帰郷、二日目
翌朝、トールたち一行は膝を超す草をかき分け、村の奥に位置する山へと向かった。
目的地は山腹にある社である。
生い茂る木々の合間を縫うように、石を積んで固めた階段が途切れなく山の中ほどまで続いている。
ところどころで崩れ落ちてはいるが、問題なく使えるようだ。
登りきった先は石畳が敷き詰められた綺麗に整った広場のはずであったが、ここも見る影がないほど荒れ果てていた。
奥にある社殿も原型を留めておらず、ただの積み上がった瓦礫と化している。
そして広場の中央。
そこにトールたちの求めるものが、身じろぎもせず立ち尽くしていた。
最上部は周囲を取り巻く木の梢に並ぶほど高い。
足元は黒く太い触手に覆われ、短い胴体はくすんだ緑色をしている。
その上に乗っかっているのは、巨大な人の顔であった。
ただしそれらしい造形ではあるが、毛髪が一本もない無機質な顔つきには人間味が欠片も存在していない。
眼球もただの埋め込まれた石ころのようである。
顔の付け根に当たる部分は、複数の突き出した赤い花びらがタテガミの如くぐるりと囲っていた。
そのため距離を置いて見ると、咲き誇る花の芯から人の頭部が突き出しているかのような奇妙な眺めである。
さらに不気味なことに、花弁は全て燃え盛る炎に包まれていた。
長い階段を懸命に登ったせいで肩で大きく息をしていたオレンだが、今にも動き出しそうなモンスターの姿を一目見るなり恐れる素振りもなく突進した。
かぶりつくように見上げながら、興奮した趣きで感嘆の声を上げる。
「おお、おおお。これは間違いない。まさしく魔族だ! 疑って本当にすまなかった」
「爺さんが活躍したって話、ホラじゃなかったんだな……」
「おい、やっぱり確証なかったのか!」
驚いて問い詰めるオレンの口ぶりに、トールはわざとらしく顎の下を掻いてみせた。
「まあ、いい。じっくりと観察させてもらうとするか。うむむむ、これはどう見ても燃えているようだが熱さをまったく感じないな、どういった仕組みなんだ……」
「<停滞>は、時が止まったようなものらしい。こちらに影響を与えてこないが、こっちからも何もできないぞ。せいぜい末端を動かすことができる程度だな」
殴りつけても変化はなく、刃物も通らない。
ゆえにこの怪物を、葬り去ることは不可能である。
そしてソラとは違い、モンスターに<復元>は使えない。
つまりこの世界が終わるその時まで、異形の怪物はここでずっと立ち止まっているしかないのだ。
「標本の採取は無理ということか」
「でも視認できるだけでも、おおいに意味はあるね。ほら、ここなんて非常に興味深いよ」
「お、花弁の付け根に見慣れない穴がありますね。オードル先生、よくお気づきに」
夢中になりだした二人を置いて、トールはソラの様子を確かめる。
少し離れた場所で、少女は住み慣れた家の無残な姿を声もなく見つめていた。
そのお腹にもたれるように、ムーが頭を預けている。
二人の隣には、ユーリルも静かに寄り添っていた。
心配したトールが近づくと、ソラは安心させるように力の抜けた笑みを浮かべてみせた。
それから瓦礫の奥を、そっと指差す。
「ねー、トールちゃん、あそこ」
「うん? ああ、穴が見えるな」
「あれって、もしかして私たちが逃げる時に使った抜け道かな?」
「だろうな」
社殿の奥は緩やかな斜面となっていたが、そこに黒々とした穴が岩や草に埋もれながら半分ほど覗いている。
「ちょっと行ってみない? なんか気になっちゃって」
「どーくつか? ムーのでばんだな!」
「私も拝見したいですね。迷宮以外の洞穴というのも一度見てみたいと思っておりましたので」
穴の入り口の履歴を読み取ると、ここにもモンスターの群れが押し寄せたようだ。
塞いでいた岩や木片を、<復元>で取り除き通れるようにする。
一言声をかけようと振り向くと、オレンとオードルはモンスターの触手部分に仲良く潜り込んでいた。
フリフリと揺れる臀部しか目に映らないので、諦めて四人だけで隠し通路へと入る。
魔石灯の明かりに照らされた内部は、記憶よりも広々としていた。
足元もでこぼこしておらず、かなり歩きやすい。
何度も人が通って、地ならししたような感触だ。
壁や天井にも木の板や柱が渡してあり、崩れないように支えてある。
「ここもなーんもいないぞ、トーちゃん。でも、なんかいるなー。いやなかんじじゃないけど、なんかあたま、むずむずする!」
感心して眺めていると、紫色の瞳と小さな雷の蛇で暗闇の奥を見透かしたムーが、ソラにひっついたまま告げてきた。
今日は少女から片時も離れるつもりはないらしい。
「むずむずってこんな感じ? ムーちゃん」
ソラにつむじをぐりぐりとされた子どもは、たちまち気持ちよさげに笑い出す。
その様子につられて、少女も口元を緩めた。
それから少し不思議そうにつぶやく。
「あれ? 本当になにかむずむずしてくるねー。これってムーちゃんの感覚かな」
「私にもお願いしていいですか? ムムさん」
「ん」
差し出されたムーの手を握ったユーリルは、一瞬の間を置いてから大きく瞳を見開いた。
耳先を小刻みに動かした灰耳族の女性は、率直に感想を述べる。
「これはくすぐったいような……、むず痒いような……。ふふふ、耳の裏をくすぐられるような感触ですね」
手を離したユーリルは、驚きの表情はそのままに言葉を続ける。
「びっくりしました。いつの間にか、こんなことまで伝えられるようになってたんですね」
以前のムーの<感覚共有>の対象は、視覚、聴覚、嗅覚に魔技の効果と分かりやすいものばかりであった。
だからこそ直感力とでもいうような超感覚まで同調できたのは、本当に驚くべき成長である。
ユーリルに巻毛を柔らかく撫でつけられたムーは、平らな胸を大きく反り返した。
「ムー、ココばーちゃんのためにがんばったからなー」
法廷神殿の地下深くであった事件が契機なのだろう。
確かにあれ以来、ムーの同調する力は日に日に増しているようだと、感覚をよく重ねるトールも感じ取っていた。
「特に危険はないようですし、そのむずむずの正体を確かめに行きますか」
一応、剣の柄に手をかけたまま、トールが先頭に立って歩き出す。
しばらく進むと道は二つに分かれた。
ムーと引っ付いたまま歩いていたソラは、しばらく考え込んだあと左の道を指差す。
「むずむずはこっちだねー。そっちはたぶん、わたしたちが逃げる時に通った道だと思う」
「こんな分かれ道があったんだな」
左へ向かう道は、次第に傾斜を増して地の底へと向かう。
十分ほど歩いたところで、トールたちはそれなりに広い空間へとたどり着いた。
「…………なんだ、これは」
地下の空洞の奥に見えたのは、澄んだ水を湛えた小さな泉であった。
幅は二十歩もないだろう。
その泉の中央には、銀色の輝きを放つ円形の何かが宙に浮かんでいた。
トールが手のひらを広げたほどの大きさで、支えらしきものは見当たらない。
銀円の物体がもたらす淡い輝きで、透き通った水底までハッキリと見ることができる。
水の深さは、トールの膝にも満たないようだ。
しかもよく見ると水面ギリギリに置かれた白い飛石が、あちこちに置いてある。
石伝いに進めば、爪先を濡らすだけで中央まで行けるようだ。
しかしながらトールたちが驚いたのは、その謎の浮遊物や奇妙な泉のせいではなかった。
泉の岸辺。
そこにうず高く積み上がっていたのは、無数のモンスターの死骸であった。




