悼む女、燃える男
眼前を埋め尽くす死者の群れに、リコリは無言で笛の音を止めた。
迷宮主の触手で操られた燃え盛る大勢の屍人たち。
それぞれが重なり合い固まって、大きな人の姿を形作っている。
どういう理屈か全く不明であるが、死者の継ぎ接ぎである巨人は人と同じように動けるようだ。
それぞれが数歩踏み出し、両の手を生きた人間であるリコリたちへ差し出してくる。
声帯が焼け落ちているのか、屍人たちは物音一つ発しようとはしない。
だがその仕草には、言いしれぬほどの渇望と怨嗟が満ち溢れていた。
屍の巨人は動きの鈍さから見て、そう恐れる相手ではないようだ。
が、死者が寄り集まった大きな体は、剣を振り回して倒すにはかなり時間がかかりそうな相手である。
炎頭が使役するのと同等なら、少しばかりの損傷も再生してしまうであろうし。
そして時間をかければかけるほど――。
横たわる迷宮主の両足は、膝から下で見事に斬り離されてしまっている。
だが、その断面は不気味に蠢きながら、ゆっくりと盛り上がりつつあった。
残された時が少ないことを察したリコリは、素早く仲間たちの姿を確かめた。
地中からの奇襲がなくなったせいか、クガセは焼けた地面におかまいなしでぺたんと座り込んで辛そうな息をしている。
種から生える触手たちを綺麗に掃討し尽くした双子も、同じく息は荒い。
ただ何か奥の手でもあるのか、うごめく大量の死者たちを前に怯えた様子は欠片もない。
土人形の肩に腰掛ける男二人。
モルダモは慌てる素振りもなく、落ち着いた顔でリコリを見つめていた。
普段と変わらぬその姿に、奏士はちょっとだけ頬を緩める。
その横のバルッコニアは周囲を悲痛な顔で見回していたが、視線に気づいたのか杖を持ち上げて大きく頷いてくる。
何かを仕掛けるつもりのようだ。
同じく土人形の上のソラとムーだが、こちらも疲れた様子は全く見えない。
むしろ屍の巨人たちの登場に、気勢をさらに上げている。
陽気に歌っていただけの子どもはまだ分かるが、様々な魔技を使い続けてきた少女の元気な様子にリコリは呆れたように息を吐いた。
そしてその隣。
二度も上枝魔技を放ち、さらに莫大な魔力を注ぎ込んでいたはずのユーリルだが、その顔には汗一つ滲んでいない。
まだまだ屍人の群れを壊滅させるほどの魔技を平然と撃てそうである。
だが迷宮の主の本体を仕留めるためには、温存してもらったほうが良いだろう。
最後にリコリは、自分の状況を顧みた。
二時間近くぶっ続けで笛を吹き鳴らしたせいで、腕は今にも攣りそうになっている。
汗粒はひっきりなしに滴り落ちてくるが、逆に喉はカラカラだ。
魔力の使いすぎで、喪失感と後頭部の痛みが半端ない。
だが、まだ弾ける、吹ける、歌える。
そして今こそが、奏士が望むこれ以上はない舞台である。
「行ける? 姉さん」
妹の問いかけに、リコリは小さく頭を縦に振った。
以前ならもっと切羽詰まった響きがあったはずだが、今のラムメルラにはリーダーたる落ち着きがしっかりと備わっている。
弱点であった土壇場での心の弱さを克服しつつある妹に、リコリは頼もしさと寂しさを半々に感じ取った。
「もう私がそばにいなくても大丈夫だな……」
ボソリと呟きながら、奏士は持ち替えた竪琴を静かに構えた。
そしていつもは半開きの目を最大限に見開きながら、朗々と声を響かせる。
「今から私が彼らを天に還す。おそらくぶっ倒れるから、後は任せた!」
リコリとラムメルラの姉妹は、ボッサリアの境界街の陥落から生き延びた人間だ。
だがそのために、施療神殿に属する神官たち三百十八人が犠牲となった。
妹ほどの記憶力は持たないリコリだが、それでも自らを生かすために死んでいった人間が居た事実を忘れることはできない。
死者を悼むために、この二年近く毎晩、演奏を捧げてきた。
そして気がつけば、<鎮魂歌>の上に新たな枝が生じていた。
その上枝の名は、<戦篇挽歌>。
「其は月の明かり、照らし出すは無情な戦場の跡――」
女性らしからぬ中性的な歌声が、リコリの喉奥から溢れ出す。
爪弾かれた弦が、染み入るような音を地の底に響かせた。
「勇猛なる者は、何故に剣をとった――」
魔力を秘めた旋律を前に、屍たちはこぞって足を止めた。
いきなりの反乱に迷宮の主が触手を揺らすが、根が生えたように巨人どもは動こうとしない。
その死人の群れを包み込むように、今度は年老いたような優しい歌声がゆるりと流れる。
「友や妻、父と母、そして愛しき我が子。願ったものは――」
リコリの歌声は時に低く、次いで高く、様々に声質を変えながら地の底の空洞へと響き渡る。
語りかけるその詞に、死者の一人が不意に巨人から剥がれ落ちた。
地面へ落ちると同時に、死者の体が土塊のように崩れ去る。
「穏やかなる営みを守り、果たされぬ約束を抱く者よ――」
少しずつ響きを増していく演奏に、またも一人の屍人が巨人から離れる。
数体がその後に続いた。
「戦いはすでに終わりを告げ、今その先に新たな道は生まれ――」
もはや死者以外に動く者はおらず、聴衆は静かに歌に耳を傾けながら成り行きを見つめる。
そして巨人たちは、ゆっくりと崩壊を始めた。
次々とその身を形作っていた屍人が、いっせいに土へ戻っていく。
手足が消え去ると、支えきれなくなった胴体も地に落ちる。
そして頭部を構成していた屍人が、天に向けて両手を差し出しながら消え去った。
後に残されたのは、宙を空しく掻きむしる触手だけとなる。
「導かれよ、永遠のやすらぎへ――」
魔力のこもった歌声と弦奏が高らかに鳴り渡り、同時に二十体の屍の巨人はことごとく消え去る。
その結果を見届けたリコリは、晴れ晴れとした顔のまま真後ろに倒れ込んだ。
間一髪で間に合ったモルダモの手が、その細い体を支える。
いつの間にか土人形から下りて、奏士の背後で待ち構えていたようだ。
そして間を置かず、次の声が響き渡る。
「いきますぞ、ユーリル殿! 天焦がす輝きの樹よ、今こそ、その枝を揺らし、葉を広げし時が来ましたよ!」
「テン、コガす――」
それはバルッコニアの祈句の詠唱であった。
即座に迷宮主の首根にある顔の一つが、無機質な声真似を始める。
配下を失ったとはいえ、その魔技をそっくり放った者へ返す四つの首は未だ健在だ。
いきなりの炎使いの暴挙に、双子やクガセは驚いて目を見張った。
そんな前衛たちにバルッコニアは、離れるように手で合図を送る。
よく見ると、すでにその体は壁際にあり、誰も魔技に巻き込まぬ位置取りとなっていた。
「――<百火燎乱>! 我が身の松明より、解き放たれし火の粉よ!」
「ワがミの――」
凄まじい炎の群れが飛び向かい、戻りつつあったモンスターの両足へ注ぎ込まれる。
だがその結果をゆっくり見守ることなく、バルッコニアは続けざまに息継ぎを忘れたような早口で詠唱を始めた。
当然、隣の首が真似て言葉を紡ぎ出すが、あまりにも速い発動ゆえ、まだ一つ目の首は詠唱を終わらせていない。
「――<火条鞭>! 解放の樹より来たりて焼尽せよ!」
「カイホウのキより――」
「――<激発炎>! 炎樹の赤き実りよ――<火弾>!」
「エンジュの――」
恐ろしいほどの火力が続けざまに放たれ、魔族の長へと向かう。
もっとも炎の力では、その身を焦がすことさえ叶わないのは明白だ。
だがしかし、バルッコニアの狙いはそこではない。
四つの首が詠唱を始めたその時、まだ最初の首は祈句を終わらせていなかった。
わずかに生じた空白の時間。
ユーリルの声が、鋭く響き渡る。
「月光よ、結べ――<月禍氷刃>!」
それを見届けたバルッコニアは、してやったりと口ひげを引っ張ってみせた。
直後、戻ってきた凄まじい炎の渦がその身を包み込んだ。




