新たな祭具とソラの思わぬ成長
「ほほう。これが、その泉にあったという品か」
オレンが慎重な手付きで持ち上げたのは、銀の輝きを宿す真円の形をした鏡であった。
陽光の下で見ると、その異様な美しさがよりハッキリと窺える。
鏡の表面は澄み切った水面の如く、一点の曇りも見当たらない。
丸く切り取られた景色が、完全な写し身となって鮮やかに映し出されている。
縁の部分には互いの尾を咥える二匹の小さな蛇が浮き彫りにされており、その精緻さは今にも動き出しそうなほどだ。
そしてさらに、この鏡が目を引く点は――。
「くすみもない素晴らしい仕上がりに、見事な意匠。間違いなく名のある遺宝だな。それにしても……、裏も鏡になっているとはな」
珍しいことに、このほとんど厚みのない鏡は両側とも鏡面となっていた。
オレンから鏡を手渡されたオードルも、いろいろと角度を変えてつぶさに眺めている。
現在、隠し通路から地上へ戻ってきたトールたちは、オレンらと食事の最中であった。
背後には崩れ落ちた社殿。
すぐ近くには不気味なモンスターが直立しているという、昼食にあまりふさわしくない眺めだが、研究者の二人は全く気にならないようだ。
じっくりと鏡を調べていたオードルが、小首を傾げながら結論を述べる。
「凄まじい力がこもっているのはほぼ間違いないね。ただボクの専門は植物だから、あまり詳しいことまでは分からないな。少なくとも氷神様の御力と関係ないのは確実だね」
「ふむ、祭具としてどれくらいの物ですか? オードル先生」
「聖痕具以上なのは確かだね。聖遺物と同等、いやそれ以上かもしれない」
「それほどですか!」
「やっぱり……。オレンさん、戻ったらすぐにお願いしますね」
少女の真剣な言葉に、冒険者局の職員である男性は重々しく頷く。
ソラが地上に戻って真っ先にオレンに頼み込んだのは、ダダンの境界街の警備の強化を局長に提言してもらう話であった。
この奇妙な鏡を狙って、魔族を含めたモンスターが再び集まってくる可能性は十二分にあり得る。
少女がためらっていたのは、そういった懸念が大きかったせいもあった。
「でもこの鏡を使えば、あの黒い骸骨さんに勝てるかもだね! トールちゃん」
惨劇が起こったことへの後悔より、惨劇を押し止める方向へ進んだ少女の選択に、トールは頬を緩ませながら頷いた。
それから困ったように顎の下を掻く。
「問題は、その使い方が分からんってとこだな」
「うーん、困ったねー」
「ええ、困りましたね。ソラさんは何か分かりませんか?」
鏡が置いてあった不思議な泉の障害を、やすやすと突破してみせたソラに皆の期待が集まる。
しかし鏡をじっと覗き込んだ少女は、残念そうに首を横に振った。
「ううーん、さっぱりですねー」
「そうですか。そういえばソラさんだけ、どうしてあの泉の仕掛けが平気だったのでしょうか」
「つなぎ目っぽいのが見えたんですよー」
「つなぎ目?」
「えーと、飛び石と飛び石の間に、ズレがあったというか。なんかちゃんと繋がってないなーというか。そこを避けていくと大丈夫でした。うまく言えないけど、そんな感じです」
「ちょっといいか」
少女の肩に優しく手を置いたトールは、久しぶりにソラの技能樹を調べる。
目的はスキルである枝の長さではなく、その幹に実る数々の特性果の一つだ。
「もしやと思ったが、これか」
トールが見つけたのは、幹の中央にあった<空間知覚>の特性だった。
冒険者になりたてのころは、その果実はやや小ぶりであったはずだ。
だが今は大きく豊かに膨らんでいる。
そしてその効果も、驚いたことに小から大ヘと変化していた。
この特性のおかげで、空間の小さな差異を見分けることができたのだろう。
もっとも通常であれば、何もせずに幹果特性が成長するなどあり得ない。
トールの目は、さらにその理由を探り当てる。
ソラの持つ四本の枝スキルの付け根から、特性果へ伸びる管のような膨らみがあったのだ。
考えられるのはスキルが成長したことでなんらかの力が管を通して注ぎ込まれ、結果として<空間知覚>の特性果も合わせて効果を増したという可能性である。
もっともそれはただの憶測であり、確証は一つもない。
強力な魔技を有する特別な村人たちに、地上に現れることは稀な魔族が率いる大発生。
さらに隠し通路の奥にあった奇妙な泉と、尋常ならざる御力を有する不思議な鏡。
それら多くの疑問を前に、トールはこの隠れ里がただの山間の寂れた村ではなかったとすでに気付いていた。
そんな村の社殿の一人娘であるソラならば、あり得ない成長を遂げても今さら不思議ではない。
選ばれた相応しい技能を有する人間が、それらのスキルを育て上げること。
おそらくだが、それがこの鏡の祭具を手に入れる資格となっていたのだろう。
ちらりと視線をソラに戻すと、少女はすっかり吹っ切れた顔で微笑んでいた。
トールも思わず、口元を緩めてしまう。
それから首を横に小さく振って、その事実を己の胸の奥へしまい込んだ。
「理由が分かってスッキリはしたが、肝心のこれの使いみちは分からんままだな」
「トーちゃん、トーちゃん、ムーにもかしてー」
今までムーが静かだったのは、無心でリスのようにビスケットとソーセージを交互にかじっていたためだ。
だがようやく食べ終えたようで、嬉しそうな顔でトールに粉と油にまみれた手を突き出してくる。
「貸してやってもいいが、壊さないか?」
「もう。ムーがこわしたことなんてないでしょ! トーちゃんはすぐムーにぬれぎぬきせるなー」
つい先日、天威の雷冠をぶっ飛ばしたことを、綺麗サッパリ忘れているようだ。
「わかった、わかった。じゃあ、まずその手を綺麗にしてこい」
「ソラねえちゃん、はやくー」
「はいはい、これでいい?」
「ありがとう!」
ソラに指を拭ってもらったムーへ、トールは鏡を慎重に手渡す。
紫の瞳を輝かせた子どもは、覗き込むなり頬を膨らませて変な表情を作ってみせた。
そして自分のおかしな顔つきに、ご機嫌に笑い出す。
しばし面相を変えてはくすくすと笑っていた子どもだが、十分に堪能したのか何事もなくトールへ鏡を返してくる。
「ふぅ、おもしろかった」
「おい、それだけか?」
トールの呆れた口調に、ムーは唇を尖らせてもう一度、手を突き出した。
「もう、トーちゃんはいつも、ちゅうもんがおおいな! ムーいそがしいのに」
再び手の中に戻ってきた鏡を、じっと睨みつける子ども。
しばらく奇妙なうめき声を上げていたが、やがて満足げに頷く。
「ほら、これでいい?」
ムーが持ち上げた鏡の背面。
そこに見えた映像に、トールたちはいっせいに言葉を失う。
鏡の中に映っていたのは、合わせ鏡のように無限に重なっていく己たちの姿であった。




