生け贄の選択
獣の巫女。
聖遺物である罪喰らいの獣に選ばれた女性は、そう呼ばれるらしい。
罪を喰うという名が示す通り、この生きた聖遺物は人の犯した罪を糧とする。
いや正確には、餌となるのはその罪に対する人間の情動であるらしい。
そんな奇妙な性質ゆえに、罪喰らいの獣たちは何よりも人の持つ感覚や感情を好む。
だが、それらをより深く味わうためには、獣の巨体のままでは難しい。
そのため飢えた獣どもに、それらを提供する人間が必要となる。
それが神の力を宿した存在に、その身を重ねることができるほどの強い<感覚共有>の根源特性を有する女性たちである。
素質を持った彼女たちは、その手助けとして天威の雷環が与えられる。
この感覚を高める聖痕具は同じ道具たる罪喰らいの獣と呼応するようになっており、気に入られるとより深く感覚が繋がれるようになる。
ただしその選ばれた証として首根に完全にはまってしまい、他の人間とは感覚をあまり共有できなくなる代償を伴うが。
キキリリが天威の雷環を、悪趣味な首輪と呼んだ理由は二つの意味でそこにあった。
天威の雷環を通して繋がった獣と巫女は、離れがたい関係となる。
聖遺物たる獣に課せられた役割は、大瘴穴の上に鎮座して瘴気が漏れ出すのを防ぐというものだ。
そして選ばれた女性たちの使命は、そんな獣の退屈を紛らわし、この場所へ留めるための楔であることだった。
それゆえ獣の巫女は、片時も聖遺物の側から離れることは許されない。
この地の大瘴穴が封じられたその時から、深い闇の底でココララはずっと罪を食らう獣に寄り添ってきたのだ。
彼女がここから離れられるのは、この地よりさらに奥、廃棄された地下監獄の大瘴穴が塞がれた時のみである。
そのためには新たな巫女がこの獣と感覚を共有し、授かった分け身をそこまで運ばなければならない。
そして次の巫女は贄となって、地の底でまた大瘴穴が封じられるのをひたすら待つという繰り返しだ。
「胸糞の悪い話ね」
ポツリと呟いたキキリリへ、ザザムは静かに伏せていた顔を上げる。
その紫の眼に浮かんでいたのは、怒りや恥じらいではない。
そこにあったのは、何もかもに疲れ切ったような年老いた男の眼差しであった。
話だけを聞けば、キキリリの言葉にも同意はできる。
特に双子は巫女の候補として、ここに連れてこられたことがある当事者だけに嫌悪感が大きいのだろう。
そして同じくムーが候補となっている現状、トールも他人事ではない。
だがしかし、ダダンやザザムらの選択は感情という物差しだけで測っていい話でもない。
愛しい妻一人の犠牲のみで、数千人が安全に暮らせる場所を作り出せたのだ。
その決断にいたるまでの過程には、余人には計り知れない苦渋や葛藤があっただろう。
この境界街で安穏な暮らしを享受するトールたちが、安易にそれを咎めるのも間違ってはいる。
ただそれでも、そう分かっていても、トールは自分の顎に力が入るのを止められなかった。
そっと伸びてきた指が、トールの手に絡まる。
目を落とすと、ソラが何かに耐えるような瞳で見上げていた。
しばし言葉に詰まったあと、少女はささやくようにトールに問いかける。
「トールちゃん、……なんとかならないの?」
「<復元>は記憶や心にまでは干渉できない。俺ができるのは、せいぜい体を若返らせる――」
「三十年じゃぞ」
いきなり割り込んできた言葉に、トールは弾かれたように顔をそちらへ向ける。
神殿の長を務める老人は、淡々と言葉を続けた。
「若返らせてさらに長く生きろというのか。あの子にもっともっと苦しめと」
「伯父上、言葉が過ぎますぞ」
ダダンの制止に、ザザムは何度も首を横に振った。
長々と息を吐いた禿頭の老人は、その鋭い眼差しをトールへと向ける。
「これがお主の望んだ英傑の正体じゃよ、トール」
「…………師匠」
「ここは危うい場所じゃて長居はできん。さて、お主らはどうする?」
避けることの許されない問いかけに、トールとソラは互いの手を強く握り合う。
二人の視線を受けたムーは、きょとんとした顔のまま無邪気に声を放った。
「ココばーちゃん、おなかすいてるのか? ムーのおやつちょっとだけわけてやるぞ」
そう言いながら子どもは、抱えていたリンゴジャムのパイを嬉しそうに掲げる。
その拍子に包みが少しほどけて、甘酸っぱい匂いが空虚な地の底に広がった。
ムーの呼びかけにまぶたを持ち上げた老婆は、その香りに起き上がってキョロキョロと首を動かす。
そして懐かしそうな声を漏らした。
「あら、いい匂いね。これは夏リンゴの――。えっと、あなた、いつの間に……」
夫へ向けるココの瞳には、先ほどまでとは段違いにしっかりとした光が宿っていた。
紫の瞳を見開いた女性は、ダダンの顔を優しく見つめた後、トールたちへと視線を移す。
その知性に満ちた目は、その身が持つ強力な<感覚共有>で即座に状況を理解したようだ。
老婆の紫色の瞳に、次々と感情が浮かんでは消えていく。
激しい驚きと喜び、次いで逡巡。
そして最後に表れたのは、諦めの混じった強い怒りであった。
「…………何を考えているの、ダダン。ダメよ。あんな小さな子を。それだけは許されないわ」
「正気に戻ったのか、ココ。そうか、夏リンゴはお前の好物じゃったのう。ふふ、食いしん坊は変わらずか」
「ごめんなさい、あなた。でも私はもう十分、満足なの」
「……なんとなくお前なら、そう言うじゃろうと思っておったわ」
そこで言葉を一度区切ったダダンは、真横に首を回しながら言い放った。
「だからもう止めにせんか、伯父上」
そこに居たのは、いつの間にかムーを抱きかかえていたザザムの姿であった。
無言で首を横に振る神殿長。
その手に握られていたのは、瞬きするかのごとく発光する環だった。




