ちょっとした勧誘
昼食を屋台で手軽に済ませたトールたちは、待ち合わせ場所である内街の探求神殿へ向かった。
教育を施す場所でもある氷神の神殿は、ちょうど昼の休憩時だったようだ。
建物前にたむろしている数人の生徒らしき姿が見える。
同年代の若者たちが集まっている様子に、たちまちソラは目を輝かせた。
「わわ、みんな、なにしてるのかな?」
「ここで読み書きとか計算を教えてくれるから、それで来てるんだろ」
「へー、そういえば、うちの社もおんなじだったねー。トールちゃんは、よく逃げ回ってたけど」
「ああ、爺さんが厳しすぎた思い出しかないな」
少女の弾んだ声に気づいたのか、いっせいに振り向いた少年たちは相次いで目を見開いた。
どうやらソラを新たな入学者、トールをその保護者と勘違いしたようだ。
美少女の同級生を夢想したのか、若者たちは口々に興奮気味に語りだす。
だが、トールたちが近づくと、その首元のプレートに気づいたらしい。
またも目を見開いた生徒たちは、たちまち口を閉ざしてしまった。
いきなり静かになった生徒たちの様子に、ソラは不思議そうに首を傾げる。
その姿に勇気を振り絞ったのか、若者の一人が進み出た。
「あ、あの……。よ、よろしければ案内しましょうか?」
話しかけてきた黒髪の少年の目には、恐れと憧れが入り混じった光が宿っていた。
落ち着かなく、トールとソラへ何度も視線を移しかえている。
返事を返そうとした矢先、急に扉の向こうから大きな音が響いてきた。
聞き慣れた誰かの幼い笑い声に、トールは小さく息を吐いた。
「今のムーちゃんかな?」
「たぶんな。ありがとう、また次の機会にでも頼むよ」
生徒たちに軽く頷いたトールは、木造の大きな扉を押し開けた。
吹き抜けの小広間に備え付けてある階段がすぐに目に入る。
その手すりにまたがっていたのは、案の定、紫眼族の子どもだった。
ただし一人ではない。
その背後に同じ歳くらいの子どもたちが、鈴なりにつながっていた。
行き止まりの丸い飾りにぶつかって、ムーの動きが止まる。
そこへ後続の子どもたちが、次々と押し寄せた。
互いに挟まれた子どもは、嬉しそうな悲鳴を上げつつ笑い出す。
厳粛な神殿とは思えない光景に、トールは思わず顎の下を掻いた。
「あら、楽しそうな声がしたので見に来たのですが、これは困りましたね」
不意に横から話しかけてきたのは、上等そうな灰色のローブを着込んだ灰耳族の女性だった。
神殿長のミーラリリーラだ。
思わず居住まい正しかけたトールに、薄く笑みを浮かべて会話を続ける。
「あの手すりは、前に怪我人が出たので、乗らないよう言いつけてあったのですが」
手すりから飛び降りたムーは、夢中になっているせいかトールたちに気づかず階段を駆け上がった。
一緒に滑っていた子どもたちも、大騒ぎしながらその後に続く。
どうやらムーが主体となって、他の子どもたちを率いているようだ。
「お騒がせしてすみません。すぐに止めさせます」
「いえ、頭ごなしに叱っても、子どもには通じませんよ。それに止められると、余計にやりたくなってしまうものです」
トールを視線で制した神殿長は、音も立てず階段へ近付いた。
そしていきなりスルッと伸び上がって、手すりに豊かな尻を乗せてしまった。
終着点に横向きで腰掛ける女性へ、速度を落とせないまま先頭のムーがぶつかっていく。
柔らかく灰色のローブに顔を埋めた子どもは、はしゃいだ笑い声を上げた。
そのくるくると巻いた金色の髪を、神殿長は優しく撫でる。
触られる感触が心地よかったのか、ムーはまたも無邪気な笑みを浮かべた。
だが続けざまに滑り下りてきた子どもたちは、ミーラリリーラの姿を見た瞬間、たちどころに顔をこわばらせてしまう。
無言のまま前の子にしがみつく様子を見ながら、神殿長は扇動者に穏やかな声で話しかけた。
「どう、手すり滑りは楽しい?」
「うん! これはいいものだな!」
元気いっぱいに返事をするムーだが、それ以外の子どもは視線をそらしてうつむいてしまう。
「ところで、あなたはここの生徒かしら?」
「せいと? ううん、ムーはぼーけんしゃだぞ」
「あら、それだとちょっと大変なことになるわね」
「そうなのか?」
「ええ、生徒以外はここに入ってはいけないの。もしかしたら、捕まってしまうかもしれないわ」
ミーラリリーラの言葉に、ムーは紫の目をまんまるに見開いた。
「ど、どうしよう? ト、トーちゃんに……」
「でも大丈夫よ。捕まらない方法があるの」
「なんだ、もう。おどろいたなー!」
「それはね、あなたがここの生徒になれば解決よ。どう?」
最後の問いかけはムーにではなく、トールに向けて発せられたものだった。
もちろん、彼女なりの冗談も含んでいるだろうが、その眼差しはかなり本気のようだ。
「そうですね。考えておきます」
ムーの教育に関しては、そもそもないがしろにする気はなかった。
ただ冒険者の活動時間は長く、あまり時間を割ける状況ではない。
その辺りは元教師であるユーリルに、折を見て頼む腹づもりであった。
「だったらそうね。これからは、昼休みの間だけ手すりを開放することにしましょうか。ただし教導師の付き添いがない時は駄目ということで」
神殿長の突然の宣言に、ムーを除く子どもたちは驚いて顔を見合わせる。
そして意味を理解したのか、一度に歓声をあげた。
手すりから腰を下ろした灰耳族の女性は、ムーを抱き上げて床へ立たせる。
きょとんとした顔をしていた子どもだが、トールにようやく気づいたのか弾むように駆け寄ってきた。
入れ替わるように、ソラが階段へ走り出す。
少女が向かった先にいたのは、ムーよりもさらに幼い子どもだった。
皆が手すりから飛び下りる中、うつむいたまま動こうとしない。
不意にその体がぐらりと揺れた。
バランスを崩した子どもは、そのまま手すりの内側へ倒れ込む。
しかし、階段へ身を投げ出す寸前、ソラの伸ばした手がギリギリで落下を食い止める。
優しく子どもを抱きとめた少女は、ホッと息を吐いた。
「ふー、あぶなかったね。大丈夫?」
「どうした、ルー!」
慌てて引き返したムーが、ソラの腕の中の子どもに声をかける。
幼子はぐったりと力を抜いており、何度も苦しそうに息を吸い込んでいる。
目を閉じたまま服にしがみつく尋常ではない様子に、ソラは焦った表情を浮かべた。
「えっと、その、どうしよう? トールちゃん」
「おなかすいたのか? ムーがごはんさがしてきてやろうか?」
「よく見てたな、ソラ。ふむ、かなり調子が悪そうだな」
少女から子どもを受け取ったトールは、その様子に眉をひそめる。
肩口まで伸びたまっすぐな黒髪と、愛らしい顔立ちからして女の子のようだ。
だがその頬は明らかに紅潮し、口元から漏れる吐息も忙しない。
「その子は生まれつきちょっと体が弱いのよ。助けてくださってありがとう、ソラさん」
名乗ったわけではないソラの名前をさり気なく呼びながら、神殿長はトールが抱きかかえる子どもの顔を覗き込む。
軽く伸ばした手でその額に触れながら、平然と症状を確認していく。
「熱が少々と、息もやや辛そうね。でも、これなら少し休ませたら、すぐに元気になるわ」
冷静な診断を下したミーラリリーラは、心配そうに集まってきた児童たちへ笑みを浮かべて安心させる。
そして、子どもをしっかりと抱くトールと、その隣のソラへスッと視線を走らせた。
「ね、あなたたち、オーリンドールに会いに来たのでしょ?」
「はい、そのつもりでしたが」
「でしたら、一手間お願いしてもいいかしら?」




