暗闇の初日
ほの暗い闇の中を、トールは灯りも持たず黙々と進んでいく。
周囲すべては薄ぼんやりとした影に覆われ、輪郭も定かではない。
足元は辛うじて平坦であるが、突起がそこかしこにあり、うかつに踏めば足が取られることは確実だ。
しかしトールの足取りは、少しも揺るがない。
平然と障害物を避けながら、暗闇の奥へ一定の速度を保ったまま歩き続けている。
不意に音もなく、こぶし大の石が飛んできた。
わずかに眉を動かしたトールは、あえてそのまま直進する。
トールにぶつかる寸前、石は鈍い音を立てながら方向を転じた。
その音を当たったものと勘違いしたのか、耳障りな笑い声らしき響きが闇の底からこだまする。
そして再び暗がりの彼方から、トールめがけて新たな石が投じられる。
今度は動いた。
踏み込みながら剣で、側面をこそげるように叩いて軌道を変える。
高速でかすめた刃と石の間に、小さな火花が生じた。
それがすぐ間際で剣を持ち上げる緑色の肌のモンスターの姿を、一瞬だけ不気味に浮かび上がらせる。
だがトールは焦りをみじんも見せず、待ち構えていたかのように前に出た。
振り下ろされる刃を弾き飛ばし、返す剣先を空いた首元へ差し込む。
喉を貫かれたホブゴブリンは、くぐもった悲鳴を上げながら体を痙攣させた。
またも飛んできた石へ、トールはモンスターの死骸を蹴り飛ばして盾にする。
身代わりとなって崩れ落ちるモンスターの横をすり抜け、一気に距離を詰める。
間近に迫るトールに対し、潜んでいたホブゴブリンは投擲攻撃を諦めたようだ。
握りしめた石で殴りかかってくる。
先ほどとほぼ同じ動作で、腕を弾くと同時にトールの剣がその喉を狙う。
しかしホブゴブリンはわずかに身をよじり、ギリギリでトールの剣尖を躱した。
滑らかにトールの腰が捻られ、その動きが背骨を伝って腕を動かす。
剣を握りしめた手首に強い力が生じ、一瞬で突きから横薙ぎに軌道を変えた刃がモンスターの首を鮮やかに斬り飛ばした。
宙を飛んだ頭部は、地面に落ちて勢いよく転がっていく。
一拍遅れて残された胴体から噴き出した血を、トールは後ずさりして避けながら周囲の気配を探った。
動くものがないことを確認して、剣を<復元>しながら鞘に収める。
そして背後の暗闇に声をかけた。
「終わったぞ。明かりを頼む」
そのとたん、カチリと音が響きふんわりとした光が灯る。
同時に二つの影が、闇の中に浮かび上がった。
一人は真っ白なローブを着て、白く輝く胸当てをつけた女性だ。
片手に杖、もう片方の手に淡い輝きを発する小さな魔石灯をぶら下げている。
もう一人は、大きめの赤いケープをまとった子どもだった。
金髪の巻き毛を揺らしながら、紫色の瞳を輝かせて走り寄ってくる。
「おつかれさまー、トールちゃん」
「む、トーちゃん、つかれたのか? よし、ムーがなおしてやるぞ!」
近づいてきた子どもは、こぶしを握りながらトールの腰をポカッと叩く。
よく分からないが、どうもムーなりの疲れの癒やし方であるらしい。
無邪気な子どもの様子に笑みを浮かべながら、ソラは杖に魔石灯を引っ掛けて壁に立てかけると腰帯の鞘からナイフを抜いた。
躊躇なく倒れているホブゴブリンの耳を切り取り、魔石がないか顎の下を探る。
ゴツゴツした透き通った石を引っ張り出した少女は、緑の血を拭って嬉しそうに小袋にしまった。
もう一匹も同様の処理をしようとして、胴体しかないことに気づく。
「あれ、こっち首がないよ」
「そこら辺に落ちてないか?」
「どこかなー」
ソラが魔石灯を掲げたせいで、周囲の様子が控えめな光に映し出された。
トールたちの四方を囲っていたのは、土の壁であった。
ところどころに変色した石が混じる壁は、いびつに歪みながら通路を形成している。
土で覆われた天井はそれなりに高く、トールが剣を振りかぶってもまだ余裕がある。
通路の横幅も、大人二人が並んで歩けるほどに広い。
この場所の名は小鬼の洞窟。
現在、トールたちが攻略中のダンジョンである。
通路の壁の下にホブゴブリンの首を見つけたソラは、嬉しそうに拾い上げた。
手早く処理を終わらせると、頭を地面にそっと置いて戻ってくる。
杖を少女に手渡したトールは、魔石灯を持ち上げて辺りを照らす。
「じゃあ、戻るとするか。外の連中、待ちくたびれてるだろうしな」
「はーい。あ、わたしが灯りもつよ?」
「ムーがもってやってもいいぞ!」
トールの背中にちゃっかりおぶさったムーは、手渡された魔石具を誇らしげに振り回す。
一層最後のホブゴブリンを始末したトールたちは、もと来た道を引き返し始めた。
この洞窟はあまり入り組んだ構造をしておらず、深度も三層までしかない。
しかも三層にあるのは、迷宮の主の部屋だけである。
また現れるモンスターも一種類だけで、さほど難易度が高い地下迷宮ではないと言える。
ただしゴブリンの近縁種にあたるホブゴブリンは、体格や知能が増すだけでなく、各個体が役割を持つようになる。
つまり人と同じように職能を持ち出すのだ。
錆びた剣を振り回し、前へ出てくるホブゴブリンファイター。
後方に隠れ、石を投げつけてくるホブゴブリンシューター。
同じく後方に控え、闇技を使うホブゴブリンシャーマン。
そして彼らを束ねるホブゴブリンチーフと。
中でも特に厄介なのは、遠隔攻撃の手段を得たシューターとシャーマンだ。
洞窟内は当たり前だが光源がない。
せいぜい出入り口から、わずかに入ってくる太陽の光くらいである。
そして闇を司る女神の申し子である亜人たちは、当然ながら夜目が利く。
なので松明などを持って歩いていると、かなり遠方から気づかれて攻撃を仕掛けられる羽目になるのだ。
離れた場所から灯りめがけて飛んでくる石は、盾などで防ぐしかないのだが、そのせいで盾士の負担はかなり大きくなる。
しかも嫌らしいことに、たまに足元スレスレを狙ってきたりと変化をつけてくるのだ。
トールとしては剣ですべて弾き落としてもいいのだが、かなりの質量を持ち、しかも高速で飛来する物体だ。
刃が曲がったり欠けたりする恐れがそれなりに出てきてしまう。
特にトールの鉄剣は切れ味を追求したため、かなりの薄さまで研ぎ上げられているせいで余計にである。
そこでトールが考えたのは、灯りを持たず条件を同じにすることで、気づかれずに接近できる距離をもっと縮めようという作戦であった。
「トーちゃん、ムーのお目々やくにたったか?」
「ああ、ムーのおかげで大助かりだったぞ」
「そっかそっか。トーちゃんはムーがついてないとだめかー」
調子に乗り出したので、子どもの頬を軽く引っ張っておく。
ムーはほとんど表情を動かさずに、クスクスと笑い声を上げた。
紫眼族は瞳孔が縦になった獣のような眼を持つ。
この特殊な目は、わずかな光を拡大し薄暗い場所でもハッキリと見通すことができるのだ。
あとはその視界を<感覚共有>すればいい。
もっともムーの立っている位置のせいで、トールは自分の背中を見ながら体を動かすという奇妙な体験を味わうことになったが。
しばらく歩くと、まばゆい光がゆるい傾斜のついた通路の先に見えてくる。
地上への脱出口である。
当然であるが、階段などはない。
トールたちが洞窟の外に出ると、車座になってくつろいでいた男たちがいっせいに振り向いた。
みな土を掘る道具を抱え、たくましい体つきをしている。
その内の一人が立ち上がると、困惑した顔つきで近づいてきた。
「おいおい、もう休憩か。大丈夫なのか、あんたら?」
「いや、終わったぞ」
「へっ?」
「だから、もう入っていいぞ。一層の掃除は終わった」
「ほんとうか? まだ一時間も経ってねーぞ!」
返事が面倒になったトールが頷いてみせると、男は目を丸くしながらソラとムーへ何度も視線を向ける。
「ほ、ほんとうに大丈夫なんだな?」
「ああ、モンスターは一匹も残っちゃいないから安心してくれ」
トールの言葉をようやく信じたのか、男は慌てて引き返すと、まだ座ったままの部下たちを怒鳴りつける。
「おい、お前らケツ上げろ! いつまでもだらけてんじゃねえ。仕事の時間だ!」
松明を手にした鉱夫どもが、ゾロゾロと洞窟に入っていくのを見届けたトールは、溜めていた息を静かに漏らした。
ユーリルがこの場にいてくれれば、もっとすんなり信じてもらえたかもしれない。
己の不手際を思い出したトールは、顎の下をゆっくりと掻いた。
ユーリルを欠いた三人でこのダンジョンに挑む事態を招いたのは、完全にトールの失策であった。




