面倒な岩の壊し方
「疾く、睡れ――<冷睡>!」
トールの腕を切断した黒い縄はクルリと向きを変え、ヒュッと空気を裂いて地面すれすれを横薙ぎに走る。
馴染みの祈句を耳にしたトールは、とっさに剣を大地に突き立てた。
足元を襲ってきた紐状の何かは、剣身に引っかかって絡みつく。
さらに飛び出してきたもう一本も、いきなり空中に縫いつけられたごとく動きを止めた。
その一瞬の空隙に己の左手を拾い上げたトールは、即座に地面を蹴って距離を取る。
直後に眠りを誘う不可視の冷気が、岩陰を覆った。
荒く息を吐いたトールは、<苦痛緩和>に感謝しながら左手を押し付けて<復元>する。
そのまま後退したところへ、ソラとムーが駆け寄ってきた。
「トールちゃん、ケガは!?」
「おてて、だいじょうぶか?」
二人に軽く頷いたトールは、ちょうど留め紐部分が切り裂かれた革手袋を素早く外す。
「ムー、血止めの薬を頼む」
「くすり? これだな、トーちゃん」
ムーが腰のポーチから差し出した細巻き貝の栓を抜き、青みがかった液体をあえて完治させなかった傷口に垂らす。
銀貨五枚の高値は伊達でないようで、すぐに血が固まり始めた。
一番後ろでトールたちを見ていたサラリサが、近寄ってきて不思議そうに呟く。
「今、腕が落ちませんでした……?」
「いや手袋の留め具と、腕の肉が少しやられただけだ。ほらな」
わざとらしく指先を広げながら、肘と手首の中間にある傷口を見せるトール。
ついでに切れ目が入った革手袋も、さりげなく目の前でつけ直す。
「手袋と見間違えたようですね……」
納得したとはあまり思えない顔で、案内役は小さく目を伏せた。
そこへソラが意気込んで話しかけてくる。
「ねー、ねー、トールちゃん。今のって蛇? でもなんか虫っぽかったね……あ、ムカデとか?」
「よく見てたな。あれは虫だな。いや、正確にはその一部か」
少し得意げな少女の様子に頬をわずかに緩めたトールは、荒野に直立する白い岩へ視線を戻した。
すでに<固定>が解け、眠りから覚めた正体不明の紐たちは岩の下へと消えていた。
後には、地面に突き刺さった剣が残るのみである。
「一部って、やっぱり本体が地面にかくれてるやつ?」
「いや、隠れていないな。あれだけ堂々とされたら、逆に気付かないもんだな」
トールの言葉に、少女はじっと岩陰に目を凝らす。
そして一つの可能性に気づいて、驚きの声を上げた。
「えっ、もしかして!」
「おそらくあの岩そのものが、話に聞いていた岩甲虫でしょうね」
ユーリルの指摘に、トールは深く頷いた。
事前の講習で石に擬態する虫がいるとは聞かされていたが、その大きさまでは明かされなかった。
身の丈を大きく超えるサイズは、予想の範囲外だったというわけだ。
「じゃあ、あの黒くて長いのって……」
「たぶん触角だな。恐ろしく切れ味が良いみたいだがな」
さっくりと切れ目がつけられたマントに、トールは小さく息を吐いた。
防具は破損して、剣も置き去り。さらに貴重な薬品まで使ってしまう失態である。
もっともトールとて、油断していたわけではない。
地面以外に潜む場所はないと判断し、その兆候を怠りなく探ってはいたのだ。
角モグラや岩トカゲをさんざん倒してきたせいで、地面の変化を察するのにはちょっとした自負があった。
そこへ音もなく岩の下からの強襲だ。
一瞬の不意を突かれてしまった形である。
そしてその一瞬こそが、あやうく致命傷になりかねない事態であった。
高ぶりかけた感情を、いつもの呼吸法で押し流したトールは、ふてぶてしく佇む岩へ視線を戻した。
「さて、どんな奴か調べてみるか」
まずは硬さを調べるため、腰の鞘から解体用のナイフを抜いて投げつけてみる。
岩肌にかなりの勢いで当たった刃は、硬い音を発して跳ね返った。
「岩っぽいというより、岩そのものですね」
「えー、岩なんてどうやって倒すの?」
「槌とか斧なら、なんとかなりそうだな。ふむ、どうするか……」
触角の位置は分かっているので、後方からなら直接の攻撃は行えそうではある。
だが剣であの甲殻を相手にするのは、かなり難しいだろう。
かといって岩石を削るような道具は、あいにく手持ちにはない。
なんとかひっくり返して腹部を狙えば攻撃は通じるかもしれないが、そうするための道具や人員もない。
ならば攻撃が通りそうな顔部分を狙えば良いとなるが、そうなると面倒な触角を相手する必要が出てくる。
驚異の切れ味に加え、剣に巻き付いても平気な様子から、頑丈さもかなりのものだと推測できる。
しかも二本あるので、毎回、<固定>や<反転>を多く使いかねない心配もある。
そもそもこのモンスターの場合、今のように離れれば、あっさりと攻撃の圏外へ逃れるのは容易だ。
風除けにしようと、うっかり近付いた人間を襲うだけのタイプだと考えていいだろう。
対処する手段がない以上、剣を回収して先へ進むのも一つの手である。
しかしトールには、このモンスターを是非にでも倒したい理由があった。
打つ手がなく考えあぐねるトールへ、パーティの奥の手である銀髪の美女が話しかけてきた。
「一つ試してみたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
ユーリルが提示したやり方は、作戦と呼べるほどのものではなかった。
とりあえず指示に従って、トールが岩へと近づく。
手に持っているのは、なんと運搬用のソリだ。
先ほどと同じ位置まで近付いた瞬間、またも二本の触角が飛び出してきた。
目にも止まらぬ速さで振り回された黒い紐は、子どもの大事なソリを真っ二つにすべく襲いかかる。
だが真銀製の触れ込みは、嘘ではなかったようだ。
奇妙な音とともに、二本の触手はあっさりと跳ね返される。
同時に紫の蛇、<電棘>の棘が逆に巻き付いて、その動きをわずかに止めた。
「霧り、塞げ――<凍晶>」
そこへ間髪入れずに、ユーリルの魔技が発動する。
地面から剣を引き抜いたトールは、大きく跳んで後方へ逃れた。
ソリと剣を構えたまま、トールはしばし岩甲虫の動きを探る。
体内に吸い込まれた大量の冷気が効果を発揮するには、やや時間が必要である。
そろそろ動きが鈍くなった頃合いだと判断して、トールは一歩前に進み出た。
その瞬間、岩がかすかに震えた。
同時にその表面に、いっせいに大きなひび割れが走る。
そのまま音を立てて崩れだした岩の有り様に、トールは思わず目を見張った。
唖然として振り向くトールへ、長い耳先を揺らしたユーリルはいつもの笑みを浮かべてみせる。
「あら、思った以上に脆かったですね」




