腐屍龍への関門
「何もなしか……」
わざわざ入り口を隠した挙げ句、厄介な番人の群れを呼び寄せる罠まで備えてあったのだ。
さらに中で待ち構えていたのは、奇妙な技を使う手強そうなモンスターである。
トールが期待したのも無理はない。
だが、部屋の中を丹念に捜索してみたものの、残されていたのは床や壁の赤い模様だけであった。
赤く染まった部分を手でこすってみるとザラザラとした感触で、指先を舐めるとかすかに鉄の味がする。
乾いた血のようであり、砂状の鉄のようでもあった。
「トールちゃん、もういいー?」
「トーちゃん、まだかー?」
入り口から顔だけ覗かせて呼びかけてきたのは、ソラとムーの二人だ。
さすがにこの隠し部屋は怪しすぎたので、三人には外で待機してもらっていた。
新たな罠もなく心身にも特におかしな影響はなかったので、安全だと判断したトールは振り向いて呼びかける。
「ああ、もう入ってもいいぞ」
トールが返事をした瞬間、少女と子どもは息を合わせたように顔を引っ込めてしまった。
そして申し合わせたように、クスクスと笑い声を上げる。
軽く息を吐いたトールが壁に向き直ると、またも二人は顔を出して口々に呼びかけてきた。
「トールちゃん、もういいかなー?」
「トーちゃん、まだー?」
「だから、もういいぞ」
さっと振り向くと、二人は慌てた顔で壁の向こうに急いで隠れる。
そしてまたも楽しそうに、小さな笑い声を上げる。
「トーちゃん、まっかっかだなー」
「くふふ、赤いねー」
どうやら赤い壁に囲まれたトールの体まで、赤みを帯びて見えるのが面白いらしい。
こんな不気味な部屋であっても、ソラとムーにかかれば楽しい遊び場のようである。
「ほら、お二人とも、トールさんのお邪魔をしてはいけませんよ」
「はーい。見つかっちゃったね、ムーちゃん」
「かくれんぼ、たのしーなー」
何もなかった隠し部屋を後にしたトールたちは、ついでに南東にあった部屋も調べるがここも特に目新しいものは見つからなかった。
これで十三階の地図が完成したので、一行はさらに下層へと進む。
十四階はいっそう冷え込みが激しくなっていた。
目には見えない重苦しさのようなものも増しており、体の切れがどことなく鈍い。
もっとも元気が取り柄のムーとソラには、ほとんど影響はないようであったが。
「よーし、この階もさっくりと回っちゃおー」
「おー!」
まずは北側からの探索からであるが、これはあっという間に終わった。
「あら、また大部屋ですね」
「うわー、ここもいっぱいいるねー」
通路を北上したトールたちの歩みを阻んだのは、すっかり馴染みとなった鉄格子であった。
その奥に広がるのは、これまで散々見てきた大きな牢獄の中を大量のモンスターが徘徊する光景だ。
「上の階とまったく同じ構造のようだな。連獄は十三階で終わりじゃなかったのか」
ただし牢屋の中身は様変わりしており、この階の囚人は灰色のローブを引きずる悪霊どもとなっていた。
背が曲がった姿の者が多いのは、老人ばかりということだろうか。
「こちらから鉄格子を開けられるような仕掛けは見当たりませんね」
「そうなると、ここに入るには上の階から落ちてくるしかないと」
十三階の大牢獄は抜け出すのに必死で、部屋中をすべて回るだけの余裕はなかった。
仮に落とし穴があったとしても、見落とした可能性は大いにある。
かといってもう一度、連獄へ入る気にはそうそうなれないが、そうせざるを得ない理由に思い当たったトールとユーリルは静かに目を合わせた。
十五階への階段が、この厄介な牢屋の中に存在するかもしれないと。
しかしトールたちの心配は、すぐに杞憂に終わった。
鋼人形を薙ぎ倒して到達した南側の最奥の一室に、下へと続く階段があっさり見つかったのだ。
ただし、こちらも鉄格子付きであったが。
「助かったが、やはり甘くはないか」
「ここで第二階層も終わり? あとは十五階のなんとか龍を倒すだけだよねー?」
「腐屍の龍ゾルダマーグですね」
「それそれ。長い名前ですねー」
「央国史にも出てくる有名な龍ですよ。人々に害をなす存在だったので、捕獲されてこの地下牢獄に収監された逸話がありますね」
「へー! やっつけなかったんですか?」
「ええ、生きたままだと長く採取できますからね」
さらりと残酷な事実を告げてみせるユーリルに、ソラは目を丸くする。
さて、その有名な龍に会うために残った障害は、目の前の鉄格子のみである。
トールたちは手分けして、そう広くない部屋の中を調べることにした。
「壁の向こうに空洞らしきものはないですね」
「床も異常なしだよー」
「となると、怪しいのはこの角の部分か」
部屋の片隅の一つだけ黒い柱が埋め込まれるように立っており、非常に目立っている。
そして他の三つの角には、柱が取り除かれたようなくぼみが残っていた。
「びくともしないな」
「ほんの少しだけ隙間がありますね」
「うーん、困ったねー。むむむ、……あれ?」
「どうした、ソラ?」
「ムーちゃん? ムーちゃんどこ!?」
いつの間にか消えていた子どもの姿に、ソラは目の色を変えて辺りを見回した。
その背後から、クスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。
慌てて振り向いた少女は、盛大に安堵の息を漏らした。
それから同じように楽しげに笑い出す。
「もう、そんなとこに隠れて! びっくりしたよー」
「みつかったかー」
ムーが潜んでいたのは、黒い柱の向かいの位置にある角のくぼみだった。
小さな体ですっぽりと入り込んで、あつらえたように収まっている。
「こういう狭いところって落ち着くよねー」
「なー、ソラねーちゃん、ここもまっかっかだぞー」
「へ?」
子どもが指差したのは、自らの真上であった。
首を傾げたソラは近寄ると、くぼみに顔を突っ込んで天井を見上げる。
「あ、赤いよ、トールちゃん!」
「どれ」
同じくトールも覗き込んで確認する。
天井にぴったりとはまっていたのは、真四角の赤い模様だった。
「これってもしかして柱のお尻の部分じゃない?」
「ああ、それっぽいな」
「こちらは青いですね」
すでに何かを察して動いていたユーリルが、違う角のくぼみを覗き込んで報告してくる。
さらにもう一箇所は白であった。
「うーむ、これは柱が天井へ迫り上がったのか」
「だったら黒い柱も同じように持ち上がるってことかな?」
「だが引っ張っても動かせそうにないぞ」
そもそも指をかける部分もない垂直な石の柱を、人の力だけで持ち上げるのは無理がある。
「おそらくですが、何かがきっかけになっているのかと思います。まだ推論ですが、色も関係しているかと」
「赤……、あの赤い隠し部屋とかでしょうか?」
「ええ、他にも色がついたものがあった気がするんですか」
そこで時間も押してきたので、トールたちは十階の階段まで引き揚げることにした。
翌日、十四階の階段部屋に直行してみると、角の柱は三本に増えていた。
「白い柱だけ持ち上がったままですね」
「とりあえずあの赤い隠し部屋まで戻ってみますか」
押し寄せる鋼人形の看守どもを前日と同じ工程で処理して、赤い部屋の中を覗く。
部屋の奥の壁には、赤い亡霊がぽつねんと立っていた。
「再発生してるな」
「では一度、確認に戻りましょうか」
赤い柱はそのままであった。
往復してさっくりと大鎌使いのモンスターを片付けて、再び階段の前に戻る。
「お、消えてますね」
「となると、倒すのが条件で確定ですね」
「うーん、青、青、青、どっかで見たんだけどなー」
「ムーおぼえてるぞ。てんじょーにあおいのいたぞ!」
「あ、それだ!」
青い柱を分担していたのは、十二階の鋼人形であった。
数が多すぎて紛れていたが、天井に張り付く警告型の一体だけ妙に青みががっていたのをソラたちが目撃していたのだ。
「白い柱はもしかして、逃げる看守長ではないでしょうか?」
「たぶん、それでしょうね」
石の棺を通り抜けて開いてくれるモンスターは、白い軍服を着用していた。
最初にこの階段部屋に来た時点から現時点まで白い柱が上がりっぱなしなので、条件にも符合している。
「となると、残ったのは黒い柱か」
「動いてないってことは、今まで倒してないモンスターってことだよねー?」
その言葉にトールとユーリルは、再び静かに目を合わせた。
部屋を後にして、一行は足早に北へと向かう。
お目当ての相手を見つけたトールは、深々と白い息を吐きながら顎の下を掻いた。
「やはりこうなるのか。本当に甘くないな」
十四階の大牢獄の中。
灰色のローブの群れに、影を纏ったような黒い一体がひっそり混じっていた。




