駆り立てる言葉と限外な報奨
「次なるわしらの狙いは、"昏き大穴"じゃ!」
壇上で放ったダダンの一言に、広場に詰めかけていた聴衆は何事かと静まり返る。
しばしの沈黙の後、最初に歓声を上げたのは央国人たちだった。
「おい、今の聞いたか……」
「あ、ああ。たしかに聞いたぞ」
「本気なのか。あの忌まわしい大穴を……」
「ついに……、ついにかぁぁぁああ!」
「おお……。おおおぉぉおお!」
興奮した叫びが、それぞれの口から続々と漏れだす。
この国の悪しき象徴にして、全ての災厄の根源である"昏き大穴"。
おとぎ話のようにしか語られていないが、それでも央国人であるならば恐れ憎むべき存在であった。
それを封印するという話なのだ。熱狂しないほうが不思議である。
沸き立つ喜びの反応が周囲に伝播し、たちまち他の住民たちも驚きの声を放つ。
それは広場中にまたたく間に広がり、凄まじい昂ぶりへと変わった。
盛大な拍手と様々な声援を送ってくる群衆に、金色の甲冑を纏ったダダンは笑みをもって応じる。
もっとも素直に喜んでいたのは、実情を知らぬ一般市民だけである。
式典に集まった冒険者たちは、冷めた目でそのやり取りを眺めていた。
「いきなりどうしたんだ? 局長様は。正気かよ」
「おいおい、今さらくだらねぇ人気取りか。馬鹿馬鹿しい」
「たぶん、この街から俺たちが出ていくのが惜しいんだろ。で、新政策とやらで繋ぎ止めようって腹じゃないか」
「だからって、与太話にもほどがあるぜ。大穴の封印なんてよ」
そのはるか手前の廃棄された地下監獄の大瘴穴を封じるのに、三十年以上かかっているのだ。
とうてい、なし得ない夢物語である。
揶揄する言葉が聞こえたのかは不明だが、ダダンの鋭い眼差しが固まっていた冒険者たちへと向けられる。
意味ありげに頷いてみせた老人は、愛用の両手斧を握ったまま突き出した。
その行為に観衆が静かになったのを見て取ったダダンは、おもむろに再び口を開く。
「まぁ目標を語るだけなら、誰にでも出来ることじゃがのう。それこそ酒の席ならば、掃いて捨てるほどにありふれとる話じゃ」
小さな笑いがあちこちで起こり、数人の冒険者がバツが悪そうに互いの目を見合わせた。
「正直なところ、わしもすっかり老いた。今ではホブゴブリン相手に、せいぜいこいつを振り回すだけが関の山じゃよ」
半年前に大発生して街を襲った小鬼の大群を、ダダン自らが先陣に立ち蹴散らしたことはまだ記憶に新しい。
またも立派な武具を掲げる街長へ、惜しみない拍手が送られる。
その反応に口の端を持ち上げた老人は、集まった人々の顔を見回しながら話を続けた。
「しかし今の状況では、そうそう泣き言もいうておれん。皆も知っておるじゃろう。わしらの故郷である六つの国が、大変なことになりつつあることを」
ダダンの言葉に、故国の実情を知る人間は眉を寄せて顔を伏せる。
不穏な空気が流れだそうとしたその時、強い力のこもった声がそれを遮った。
「だからじゃ。だからこそ、今、あの大穴を封じるべきなんじゃ。わしらに残された時はそう多くない。このまま何もせずに手をこまねいておったら、取り返しがつかんことになるのは明らかじゃ。そうなる前に――」
言葉を区切ったダダンは、静かに己に集まる眼差しを見つめ返した。
「むろん、そう簡単に片付くような相手ではないと、わしも重々承知しておる。じゃがな強い相手であればこそ、それに挑むことが真の冒険じゃとわしは思っとる。絶対に敵わぬと諦めてしまえば、それはもう冒険そのものが終わったということじゃ。…………さて、わしらはなんじゃ?」
不意の問いかけに、黙ったまま聞いていた冒険者たちは言葉を詰まらせた。
何も言えぬまま壇上のダダンを見つめる多くの目が、次に起こった出来事に驚いて見開かれる。
「冒険者に決まっておろう、老いぼれ」
答えてみせた声の主は、巨大な白銀の盾を背負った茶角族の老人であった。
同じく壇上に居た南の境界街の長ムガルゴだ。
前に進み出た盾使いは、ダダンの横に雄々しく立ってみせる。
「ええ、少なくともまだ冒険者でありたいと思っていますよ」
その隣に歩を進めたのは、スラリと背の高い翠羽族の老婦人シエだ。
大きな嵐晶石が飾られた杖を手にした元英傑の優雅な立ち居に、ため息に近い感嘆の声があちこちで漏れる。
「そうじゃな、わしらはかつて冒険者じゃった。そして今もまだ冒険者であり、これからも冒険に挑む限り、わしらはきっと冒険者なんじゃよ」
淡々と言いきったダダンの隣には、進み出た八人の元英傑たちが並ぶ。
その発せられる圧倒的な気配を前に、聴衆は息を呑んで声を失った。
ちらりと横に立つ街長たちを眺めたダダンは、楽しげに片目をつむりながら言い切ってみせる。
「とまぁ格好をつけてみたものの、見事に年を食った爺婆ばかりじゃのう。お主ら本当に役に立つのか?」
「なん…だと……!」
「言葉が過ぎますよ、ダダン殿」
「私は一回り若いので、一緒にされるのは困りますな、局長」
言い争いを始めた老人たちの様子に、緊張を孕んでいた空気が一気に緩む。
そこへ間を置かずに、ダダンは言葉を畳み掛けた。
「さて、こんな老骨ばかりでは期待できんといった顔じゃのう。じゃが、わしらも無謀な馬鹿ではないぞ。まあ、一部混じっておるから否定はしきれんがのう」
「自己紹介はそれくらいにしておけ、ダダン」
「混ぜっ返すな。どこまで話したか忘れるじゃろ。そうそう、わしらがとち狂ったと考えとる輩もおるじゃろうが、ちゃんと算段はついておるんじゃ。つい先日、トールたちが大瘴穴を封じたのは、皆覚えておろうな」
当たり前だと、誰かが笑いながら応じる。
その答えに満足気に頷いたダダンは、視線を左手に立つトールたちへ向けた。
「実はそこで素晴らしい神器が見つかったのじゃ。ムムメメ、持ってきてくれるか」
「らい!」
元気よく返事をした子どもが、鏡を両手で頭の上まで持ち上げながら間に出る。
その愛らしい姿に、広場のあちこちで笑い声が起きる。
しかしムーが正面を向いて鏡を広場に向けた瞬間、笑いは波のように引いていき、代わりに驚きの声が次々に上がった。
不思議なことに鏡を見つめた途端、その鏡を見つめる自分の背中が見え、さらにその背中を――。
無限に映し出されていく己の姿に、広場に集まった住民たちはあっさりと声を失った。
唖然としたままムーの掲げる鏡に視線を奪われる大勢だが、そこへダダンが高らかに声を放った。
「わしはこれを無窮の神鏡と名付けた! この神器には時神様の無限の力が宿っておる。そしてこの英雄トールだけが、その御力を引き出すことが出来るのじゃ。さぁ、その奇跡をとくと見るのじゃ!」
ムーが鏡を伏せたので、夢から覚めたような顔になった人々は街長に視線を注ぐ。
固唾を呑んで見守られる中、ムーと連れ立ったトールは静かにダダンの肩に手を置いた。
次の瞬間、老人は若者へと変貌していた。
広場に据えられた銅像と同じポーズを取ってみせるダダンの姿に、もはや身じろぎさえ忘れる聴衆。
だが、トールは止まらない。
続けてダダンの隣に並ぶ元英傑たちの時間を巻き戻していく。
わずか数秒の間の出来事であった。
だがこれは、長く歴史に刻まれた一日となる。
若返った英傑たちは、常人離れした気配をさらに強めた。
その筆舌に尽くしがたい空気に、周囲はもはや呼吸さえも忘れてしまう。
そこまでは昨日、街長会議の席で打ち合わせした通りであった。
しかし、そこへ持ってきて、またも予想外の出来事が起きる。
舞台の端から、軽やかに誰かが躍り出たのだ。
金色のたてがみのような髪を揺らしたその人物は、しなやかな足取りで中央へ進み出る。
そして呆気にとられる街長たちの前で、口元を隠していた黒い砂よけ布を取り去った。
「…………ま、まさか」
「アニエッラさ……ま…………?」
その問いかけに、踊り子は優雅に一礼してみせた。
「ええ、お久しぶりですね、皆様」
元英傑たちのやり取りで、舞台に現れた踊り子の正体が即座に明らかとなる。
唐突な伝説の剣姫の登場に、壇上の仕掛人たちも唖然とした面持ちを晒した。
「ど、どうして、ここに?!」
「それは皆様と同じですよ。私もぜひこの度の遠征に参加させていただきたいと思いまして」
「……………………えっ?」
「それにしても皆様、私に気づくのが少々遅かったのではないですか。てっきり踊りを披露した際に、気付いていただけるかと期待しておりましたが」
その言葉に目の前の若き女性が、叙任式の開幕で舞ってみせた踊り子だとムガルゴたちはようやく気づく。
冷や汗を浮かべる元英傑たちに、アニエッラは静かに言い放った。
「これは出発までに、全員鍛え直す必要がありそうですね」
「ま、待ってください――」
意外にも声を張り上げたのは、同じく壇上に居た施療神殿の教主である水冠の大巫女だ。
「ほ、本当にアニエッラなの?」
「あら、貴方もずいぶんとお久しぶりね」
「そ、それじゃ、その姿って…………、わ、若返ったの?」
「ええ、そうよ」
あっさりと老友に言い切られた大巫女は、顎が外れそうなほど大きく口を開けた。
そして血走った目で、トールを見つめる。
「わ、わたしにも!」
「残念ですがこの奇跡は、"昏き大穴"へ挑む覚悟がある者にしか効きません」
「い、行くわ! なんでもする! な、なんでも!」
その言葉を皮切りに、広場中にこれ以上はないというほどの無数の絶叫が響き渡る。
壇上へ詰めかける人たちに、トールはやれやれと顎の下を掻いた。




