思わぬ手がかり
「ようやく来たか」
「待たせてすまない。少しばかり模擬試合が長引いてな」
「鍛錬の重要性は十分に理解している。期待のあまり口が滑っただけだ。気にするな」
虹色の冒険者札を全く意に介さない男の物言いに、トールは口元を緩ませた。
冒険者局の二階、大きな樫の扉の奥にあるこの部屋の主は、以前と少しも変わっていないようだ。
「ご無沙汰してましたね、オレンさん」
「おお、灰耳族のご婦人か。名前は確かユーリルといったな。あんたが来てくれるとはありがたい」
「こんにちはー、お久しぶりです」
「おっちゃん、げんきにしてたかー?」
「ああ、息災だ。そちらはソラとムムメメという名だったな。くだんの戦闘記録は興味深く読ませてもらったよ」
わざわざ局長経由でトールたちを呼びつけたのは、膨大な書誌を束ねる資料室の長オレンであった。
かつて妖かし沼の魔女の件で、色々と教えてくれた人物だ。
丸眼鏡をくいっと持ち上げた壮年の男性の太ももを、近寄ったムーが気安くペシペシと叩く。
「ここ本だらけだなー。なー、かぶと虫の本ないの?」
「あるぞ」
あるらしい。
「ふむむ、こっちだったかな。ああ、これだ」
オレンが奥の棚から引っ張り出してきたのは、ムーの背丈の半分ほどもある豪奢な装丁がされた一冊であった。
ただし表紙に載っているのは、毒々しい蛾の姿と虫類モンスター図譜という題名である。
「ほら、ここからの頁が甲虫類だ」
「おおー! すごいぞ、おっちゃん!」
微細に描かれた甲殻を持つモンスターの絵図に、目と口を丸く開いた子どもが興奮した声を放つ。
さっそくテーブルと椅子を用意してもらったムーは、夢中になって頁をめくりだした。
物珍しいものが好きなソラも、その肩越しから覗き込んでムーの代わりに解説文を読み上げる。
「へー、これお腹のとこが美味しいんだって。あ、こっち角が三本もあるよ!」
「す、すごい……」
楽しげな二人を放置して、トールは本題を切り出す。
「それで魔族のことが聞きたいという話だったな」
「ああ、大型種の目撃情報は貴重だからな。ましてや迷宮主で、しかも討伐までしてのけたとなれば、これは是が非でも話を聞かせてもらいたい」
手帳を片手に身を乗り出すオレンに、トールとユーリルは互いに補足し合いながら炎獄の最下層での戦闘を語る。
外見の説明から始まり、その習性や行動など微に入り細に入り聞き取られる。
その中でもオレンが特に興味を示したのは、魔族の長の首の部分にあった四つの顔の話であった。
「唱えた魔技をそっくり真似するだと……」
「はい、信じ難いことですが、私たちが使う魔技とほぼ遜色ないものでした」
「そういった説は前々からあったが、実例を耳にしたのは初めてだな」
創世神の慈悲により与えられた技能樹を育てることで、人間は武技や魔技を使いこなすことができる。
そして滅世神の下僕である亜人種には、それを似たような技能、闇技が存在する。
オレンが言い出したのは、実はこの闇技は変異した技能樹によってもたらされるものではないかという説であった。
亜人種の首元に生じる魔石は、瘴気を魔力に変換するための器官だという仮説まであるそうだ。
「そういえば、あの迷宮主の首の顔からも一等級の魔石が取れていたな」
「おそらく魔石の質により、魔技の再現度が下がるのではないかという話だ。もしくは魔族だけが、完全に魔石の力を引き出せるのかもしれん」
「そう考えれば辻褄も合いますが、その、たいへん不敬なお話ですね」
不敬どころではない。
六大神の加護たる技能樹の力をモンスターが使っているとなると、この世界の有り様が根底から覆ってしまう。
視線を合わせた三人は、静かに頷きあった。
「この話は今はここまでにしておこう。あんたらも他言無用で頼む」
「ああ、神殿の連中に逆さ吊りにされかねんしな」
「探求神殿でしたら、雪に埋められるだけで済みますよ」
「それも勘弁願いたい。寒いのは好きじゃないんでね。それはそうと、二つほど関連する報告が回ってきてたな。聞くか?」
トールが頷くと、丸眼鏡の男性は机に積まれた紙束を軽く叩いて話を続けた。
「まず、あんたらが見つけた第四番目の階層だが、名称は常闇の階層に決まったぞ」
「そうか。まあ、呼び名がないと不便だしな。ところで、その名前って――」
「基本的にダダン局長が決めているようだな」
冒険者生活二十六年目にして明らかになった事実に、トールは眉根を大きく持ち上げた。
ついでに気になっていた点も確かめておく。
「この新しい階層の扉が勝手に出てくるというのは、今回が初めてなのか?」
「いや、第三の階層も迷宮主である屍の龍を初討伐した際に、下層への扉が出現したとの報告書を見たことがあるな」
思わぬ返しに、トールとユーリルは視線を交わし合う。
それは廃棄された地下監獄それ自体が獲物を深部へと誘い込む罠ではないかという、二人の疑念を裏付けるものであった。
トールたちから詳しい説明を受けたオレンは、難しい顔で驚くべき発言をした。
「実は近辺の境界街の固定ダンジョンでも、よく似た厄介な仕掛けが見つかっているらしい」
「そうなのか!?」
優秀な冒険者を求め合う立ち位置ではあるが、境界街同士は本気で対立しているわけではなく、むしろ一つが滅ぶと連鎖的に厳しい状況となるため協力的な関係は不可欠であった。
年に一度、街長が集う会議まで開かれていると聞く。
さらには各地の固定ダンジョンと相性の良い冒険者の交換取引まであるのだとか。
「その会議経由で流れてきた話だが、どうにもダダン局長らの時代とは違い攻略の難易度が上がってきていると書かれていたな」
地下迷宮たちは時間の経過により、ただのモンスターを大量に地上へ送り出すための洞穴から、冒険者を誘い込む凶悪な場所へ変化を遂げてきているとのことだ。
考えてみれば発生型ダンジョンなどでも貴重な鉱石を産出するのだが、それも多くの人間を引きつけるためなのかもしれない。
そこまで考えて、不意にトールの脳裏に一つの映像が浮かぶ。
それはあの日、飛竜艇から見た光景であった。
とてつもなく黒く広がり続ける巨大な空白。
魅入られてしまったかのように目が逸らせなかった"昏き大穴"の姿を追い出すように、トールは頭を左右に振った。
「で、もう一つの報告はなんなんだ?」
「ああ、あんたらが以前に倒した魔女だが、体組織の類似点から魔族の可能性が高まったとのことだ」
以前に回収されていた魔女の体の一部が、トールたちが持ち帰った花の王や三つ首たちの物と非常に酷似していたらしい。
それらは一見すると植物のようだが、水や日の光を必要とする様子もなく、加えて熱や濃い瘴気にも強い耐性を有していたそうだ。
「魔族がこの世界の生まれではないという説は正しいのかもしれないな。生きたままであれば、もっと研究も捗るのだが……。特に沼地の魔女は、地上で観測できた稀有な例だ。倒してしまったのは大きな機会の損失、いや失言だったな、すまない。だが、今の状況に魔族が深く関わっていると私は睨んでいる。せめて彼らの目的を知る手がかりがあれば……」
押し黙ってしまったオレンの様子に、それまでムーと仲良く図鑑を眺めていたソラが不意に顔を上げて口を挟む。
「ねー、トールちゃん。もしかして、まだ残ってたりするかもしれないね」
「…………可能性は高いな」
「何か知っているのか?」
「断言はできんが、地上で魔族に会える場所に心当たりがある。もしかしたら間近で安全に観察できるかもしれんな」
「な、なんだと! それはどこなんだ!?」
眼鏡を落としそうな勢いで詰め寄るオレンに、トールは頷いて静かに答えた。
「俺とソラの生まれた村だ」




