冒険の終わり
耳元で逆巻く風に心乱されながら、ソラは前に座るトールの大きな背中に頬を預けていた。
肌に伝わってくるのは、ひんやりとした鎧鱗の感触だけ。
心臓の音までは聞こえない。
少女はトールの胸に回した両の手に、そっと力を込めた。
本当はもっと強く抱きしめたいのだが、懸命に我慢する。
黒い大穴は、もう間近に迫っていた。
飛翔する飛竜の腹に取り付けられた小舟の中。乗客はいつもの四人のみだ。
先ほどまで船縁にかぶりついていたムーとユーリルも、今は互いの心音を重ねるように抱き合っている。
静かにまぶたを閉じる二人は、眠っているようにも見えた。
飛竜が飛べる高度ギリギリであったが、翼下からは激しい戦いの音が遠く聞こえてきていた。
状況は、あまりかんばしくないようだ。
もっともそれは、分かりきっていた結果だった。
人を増やせば増やすほど、大量のモンスターが集まってくるのだ。
いかに個々の能力が高かろうと、数の面で押されれば人間側に勝ち目はない。
ならば、逆にそれを利用すればいい。
時間を掛け大々的に人を集めた遠征軍であったが、その真の狙いは"昏き大穴"へたどり着くことではない。
彼ら彼女らの本当の目的は、厄介なモンスターどもを大穴から引きずりだし足止めする囮であった。
その点については、指揮を務めるダダンらも了承済みである。
誰かがやらなければ、遅かれ早かれ全員が死ぬ。
そう分かっているから、文句は出なかった。
それに覚悟が出来ていない人間は、もとより参加していない。
<風隠>で飛竜ごと風に身を潜ませたトールたちは、過酷な戦場を一息に飛び越えた。
そして以前にも通り抜けた場所を、翠羽族の少女が操る飛竜は軽々と通過する。
眼前に広がる空洞は、どこまでも黒く禍々しい。
飛竜艇での単独潜入は見事に成功したが、これにも到達できる限界がある。
瘴気が濃すぎると、飛竜は上手く飛べなくなるのだ。
押し黙っていたトールが、不意に振り向いて手を差し伸べた。
「そろそろ降ります。ユーリルさん、ムーをこちらへ」
「はい。ムムさん、起きてくださいな」
「…………むにゃ……ごはんか?」
「出発前にたらふく食っただろ。ほれ、トーちゃんが抱っこしてやる」
「ん」
狭い船の中を器用に移動した子どもは、トールの胸に飛び込んで顔を埋める。
ソラやユーリルたちも、急いで船縁にしがみつく。
ムーの背中をしっかりと抱きかかえたトールは、頭上へ大声で合図した。
「よし、いいぞ! 始めてくれ」
「は~い」
間延びした返事とともに、大きく左右の翼が羽ばたき空気を打ち抜いた。
一瞬だけ体がフワリと持ち上がった後、突風が小舟の腹を強く叩く。
重力に身を任せた飛竜は、地面目掛けて一気に速度を上げた。
周囲を覆っていた風の擬態が吹き飛び、飛竜の鱗皮があらわになる。
まだ数体だけ大穴の近くに残っていた巨人どもが、いきなりの侵入者の登場に、いっせいにその両腕の触手を空へ向けた。
瘴気によって造られた黒影の巨人たちは、魔技の効果を吸収してしまう。
そのためソラの<反転>やユーリルの氷系魔技では、その動きを阻害することは不可能だ。
だが、自らを対象とするならば問題はない。
――<予知>。
静かに息を吐いたトールの目の前に、十三秒後までの未来が映し出される。
見定めるべきは、無数の触手を通り抜けるただ一点の空隙。
迫りくる黒い影の束を凝視しながら、トールは鋭く叫んだ。
「今だ!」
次の瞬間、飛竜と小舟を繋いでいた縄がまとめて解かれた。
そのまま飛竜は鼻先を上に向け、一気に上昇に転じる。
そして撃ち出された小舟は、風を切って待ち受けるモンスターどもへ突っ込んだ。
――<加速>。
掻き消えた小舟が、触手たちの狭間にいきなり現れる。
――<加速>、さらに<加速>。
空間を跳躍するかのごとく、落下する小舟はことごとくモンスターの手をすり抜ける。
そのまま一息に地面まで達し、大きな音を響かせながらバラバラに――<遡行>――砕け散らなかった。
落下による衝撃は全てなかったことにされ、トールたちは無事に地面へ降り立つ。
小舟から出てきた四つの人影を確認した飛竜は、力強い咆哮を上げると急旋回した。
去りゆくその背に、トールの腕の中からムーが大きく手を振った。
「またなー、りゅうすけ!」
そしてすぐに眉の間に可愛くしわを作りながら、トールに訴える。
「トーちゃん、……きもちわるい。はきそう」
「だから、あんまり食いすぎるなって言っただろ」
派手な降下と着陸も吐き気の原因の一つだろうが、もっと明らかな要因がこの場所には存在していた。
地面の上に立っているのは、伝わってくる固い感触からして間違いない。
しかし、肝心の大地を見ることは叶わない。
膝の高さまで達する濃い靄に、この地の何もかもが真っ黒に塗り潰されてしまっていた。
視界の果てを超えて広がる黒一面。
それが間近で見た"昏き大穴"の正体だった。
気が遠くなるような無限の広がりに、田舎育ちの少女は見たこともない海を想像する。
ただしこちらを満たしているのは塩水ではなく、目に映るほどの濃さとなった瘴気――黒い靄だ。
状態異常を防ぐ宝玉を身に着けていなければ、今ごろ全員が呑み込まれ跡形もなく消え去っていただろう。
その宝玉の守りも、いつまで保つか保証はない。
すでに乗ってきた小舟は、ほんの数秒の間に黒い靄に沈み込み原型を失っていた。
トールたちを仕留め損ねた黒影の巨人どもが、ゆっくりとこちらへ向き直った。
まともに戦うには厳しい相手であり、また逃げられるような場所もどこにも見当たらない。
顎の下を掻いたトールは、長い耳を揺らしながら興味深げに辺りを見回す女性へ視線を移す。
「ユーリルさん」
たった一言の呼びかけであったが、それには今までの思い全てが込められていた。
「はい、トールさん」
頷いたユーリルは、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔で右手を差し出してくる。
無言で手を握り合う二人。
ムーも手を伸ばし、ユーリルとトールの手に重ねる。
ソラも黙って三人の手に触れる。言葉はすでに昨夜、散々交わし終えていた。
伝わってくる温かさを、少女は心の奥底に強く刻みつける。
「それでは、またいつか」
手を離しながら別れの挨拶を口にしたユーリルは、その身に宿る力をあっさりと解き放った。
空に伸ばされた両手が、急激に膨れ上がり内側から袖を引き裂く。
中から現れたのは、真っ白な樹皮であった。
みるみる間に伸びた左右の腕は、大ぶりな枝となって広がる。
同時にその胴体にも、様々な変化が起きていた。
膨れ上がった腹部は幹となり、体を支えていた両の足は根に転じる。
美しい銀の髪が天を衝くように逆立ち、その合間から無数の枝が生じた。
首や胸も下腹部から広がる白い樹皮に包まれたかと思うと、急激に成長する樹幹へ呑み込まれていく。
そして最後に微笑んだままのユーリルの顔が、樹の内側へと消え去る。
後に残ったのは、トールたちに覆いかぶさるように枝を伸ばす真っ白な巨木であった。
黙り込んだまま見上げるトールたちの前で、不意に枝の一つに黄金色の葉が伸びる。
それはまたたく間に増えたかと思うと、全ての枝を美しく飾りながら眩しい輝きを放った。
黄金の梢に照らされた大地から、黒い靄が一瞬で消え失せていく。
黒い海にポッカリと生じた空白。
それは、さながら絶海の孤島であった。
豊かに生い茂る枝葉を見上げたムーは、トールの耳を引っ張って下ろしてくれとせがむ。
白樹に近づいた子どもは、ぺちぺちと幹を叩いてからぽつねんと呟いた。
「ユーばーちゃん、とうとう木になっちゃったかー。うん、きれーだな、ばーちゃんの木」
「そうだね。立派な木だねー」
幹に触れたまま、ソラとムーは小さく頷きあった。
それから子どもは服の下に隠しておいた虫かごを、ゴソゴソと取り出す。
一番下の枝に引っ掛けると、かごの蓋を開けて取り出したかぶと虫を幹にぺたりとくっつけた。
「くろすけたのむなー、ユーばあちゃん」
「……いつかまた、きっと会いましょうね、ユーリルさん」
黄金色の光に押され、黒影の巨人たちは一様に動きを止めている。
だが、そう長くは保たないだろう。
梢を見上げたトールは、深く頭を下げた。
手足を枝や根に変え人の姿を失ったユーリルだが、その慈しむように優しく揺れる黄金の葉に、はっきりと面影を見出すことができる。
思えばずっとこの優しさがあったからこそ、トールは冒険者を続けてこれたのだ。
これまでの二十五年で、一番心が折れそうになったのは、たった一人の理解者だったソラの祖父が亡くなった時だ。
誰にも分かってもらえず一人で続けていくには、冒険者という職業は少々過酷すぎる。
だが次第に切羽詰まっていくトールに、大家の老婦人は何かと気にかけて世話を焼き、いつも温かい食事を用意して帰りを待ってくれていた。
それにどれほど助けられたことだろう。
「あなたが支えてくれた日々は、本当にかけがえのない毎日でした。ありがとうございました、ユーリルさん」
そして支えてくれたのは、ユーリル一人だけではない。
トールは無窮の神鏡を取り出しながら、不思議そうに見上げてくるムーに手のひらを差し出した。
金の巻毛を揺らした子どもは、嬉しそうにその手に飛びついてくる。
そして手渡された神器を得意げに宙にかざした。
「…………始めるか」
この両面の鏡は裏側から見ると、<予知>を無制限に使うことで遠い未来を垣間見ることができる。
ならば、それを逆にしてみればどうだろうか。
表側をトールに向けた結果は予想通り、<時列知覚>と<因果把握>を通常の数倍の速さで使いこなすことができ、数百年単位での過去の事象の把握が可能であった。
分かりやすく言えば、大昔だろうと過去の改竄が容易になったということだ。
そして今からトールがやろうとしているのは、"昏き大穴"によって消え去った大地の<復元>である。
大穴自体には干渉できないが、大穴が生まれる前ならなんとかなるのではという考えだ。
もっともいくつか問題があって、一つ目はとてつもなく危険な大穴にある程度、接近しなければならない点。
そして二つ目は未来視と同様、過去視にも大量の魔力が必要という点だ。
それを解決してくれたのが、ユーリルの体内に埋め込まれた聖遺物、黄金樹の存在だった。
瘴気を封じるその効能により安全な場所を作り出し、人の身から解放されたことで一段と増した膨大な魔力を、ムーの特性で共有することでトールへ注ぎ込む。
ただし難しい条件を全て満たしてはいたが、その代償としてユーリルが犠牲になるのは確実である。
「どのみち長くは持ちませんから」
実行の決め手となったのは、大いに考え込むトールたちへ、きっぱりと言い切ってみせたユーリルの一言だった。
それに三つ目の問題点からすれば、トールたちも似たようなものだ。
過去を窺い知ることは、あらゆる要素が影響しあう不確実な未来よりかは安定している。
だが時を遡れば遡るほど、複雑な因果が鎖のように絡み合い、凄まじい情報の重みとなってのしかかってくるのだ。
それは人の身ごときで耐えられるような代物ではなく、トールとムーが無事に戻ってこられる保証はないに等しい。
その点については、トールたちも酷く苦悩した。
無垢な幼子にこの状況の理解を求め、その上で協力の是非を決めてもらうのは難しい。
けれどもトールが行くと決めたら、ムーは一も二もなく付いてこようとするだろう。
それはあまりにも、あまり過ぎるやり方だ。
だからといって、他に取れる手段はない。
「俺たちと出会っていなけりゃ、もっと違った生き方もあったかもな。そっちのほうが……。いや、これを聞くのはもっと卑怯だな。すまん、ムー。それにお前が居ないと、どのみち俺も……」
あの辛い日々を耐え抜く支えとなったのは、もう一人。
いや、正確にはもう二匹と一人が居てくれたからだ。
確かに無責任に野良猫に餌をやる行為は、正直褒められたものではない。
しかし役立たずと罵られたり、無視されたりする中、誰かの助けになること、必要とされることでトールの心は言葉にできないほど癒やされたのだ。
あの路地裏での一時は、トールにとってなくてはならない時間であった。
頭を撫でられたムーは、不思議そうに首を傾けながら言い返した。
「トーちゃん、げんきだせ! どこだっていつだってムーがついてるぞ!」
「お前はいつだって本当に頼もしいな」
「ふふーん。トーちゃんは、ムーがいてしあわせだなー」
「ああ、そうだな。……うん、やる前から諦めている場合じゃないか。ムー、一緒に頑張ってくれるか?」
「らい!」
「あとな、お前にトーちゃんと呼ばれるの、俺はけっこう好きだったぞ」
「そっかー、トーちゃん!」
前夜にそう会話した二人は今、遠い過去への旅路にともに挑もうとしている。
くるくると頭の上の光る輪っかを回しながら、ムーは無邪気にソラへ手を突き出した。
「ん、ソラねーちゃん」
少女がともに来てくれると、疑いもしないのだろう。
差し出された小さな手。
この半年以上で、数え切れないほど繋いだ手だ。
思わず握りかけて、寸前で留まる。
またも不思議そうに顔を斜めにしたムーは、じっと少女の顔を眺めた。
少しためらった後、ソラはゆっくりと溢れそうな想いを言葉にして紡ぐ。
「ムーちゃん、覚えてる? 初めて手をつないだ時のこと」
この柔らかな手を最初に握った瞬間を、ソラは決して忘れないだろう。
それはソラを逃がすために、ムーが外門で一人残ったあの大発生の時だ。
懸命に言葉を交わし、ようやく初めて"ムーの一緒"になれたあの日。
門越しに触れた小さな指の温かさは、ずっと心に刻まれている。
そして、その時に交わした約束も。
「ムーちゃん、ごめん……、ごめんね。約束守れなくて……、ずっと、ついていくって言ったけど、おねーちゃん、やらなくちゃいけないことができたの。だから……、いっしょにはいけないの。…………本当に……ごめんなさい」
少女の絞り出すような言葉を、ムーは何も言わず聞いていた。
ソラが話し終えた後も、その唇は固く結ばれたままだ。
顔を上げた少女と子どもは、目を合わせたままじっと動かない。
しばらくの沈黙の後、ついと大粒の涙が紫の瞳に盛り上がった。
ユーリルの時でさえ、かなり無理をしていたのだろう。
溢れ出した涙は、たちまち頬を伝って流れ出す。
ギュッと結んだ唇が小刻みに震え、噛み締めた歯の隙間から声が漏れる。
頬っぺたをベタベタに濡らしながらまだ泣き声を我慢するムーの姿に、耐えきれずソラは飛びついた。
子どもの小さな頭を、己の胸に掻き抱く。
「ごめん、ごめんね……」
それが合図となったように、子どもは大声で泣き出した。
ソラも負けじと嗚咽を上げる。
何度もしゃくり上げたムーは、少女の襟元をギュッと掴んで胸に顔を埋めた。
背中を優しく撫でられると、やっと落ち着いたのかささやくように尋ねてくる。
「ムーのこと、きらいになってない?」
「ううん。なるわけないよ、絶対に」
返事をしながら、ソラは子どもの頬に唇を押し当てる。
おでこや鼻の頭、そしてまぶたにまで。
最後につむじに口づけしながら、思いの丈を声に出す。
「ずっと大好きだよ、ムーちゃん」
「ムーもすき」
顔を離したソラは、ムーを真正面からしっかりと見つめた。
「ようじおわったら、またあえる?」
「うん。じゃあ、約束しよっか」
ソラが手のひらを向けると、ムーは露骨に疑いの眼差しを向けてきた。
つい今しがた破られたばかりなので、仕方がないといえば仕方がない。
「つ、次はちゃんと守ってみせるよ!」
「ほんと? ソラねーちゃんのしんようは、ちにおちたのに?」
「そこまで!?」
少女の驚きつつも落ち込んだ顔が面白かったのか、ムーはクスクスと笑い出した。
それからソラの手をバチンと叩く。
「またなー」
「うん、またね」
次はトールだ。
いつもと変わらぬ落ち着いた顔で、ソラに手を差し出してくる。
涙を拭い深呼吸してから、しっかりと握る。
目を合わせると、トールは頬をちょっとだけ緩めて唇の端を持ち上げてみせた。
ソラの一番好きな笑い方だ。
「元気でな、ソラ」
とてつもなく優しい響き。
心が最大限に揺れるのを堪らえようとして、ソラは指に力を込める。
そして気付いた。
トールの手は、ほんのわずかだが震えていた。
驚いて顔を上げる。
こちらを見つめる眼差しは、いつも通りで変わりない。
でも幼い頃から傍らで見てきたソラだからこそ、気付ける違いがある。
「トールちゃん……」
子どもの頃から、トールは人一倍意地っ張りだった。そして頑張り屋でもあった。
だから、いつも無理して笑ってみせる。
今のトールの表情は、ソラがクローゼットの中で再会した時とよく似ていた。
二十年以上にもわたる辛い生活が、やっと報われたあの日。
ソラの手を取ったトールのいたわるような眼差しの奥には、独りに耐えてきた寂しさがちびっとだけにじみ出ていた。
だからこそソラは、その少年の時となんら変わっていない意地の張り方に、トールがトールだと気づけたのだ。
そしてそれを見た時に、ソラが言う言葉も変わっていない。
「うん、お姉ちゃんにまかせて! トールちゃん」
呆気にとられた顔になるトール。
小さく頭を振った後、手を握る力を少しだけ強めてみせる。
「ああ、任せたぞ」
もう、腕は震えていなかった。
微笑んだソラはギュッと拳を握って、強くトールの胸元に押し当てた。
宝玉同士がぶつかり澄んだ音を立てる。
それからムーを最後に抱きしめて、少女は無言で二人から距離を取った。
離れていくソラの姿に、トールはもう一度、最後に感謝の言葉を口にする。
トールの人生は、この少女を救うために費やされたといっても過言ではない。
だが、十分に価値のある生き方だったと、トールはそう自負している。
だからこそソラには、もっと生きていてほしい。
そう願ってトールは、少女の同行を断ったのだ。
「お前が生きている世界があると信じられるから、俺は勇気が出せる。ありがとう、ソラ」
息を吸ったトールとムーは、真剣な顔で鏡を挟んで向き合った。
黄金の葉から木漏れ日のように溢れ出した魔力が、二人の体を優しく包み込む。
黙ったままじっと見つめ合う二人の体が、急にぶれたように二重写しになった。
次第にぶれが大きくなり、幾重にも輪郭が重なったかと思うと、それらもじょじょに透き通っていく。
折れそうなほど力を込めて杖を握りながら、ソラは直ぐ側でトールたちを見守る。
やがて、あっけなく二人の姿は消え去った。
最初からそこに、誰も居なかったように。
それでもソラは動かない。
さっきまでトールたちが居た場所を、ひたすら凝視しつづける。
数秒、いや数十秒。
もしかしたら数時間だったかもしれない。
どちらにせよ、少女にとって永遠に等しい時間だ。
唐突に周囲が開けた。
驚いて見渡したソラの視界には、いつの間にかどこまでも続く草原が広がっていた。
黒い靄は一片たりとも見当たらない。
真っ青な空の下、夏草たちがうららかな風に揺れている。
とてものどかで、言葉にする必要もないほどにありきたりな眺め。
とめどなく溢れてくる涙を拭おうともせず、力が抜けて座り込んでしまったソラは、その光景をただただ見つめ続けた。
それは知らない人たちが見れば、間違いなく奇跡と呼ぶ御業だろう。
でも少女は知っていた。
これは一人の人間がひたすら頑張り、長い間積み重ねた努力がもたらしたものだと。
トールたちはやり遂げたのだ。
ならば次は自分の番だ。
懸命に頑張ってみたところで、望んだ結果になる保証は一つもない。
それに、そもそもそこまでたどり着けるのかさえ怪しい。
いっしょに歩んでくれたトールたちは、もうどこにも居ないのだ。
不安は尽きない。
それでも、ソラは分かっていた。
ほんのわずかな可能性だったとしても、皆にまた会えるのだとしたら、決して自分は諦めないだろうと。
なぜならそれが今、自分にとって一番やりたいことであるからだ。
「うん、やっと分かったよ、トールちゃん。全部ひっくるめて楽しんでみせる。それがわたしの冒険者として生き方、心構えなんだ。だから、みんな待っててね。わたし絶対にやり遂げてみせるよ!」
土埃を払って立ち上がった少女は、一度も振り返ることなく歩き出す。
もう涙は流れておらず、その口元には不敵な笑みさえ浮かんでいた。
かくして、一つの冒険が終わりを迎える。
だがそれはまた、新たな冒険の始まりを告げていた。




