そして暴圧
猛烈な勢いで引き返してきながら、三兄弟が口々に叫ぶ。
「ヤバいぞ!」
「ヤバいぜ!」
「ヤバいよ!」
何一つ情報が増えていない報告に少しだけ頬を緩めたトールだが、川岸に打ちつける波の高さに鋭く視線を向ける。
ユーリルも何かを感じ取ったのか、トールへ目配せしながら素早く頷いた。
同様に異変を察した双子が、顔を歪めながら小さく呟く。
「……おそらく、リシが暴れ河馬あたりを差し向けたのだろう」
「……愚かな真似を。そこまで追い詰められていたのか」
悲しみをたたえた目で、タパとタリは言葉を続ける。
「……さっさと幼い子を連れて逃げてくれ」
「……この落とし前は、我々が命を賭してでもつける」
「そうもいかんだろ。これはもうお前ら二人だけじゃなく、俺たちの問題だ。それに橋を見捨てて逃げたら、後味もちょいと悪そうだしな」
「もう水くさいですよ、タパさん、タリさん。困ったときはエンリョしないでください。助け合うのはとうぜんですよー」
「ムーもちょっとくらいなら、てつだってもいいぞ!」
「そうですよ。僕も頑張りますから、まずは橋を守ることを優先しましょう」
トールたちの言葉に、細い目を見開いた双子は静かに頭を垂れた。
意見が一致したところで、トールは切り札である女性に言葉をかける。
「お願いできますか? ユーリルさん」
「ええ、なんとかなると思います。ソラさん、私の荷物、どこだったかしら? 細長い包みなんですが」
「えーと、あれ、どこだったかな? あ、これですか?」
「あ、それです。ありがとうございます」
受け取った包みを開くと中から出てきたのは、奇妙な黒っぽい材質の短い杖であった。
先端には灰色に透き通る角ばった大きな石がついている。
杖を手にしたユーリルは、平然とした足取りで小雨がちらつく河原へ進み出た。
すでに大きめの波がそこまで押し寄せ、地響きのような音も近づいてきている。
心底焦った顔になった三人組は、まだ河原の中央で手を振り回していた。
本人たちも何をどうすればいいのか、判断がつかないのだろう
それを見て今度はユーリルが、少し困った顔になる。
「すみません、今からそこに魔技を使いますので、場所を空けていただけませんか?」
しかし慌てている三人組の耳には届かないようだ。
大きな声で言い争いをしながら、たまに互いの顔を殴り合っている。
「すみませーん。そこー、あぶないですよー」
聞こえていないことに気づいたユーリルは、身振りを混ぜて合図を始めた。
呼びかけながら、手にした杖を大きく土手に向けて何度も振る。
とたんに三男の顔が、ぐるっとトールたちの方向へ動いた。
その目は左右に弾みながら揺れる銀髪の美女の体を、食い入るように見つめている。
不審な弟の様子に気づいた兄たちも、顔をこちらへ向けて同じように動きを止めてしまう。
この状況でまじまじとユーリルを見つめ続ける三人の姿に、トールは呆れたように呟いた。
「ユーリルさん、あいつらはもう、巻き込んでもいいと思いますよ」
「そうはいきません。土手の方へ逃げてくださーい」
「土手ですよ、土手ー。あっちですよー」
ソラも一緒になって腕を振り回すが、それが余計に足を止める要因になってしまったようだ。
鼻の下を伸ばす三人組の様子に小さく息を吐いたタパが、軽めに矢をつがえる。
足元の地面に刺さった矢に、ロロルフたちはようやく正気を取り戻したようだ。
続いて飛んでくる矢を懸命に避けながら、土手を一目散に駆け上がる。
やっと無人に戻った河原の様子にユーリルは安心したように頷き、前を向いたままトールへ話しかける。
「モンスターたちを川から出して、河原で動きを止めます。ただこの杖を使いますと、効果は大きいのですが魔力の消耗も激しいので……」
「でしたら、すぐに<復元>しますよ」
「いえ、モンスターが五体でしたら、どのみち使用可能回数を使いきってしまいます。止めを刺すために温存しておいて下さいな」
「わかりました。無理はなさらないでください」
「ええ、存分に楽しませていただきますね」
後ろ姿からは確認できないが、トールには最後の言葉を発したユーリルの美しい顔に、氷のような笑みが浮かんでいるように思えた。
持ち上げた杖で河原を指し示しながら、美女は朗々と祈句を唱え始めた。
「仇と咲き乱れよ――<霜華陣>」
雪の結晶のような紋様が一瞬だけ地面に浮かび上がるが、すぐに溶け去って消える。
それを続けざまに五回繰り返したユーリルは、かすかに肩を揺らしたがなんでもないように元の真っ直ぐな姿勢に戻る。
時間いっぱいであったのか、すでに溢れ出した赤い水は川岸を乗り越え河原をまたたく間に覆い始めていた。
巨大な何かが近づいてくる気配を、大きく波打つ水面がハッキリと示している。
激しく水を揺らす音が最大級に高まり――。
曲がり角の向こう側から、怪物どもが姿を現した。
狂乱を目に宿したモンスターどもは、太い牙が突き出た口を最大限に開き、川底を猛烈に巻き上げながら咆哮を放った。
その圧倒的な威圧感を前に、細身の女性は落ち着き払って身動ぎひとつしない。
ビリビリと空気が震える中、長い耳先をわずかに揺らしたユーリルは、再び優雅に杖を持ち上げた。
「冴え凍れ――<冴凍霧>」
祈りの言葉に一呼吸遅れて、川面を走る暴れ河馬たちの周囲に真っ白な霧が生まれでた。
空気さえもが一瞬で凍りつくその冷気の渦に、赤い波頭がたちまち動きを止める。
同時にモンスターの皮膚を覆っていた赤い粘膜が水分を失い白く変わっていく。
不意に仕掛けられた攻撃に、暴れ河馬たちは怒りの叫びを上げた。
そして極寒の霧から逃れるために、脇腹のヒレを開き水面を力いっぱい叩いて羽ばたいた。
「あらまあ、飛べるのね」
軽々と宙を舞う巨体に、少しだけ驚いた声を上げるユーリル。
だがそこにはあっさりと必殺の魔技から逃れでたモンスターの姿に、焦るような響きは全く含まれていない。
次々と河原へ地響きを立てて降り立つモンスターども。
その巨体がいっせいに押し寄せれば、ユーリルの細い体など一瞬で踏み潰されて終わる。
だがそうはならなかった。
河馬たちが踏み出した瞬間、足元の地面から一気に白い氷柱が噴き出した。
それはモンスターの体を凍りつかせながら、その体表に沿って瞬時に全身を包み込む。
凍りつくモンスターを花芯にして咲き誇る巨大な氷の華たちを前に、誰もが唖然としたまま声を失った。




