大家さんと猫たちの裏取引
こちらの時系列は一章最後辺りです。
「どうしたの? 甘えん坊さんね」
家に入るなりいきなり飛びついてきた縞猫に、ユーリルは相好を崩して笑みを浮かべた。
用心深い黒猫とは違い、縞模様のあるこの雄猫は何かとやんちゃで人懐っこい。
今もユーリルに抱きかかえられると、すぐに爪を伸ばして胸元にしがみついてくるほどだ。
「ふふ、ごはんならさっき上げたばかりでしょ」
そう言いながらしゃがみこんだユーリルは、おずおずと近づいてきた黒い雌猫に手を差し出す。
くんくんと指先の匂いを確かめた黒猫は、安心したように頭を擦り付けてきた。
小さく喉を鳴らす二匹の様子にさらに笑みを深めるユーリルだが、そこでようやく自分の体の変化に気づく。
「あら、これもトールさんのおかげかしら」
いつの間にか大きくせり出していた胸を見下ろして、灰耳族の女性は驚いて目を見張った。
先ほど下宿人であるトールを手助けをして、外壁を崩して侵入してきたホブゴブリンの群れを退けたばかりである。
その際、トールの持つ不思議なスキルによって、ユーリルの体調はかつてないほど整っていた。
魔力の枯渇による倦怠感は一切消え失せ、体の隅々まで力がみなぎっている。
ただ捻ると鈍痛が走っていた腰が軽くなったのは良いが、今度はスカートを押し上げるほどに張り詰めてしまいどうにも動きにくい。
大きく膨らんでしまった胸も同様である。
「もう、いたずらはいけませんよ」
喉を低く唸らせたまま柔らかな肉球で胸部を揉み出した縞猫に、ユーリルは困った口調で注意を促した。
反対側からも、黒猫が同様にもみほぐしてくる。
ゴロゴロ、もみもみ、ゴロゴロ、もみもみ。
こそばゆい感触に我慢しきれず、ユーリルは悪戯っ子な二匹を床へ下ろした。
そして名残惜しそうな猫たちを足元にまとわりつかせたまま自室へと向かう。
「たしか、この辺りに仕舞っておいたと思ったのだけど……。あ、これね」
ゴソゴソとクローゼットの中を探り出したユーリルは、お目当ての品を見つけ奥から引っ張り出す。
やや古びた箱に収まっていたのは、黒いレースの下着一式であった。
若かりし頃、布地屋の店主にとても似合いますよと強引に勧められて、つい頼んでしまった一品だ。
しかしながら出来上がった物は少々大人の魅力が溢れすぎた上に、披露する肝心の相手もいなかったため、そうそう出番もなく衣装棚の片隅に押し込まれてしまった品でもある。
当時の月給の半分ほどをつぎ込んでしまっただけに、処分する気にもなれず若き日の過ちのよすがとなっていたのだが……。
「うん、今の大きさなら、ちょうどいい感じね」
他に収まりそうな下着もないため、やむを得ない選択である。
そう自分に言い聞かせながら、ユーリルは手早く服を脱いで食い込んでいた地味な下着を外す。
質の良い品だけあって、レースの下着にはほつれもなく新品同然であった。
皺の消えた手足をおかしく感じつつも、身につけてみると思っていた以上にぴったりである。
「ね、どうかしら?」
「ニャァオ」
「ニャア」
「ふふ、ありがとう」
褒めてくれた二匹にお礼の言葉を述べながら、ユーリルはあまりの違和感の無さにとうとう疑問を抱く。
ちらりと扉の横にある大きな鏡に視線を移して――。
「……………………えっ!」
驚きの声を絞り出した。
この姿見を買ったのはユーリルが教職に就いた歳なので、かれこれ三、四十年ほど前だ。
子どもたちに教える仕事ということで、毎朝、身だしなみをこれで張り切って整えたものである。
そして今、鏡に映っていたのは、その当時と全く変わらない己の姿であった。
腰元まで届く銀の髪には艶が溢れ、肌はみずみずしく張り詰めている。
黒いレースの下着を盛り上げる双丘に、キュッと引き締まった胴回り。
さらに綺麗な丸みを描く下半身。
「どう……なっているの……?」
試しにその場でくるりと回ってみる。
鏡の中の女性も、一瞬の遅延もなく身を翻した。
その様子は目を凝らさずともはっきり見えるし、腰に痛みが走ることもない。
唖然としたまま鏡を見つめていると、足元から可愛く鳴き声が上がった。
「ニャオ!」
「ニャァオ!」
「あら、あらら?」
もう一度くるりと回ると、まとわりついてきた猫たちが楽しげに跳び上がる。
どうやら、長く伸びた髪の先が弧を描くのが気に入ったようだ。
「ふふ、なになに?」
じゃれついてくる二匹を躱しながら、ユーリルはその場でくるくると回る。
体だけでなく、心まで羽が生えたように軽い。
跳ね回る猫たちと美女は、時を忘れ夢中で踊り戯れる。
しばらくの後、体力が尽きたユーリルはその場に座り込んだ。
寄ってきた猫たちを抱き上げ、ギュッと抱きしめながら満足げに深々と息を吐く。
「ふぅ……ふぅ……。ふふ、ふふふふ。うふふふふふ」
湧き上がってくる様々な感情に口元を大きく緩めながら、ユーリルはふと顔を上げた。
眼前の鏡に映っていたのは、汗の粒をあちこちに浮かべた下着姿の女性だった。
その姿は大胆で、あまりにも扇情的すぎる有り様である。
思わず言葉を失ったユーリルだが、その脳裏に不意にこの奇跡をもたらしてくれた男性の表情がなぜか浮かび上がる。
真っ直ぐにこちらを見つめてくるその顔が、やや赤らんでいたことも。
次の瞬間、ユーリルの首筋もパッと赤い色を帯びた。
「あら? あらあら、あらまぁ」
「ニャオ?」
「ニャオン?」
「いえ、なんでも……ありますね。ねえ、どうしましょうか?」
「ニャオ」
「ニャー」
立ち上がったユーリルはもう一度大きく息を吐いてから、いつもの服装に着替え台所へ向かった。
それから口止め料として、とびっきりの肉を猫たちの餌皿に盛り付けてやる。
「えーと、先ほどの件は内緒でお願いしますね」
「ニャオニャオ!」
「ウニャオ!」
「さ、お夕飯は何にいたしましょうか」
トールとソラとムムの三人は、もうしばらくすれば元気に帰ってくるだろう。
お腹もたっぷり空かせているに違いない。
それぞれの姿を思い浮かべたユーリルは、満面の笑みで包丁を手にとった。
そして後日、トールにそれとなく体の調子を尋ねられたユーリルは、この時のことを思い出し頬を赤く染めてしまったのであった。




