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けだし あやかし〜最強幼女がぐいぐい来てちょっと困るけど幸せだからまぁいいや。  作者: さくらさくらさくら


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18/25

ぬしさまのご尊父

おひさしぶり~ね~♪

 行かせぬぞ。行かせぬぞと声がする。

 頭の中で喚く声。眉をしかめて舌打ちをする。それでも耳鳴りのような声は消えない。

 諦めのため息を吐いて、薄く目を開け、「彼」は周囲を窺った。

 そこは、初夏のすがしい水の匂いで満ちていた。

 樹々の芽吹きに目元を柔らかく緩める。

 夏が、近付いていた。



 ******



「っあ!」

 何かから逃れるように唐突に意識が戻り、俺は布団をはねのけ身を起こした。

 ゼイゼイと胸が逸る。目の前がちかちかした。

 一瞬どちらが現実か分からなくなった。混濁する意識に戸惑う。

 これは夢のはずだ。

 悪い夢のはずなのに、今もほら、自分を抱きしめる腕の、指の先まで震えている。


 ―――――右を見れば太い蔓で戒められた肩が見える。ぎりぎりと締めあげられて、息が出来ない。

 違う。夢だ。

 気が付けば首筋まで締め上げられて、息すらできない。


 これは夢のはずだ。


 ―――――左を見れば左半身は岩に阻まれ見えやしない。足腰があるべき場所は、岩に押しつぶされたようにも見える。岩を伝うように落ちていく雫に胸を濡らす。樹木の匂い、風の音、身を包み込む水の香り、滝の音。

 

 囚われているのは誰だ。囚われているのは俺か。


 押し寄せる波のような絶望が、背中を伝って脳を焼き――――――。

(ぬしさま、朝餉の準備が整いました)

「――――っ、は、は、……あ……、う、うん。今、行くよ、わらしさま」

 夢でよかった、と心底思って、ようやく息を吐いた。……息を吐くことが出来た。


 そんな俺を、わらしさまがじっと見つめていた。


『のう、真人。最近夢見が悪いようじゃな』

 朝の身支度の為に、洗面台に立つと、鏡の中の俺が時雨の声で問いかけてきた。

「んー……。よく覚えてないんだ……」

<きゅー?>

 歯ブラシを銜えて、質問に答える俺の足元では、般若面の狛犬が心配そうに見上げていた。

『そうか? 良くうなされておるぞ』

<きゅー、くうん>

「そう、なのかな?」 

 気遣う時雨の声に、俺もまた困ったように眉を顰めた。

 そしてコマ、脚にぐりぐりと懐くな。地味に痛いんだって、ちょ、ちょっと、心配なのはわかるから。……ありがとな、ふたり(?)とも。

『真人よ、今宵はわしを顕現させて、枕元に置いておけ。わしとてご神刀の端くれじゃ、悪夢なぞ切り捨ててやるぞ』

 時雨がそう言えば、コマもむんと胸を張ってみせた。御神刀と狛犬の加護なら悪夢も寄り付くまい。

「うん、そうだね、じゃあ頼むかな……」


(時雨の出番はありませんよ)

 すらり、ぴしゃーん! と障子戸が開いた。 

「わらしさま?」

 白地にアヤメの初夏の色合いの着物に、水色の半幅帯を締めたわらしさまが、鏡の中の俺と目を合わせた。鏡の中の俺……時雨の顔色がみるみる悪くなる。

『うぁ、そ、その、わし、別に禁忌をすつもりは毛頭なく……』

(禁忌などさせるはずもないわ、ヤドカリ風情の新参者が! ぬしさまの添い寝係は渡しませぬぞ!)

 うわ、なんかわらしさまの背後から、突風が吹いた。

『うひいっ! な、なにか行き違いがっ! ご、誤解がっ』

<きゅん、きゅーん!>

「わらしさま、やっぱり俺、うなされてる?」

 小首を傾げてわらしさまの目を覗き込んだ。うん、なんかものすごい威圧感があったような気がしたけど、やっぱ気のせいだった。わらしさまの瞳はいつものように澄み切った綺麗ないろだ。

 ああ、安心する。

 じわじわとわらしさまの頬が赤く染まっていくのを、珍しく思っていると、わらしさまがしゃんと背筋を伸ばした。

(……ぬしさまが見ている夢は、確かに悪夢に違いありますまい。けれども、時雨では断ち切ることはできない類の悪夢ではないかと)

『童神殿、わし、いちおう御神刀なんじゃが……』

 声につられて鏡を見ると、鏡の中の俺が眉をしゅんとさげた。

 そんな時雨の状態に頓着せず、わらしさまはさらに続けた。

(ぬしさまが最近見ておりますあれは、現実に起こっている現象との共鳴―――――。ゆえに、御神刀とはいえ、新参者の時雨では切り捨てる事はできないのでございます)


「……共鳴?」

(さようで。ぬしさまの近しい間柄の者が、受けている痛みを、遠く離れたぬしさまが、受け止めているだけの事)

「え…………」

 その瞬間、ぐるりと意識が宙を浮いた。


 室内にいるはずなのに、そのはずなのに新緑の緑が身を押し包んだ。木漏れ日が目の端に移りこむ。まぶしくて目を細める。

(ぬしさま! 疾っ! 浸食がはやい! ぬしさま!)

 ガンガンと耳鳴りがする。悪寒が走る。寒い。

 おもわず、身体をかき抱く。寒くて、冷たくて、ここは、いったい。

(ぬしさま!)

「わらしさま、目が、……おかし……ぃ、こもれび、が」

 自分の顔を覆うつもりで動かしたつもりの右手が、ぴくりともしない。目の前で光が明滅をはじめた。

 すかさず俺を支えてくれたのだろう、わらしさまの小さな掌の感触が、ひどく遠い。

(ぬしさま!)

「……わらしさま、声が……頭の中で、声がするんだ……」

 ガンガンと耳鳴りが。ざわざわと悪寒が。でも、はっきりと声が聞こえた。


 ―――――もうすぐだ。もうすぐ、わたくしのものとなる。ほほ、ほほほ! 渡さない、渡すものか、お前はわたくしの――――――。

 甲高い女の笑い声が、頭の奥で響いて。


 俺は崩れ落ちるように、気を失った。



******



「姫よ、私はお前だけのものにはなれないよ」

 当代一の愛しいおとこはそう言って、踵を返すと別の女の元へと行ってしまった。後ろ姿さえ悔しいほどに麗しい。

「姫よ、愛しい姫よ」

 愛しい帝はそう言って、わたくしを抱きしめてくれたのに。幸せな時間は瞬く間に過ぎ去った。

「姫よ、側室を迎えることになった」

 愛しているとささやいたその唇で、別の女にも愛を囁くというの?

「仕方がない事だ。私の御代を繁栄させるためには、あの男の娘を娶らねば。わかるだろう?」

 いやだ。わたくしを見て。わたくしだけの帝でいて。ほかの女の元へなど、行かないで。

 泣いてすがっても、帝は意にも解さない。当然だ、彼は唯一の男子で、至高の存在。その限りなく近い場所に侍られるだけで満足しなければならないと、父に母になだめられて、言い聞かせられた。

 帝の御代を飾るのは、わたくし一人ではだめなのだと。

 政治力に富んだ我が父と、同じほどの勢力を持つ、軍部卿の娘を迎え入れねば、男の御代は永くはないのだと。

「跡継ぎは姫の産んだ御子にすると約束しよう。だが、一人では足りないのだ。優秀な御子を、聡明な御子を、私の御代がつつがなく続くように」

 いやだ、いやなのだ。わたくしが産んで見せますからと、取り縋った。聡明な御子も、優秀な御子も、あなたの御子は、わたくしがすべて! わたくしの必死の呼びかけにも、帝はただ笑うだけだ。

「愛しているよ、私の姫。だけど、私には側室が必要なんだ。私の御代が永く続くように。聞き分けておくれ」

 わかるものか。愛しい男をなぜ他の女に分け与えなければならない。


 ―――――帰命たてまつる。帰命たてまつる。貴船大明神。


 わかるものか。愛しい男の子供はわたくしだけが身ごもり、わたくしだけが産み落とすのだ。


 ―――――帰命たてまつる。これより七日七晩帰命たてまつる暁には、わたくしを生きながらに鬼となせ給え。


 男の欠片だって、他にはやらない。

 そう、そうだ。他のおなごが宿した御子など、犬畜生にでも食わせてやればいいのだ!


「姫よ、なぜだ!」

 なぜですって。なぜとはこちらの台詞だ。なぜあなたはわかってくれない。

 こんなに、愛しているのに。

 こんなに、愛しているのに。

 愛しているのよ、愛しいあなた。

 あなたの一筋、ひと欠片だって、他の誰にも渡したくないの。

 どうしてそれがあなたに伝わらない?


 ―――――帰命たてまつる。帰命たてまつる。


 遠くで何かを打ち鳴らす音がする。ガチガチガチと音がする。


 わたくしは当然の事をしただけだ。

 わたくしよりも早く身籠った女を、橋の上から突き落としただけ。わたくしより、早く帝の御子を身籠るなんて、不遜な女はあなたの御代にはいらないの。

 忌々しい程あなたに似た御子を抱いていた。


 悔しや、悔しや、妬ましや。


 わたくしの胎から生まれ出たなら可愛がってあげたのに、あんな女を母とするなんて。


 悔しや、悔しや、妬ましや。


 犬に投げ与えてやった。万が一にも助からないようにと、扉を閉ざし、腸を食いちぎられ息絶えるまでを見届けた。

 だって、いらないでしょう?

 あなたの御代を支える女は、当代一のあなたの女は、わたくしだけでいい。

 あなたの御代を支える御子は、わたくしの産んだ御子だけでいいのよ!


「姫よ、なぜ、なぜなんだ」

 なぜ、泣くの。

 あなたの全てはわたくしのもの。

 あなたの喜びも、微笑の眼差しも、深い憂いも、悲しみも、怒りも、憎しみも、憤りも、痛みもすべて!

 血に濡れた肩を抑えながら、愛しい男は苦痛の声を漏らし、後ずさった。なんてすばらしい気分なのだろう。心は解き放たれたように、どこまでも軽い。

 あなたの全てはわたくしのもの。

 涙も、悲鳴も、肉も、骨も、血も、腱も、頭蓋も、脳髄も、髄液の一滴に至るまで、すべてすべてわたくしのもの。


 ガチガチガチ!

 むき出しの乱杭歯が、音を立てて肉を引きちぎった。

 わたくしのものなの。

 あなたは全部、わたくしの。だから―――――。

『ゼンブ クロウテ ナニガワルイ』

「……姫よ、お前は鬼となったのだな」


 生きたまま鬼となった女は、愛した帝の手で、その場に刀で縫い付けられた。

 鬼女は七日七晩、恨み言を吐き続け、さらに七日七晩かけて瘴気を発する大岩となった。

 鬼女が姿を変えた大岩は、近寄るだけで生き物の呼吸を奪い、生気を奪い死に至らせる禍々しい岩となった。

 死をまき散らす、大岩だ。

 男は何人もの囚人を使い、その大岩を谷底に落とし沈めた。岩を運んだ囚人達はことごとく死に絶えた。

 安心したのもつかの間。

 大岩は谷底でも瘴気をまき散らし、そして遂に―――――。


 水源を守っていた、水神をも地に伏せさせたのだ。


 かくして水は枯れ、瘴気渦巻くその地に人は誰一人として近付くことはなく、哀れ帝の御代は帝の代で潰える事となる。



 *****



「って、夢を見たんだ……」

 ふかふかの布団に横たわり、きゅっと絞られた冷たい手拭いを額に乗っけてもらいながら、俺はわらしさまを見上げた。

(なるほど、ぬしさま、この間の遠足で、おそらく他妖に目を付けられたのでしょう……)

「この間の遠足って、修学旅行?」

 四泊五日で京都とその周辺地域を巡った。楽しかったけど、確かに帰ったころから、悪夢を見るようになったっけ。

(京の都ならば、ぬしさまの鋭気に惚れる大妖がいてもおかしくはありませぬ。ですが、この相手はもっと禍々しい気を放っておりますね。ぬしさまの縁すべてに絡みついて締め上げてくる嫌な匂いがします)

「かーさん大丈夫かな?」

 俺の縁と言えば、もうかーさんしかいない。そのかーさんは今日も今日とて元気に出社していた。

(大丈夫ですよ、ぬしさま。かーさんさまにはしっかり守護がついておりますゆえ、いかなる瘴気も払い除けてみせましょう。ですが、ぬしさまの守護を巧妙に抜けて、瘴気を絡めてきているのです。これは、ぬしさまに近い血縁者がからめとられている証拠)

「俺の血縁者なんてかーさんだけだってわらしさまも知ってるじゃん」

 俺の答えに、神妙に頷きを返したわらしさまが、押し黙った。

 俺はそんなわらしさまを布団の中から見上げた。

 しばし何かを考えたわらしさまが、さらりと髪をゆらす。

(……ぬしさま、ぬしさまの御尊父は今どちらにおいでなのですか?)

「え……」

 ご尊父って、父親、だね。

「知らない。子供の頃から影も見たことないよ。写真も、ない」

 俺の答えにわらしさまはふむ、と小さく顎を引いた。


(……ですが急がないと、瘴気に絡めとられて死後も安らげなくなってしまいます)


 きいんと、耳鳴りがした。




添い寝権を大広間の真ん中に置いて、わらしさまと時雨※霊魂とコマがじりじり輪を縮めていく図が思い浮かんだ昨日の夜。

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