夜の帳亭談合 その二
「ふむ」
トールの言葉に、ダダンはグラスをテーブルに戻すと背後に身を預けた。
黒いソファーに大柄な体を沈めた老人は、くつろいだ笑みを浮かべる。
「どうじゃ。おチビちゃんはアレを気に入っておるのか?」
「ええ、大のお気に入りですよ」
「おなごは光り物に弱いからのう。満足しておるなら何よりじゃな。で、どうした?」
「着けている分には特に問題はないのですが、気になる一言を言われまして。それは"悪趣味な首輪"だと」
トールが問題の言葉を発したとたん、ダダンは眉を大きく持ち上げてみせた。
それからやれやれといった感じで、わずかに息を漏らす。
「誰が……。ああ、双子か?」
「はい、姉のキキリリですね」
「まったく、あの悪戯者め。すぐにそうやって掻き回しよるな。困ったもんじゃ」
ひらひらと手を振ったダダンは、体を戻して再びグラスを手に取る。
「おおかた珍しい祭具を見て嫉妬でもしたんじゃろ。あやつらは筋金入りのひねくれ者じゃて、まともに取り合う必要はないぞ」
「そうとは思えませんでしたが」
天威の雷環を見た時のキキリリの嫌悪の反応は、その速さからして間違いなく本心によるものだろう。
それに双子の姉の言動には、わずかだが幼子に対する心配や気遣いが含まれていたことをトールは感じ取っていた。
「……何かご存じなのでしたら、教えていただけますか?」
切り込むようなトールの問いかけに、ダダンはちびりと酒を口に含んでから呆れたような口調で返した。
「まさかその双子の戯言くらいで、わざわざここまで尋ねに来たのか? お前も暇じゃなかろうて」
「大切な仲間ですからね。いくらでも時間をかけますよ」
それにきっかけはキキリリの一言であったが、それまでに何度か首をひねる経緯があったのも事実だ。
一つ目は初めて法廷神殿を訪れた際の神殿長の対応だ。
ムーを引き取ると言い出したあの時の目は、演技らしさは欠片もなく本心だとしか思えない感情がこもっていた。
そして二つ目は、難関である固定ダンジョンの蟻の巣へトールを単独で同行させた件だ。
誘いを向けてきたのはストラッチアであったが、発案自体はダダンという話であった。
ソラやムーの引き抜きを仕掛けてきたことのあるサッコウなら分かるが、無茶はやらせても無謀は止める師匠らしくない提案だったのが、トールの心にずっと引っ掛かっていたのだ。
剣の握り方から教えてくれたダダンを、トールは師匠として心から信頼していた。
が、目の前の老人が持つこの街を統べる政治家としての部分には、信用が置けないというのも理解していた。
じっと目を覗き込んでくるトールに、ダダンは根負けしたように大げさに息を吐く。
二十五年近い付き合いから、この男が一度言い出せば頑なに変えようとしないことを老人も重々承知していた。
大きくグラスを呷ったダダンは、愛弟子の目を見据えながら淡々と答える。
「着けとる分に害はない。そこは安心せい」
「じゃあ、やはり何かあるんですね?」
「近いうちに神殿から呼び出しがいくじゃろうて。そこできっちり説明がある。そこから先を選ぶのはお前ら次第じゃ」
「……そうですか」
「これ以上は今は話せん。ほれ、とっとと帰って安心させてやれ。大事な家族じゃろ」
退去を促されたトールは、立ち上がると頭を静かに下げてみせる。
踵を返し立ち去っていくその姿を、ダダンは疲れたような眼差しで見送った。
そして垂れ幕の向こうの気配が完全に消えたことを確認してから、天井を仰いで深々と息を吐いた。
「やはり双子どもに見せるべきではなかったのう……」
「お帰りになったわよ」
独り言のはずであったダダンだが、驚く素振りも見せずに声の主へと視線を向ける。
テーブルのそばに立っていたのは、つまみが乗った皿と酒瓶を手にした女性だった。
この夜の帳亭の女主人アニエッラだ。
そして彼女は引退した英傑級の元冒険者であり、ダダンに剣の使い方を仕込んでくれた人物でもあった。
伝説の舞姫とまで言われた双剣の使い手で、いわばトールの師匠の師匠に当たる存在である。
無言のまま手を伸ばしたダダンは、皿の上に置かれていた猪の皮の揚げ物を無遠慮に口へ運ぶ。
柔らかなコブの部分を使っているせいで、パリパリと小気味の良い食感である。
それから注がれた火精酒を、喉へゆっくりと流し込む。
「本当に大変そうね」
疲れた様子が目に見えるほどだったのか、アニエッラが労るように声をかけてくる。
軽く首を横に振ったダダンは、テーブルの下に隠してあった書類へ手を伸ばした。
受付嬢のエンナが、わざわざここまで届けてくれる物だ。
細かい数字が並ぶ資料を見つめながら、必要な部分へ署名を手早く済ませる。
本来ならサッコウが受け持ってくれていた仕事だが、新たに副局長へ任命したニックスでは手に余る案件が多いため、こうやってダダンが直に判断するしかないのだ。
ただ自分の後釜にニックスを推したのは、実はサッコウである。
といってもそれには理由があり、ニックスの本家は本国ズマでは名の知れた貴族のため、ないがしろな扱いをすると解放神殿からの横やりは避けられない。
だから一時的に高い地位を与えてから、引退させれば波風は立たないという考えであった。
そのため現在、次の副局長候補であるシエッカの役職をどんどん昇進させていたりもする。
「もう、すっかり慣れたのう。こんな仕事にも」
冒険者を引退してから、すでに三十年あまりが経過している。
大瘴穴を封じ命をかけた日々がやっと終わった時は、心の底から安堵したものだ。
だがその後で待ち構えていたのは、退屈な書類仕事の山と面倒な交渉事ばかりであった。
手を休めて振り向いたダダンは、背後の壁に架けられていた大きな絵を見上げた。
そこに描かれていたのは、どこまでも続く夜の砂漠の風景だった。
月と星灯の下を進む旅人の姿が、片隅に小さく描き込まれている。
「ふう、何度見ても素晴らしい絵じゃな」
「ええ、懐かしいわね」
ダダンたちが活躍した当時は今ほど境界街の仕組みは定まっておらず、冒険者たちは所属などなく自由に街を行き来することができた。
荒涼としたこの砂漠の風景は、実際にダダンたちが踏破した場所でもある。
「もう三十年か。長かったのう」
「戻りたい?」
「どうじゃろうな。たしかにうんざりはしておるが、わしはわしの人生に満足しておる。今さらやり直したいとは思わんよ」
グラスの中の酒を軽く回して口をつけた後、ダダンは小さく首を左右に振った。
「と、カッコつけて言いたいところじゃが、やはり後悔がないと言えば嘘になるな」
「そうね。でも後悔のない人生も、それはそれでつまらないかもよ」
「正解のない話じゃのう」
ため息を吐いたダダンは、書類の横に置かれていた本国からの手紙を手に取った。
そこにはハクリの領土の大半を占める大森林が、いずこから現れた瘴気に蝕まれ大量の木が枯れ始めている現状が記されていた。
さらに新たな避難先を確保するために、瘴地の奪回が急務であるとも。
そして最後に、いかなる獣の巫女であろうとも承認する法王の署名で手紙は締め括られていた。
頭を振った老人は、一番下にあった書類をじっと眺める。
それは半年ごとにある冒険者札の再発行の記録で、トールたちの審査内容が細かに記されていた。
<雷眼看破>まであと少しとなったムーの技能樹の成長ぶりを確認したダダンは、呻くように言葉を漏らす。
「こんな幼子を連れていったら、……ココがなんと言うじゃろうな」




