危険を冒す者たち その六
「リッカル、行ったぞ!」
「うわお!」
シサンの警告に、赤毛の少年は素早く跳び上がる。
飛んできた火の玉は、その足元にぶつかると火の粉を派手に撒き散らした。
躱しきれず鎧に付いた小さな火を、リッカルは地面に転げ回って消し去る。
厄介なことに、放っておくと延々と燃え続けるのだ。
ただその動きが派手だったせいか、さらに三個ほど燃え上がる塊が飛来する。
瞬時に起き上がった少年は、腰を落とし双剣を抜き放った。
最初の一つを身を伏せてやり過ごし、後の二つを鮮やかに斬り落としてみせる。
そして火の粉を払うために、またも地面をゴロゴロと転がった。
「くそっ、猿ヤローめ!」
「よし、いい囮だったぞ、リッカル」
そう言いながら笑うヒンクが引きずっているのは、ぐったりと動かない冒険者だ。
火の玉の射程の外まで連れ出すと、アレシアが急いで駆けつけた。
「聞こえていますか? どこか痛みは?」
「……あ、ああ、い、息が……」
「分かりました。今、治しますから気を楽にしてください。エックリアちゃん、足の怪我お願い」
「はい!」
呼ばれた紅尾族の少女は、すぐにナイフで血に染まる革靴の留め紐を切り開いて脱がし、大きくえぐれた傷に血止め回復薬をぶっかける。
それを横目で見ながら、アレシアは杖を差し出して祈句を唱えた。
「生命の樹の御主よ。悶え苦しむ子らに、一滴の雫をお与えください――<水清>」
体内を清浄にする魔技で、毒に侵されていた肺の機能が回復した冒険者は大きく安堵の息を吐いた。
「大丈夫ですか? 他に痛みや動かないところはありませんか?」
「いや、平気だ。ふう、助かったよ、お嬢ちゃん」
傷の程度に目を走らせたアレシアは、素早く冒険者の二の腕に青色の布を巻き付ける。
呼吸を阻害する毒は消したが、負傷は急場しのぎの手当のみで、かつ緊急性は薄いという印だ。
「今のは応急処置ですので、後ろでちゃんとした治療を受けてください。彼女が付き添いますね」
「分かった。ありがとう」
頷いて立ち上がった冒険者は、エックリアに肩を貸してもらい足を引きずりながら前線を後にした。
そこへ盾を掲げたシサンに守られて、新たな負傷者が到着する。
汗を拭った蒼鱗族の少女は、息つく暇もなく次の患者の診察を始めた。
すでに太陽は、中天に差し掛かろうとしている。
陸鮫の大群と伝説級の大亀を打ち倒した遠征軍は、第三波である魔樹の群れと戦闘を継続していた。
魔樹とはその名が示すとおり、樹とそっくりの形をしたモンスターである。
ただ普通の木とは違い、触手状の根を動かして自在に地上を歩き回ることが可能だ。
河向こうから森が迫ってきたように見えたのも、そのせいである。
この触手の根っこが面倒で、地中に潜らせて近づく者を鋭い尖端で刺し貫いたりしてくる。
さらに幹の中央には人を模した顔があり、呼吸系統に異常をきたす毒の息を吹き付けてきたりもする。
そのうえ、葉が生い茂る枝には四本腕の猿が潜み、赤く燃え上がる実を投げ付けてくるおまけ付きだ。
先ほどから飛んでくる火の玉は、うっとうしい猿どもの仕業だった。
この魔樹はやはり魔族の一種らしく、熱や燃焼に強いため主力である炎系魔技が通用しない。
そのため現状では有効な氷系魔技でなんとか足止めして、一本ずつ削り倒していくやり方しかないというわけだ。
そしてこの消耗戦を支えるため、シサンたちは懸命に負傷者の救助に勤しんでいた。
「で、今どーなってんだ? ヒンク」
「分かんねえ。でも、数はちょっと減ってきてんじゃね?」
「ほんとかー? なあ、オレたちぜんぜん進めてなくね? 大穴にいつになったらつくんだよー」
リッカルの言葉通り、地竜の山脈を抜けて半日。
冒険者たちの遠征軍は、その麓からほとんど前進していなかった。
「たしかにこのままじゃ、泥沼歩いているようなもんだな」
「うへぇ。もう、ドロはカンベンだぜ!」
現在、Cランクとなった若手組の狩場である常闇の渓谷は、血溜まりの湖の奥の湿地帯を小舟で抜けなければならない。
そこは泥に何度も櫂が取られてしまう、なかなかの難所でもあった。
もっとも毎回、愚痴めいた文句を言いつつも、リッカルやヒンクは小舟が止まれば率先して泥沼に入って押してくれていた。
今も気の抜けた会話をしている二人だが、その視線は魔樹と戦闘中の先輩冒険者から片時も離れていない。
わずか足りともその動きを見落とすまいと、きちんと目を凝らしているようだ。
半年前には予想もつかなかった仲間の変わりぶりに、その成長をもたらしてくれた人物を脳裏に描きながらシサンも会話に加わる。
「でも確実に一歩一歩、前には進んでる。そうだろ?」
これは会心の台詞だと顎の下を掻いてみせたシサンだが、信頼する二人の反応もまた予想を裏切るものであった。
ちらりと目を合わせた少年たちは、呆れたように深々と息を吐く。
その態度はまたかといった気持ちを、最大限に物語っていた。
「お前、まーたトールさんならこう言いそうとか思って喋ってるだろ」
「ホント、おっちゃんマニアだなー」
「うんうん、全然、言葉の重みが足りてないから、似合ってないって言ってるのにね」
「わ、私は好きですよ。トールさんの物真似。よ、よく似てるなぁって」
アレシアたちにまで手厳しい言葉を掛けられたシサンだが、その顔にめげる気配はみじんもない。
盾士は打たれ強いのだ。
ただし戦況は、若者たちの言葉ほど明るくはない。
二千人の遠征軍のうち、すでに三百人近くが力を使い果たしたか酷い負傷で戦線を離脱し、渓谷に急造された野営地で看護を受けている有り様だ。
戦死者も五十人を超えた。
元英傑級たちは健在だが、小康状態の現在は戦力を温存するため後方で待機中である。
そのため今の前線の戦闘は、氷使いたちを中心に五百人足らずで支えられていた。
しかもその数は、ジリジリと減りつつある。まさに薄氷を踏んでいるかのような状況だった。
前向きなシサンたちの声を背中で聞きながら、二人の灰耳族の女性も同様に戦況を案じていた。
「確かに、このままでは埒が明かないな。切れ失せよ――<寒失波>」
杖を掲げて魔樹たちに冷気を送り込んでいるのは、ダダンの境界街の探求神殿の長ミーラリリーラだ。
その年齢はシサンらの何倍もあろうはずだが、見た目は大きく変わらないように見える。
「ええ、ええ、向こうもきっと同じことを考えてるだろうね」
隣で答えたのは、手帳に羽筆を走らせる薬合師のオーリンドールだ。
魔技の行使はできないが、今回は記録を残すために随行していた。
興味深げに周囲を見回すその口調は、無機質な上司のとは違いどこか弾んでいる。
「魔族が我らと同じような思考を持つか……。君の調査報告書は詳しく読ませてもらった。魔族の知能に関しての認識を改めると、賢人会議でも決まったようだよ」
「うんうん、個々で観察した場合、明らかに生体欲求が強すぎて失敗作にしか見えないんだけどね。裏返ったとはいえ、神の造物はやはり侮れないよ」
「我らのような集合知とも、また違う型のようだな」
「似て非なるものだね。向こうは突出した個体が出てきて初めて成り立つようだし」
「それで、奴らならこの局面でどう動くと思う?」
「うーん、ボクならこの樹は囮にして奇襲を仕掛けるかな。なので、<電探>を欠かさないよう頼んでおいたけど、一向にそれらしいのは出てこないね」
オードルの言葉に視線を辺りに巡らせた神殿長だが、何気なく上空へ顔を向けた瞬間、その口元がほんの少しだけ強張る。
「まずいな。逃げろ」
次の瞬間、激しく突き飛ばされたオードルは、軽々と宙を飛んだ。
地面に落ちた後も何度か転がって、土埃にまみれながらようやく止まる。
「いくら体の調節が利かないからって、ちょっと馬鹿力すぎ……」
顔を上げたオードルだが、文句を言いかけて口を閉じる。
つい先ほどまで言葉を交わしていた相手は、粘液状の何かに全身を覆われてしまっていた。
半透明の液体に包まれたその体は、みるみる間に服や肉が溶け骨が剥き出しとなる。
露わになった頭骨の顎の部分が何度か上下したが、それさえも数秒とかからず消え去ってしまう。
後にはどろりと広がる水たまりだけが残った。
ミーラリリーラの最期をじっと見守ったオードルは、液体の出どころを求めて視線をあちこちへ向けた。
そして友人が最後に眺めた空を見上げ、即座に異変の正体を悟る。
はるか上空。
陽炎のような空気の屈折が、いつの間にかとてつもない広さに広がっていた。
「あれは……、もしかしてスライムかな。となれば、これは消化酵素を含む体液か。なるほど、あの高さなら<電探>にも引っかからないわけだ」
矢継ぎ早に漏らす独り言には好奇心こそ溢れているが、友人の死を悼む気持ちは欠片もこもっていない。
そのことに気づいたのか、オードルは羽筆を動かしていた手を一瞬だけ止めて呟く。
「おっと、忘れてた。黄金樹に無事回収されるよう、一応祈っておいてあげるよ。氷神の導きが、貴方にあらんことを。それにしても、これは少々まずくなってきたね」
空からのスライムの初撃は、完全に不意をついたものであった。
突出していた魔樹も巻き込まれて溶け失せたが、それ以上に味方の損害は酷く、特に足止めを引き受けていた灰耳族の同胞はほとんどの姿が見当たらない。
そして白衣をはためかせながら振り向いた薬合師の視界に映っていたのは、上空のスライムから滴る新たな体液の雫が、今まさに後方の味方の頭上に降りかかろうとする光景であった。
「生命の樹の御主よ。守りたまえ――<杯水之陣>!!」
今度こそ終わりかと思われたその時、轟くように祈句が響き渡る。
同時に半円型の巨大な膜が、冒険者たちの頭上に瞬時に広がった。
あらゆる物を溶かす体液は硬い膜に激しくぶつかったが、その表面を粘つきながら流れ落ちてしまう。
およそ直径数百歩はあろう円蓋に守られた冒険者たちは その様子を呆気にとられた顔で内側から眺めた。
「おお、村一つくらいまるごと入りそうじゃのう。さすがは大教主様といったとこじゃな」
「私を褒めそやしても、もう何も出ませんよ」
信じ難い魔力を放出し、あまつさえその状態を平然と維持してみせるのは、水冠の大巫女と呼ばれる施療神殿の大教主だ。
その傍らには護衛として、大きな両手斧を肩に担ぐダダンが付き添っていた。
「それにこのままだと、五分後には何もかもおしまいですよ」
大巫女の魔技が生み出した防御膜は、外部からの干渉を完全に遮断することができる。
だが、逆に内側からも手が出せない問題があった。
むろん内部から強引に割ることは可能だが、その場合はスライムに攻撃が到達する前に、おぞましい体液が雪崩を打って流れ込んでくるのは間違いない。
そして何も手を打てずに時間だけが経てば、どのみち膜は消え去ってしまう。
まさしく後がない状況ではあるが、ダダンは若返った見た目によく似合う豪快な笑い声を上げた。
「ふははは、心配は無用じゃて、大教主殿。こういう時のために、これまでひたすら我慢しとったんじゃ。やるぞ、伯父上!」
「うむ、待ちかねたぞ。ダダン!」
腕組みをして進み出たのは、黄金色の鎧を着込んだ若き神殿長であった。
甥と伯父だけあってそっくりな二人だが、並ぶと見事な威圧感が生じる。
「では、参るぞ。頼んだぞ、ココ!」
ザザムの力強い叫びに、義妹であるココララが静かに頷いた。
紫の瞳を輝かせる若き女性の背後には、雷精樹の加護に秀でた選りすぐりの神官たちがずらりと並ぶ。
その練り上げられた並々ならぬ魔力たちは、解放の時を今か今かと待ち受けているようだ。
「ならば、わしらもじゃ!」
ダダンの鋭い呼びかけに、周囲を取り囲む戦士どもが野太い雄叫びを返した。
こちらも溜め込んでいた闘気がすでに膨れ上がり、手にした武具に紫雷を生じさせている。
「行きますよ。勝利への心を今、一つに――<異心電侵>」
凛々しい声と同時に。ココララの体から紫色の棘が一時に伸びる。
それは周りに居た雷使いや戦士たちの体にまとわりつくと、たちどころに魔力や闘気を吸い上げる。
そしてココララは莫大な量となった二つの力を、愛する義兄と夫へ注ぎ込んだ。
「雷神よ、今こそ裁きの鉄槌を下す時!」
「過ちを犯したる者に、正しき天雷の導きを!」
大気が激しくうねり、直前まで晴れ渡っていた空がにわかに集まってきた黒雲に覆われた。
先駆けを示す小さな雷が、雲底を血管のように這い回る。
雷神の使徒たちの魔力と闘気があり得ないレベルまで高まり、五百人近い冒険者たちは押し黙ったまま身じろぎも忘れる。
そして地面から紫の電雷が天に向かって走り出した瞬間、腕を振り上げたザザムが怒声を放った。
息を合わせたように、両手斧を掲げたダダンの全身がまばゆい光を放つ。
「全てを却けろ!」
「全てをなぎ倒せ!」
こぶしと斧が振り下ろされた。
「――<全却万雷>!!」
「――<轟放雷落>!!」
無数の光が視界一面を踊った。
闘技によって呼び寄せられた雷が、魔技によって数え切れない紫電に分かれる。
それは荒ぶる天の怒りとなって、黒雲の真下に居たモンスターへ容赦なく降り注ぐ。
数万度を超す高熱があらゆる物を蒸発させ、膨張した空気が音速を超えた衝撃波を生み出した。
天蓋の上を駆け巡り荒れ狂う、紫の閃光、閃光、閃光。
頭上に鳴り響く、耳をつんざく大轟音。
内包した者を庇護する防御膜がなければ、口をあけて見上げる冒険者たちの眼球は焼き付き、鼓膜に大穴が穿たれていただろう。
観客らの視界の中で、巨大なスライムが白煙を噴き上げながら一片残らず燃え尽きていく。
誰も声を発しない。
魅入られたように天蓋の彼方の光景を、ただただ眺めている。
数秒の時を有して、唐突に裁きの時は終わりを告げた。
静寂を取り戻した防御膜に、不意にポツリと水滴が弾む。
続けざまに落ちてきたかと思うと、一気に数を増やす。
呼び寄せた暗雲により、にわか雨が生じたようだ。
小気味よく天蓋を叩く雫たちは、残ったスライムの粘液を綺麗に洗い流していく。
ギリギリの危機を乗り越えたことに、施療神殿を統べる蒼鱗族の女性は深く息を吐いた。
「…………お見事でした」
「ふぅ、窮地は脱したようですのう。と、言うても、まだここからじゃのう」
「ええ、皆さま、まもなく杯水之陣が切れますゆえ、心してください!」
天蓋が消え失せた先に待ち構えていたのは、まだ半数以上が健在である魔樹の群れであった。
氷の呪縛から解き放たれたモンスターどもは、無数の根の触手をうごめかして迫る。
しかも待ち構えていたのは、それだけではなかった。
魔樹の群れの上空。
そこにいつの間にか浮かんでいたのは、人の背丈の二倍はありそうな透明な頭蓋骨どもだった。
水晶のように透き通る側頭骨からコウモリのような翼が生えており、羽ばたかせながら宙を飛んでいる。
ガチガチと歯を鳴らした巨大な頭骨は、最前線となってしまった若手組目掛けて一気に舞い降りた。
「下がれ!」
とっさに円盾を掲げて前に出るシサン。
しかし、その質量の差は圧倒的だ。
それでも少年は退かない。守ると決めているからだ。
それに無謀でもない。似たようなトロールの打ち下ろしなら、もう何十回と受けさばいてきた。
凄まじい衝撃が盾を揺らす。
が、ぶつかる直前、シサンは踏み込みと同時に盾をかち上げていた。
少年の体は反動で後ろに飛ばされるが、生じた衝突の力は空へと巧みに逸らされる。
そして顎を強打された巨骨は、無様に仰向けとなった。
間髪いれずに一条の輝きが宙を疾走り、モンスターの体を突き抜ける。
錐槍に貫かれた巨大な頭蓋骨は、紫色の電流を全身に這わしながら黒い煙を噴いて地に落ちた。
ホッと息を吐く間もなく、今度はリッカルが叫ぶ。
「ヤベェ、次くるぞ!」
水晶骸骨のモンスターを一体仕留めたところで、攻撃の手が休むはずもない。
続いて襲ってきたのは、大猿どもの四本の手によって投じられた燃え立つ魔樹の実たちだ。
放物線を描きながら大量に落ちてくる火の玉を前に、ヒンクが体勢を崩していたシサンへ飛びつき、双剣を抜いたリッカルが二人の前に出る。
アレシアは杖を掲げ魔力をかき集め、エックリアは腰のポーチの火傷回復薬に手を伸ばした。
だが少年少女よりも、さらに速く動いていた人影があった。
動けないシサンらをかばうように立ちはだかった人物は、長盾を持ち上げ裂帛の気合を放つ。
「ていやぁ!」
――<岩杭陣>!
次の瞬間、眼前の地面が大きく盛り上がり、人の背を一気に追い抜いた。
急ごしらえの防壁は、降り注ぐ火の玉どもの行く手をことごとく阻む。
火の粉と土埃が派手に上がる中、どこか見覚えのある盾士の立ち姿に少年たちは思わず顔を見合わせた。
そこへ今度は聞き覚えのある声が響く。
「よう、お前ら、久しぶりだな。元気してたか?」
近寄りながら親しげに話しかけてきたのは、長髪の紫眼族の青年だった。
両手に握る投擲用の槍からして、先ほど空飛ぶ頭蓋骨を仕留めてくれたのはこの男性のようだ。
その人懐っこい笑みを思い出したリッカルが、心当たりを大声で叫ぶ。
「あっ、門番のおっさん!?」
「おいおい、誰がおっさんだ。お兄さんだろ。俺はまだ若えっての」
楽しげに答えてみせたのは、かつてダダンの境界街の外門で何度も挨拶を交わした人物だった。
意外な出会いに驚きつつも、シサンは急いで感謝を述べる。
「ありがとうございます。助かりました、カルルスさん」
「トールのおっさんにはでっけぇ借りがあるからな。守ってやってくれと頼まれたら断れねえよ。あと礼を言うなら、お前らを見つけたそっちのおっさんにも頼むぜ。いいところ見せられて良かったじゃねえか、リカン」
「はい! ありがとうございました、リカンさ……えっ?」
「リカンって、あの門番してた? マジ!?」
「ええええ、うそだろ! あのおっさんが……」
照れているのか横を向く盾士の顔には、門衛をしていた時の面影はわずかに残ってはいる。
しかしながら、その顔つきや体は驚くほど締まっており、鎧や盾も歴戦を重ねてきたかのごとく無数の傷に覆われていた。
古強者を思わせる佇まいは、もはや別人と言っても過言ではない。
もっともこの乱戦の最中、目ざとくシサンたちの居場所を見つけ出してみせたのは、長らくの門番勤めで人の特徴を覚える習性があったからこそとも言える。
「い、いったい何があったんだよ、おっさん!」
「色々あったんだよ、色々とな……」
遠い目をする相棒の言葉に無言で頷いた盾士は、前へ向き直ると長盾を構え腰を落とした。
そして今度は魔樹の突進を、真正面で豪快に受け止めてみせる。
すかさずカルルスの両腕がしなり、飛来した二本の槍がその幹に浮かぶ顔を刺し貫いた。
その様子にシサンたちは、戦闘が継続中であったのをようやく思い出す。
慌てて周囲を見回すが、悠長に会話していた間に戦況は一変していた。
気がつくと見慣れない多くの冒険者たちが、モンスターどもに立ち向かっていたのだ。
「おらぁああああ!」
「前、失礼しますね」
丁寧と豪快な掛け声とともに、盾を構えた大柄な男二人組が額の角で風を切りながら突進する。
巨体の体当たりに、襲いかかってきた魔樹どもの体が大きく傾いた。
「ガルウドさんにゴダンさん!」
シサンの呼びかけに、仲良く並んだ盾士の二人は振り向きながら不敵な笑みを浮かべる。
「ふう、見せ場にはなんとか間に合ったか」
「遅ればせながら、駆けつけました。皆さんもお変わりなく、ご無事なようで何よりです」
「……右の枝に二匹。幹の後ろも一匹」
「……それで隠れたつもりか。浅はかな」
「うわ、タパとタリのおっちゃん、いつからイたんだよ!」
知らぬ間に背後に立っていた見た目がそっくりな男たちの呟きに、リッカルが慌てた声を上げる。
周りを気にする素振りも見せずに、双子の兄は弓弦を軽やかに引いた。
空気を揺らす音が続けざまに響き、曲線を描いた矢が魔樹の枝の合間へ消える。
一瞬の間を置いて、急所を射抜かれた猿どもがボタボタと地面に落ちた。
「ふーん、瘴地の奥だと結構変わったのが出るのね」
「ベッティーナさん!」
最後に現れた革鎧姿の赤毛の乙女に、アレシアが嬉しそうに声を上げた。
「ふふ、お久しぶりね。我が身の松明より、解き放たれし火の粉よ。寄りて無辺の闇を穿て――<火条鞭>!」
ベッティーナが持ち上げた細剣の切っ先から、赤い炎の渦が真っ直ぐに噴き出す。
それは急降下してきた水晶骸骨の片翼を貫き、一瞬で焼き尽くしてしまう。
バランスを崩したモンスターは、無様に地面へ突っ込んだ。
鮮やかにモンスターどもを退けてみせたその姿に、ヒンクが戸惑ったように声を漏らす。
「ベッティーナさんまで……。火吹き山を攻略中だったんじゃ」
「ちゃんと済ましてきたわよ。せっかく英傑の資格も得たことだし、トール様――、トールにお披露目しようと思ったら居ないんだもの。ガッカリだわ」
各境界街の主力となる現役の金剛級などは、この遠征軍にはほぼ参加していない。
魔族たちが、なんらかの反撃を仕掛けてくる可能性を考慮したためだ。
だがボッサリアの境界街だけは、その条件を強引に変えてみせたようだ。
「盾二人で炎狂龍を仕留めるの、本当に大変だったのよ。この愚痴、ソラにぜひ聞いてもらいたかったのに!」
「おいおい、俺様を邪魔者扱いするなよ」
「わたくしは楽させていただきましたので大歓迎でしたよ、ガルウド様」
そこで違和感に気付いたのか、エックリアが首をかしげる。
「あれ、あ、あのサラリサさんはおられないんですね」
「あの子、お腹が大きくなっちゃってね。で、そのやらかした張本人様に、責任を取ってもらっているのよ」
「え、そうなんですか!」
「サラリサさん、おめでたなんですか!?」
若手組の少女たちには、なかなかに興味を引く話題であったようだ。
驚きつつも目を輝かせる二人に、ガルウドが誇らしげに胸を張る。
「俺はな、二人目の娘の顔を見るまでは決して倒れんぞって決めてんだ。……って、なんで離れるんだ、お前ら」
「……我らの国では、それは葬儀の旗に風を呼ぶと言われる物言いだ」
「……非常に不吉。距離を置くしかない」
マイペースないつものやり取りに、シサンは肩の力を少し抜いて頬を緩める。
それから真面目な顔に戻って、忠告の言葉を発した。
「先輩方が来てくれて本当に頼もしいです。ですが、あまり油断していると……」
「大丈夫。お父様たちが前に出たから、今はそう気を張らなくても平気よ。ずっと頑張り詰めでしょ。ちょっと体を休めなさい」
そう言いながらベッティーナは、わざとらしく肩をすくめて戦場の一点を指差す。
示された人物へ視線を移した若手組の五人は、今度こそ本当に言葉を失った。
赤い旋風。
それはまさしくそう呼ぶしかなかった。
そう大きくはない体躯が操るのは、二振りの美しい曲線を描く剣だ。
燃えたぎる刃が、紅の残像を生みながら宙をよぎる。
とたんに周囲のモンスターの体が斬り飛ばされ、おびただしい断片が空中に撒き散らされた。
それは体格差を考えれば、あまりにも目を疑う光景だ。
女性らしい人影は、円を描いて踊るかのようにモンスターの群れの中を突き進んでいく。
そして行く手にある何もかもが、ことごとく切り裂かれて地に落ちる。
――<暴灼舞刃>。
傍らに誰も居ないかのごとく、自在に舞い踊る剣。
踊り子が歩を進めるたびに、血まみれの道がその眼前に拓かれていく。
その常識外の様相は、争いを好む炎神の申し子が降臨したとしか言いようがないものであった。
そしてさらにもう一人。
赤い旋風に負けず劣らずの活躍を見せる剣士が居た。
こちらは、さしずめ黒い暴風であろうか。
足首から胸元まで届きそうな黒い刀身の大太刀。
それをこともなげに男は振るう。
とたんに断たれた魔樹たちの半身が宙に浮かぶ。
とんでもない膂力に、信じ難い切れ味が合わさった結果だ。
そして一見、無造作な剣さばきのようだが、その足運び、体重移動、目付け、全てが最善かつ最速の理にかなった動きでもあった。
前を行くアニエッラが、息切れの気配もなく平然と話しかけてくる。
「腕は落ちていないようですね。感心ですよ、サッコウ」
「この程度、お褒めいただくほどでもありませんがね」
「ふふふ、娘の前なので張り切っているのね」
「たまには良いところを見せませんとな。アニエッラ様こそ若返ったとは言え、そうそう無茶はされぬようお気をつけください」
もっともそれは余計な忠告であると、サッコウも重々承知していた。
アニエッラの持つ<血刃修羅>と呼ばれる根源特性は、対象に血を流させるか己が流血することで闘気が高まっていく。
そして剣姫の放つ双剣の上級闘技<暴灼舞刃>は、すでに完枝状態のため反動は生じない。
闘気が溜まる端から繰り出すことができ、それによってまた闘気が溜まっていく仕組みなのだ。
またたく間に魔樹たちを屠っていく舞姫だが、その眼差しが不意にすぼまった。
射抜くような鋭い視線が、はるか遠くの黒々とした大穴に据えられる。
「やっと引っ張り出せましたね」
「ええ、ここからが本番ですな」
平然と二人が会話を続ける中、大穴の縁にも変化が訪れる。
最初に現れたのは、真っ黒な頭部だ。
次いで肩と、そこから伸びる二本の腕。そして胴体と両脚。
その全てが色彩を失い、影だけが動いているかのようだ。
人の形をしたそれは、ゆっくりと地面に足を下ろした。
もっともその長い手の先は、幾重にも枝分かれする触手であった。
辛うじて顔と分かる部分も、下半分はうごめく触手の影に覆われている。
大穴の深淵から這い出てきた怪物は、大地を揺るがしながら歩を進める。
その背後から、新たな一体が現れる。次いでもう一体。
そして二人、いや息を殺す全ての冒険者たちの視界は、地平を黒く染め上げる黒影の巨人どもに埋め尽くされた。
数刻後。
「くそ、まだ倒れねぇのか!」
翠羽族の男は、空へ怒声を放った。
その視界の先にそびえるのは、巨大な人の形をした闇の塊だ。
もっともその腹部にはぽっかりと大穴が穿たれ、右腕も肩口から大きく裂けて今にも地面に落ちそうである。
それでも巨人は平然ともう片方の腕を持ち上げ、大地へ叩きつけた。
すかさず盾士が地面を隆起させるが、暗闇に包まれると同時に岩山は消滅する。
「下がれ!」
溢れ出した触手に立ち向かいながら、盾を持つ男は鋭く叫んだ。
が、次の瞬間、その姿も影に呑まれ掻き消える。
「見ろ、あいつ、仲間を喰ってやがるぞ!」
後方に退きながら、剣士の一人が大声で指差した。
そこに見えたのは、モンスターが地面に転がる同胞の巨人の死骸にしゃがみこみ、口元に生えた触手をうごめかす姿だった。
原型をなくし伏して動かない影の塊が、無数の触手を伝ってまたたく間に消え去る。
同時に眼前の巨人の腹と肩の傷が、即座に塞がっていく。
四つん這いのまま顔を上げた巨人は、頭部を不気味にもたげた。
口元の触手が持ち上がり、その奥に隠された真っ黒な空洞があらわになる。
新たな死骸に飛びついた巨人は、顔を突っ込み貪り出す。
一回り、また一回りと、闇を喰らい膨れ上がっていく巨体。
不意に巨人の背中を突き破って、数本の何かが飛び出してきた。
「……なんだよ、ありゃ」
それは八枚の翼であった。
そして瞬時に寄り集まりねじれたかと思うと、八枚の花弁を持つ花へと転じた。
巨人の背に咲く真っ黒な花。
異様な眺めに言葉さえ失う冒険者たちだが、さらなる異変に気づく。
花の真上。
そこに黒い闇の塊が、炎のように揺らぎ燃え盛りながら膨れ上がっていく。
「まずい! 誰か行けるか?」
「ああ!」
「まだ、やれるぞ!」
数人の返答に、翠羽族の男は弓を高々と構える。
太く長い朱色の矢をつがえながら、周囲に聞こえるように怒鳴った。
「放て!」
合図と同時にいっせいに弓弦が弾かれ、大量の矢が宙に舞う。
しかしながら数があるとはいえ、それは巨大な闇の塊に対しあまりにも心もとない反撃であった。
大きく息を吸った男は、太い右腕を渾身の力で引き絞る。
そして仲間を食い散らかしたモンスターへ、怒りに満ちた闘気を解き放った。
――<千矢一射>!
逆巻く風を引き連れて、男の矢が天頂を目指す。
たちまち他の矢たちが吸い寄せられるように、軌道を変え男の矢に集まりだす。
集う無数の矢。
それらは空を突き破るかのごとく上昇していき、十分に地上から離れたところで方向を転じた。
まるで一射のごとく、寄り集まった矢たちが一点を目指す。
おびただしい矢が風を切り、巨人の背へと降り注いだ。
一点を貫く圧倒的な力を前に、あっけなく闇の花は押しつぶされ飛び散る。
そのまま胸に大穴を穿たれた巨人は、無様に地面へと倒れ込んだ。
喝采を上げる男たち。
が、次の瞬間、黒影の巨人の体がいきなり膨れ上がったか思うと弾けた。
内側から溢れ出る真っ黒な闇。
泥のように押し寄せるその波に、人々の群れは為す術もなく呑み込まれた。
黒い海に力なく横たわった翠羽族の男は、気がつくと空を見上げていた。
自慢の右腕は泥に埋もれ、感触が全く伝わってこない。
左手が握る愛用の弓も半ばで折れ、弦が千切れてしまっている。
怒号や悲鳴はまだ続いていた。
チカチカと眩しい輝きが、男の残った片方の網膜に映る。
誰かが死力を賭した闘技か魔技を放ったようだ。
身動ぎしないその頭部の翠色の羽が、唐突に何かを察して揺れた。
同時に男の唇の端が、ほんのわずかだけ歪む。
それは何度も何度も羽で受けてきた振動だった。
妹の騎乗する飛竜の翼が放つ風切りの音色。
姿は完璧に隠されているようだが、この心地よい響きだけは決して聞き逃すことはない。
生まれた時の名を失った男は、何もない空を見上げながら意識を失う最後に言葉を呟いた。
「……チタの言葉は、やはり間違って……いなかったな。頼んだぞ……、泥破りの英雄……殿……」




