危機一髪?
勢い込んで名乗り出てみたが、冒険者になって十日足らずのソラにできることなぞあまりない。
結局、カルルスの背中に手を振って見送るしかなかった。
疲れた顔で外門に戻ってくる人たちを誘導しながら、待つこと二十分。
やっと南伐採場の木こりたちが、次々と林道の奥から姿を現した。
全員、汗まみれの顔に厳しい表情を浮かべている。
ソラの首から下げた緑のプレートを見た木こりの一人が、荒く息をつきながら警告をくれた。
「ハァハァ……、嬢ちゃんたちも早く中に入れ」
「なにかあったんですか?」
「でっけえ……イノシシだ。フゥ……もう駄目かと思ったぜ」
少しだけ話を聞いてみると、出発が遅れたのは警告に来た冒険者四人組の言葉をなかなか信じなかったせいらしい。
最終的に円盾に空いた穴と、他所からのろしが上がったのが決め手になったのだとか。
それから急いで伐採場を後にしたものの、外壁が見えてくる辺りでいきなり大きな猪に襲われる羽目になったと。
護衛として付き添っていた四人組が注意を引き付けた隙に、命からがら逃げてきたというわけである。
「それで、どうなったんですか?」
「知らねえよ。衛士の兄ちゃんとすれ違ったんで、なんとかなるだろ」
「そんな――」
「俺たちを責めるのはよしてくれ。それがあんたらの仕事だ。もう行っていいか?」
木こりたちが門の中へ駆け込むのを見送ったソラは、振り向いてソリにちょこんと座る子どもの顔を覗き込んだ。
無表情に見上げてくる紫の瞳は、なにも答えてくれない。
もどかしい気持ちになった少女は、そっとムーの金髪の巻き毛を撫でつけた。
「なにもできないって、もどかしいねー」
「ムーはそんなことないぞ。ちゃんとトーちゃんの言いつけまもってる」
「うんうん、ムーちゃんはえらいね。あ、こんなところに、つむじがあるんだ」
ソラが渦巻く髪の毛の部分をグリグリすると、ムーは不思議なうめき声を上げた。
「なんだ、それ!」
「ごめん、痛かった?」
「いたくない。へんな感じ!」
「ふふふ。もしかして気持ちいいのかなー?」
再びソラがつむじを指先でこねると、ムーは目を見開いて奇妙に喉を鳴らした。
その様子がおかしくて、ソラは思わず含み笑いをもらす。
「もっとやってもいいぞ!」
「うんうん、まかせて。あ、こっちにもつむじがあるんだ。ねー、ムーちゃん」
「なんだー?」
「わたしたち、けっこうなかよしさんだよね?」
「うん、そうかもなー」
「じゃあ、そろそろおねーちゃんも、一緒に入れてくれないかな?」
いまだにムーの<感覚共有>から仲間はずれにされているソラは、さりげない口ぶりで頼みこむ。
「ほら、ムーちゃんのお目々でも見れるようになれば、わたしの<反転>もさらに大活躍まちがいなしだよー」
<反転>の魔技は、視認によって発動する。
多数の視界を通すことで、その発動可能な範囲が増えるというソラの主張はあながち間違いではない。
だがソラの甘えるような願いに、いままで上機嫌だった子どもはいきなり黙り込んでしまった。
そのガラス玉のような瞳に、少しだけ不安の色が混じりだす。
「どーしたの?」
「…………ソラねーちゃんは、一緒してもムーのことキライにならない?」
「いや、ならないよ! なんで?」
「…………きもちわるいって、おこらない?」
慌てて返事をしようとしたソラは、林道の向こうから悲鳴が聞こえた気がして弾かれたように顔を上げた。
こちらへ向かってくる何人かの人影が目に入る。
それと、その後方から迫る巨大な獣の姿も。
先頭の一人の恐怖に満ちた眼と視線があった瞬間、ソラは杖を持ち上げていた。
男たちの背を追うモンスターは、六本の脚で土煙を巻き上げながら、またたく間に距離を詰めてくる。
間近に押しせまる黒いコブだらけの醜い顔に、ソラは小さくつばを飲み込んだ。
だが少女は杖を構えたまま、じっと動こうとはしない。
猪が最後尾の男に追いつき、襲いかかろうとしたその時。
――<反転>。
首を大きく傾けて牙で引っ掛けようとしたモンスターは、その顎が瞬時におかしな角度に歪む。
巨体がそれに釣られ、斜めに揺れた。
いきなり加わった動きに耐えきれず、猪の体は横倒しになる。
体勢を崩したモンスターは、そのまま脇の木に激しくぶつかって止まった。
鮮やかに猪を横転させて時間を稼いだソラは、驚いて足を止めかけた木こりたちに叫ぶ。
「いまのうちに、急いでくださーい!」
「お、おう!」
「ありがとな! 嬢ちゃん」
真正面からの突進をそのまま返したところで、威力が半分に減るだけである。
だが猪が誰かに襲いかかる瞬間、その攻撃は正中線から外れる。
ソラはわずかな間に、そこまでを無意識に計算に入れて魔技を放っていた。
倒れ込んだモンスターが立ち上がろうともがく姿に、ソラは慌てて方向を転じた。
一目散に門へ向けて走り出す。
まだ戻ってない人たちのことは心配であるが、少女は自分の力量をしっかりわきまえていた。
木こりたちの後ろに続きながら、ソラは再び大きく目を見張った。
安全な街の中へ通じる唯一の出入り口である門が、今まさに閉じようとしているのだ。
「おい、もうちょっと待ってやれよ!」
「走れ走れ! あと少しだ!」
「急げ! 追いつかれるぞ」
口々に促す声が、門の内側から響いてくる。
焦って急ぐソラであるが、いつの間にか魔石が切れていたソリのせいで速度はあまり上がらない。
男たちに引き離されながらも、少女は懸命に足を動かした。
だが無情にも、門の口はどんどん狭くなっていく。
同時に背後からは、激しい地鳴りが近づいてくる。
あと数歩。
ほんの数秒の距離。
渾身の力を込めて、ソラは地面を蹴った。
瞬間、重みから解き放たれたように体が軽くなる。
ほんのわずかに残された隙間へ、ソラは間一髪で滑り込んだ。
少女の背後で門が完全にしまり、カンヌキを下ろす音が鳴り響く。
それとほぼ同時に、門扉を揺るがす大きな衝突音がすぐ近くの石壁から轟いた。
「ハァア、ハァァア。まにあったよー」
せわしなく肺に空気を取り込むながら、ソラは助かった喜びに笑みを漏らす。
肩の力を抜いて、少女は背後のソリへ振り返った。
ムーと勝利の握手を交わすためである。
だがそこにあったのは、誰も乗っていない空っぽのソリであった。
これよりほんの少し前。
若き冒険者たちは、木立の中を逃げ回っていた。
「ほら、こっちだ!」
幹の裏から顔を出した赤毛のリッカルが、挑発の言葉と同時に石を投げた。
猛々しい唸り声を上げた大きな猪は、一目散に突進する。
激しい衝突の音が響き、細い木は根を浮かしながら押し倒された。
しかしその陰には、すでに少年の姿はない。
獲物を見失って苛立たしげに鼻を鳴らす猪の胴に、続けざまに矢が刺さる。
首を回したモンスターは、今度は矢が飛んできた方向へ走り出した。
「よし、いいぞ。その調子だ」
反対側の木陰に潜むシサンは、拾い上げた石を構えながら呟いた。
道すがらトールに教えてもらった対処法であるが、群生相となった鎧猪は足の数が増え突進力が大きく増す。
けれどもそのせいで、持ち前の小回りさがかなり失われてしまうらしい。
だからこんな風に障害物を盾にしていれば、意外と余裕を持って躱すことができるのだ。
といっても昨日までのシサンたちなら、これさえもとうてい不可能であったろう。
一度死にかけたことで恐怖心が振り切ってしまった少年たちは、平然と自分たちの役割をこなしていった。
ヒンクが隠れていた木がなぎ倒されるのを確認したシサンは、立ち上がってモンスターの尻めがけて石を投げつける。
振り向いたモンスターと一瞬だけ目をあわせた少年は、脱兎のごとく新たな木を目指して走り出した。
むろん今のままでは、かすり傷程度のダメージしか与えてないので、猪を倒すのは絶対に無理である。
彼らの狙いは、木こりたちが逃げる時間を稼ぐことであった。
それともう一つ――。
不意に下生えを踏み分けて、誰かが姿を現した。
スラリと背が高く、カッチリと引き締まった体は赤い革鎧に包まれている。
柔らかな金髪にやや垂れた紫の瞳、高い鼻筋とかなりの男前でもある。
男は小脇に抱えてた細長い槍たちを器用に地面に突き立てると、腰に手を当てて言い放った。
「おう、待たせたな、お前ら。あとは俺様に任せとけ」
その隣では、少女が肩で息をしながら手を振っている。
助けを呼びに行ったアレシアが到着するまで、なんとか生き延びる狙いもどうやら無事に達成できたようだ。
投擲専用の槍を携えた顔馴染みの門衛の登場に、少年たちは深く安堵の息を吐いた。
門衛は地面に立てた槍の一本を、片手で掴み軽く腰を落とす。
巨大なモンスターと対峙するには、ひし形に伸びる細い尖端はあまりにも頼りない。
だがカルルスの口元には、余裕の笑みが浮かんでいた。
それに気づいたのか、猪は巨躯に怒りをたぎらせて激しくいなないてみせる。
木立に隠れたまま息を呑む三人を前に、戦いの火蓋が切られた。
真っ先に動いたのはカルルスであった。
猪が動き出す寸前、左足が強く踏み込まれ、盛り上がった広背筋から絞り出された膂力が右手の槍に収束する。
雷光のごとき速さで撃ち出された錐槍は、猪の前脚の膝を貫きそのまま地面に縫い止めた。
新たな槍をすかさず引き抜いたカルルスは、軽く息を吐いてまたも力強く放つ。
前脚を二本とも射抜かれたモンスターは、口の端から涎を撒き散らして吠えた。
その口内に三本目が、容赦なく突き刺さる。
深いダメージを負った猪は残った四本足を踏ん張って、強引に上半身を持ち上げてみせた。
槍が刺さったままの前脚を振り回しながら、モンスターはカルルスとの距離を一息に詰めていく。
しかし四本目の槍を手にした門衛は、すでに準備を終えていた。
高まった闘気が紫の稲妻として顕現し、錐槍に蛇のように巻き付いて空気をビリビリと震わせる。
間近に迫りくる猪の頭部めがけて、渾身の一投が放たれた。
空気が一瞬だけたわんだ後、四方に向かって押し出される。
――<電閃破>。
強烈な電気を纏った錐槍は凄まじい勢いでモンスターの頭部を貫き、すかさず力を解き放った。
獣の頭頂部分が吹き飛ぶと同時に、猪の体表を太い電流が走り抜ける。
頭部を失った巨大な猪はビクリと身を震わせたあと、ゆっくりと横倒しになった。
その体のあちこちから、焦げた匂いと黒い煙が細く立ち昇る。
わずか四撃でモンスターを仕留めてみせた元高ランクの姿に、少年たちはいっせいに歓声を張り上げた。
ただ当の本人は、顔をしかめながら呟く。
「"大発生"ってのは、デマじゃなかったんだな。こりゃさっさと戻らねえと、祭りに乗り遅れるぞ」




