。
そんな中、どうにも動きが鈍い者、日和見主義で機を逃す者、時流に逆行する者、力ある他家の動きに追随せざるを得ない者なども当然にいる。
単に時代の流れに乗れない、自分で決められないというだけなら特に大きな問題はない。そんな連中は、流れに乗って方針を変えて勢いに乗る者たちに食い物にされるか、従属を強いられるだけ。
為政者側として憂慮すべきは、これまでに築き上げて来た富や名声だけでなく、時に己の命すらも投げ棄てて《《行動を起こす》》者が現れたことだ。
女神の託宣こそが世の真理だと信じる、ある意味では敬虔なる苛烈で熱烈な信教者たち。
託宣の残党ども。
王家や一部の教会関係者は、人々が持つ信仰の熱や狂気を見誤っていた。そして、王家側はすぐさまその危険性に気付き、警戒とともに連中を制するための手を打った。
まずは本営たる教会上層部に対して、『王国と対立して滅ぶか、これからも共存していくか』という選択を迫る。
苦悩や衝突はあったにせよ、世俗の欲に塗れた者や世の混乱を望まない者、そもそも信仰を内に秘め、個人で完結している者などは王国との共存を望んだ。
〝女神エリノーラは間違えない。蒙昧なる我らが託宣を読み違えていた。愚かにも我らは女神の御心を正しく受け取れていなかった〟
諸々の落としどころとして、教会は公式の見解をそのように定めた。
生命と光を司る女神エリノーラはヒト族の導き手であり、信仰の対象であることに変わりはない。神は間違えない。愚かなヒトが間違えていた。それだけのこと。従えない者は異端者とする。
教会の公式な見解に反発し、それでもなお行動を起こす者を、王家や教会関係者は治安維持や異端の名目で排除する。
まさに踏み絵にして撒き餌だ。
だが、ここで王家や教会関係者はまたしても見誤る。
そもそも、はじめから託宣など眼中にない信教者もいたのだ。
己の身の内にある信心に殉じる覚悟を持った者。その上で、積極的に行動を起こす者もいたということ。
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……
…………
………………
「オードリー商会が匿っているのは、本当に本物のフランツ様なの? 死霊が化けてるとかじゃなく?」
そこは民衆区の外れ。外民の町との境目となる区域の寂びれた裏通り。
人々の営みが寝付いた夜半の頃に、雲の切れ間から覗き込むような頼りない月明りが二つの人影を映し出していた。
声は比較的小さな人影から。現・ギルド員にして、元・スラムの孤児たるサイラスが問うている。
「えぇ。間違いないわ。君が信じられないのも分かるけど……その中身は、私が知ってる昔のままのフランツ様だった。教義的にはどうかと思うけど、これも女神様のお導きというやつなのかもね」
「……」
薄い笑みを浮かべながら、問いに答えるのはもう一つの人影。サイラスよりは大きいが、どちらかと言えばこちも小さめのシルエット。焦げ茶色の髪を束ねた少女。
名をフィリーという。
サイラスたちとは違うグループだったが、彼女もスラムを彷徨っていた孤児として、フランツ助祭の支援を受けていた過去がある。
今や民衆区のオードリー商会で小間使いとして働いており、これまたサイラスたちと同じく、スラムを〝真っ当に〟脱するという幸運を打繰り寄せた者だ。
「フィリーやオードリー商会を疑ってるわけじゃないけど、やっぱり実際に会うまでは到底信じられない」
「うん。もっともな話だよね。私だって、別に言葉だけで信じてもらえるとは思ってないよ」
サイラスとフィリーの間には、スラムで暮らしてきた〝同類〟というある種の気安さがある。しかし、同時に張り詰めるような空気も存在していた。
それも当然のこと。ただの近況報告なら、わざわざ夜半の路地裏で語り合う必要などないのだから。
「それじゃあ、今度こそ直接会わせてくれるの?」
二人の話題はフランツ助祭について。
「ごめん。それを決めるのは私じゃない。……私個人としてはどうかと思うけど、商会長たちは本気みたいだからさ」
少し困ったように語るフィリー。
彼女が属するオードリー商会が、死霊となったフランツを匿っているのをサイラスたちは突き止めた。いや、突き止めたというよりは、オードリー商会側からの接触があり、ようやく確信に至ったというべきか。
「(そう言いながら、フィリーだって〝本気〟だ。本気で死霊となったフランツ様を……)」
サイラスは目の前のフィリーに危ういモノを感じている。かつての自分も持っていたモノであり、今も形を変えて身の内に宿っているモノ。
時に愛と呼ばれるモノであり、時には愚かさの象徴にもなり得るモノ。
闇夜を漂う者の明かりに……道標となるモノ。
それは信仰とも呼ばれるモノであり、また、信仰を同じくする者たちへの帰属意識だ。
今のフィリーが持つ危うさは、信仰に殉じる熱烈な覚悟を持つ者のそれ。
そして、その信仰の対象は女神に非ず。
今や死霊と化してしまった、フランツという存在に対して向けられている。
生前のフランツの位階は助祭止まりだったが、神聖術の素養などもあってか、実は教会側からは司祭以上の立場を望まれていた。しかしながら、当人はそれを固辞し、自身の強い希望によって外民の町の寂びれた教会への赴任となったのだとか。
彼はある秘密を抱えていたが、その信念や女神への献身に偽りはなかった。常日頃から、スラムの孤児たちの支援にも尽力していた。
ある朝のことだ。清廉で敬虔なフランツという助祭の男は、彼を慕うメアリという少女と共に、教会の聖堂で亡くなっているのが発見された。
彼を知る者は大いに嘆き、哀しんだものだ。皆に惜しまれつつ、フランツ助祭は埋葬された。
道半ばでの失意の中の死であり、当人だけではなく、彼の人柄やその活動を知っていた者たちにとっては、まさに悲劇的な出来事。
〝不遇の死を遂げた助祭が、死霊となって現世を彷徨っている〟
そんな噂が流れたのは、フランツが亡くなってからすぐのこと。
サイラスたちは噂を聞き、〝たとえ死霊であってもいい。もう一度フランツ助祭に会いたい〟と願い、教会へと足を向けた。
もっとも、サイラスをはじめとしたグループの年長者たちは、教会に金目の物が残っていないかという打算がないわけでもなかった。
そうでもしないと、彼らは明日をも知れない状況だったから。
フランツ助祭の支援を失い、辛うじて保たれていた均衡が本格的に崩れてしまった。飢えや住民たちからの排斥、他の孤児グループとのなわばり争い、人攫いなどの危機に直面する羽目になる。
いつの間にか行方不明になる仲間。怪我や衰弱で死んでいく仲間。目の前で攫われた仲間だっている。
そして、サイラスたちは教会にてアルと出会う。
『ギルド』の一員として〝買われる〟ことによって、彼らはどうにかして生きながらえた。命拾いをした。
誰かに奪われるという心配をしなくて良い温かい食事にありつけた。
見張りを立てることもなく、雨風を凌げて安心して眠れる場所を得た。それもベッドの上でキルト(掛け布団)に包まってだ。
スラムの路地で泥水をすすっていた頃には、夢想することすら憚られるような穏やかな生活を得ることができた。それどころか、新たな〝家族〟に受け入れられた者も多い。かつてのサイラスたちからすれば、まさに望外なる奇跡だ。
そんな奇跡にも等しい日々の中で、サイラスは再びフランツ助祭の噂を耳にする。
「まぁ今は色々と物騒な動きもあるけど……フランツ様は争いを望んでるわけじゃないよ。もちろん、オードリー商会だってね。私たちは、女神様への信仰を胸に平穏に暮らしていきたいだけよ」
寂し気にそう語るフィリーの姿を見て、サイラスは改めて思う。確信する。
〝もう平穏なんて不可能だ〟と。
「フィリー。いくらそっちが平穏を望んだところで、王国や教会が死霊となったフランツ様の存在を許容するとは思えない。当然、匿っているオードリー商会だって無事には済まないよ。……僕の知ってるフランツ様であれば、その程度の道理が分からないはずがない。生前の人格を取り戻して、本当に争いを望んでいないというなら……死霊となったフランツ様は、誰にも知られないままに姿を消していたと思う」
サイラスは疑問を投げる。彼は生前のフランツ助祭の為人をある程度は知っている。自身の信じる教義にはついては頑なな面もあったが、現実と折り合いを付けられないほどの頑迷さはなかった。現実的な損得勘定を考慮していた。
「ふふ。フランツ様の読み通りだ。サイラスならそういうことにも気付くと仰っていたわ」
「(やっぱりフランツ様には……オードリー商会には〝勝てる見込み〟があるんだ。でも一体どうやって? すでにコリンさんたちは商会に目星を付けてる。死霊となったフランツ様もすぐに見つかるはず。王国や教会を敵に回して、どうやって状況を引っ繰り返すつもりなんだろう?)」
サイラスは同年代と比べても体格的に恵まれている方ではない。しかしながら、彼はアルやヴェーラ、コリンにシャノンというそれなり以上の強者たちから手ほどきを受けている身。
王都における、非魔道士の範疇での荒事については、今となってはそこそこに対処できる。なんなら相手が魔道士であっても、土地勘を活かせる区域を全力で逃げれば振り切れる可能性の方が高いほどだ。
スラムのチンピラから身を守ることができる。
都貴族の紐付きの魔道士からも逃げられる。
でも、所詮はそれだけ。それ止まり。個の暴力などでは、どうにもならない現実というのを知っている。
彼の疑問は強くなる。
オードリー商会やフランツも、大まかな括りで言えばサイラスと似たようなもの。他者を寄せ付けないほどの強大さはない。少なくともサイラスは知らない。
王国や教会という権力に、世間という曖昧で強大な圧力を前にして、踏み止まれるとは思えない。
「不思議に思ってるでしょ? フランツ様やオードリー商会のことを」
「……うん。どうして未だに王都に留まってるの? 王国や教会の追手はまだフランツ様を捕らえられていない。つまり、今までにフランツ様を王都をから逃す時間は十分にあったはず。隠れたままならともかく、どうして今になって姿を見せるような真似を?」
月夜に照らされたフィリーは笑みを浮かべている。
幼い頃から、スラムの路地で命の危険にさらされてきたサイラス。そんな彼の直感は、目の前にいる少し年上の少女の笑みに警鐘を鳴らしている。
「ふふ。サイラス、すべては女神様の思し召し。無知蒙昧な私たちは、皆が等しく女神様の愛を享受し、その愛に抱かれて安寧を得るべきなの」
絡め捕る。纏わりついて離さない。
底知れぬどこかへと引きずり込まれるような危機感。直接的な暴力による危険とは毛色が違うモノ。
「……そう。こっちから疑問を投げておいて悪いんだけど……僕はフランツ様にお会いしたいだけなんだ。でも、オードリー商会がフランツ様に会わせないと判断するなら諦めるよ。僕は今日、ここでフィリーとも会わなかったということで終わりにする」
今回、サイラスは『ギルド』から離れてフィリーと接触した。それは自分を囮にしてフランツの居所を探るという狙いもあり、当然、囮となる以上は危険も承知していたし、いざという時の覚悟も決めていた。コリンにも話を付けていた。
が、ここに来て彼は後悔を抱く。
「ふふふ。さっきも言ったように決めるのは私じゃない。でも大丈夫。サイラスはフランツ様に会えるよ。そこは保証する。時が満ちれば……必ず会えるよ」
「……」
目の前にいるフィリーに対して、底知れぬ恐怖を感じている自分に気付いてしまったから。
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