第一同居人衝撃を受ける
「お おノれ おのレ そこ を どけぇっ」
髪を振り乱し、見開かれた瞳は血走り、乱杭歯はがちがちと気分の高揚に合わせて高く鳴り響く。
(・・・力量も量れぬ新参者が。ぬしさまに牙むくか)
真っ向からあやかしを見据えて、わらしさまはなお涼やかだった。
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「・・・これは、なんだ」
「妖怪だ」
男の問いかけに、俺はあっけらかんと言い捨てた。
「あの女が・・・?」
「あんたの母親ってのが何時いなくなったのかは知らない。でも、もうあれは人じゃないんだってさ」
男を庇いながら、注意深くわらしさまの動向を探る。
手にはさっきの獲物・・・パイプ椅子だ。くそ、汗で滑る。
「春子さんは今、体から魂抜かれて、死人未満の状態だ。限りなく死者に近い」
大前提を言っておく。
男はぎょっとした顔で俺を見た。その瞳に焦りが見えて、俺は少し瞳の力を抑えた。
「・・・あいつを倒せば、元に戻る・・・・・・らしい」
ものすごく頼りない情報だったようで、男の眉間がぐっと寄ってしまった。
「・・・不確かだな」
「ああ。けど、それでもやらないよりは、マシだろ?」
「・・・そうだな。貸せ」
「ほい」
男が差し出した手に、ひとつパイプ椅子を手渡す。
「好きな女も守れないのは、もうこりごりだ。俺の知らないところで、泣かされてるのも真っ平だ。必ず、守る。取り返したら・・・今度こそ、春子と海と一緒に、三人で暮らす」
ぐっと握り締めたパイプ椅子に祈りを込めるように、男は一言一言、噛みしめるように言った。
「春子さんはー・・・ライバルいっぱいいるぞー」
この病院の先生とか、馴染みの患者さんとか、海の学校の担任とか、同級生の父親とか、ことごとく振られてたけどな!
俺が告げた事実に眉をひそめることもなく、男はあっさりと頷いた。
「春子は良い女だからな。・・・だが、」
どんな男より私のほうが良い男だ。と臆面もなく言いきったので、足を蹴っておいた。使い物になるように弱くだけどな。
「言っておくが、謝らないぞ。春子さんが苦労したのはあんたのせいだろ? それに春子さんはみんなのあこがれのお姉さんだからな! 春子さんを泣かせたひどい男は痛い目に合うのが常識なんだ!」
春子さんの好きな色は、淡い茶色だ。こいつの髪はその色だった。海を見つめるまなざしが時折柔らかく潤むのも知ってる。海の後ろにこいつの面影を追っていたんだ。
春子さんが笑顔で求愛を断っていたのは、全部こいつの為なんだろう。悔しいから教えねぇけどな!
「自分に向けられる感情と、春子さんに向けられる嫉妬ぐらい気付いて対処しなきゃ、春子さんの夫なんて認めねえぞ」
なんか悔しくてそう言えば。
「今後は気をつけて対処することを誓おう。弟よ」
ふっと笑って、かわされた。
「確定かよ!」
大人の男には叶わないと思い知った瞬間だった。
********
白地に藍色の流線模様に、赤い朝顔の単衣がひらり、と翻る。
座敷わらしはじっくりと相手の妖気を量っていた。
繊細な白い腕は、こぶが目立つ節くれだった鬼の腕に成り果てた。
美しい顔も今は見る影もない。
節くれだった腕を振り上げ、振り下ろす。
右に獲物を狩ろうとすれば、左にすり抜け、左に首をなぎ払おうと振り上げれば、右へと避ける。
涼しい顔で避ける着物姿の幼女に、化け物と化した女はさらに目を血走らせた。
大蛇のように大きく伸びた胴体が、うねりながら、少女を追いかける。
かろん、と下駄を鳴らして少女が宙を舞った。遅れて翻る単衣の袂が、色鮮やかな朝顔を咲かせた。
恋に身を焦がした女は、自らを畜生道へおとしたのだろう。
愛しい男を惑わす女を道連れにしようと。
その情念たるや、あやかしになるために生まれてきた女だと言わねばならぬほどだ。
だが、新参者のあやかしが引き起こしたには、難しすぎる。
御魂を抜き去る時に使った私物があるはずだ。妖気を通して御魂を操った、何か。
・・・おそらくはこの女の情念を一身に受けたモノだろう、と少女は見当をつけた。
怨念受けて、憑喪神へと変容したか。
少女は、帯に挿しておいた茶扇を右手で掴むと、ぱらり、と開いた。
扇表を上にして、口元まで持ってくると、ふっと息吹を吹きかける。
小さな吐息は、扇をすべり、大いなる渦となって女妖へと向かい、切り裂いた。
「ぐあっ!」
女妖がうめき声を上げ、苦痛に胴がうねる。左右に揺れる胴体から、使い古した手鏡が落ちる。
少女は、それに目を止めた。何の変哲もない手鏡ひとつ。けれどもそれを取り戻そうと女妖が、身をくねらせた。
ああ。これか。
少女は赤い唇を陰惨に吊り上げた。のた打ち回る大蛇の腹の下敷きとなった手鏡は、もう見えなくなっていた。
(・・・枕返し、おるか)
(は)
(ぬしさまの おぼしめしぞ)
少女が華奢な体を小さく丸め、女妖の足元に滑り込んだ。
好機ととった女妖が、節くれだった腕を少女目掛けて振りおとした―――――。
「――――させるかよぉっ!」
真人がパイプ椅子で、妖の右腕を受け止めた。
(ぬしさま)
「わらしさま!大丈夫か!」
腕をさえぎっても、胴体がうねって大きく仰け反り、腹を存分に見せて・・・女妖の乱杭歯が真人の頭上におちた。開ききったあぎとが、赤く目を焼いた。
「こ、のっ!」
「おおおっ!」
真人はパイプ椅子を下段から勢い付けて振り上げた。
傍らの男・・・孝明も加勢して、同じくパイプ椅子で牙を防ぎにかかる。
顎を強かに打ちつけて、女妖が怯んだようだ。
その時、小さな少年がふわり、と浮かんで消えた。抱え込んだ手の中に何か持っている。
わらしさまが、にっこりと微笑むのを、真人は見た。
(ぬしさま、感謝いたします。十分な隙でございました。・・・・・・さぁ、)
少女が扇表をひらりと遊ばせ――――――伏せた。
(去ね)
「ぎ、いィィイいいいヤアぁぁああぁぁあっ!」
わらし様の立つ足元から、金色に輝く妖気が巻き起こる。
女妖は、その光の渦に飲み込まれるように、足元から消えていった。
あとに残されたのは、干からびて枯れ木のような女の遺体がひとつ。
「・・・終わった、のか?」
**********
「行ってくれ。春子を頼む」
男・・・孝明に頭まで下げられて、俺達は病室を後にした。
歩く俺とわらしさまの横を、医療関係者が走り抜けていく。
騒然となった病室をもう振り返ることなく、俺たちは急いだ。
春子さんは、冷たくて寒い場所にいた。
顔には白い布がかけられていて、その枕元に、息子の海と。
透明な春子さん。
「・・・なんで・・・戻ってないんだ?」
暗く重い絶望が圧し掛かってきた。
災いの元を叩いたのに、春子さんは戻ってない。戻れなかったら、このまま、荼毘に付されて消滅してしまう。そして運が悪ければ、あの女みたいに荒御魂となって、地獄へと?
「だめだよ!」
「にいちゃん? どこ行ってたのさ、おばさん探してたよ」
海はのろのろと顔を上げて俺を見た。
透明な春子さんは泣きつかれたのか、ぼんやりと自分の遺体を見つめている。
もうこちらに働きかけることすら放棄したようで、必死になってる俺を見ようともしない。
(ぬしさま。まだ、大丈夫でございます)
俯いて眉をしかめた俺の顔を覗き込むように、わらしさまが見上げてきた。
(海。母上を取り戻したいか?)
「・・・何、言ってんの? かあちゃんはもう死んじゃったんだよ? 体だってすごく冷たくて、心臓だって動いてなくて・・・息してないんだ」
(よくお聞き。海。母御を助けられるのはお前しかいないのだ。そのお前が諦めてしまえば、もう二度と母御は戻らない。・・・戻れない)
わらしさまが海の腕を取って握り締めた。
(怨念のこもったこの鏡。これが原因でお前の母御は囚われた。鏡を良く見てごらん)
わらしさまに誘われ、海が鏡に目をやった。
(よくごらん。何が見える?)
わらしさまが海の目にも見えやすいように鏡を動かした。横たわる春子が鏡の中に映りこむ。
「そんなん、決まってるじゃん。かあちゃんだろ・・・えっ?」
海が鏡を覗いてぶっきらぼうに呟いて目をそらそうとした時、通り過ぎた目が引き戻り、ぐあっと開いた。
がっと鏡を両手で掴んで穴があくまで凝視して、驚いたような顔のまま、鏡と空を往復しだした。
「・・・あ、見えたか。やっと」
「にいちゃん?」
「早く声出せ。取り戻すんだろ? 呼べよ」
「・・・ぁ、う、うん。えと、ええと・・・か・・・かあちゃんっ?」
透明だった春子さんが、吃驚した顔で海のほうを見た。透明な春子さんの目と、海の目が重なった。
じんわりと、海が笑った。
「・・・かあちゃん。かあちゃん?、・・・かあちゃん! 体に戻れるんだって。死ななくても良いんだよ! 兄ちゃんが、大丈夫だって・・・あれ、にいちゃん、どうやってもどんの?」
「あ゛」
これ、どーすんの、どーすりゃいいの、わらしさま!
びゃっとわらし様の方を見た。情けない顔をしていたんだと思う。
(・・・海殿。鏡を、母御の体の上に置いて・・・さあ、母御の御魂よ。こちらへ)
わらしさまが手招いてくれた。
横たわる自分を見下ろす気分ってのは良いものじゃないだろう。現に春子さんたら真っ青だ。
でも。
「母ちゃん。大丈夫だよ、俺がついてる! にいちゃんだって、わらしさまだって、おばちゃんだって、待ってるから。だから、戻ってきて」
(・・・海・・・)
春子さんは、両手を組んで、祈るように呟いた。
(・・・お母さん、あなたの元に帰りたい。あなたの成長を、この目で見たい。あなたともっと、笑って生きたい)
「うん! 俺だって、もっと一緒にいたいよ!」
もっともっと、生きて行きたい。生きて生きて生きたいの。
春子さんが祈るように目を閉じた。海も俺も、わらしさままで目を閉じて祈ってくれた。
戻れ、とみんなが祈り続けた。
それから、そっと目を開けた。
・・・透明な春子さんの姿は、どこにもなかった。
「・・・わらしさま、成功かな?」
こそっと囁く。
(・・・・・・・・・・・・どうでしょう)
わらしさまが、さり気なく目線をそらし、囁くように呟いた。
え゛。
ちょ、ちょっとわらしさまあああああああっっ(←声なき悲鳴)!!!・・・とわたわたしていたら。
「・・・・・・か・・・ぁぃ」
春子さんの小さな声が、上がった。
吸い込まれるように横たわったままの春子さんに目線が集まる。
「――――――かあちゃああぁぁぁああああんっっ!」
呼応するように海が、ベッドに横たわる春子さんに抱きついた。春子さんは、やっぱり戻ったばっかりで体が上手く動かないようだけど、その分、海が、ぐいぐい抱きしめてる。
「やったっ!やったぞぉっ!」
「うん! にいちゃん、やった!やあったあっ!」
笑って笑って、それから泣いた。嬉しくて、泣いた。
二人とも涙でぐちゃぐちゃだ。
喜び合って泣いてる二人を尻目に、俺は携帯を取り出した。手馴れた番号を呼び出す。
「・・・あ、かーさん? 葬儀屋の引き取りキャンセルして」
電話の向こうでかーさんが怪訝な声を上げた。
携帯を仕舞って、まだ泣きじゃくる二人を見ていた。そのうちかーさんが、担当の医師と一緒に駆け込んでくるだろう。
わらしさまが、横で微笑ましそうに見ている。
「・・・わらしさま、ありがとな。春子さんを助けてくれて。やっぱり、吉祥の神様だなぁ」
(ぬしさま。わたくしだけの力ではございません)
春子様と海殿の心が通っておったからでございましょう。
「・・・ああ。孝明さんはきっと復縁するの大変だろうなー・・・」
この二人の絆に、父親といえども割り込むのは苦労しそうだ。
しかも一度手を離してしまった人だし、何かと女難の相のある人のようだし。
(ほんに。ろくでもないおなごに好かれると、ろくなことにはなりませぬ)
「だよなー・・・。しっかし、自分の母親になった人に横恋慕されるって、どんだけ女運悪いのかね。しかし女も女だよなー。いい年だろうに、若い男に色目使って、道外すなんて・・・」
――――――グッサアアアアアアッッッ!!!
「あれ・・・わらしさまっ? 顔色悪いよ、わらしさま!?」
俺の隣で微笑んでいたわらしさまが、いきなり吹っ飛んで、横向きに倒れこんだ。
うつろな眼差しでぶつぶつと何事か呟いているが、小さすぎて聞き取れない。
なんか、イイトシ、とかイトシって聞こえたような・・・。
「わらしさま、疲れたんだね。今日は大活躍だったもんな」
今だにぶつぶつ言い続けてるわらしさまを、俺はひょいと抱き上げた。
お。軽い軽い。わらしさま、もっと食べないと大きくなれないぞ? 軽口叩きながら、俺はお姫様抱っこのまま、部屋を抜け出し歩き出した。
親子水入らずもあと少しだけだろう二人を残して。
「家に帰ったらー・・・今日は俺がご飯作ってやるよー」
(ぬ、ぬしさま)
「良いって、良いって」
(ぬしさま・・・)
「ん?」
小首を傾げてわらし様を見れば、首まで真っ赤に染めて慌てて首を振った。
それから逡巡したあと、わらしさまは意を決したように、俺の首に腕を回し・・・ぎゅっと抱きついた。
温かくて、嬉しい。
そんな、一日の終わり。
*******
後日、マンションの経営者として顔を出した、孝明!
春子さんとの復縁はなるか!
海との親子の絆は築けるのか!
そしてなんだか、かーさんがマンション貰えちゃうって、ドユコト?
以下次号!
わらしさまのぽつり
(あの程度の新参者がいい年と言うのならば、わたくしは・・・わたくしは・・・おお、年・・・ぬしさまああああああああああ)




