宴
「すごい! 分厚すぎるよ、トールちゃん」
「きょうはおにく祭りなのか? トーちゃん」
鉄板の上でジュウジュウと音を立てる鎧猪の厚切り肉を前にして、ソラとムーが大きく声を弾ませた。
添えられたバターに負けないくらい、とろけきった表情を浮かべている。
料理は他にも肋骨の部分を、白雛豆や丸芋、玉ねぎと一緒に煮込んだごった煮。
それと臭みの強い部分を叩いてミンチにして、串に巻きつけて焼いた品もある。
さらに薄切りしたキノコのスープや、少し上等な柔らかめのパンまで並んでいた。
「まだまだありますから、たんと召し上がってくださいね」
にこやかに微笑む美女に促されて、トールはナイフとフォークを持ち上げた。
肉は指を四本重ねたほどの厚みがあるくせに、ほとんど抵抗もなく柔らかく切れる。
口に含んで噛みしめる。
まずは脂の濃厚な味が、いっきに口の中に広がった。
そこに旨味をたっぷり含んだ肉汁が流れ込んでくる。
もう美味いとしか言いようがない。
肉をほおばり、合間に冷えた黒麦酒を喉に流し込む。
一枚目のステーキをあっという間に片付けたトールは、次に串焼きに手を伸ばした。
歯ごたえは柔らかいが、香草やにんにくが練り込んであるせいで臭みもなく肉の旨味がよく味わえる。
さらに隠し味の赤辛子がピリッとくる。
これも黒麦酒にぴったりだ。
煮込みにも手を伸ばす。
味付けは塩のみだが、汁に野菜の滋味と骨の旨味が溶け出してたまらない一品だ。
ホロッと剥がれる肋骨の肉も、味が染み込んで美味い。
残った汁をパンに吸わせて、最後の一滴まで味わう。
そうしてると二枚目の湯気を上げるステーキが出てきた。
たっぷりあるという大家の言葉にウソはないようだ。
ふと横を見ると、ソラはすでに三枚目のステーキに取り掛かっていた。
ムーも負けじと、フォークを突き立てた肉にそのままかぶりついている。
足元のクロとシマも、猪肉に夢中で牙を突き立てていた。
その様子に少しだけ唇の端を持ち上げたトールは、目の前の肉へ挑みかかった。
「はー、食べすぎたよー。もう、一歩もうごけないよー」
「調子に乗って五枚も食うからだ」
満足しきった幸せそうな顔で呟くソラに、トールは呆れた声で答える。
ムーに至っては喋る余裕もないのか、横になってぽっこりとふくらんだお腹を苦しそうにさすっている。
二匹の猫だけは、余裕の表情で毛づくろいを始めていた。
「ふふ、お粗末さまでした」
「いえ、本当にごちそう様でした、大家さん」
今日の宴の準備をしてくれたユーリルに、トールは改めて頭を下げる。
白銀の髪を揺らしながら、年若い美女は嬉しそうにまたも微笑んでみせた。
あれこれと話を聞かれたり説明を繰り返したりで、トールたちがようやく落ち着けたのは、"大発生"から三日後であった。
今日は、そういった煩わしいことが一通り終わった記念の夕食である。
ちなみにこの猪肉は、トールが木に挟み込んで倒したのや、ソラとムーが協力して倒したものだ。
討伐部位の尻尾も無事に入手できたので、トールとソラの冒険者札も青色、青銅級へ変わっている。
そしてこの昇格により、トールの冒険者生活はさらに一年の猶予ができた。
トールの場合、さらにホブゴブリンチーフも倒してはいるが、冒険者ではないユーリルの手助けがあった点と、ダンジョンの制覇自体は成し遂げていないので赤鉄級への昇格は見送りとなった。
露骨には目立ちたくはないトールとしても、ありがたい取り計らいといったところである。
それにダンジョン制覇の際には、何らかの特性が技能樹に付与される。
その機会を逃すのも惜しい。
パーティ全体としては、ソラとムーが<感覚共有>で通じ合ったことで戦力がさらに増す結果となった。
モンスターの侵入を未然に防いだことも評価されて金貨二枚の報奨金も出たし、鎧猪の革も入手できたので新たな装備も注文済みである。
先へ進む準備は、着実に整いつつあった。
だがトールは、そこにさらに強力な一枚を加えたいと考えていた。
それは"大発生"で共闘したさいに、卓越した魔技を魅せてくれたユーリルである。
強化と索敵はムー。
防御兼反撃のソラ。
ここにモンスターの行動を阻害できるユーリルが上手く噛み合えば、パーティはよりいっそう強くなれるはずだ。
それに万が一のときも、経験豊富な後衛がいれば何かと安心できる。
「大家さん、少しお話を聞いていただけますか?」
「はい、なんでしょう?」
「よかったら俺たちと一緒に冒険してくれませんか?」
駆け引きなどない真っ直ぐな問いかけである。
こういった時のトールは、ひたすら愚直な男であった。
「お誘いはとても嬉しいのだけど、こんなお婆ちゃんじゃ足手まといですよ」
「……何か他に問題があるのですね」
ユーリルがいなければあの数のモンスターに対処できなかったことは、本人もよく分かっているはずだ。
足手まといどころか、むしろトールたちには勿体ない逸材だといえよう。
それに年寄りと口では語っているが、三日たった今もユーリルは若返った姿のままであった。
共闘のさいに若返ってしまったことは、すでにユーリルも承知の上だ。
もちろんとっくにトールの<復元>の使用可能回数は回復しており、元の老婆姿に戻すのは可能である。
だが美貌や健康な体を取り戻した女性から、またそれを取り上げるような残酷な仕打ちはトールの本意ではない。
一応、本人にも遠回しに確認してみたが、頬を薄く染めて目をそらしてしまったので、気に入っているのだと判断した。
はたから見れば申し分のない状態にもかかわらず、曖昧な言葉で断るのは相応の理由があるはずである。
本当に冒険を共にする気がないのであれば、ユーリルの性格からしてきちんと断ってくるに違いない。
黙りこくってしまった美女の手に、トールはそっと指を伸ばした。
「力になれるかもしれません。少し見せていただきますね」
ユーリルの全身の経歴を飛ばしながら確認してみたが、特に目立って障害となりそうな点は見当たらない。
ならばと、もう一つの部分へトールは視点を切り替える。
美女の頭部から伸びる技能樹は、斜めに傾いた灰色の幹から細い氷柱のような枝が下向きに何本も伸びていた。
だがトールの目を引きつけたのはその多彩な枝ぶりではなく、根元に近い場所に見える茶色く凝り固まったコブのような果実であった。
しかも幹にまで同様の汚れが、カビのように果実を中心に広がってしまっている。
<成長阻害>――保有者の修練点獲得、および魔力の成長を阻害する。
発動:自動/効果:大/範囲:自身
「これは……」
「トールさんは魂測器がなくても、特性がおわかりになるんですね。ええ、その呪われた実こそが、私が冒険者を辞めざるを得なくなった理由です」
ユーリルは端然と、トールたちに事情を話してくれた。
幼少時から才能に溢れ人一倍、魔力量も多かったユーリルは、かつて英傑候補と名高いパーティに所属していた。
氷系魔技は地味と言われやすい阻害系がメインであるが、有能な人間が使いどころを選べば恐ろしい効果を生み出す。
優秀な陰の支えを得たパーティは、飛竜を落とす勢いで活躍していった。
だがそれも、とあるダンジョンを攻略するまでの話である。
本来なら高らかに勝利を祝うはずのその日、ユーリルの人生は大きく変わってしまった。
通常であれば迷宮の主を倒し瘴穴を封じると、何らかの幹果特性が技能樹に与えられる。
しかし後に魔技士殺しと呼ばれるようになったその迷宮には、恐ろしい罠が仕掛けられていた。
魔力を持つ人間にだけ、マイナスの効果を持つ特性を授けるという呪いだ。
その結果がこれである。
モンスターを倒して得られる修練点は十分の一にまで減り、さらに通常であれば魔技を使用すれば増えていくはずの魔力量が逆に減少してしまう。
最大魔力で検索した時に、ユーリルがずいぶんと若返ってしまったのはおそらくこれが原因だったのだろう。
呪われた身となった彼女は、パーティから戦力外の通知をされ失意のまま冒険者を引退する。
そしてこの街で教職を得たユーリルは、冒険者を育て夢を託す側へ回ったというわけだ。
「……そうだったんですか」
辛い過去を打ち明けてくれたユーリルの手を、トールは強く握りしめた。
技能樹の枝であれば、いくらでも<復元>できる。
だが幹の部分から特性の果実を取り除くのは、時間的な<復元>が作用しないため不可能である。
己の無力さに言葉をなくすトールの横で、不意に少女が声を上げた。
「わたしも見せてもらっていいですか?」
「え、ええ。はい、どうぞ」
「じゃあ、ムーちゃんお願いね」
「ムーはいまおなかいっぱいで、うごけないのだが」
「もう。食べてすぐ横になってると、デブ猫になっちゃうよー」
理不尽な言いがかりをつけられた黒猫と縞猫が、抗議の鳴き声を上げた。
しばらく抗っていたムーだが、ソラにつむじをグリグリされて観念する。
トールの視覚を共有した瞬間、ユーリルまで驚きの声を上げた。
「あら、まあ。自分の樹を見られるなんて、なんだかとっても不思議な気分」
「ふふん、すごいでしょ、大家さん」
「それ、ムーのおかげだぞ!」
「はいはい、ちょっといそがしいから後でねー」
つむじグリグリでムーを黙らせた少女は、しばし無言でユーリルの技能樹を眺める。
そしていきなり魔力を高めて、魔技を発動させた。
「えい!」
何事かと一瞬、視線を向けたトールは、満足そうな笑みを浮かべるソラに促されてユーリルへ向き直る。
――樹の幹に実っていた果実の色が変わっていた。
真っ白な雪色と化した部分へ、トールの目が吸い寄せられる。
<成長促進>――保有者の修練点獲得、および魔力の成長を促進する。
発動:自動/効果:中/範囲:自身
「なっ」
「えっへん、やっちゃいました。どうですか、大家さん。えっ? あの?」
唖然とした美女の瞳から涙が溢れ出す様に、得意顔であった少女は焦った表情を浮かべる。
おろおろとしたままユーリルの肩に触れるソラを見ながら、トールは<反転>の説明に対象の攻撃・効果を反転させるとあったのを思い出していた。
「……なるほど。呪いを逆転させたのか」
「なんとなくできるんじゃないかなー、って思って」
あっけらかんと笑いながら、腕を伸ばしたソラはユーリルを優しく抱きとめた。
長年の呪縛から解き放たれた美女は、端正な顔を涙で汚しつつその抱擁を受け入れた。
同時にふれたままであったトールの手を、ユーリルは強く握り返してくる。
それは明確な、トールの依頼を受け入れる返答であった。
握りあう二人の手に、少女も手をかぶせてくる。
そこに起き上がったムーも、懸命に手を伸ばしてさわってきた。
四人の手が重なり合う光景が、トールの腹の底をゆっくりと熱くたぎらせていく。
これはただの新たな始まりでしかない。
四人が揃ったとはいえ、どう転ぶかはまだまだ分からないことだらけだ。
だがそれは、トールにとってとてつもなく愉快なことであり、期待に満ちた先行きであった。
想像の内に広がる荒野を前に、トールは無意識に顎の下を掻いていた。




