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獣眼の女


「こいつは困ったな」


 鉄格子の向こうに垂れ下がる鎖を眺めながら、トールは顎に手を当てて考え込んだ。

 出発前にちゃんと調べておいたが、十階の階段下の部屋には鉄格子に関わるような仕掛けはなかった。

 階段内部の鎖か九階の部屋の鎖を引くしか、鉄格子を上げる手段が見当たらなかったのだ。

 つまり十階以降を探索中に、階段の鉄格子が勝手に降りてしまえば、地上へ戻る道は塞がれてしまうということである。

 

 ただ天嵐同盟がその辺りを気にせず探索を続けている時点で、何かしらの対処方法があるのは間違いない。

 その辺りも含めて十階を調べる予定だったが、こんなにも早く鉄格子が閉まっているのはさすがに予想外であった。


 鎖の位置は階段を数歩上がった場所なので、ここからでもなんとか届きそうである。

 しかしながら格子の隙間が細すぎて、トールの太い腕は差し込めそうにない。


「剣じゃギリギリ間合いの外だな」

「杖も途中までならいけるんだけどねー。ここのコブのとこで、うーん、ムリだー」

「私も手なら入るんですが、ちょっと届きませんね」

 

 三人が額を集めて考え込む中、頭の上に虫かごを載っけたムーがしゃしゃり出てきた。


「えっへん」

「今、忙しいから、ちょっとそっちで遊んでろ」

「むぅー! おねがいしますっていって!」

「おねがいします。これでいいか?」

「うん、よろしい」


 そう言いながら、今度は両手を挙げる子ども。

 抱っこしろのポーズだ。

 無意識に手を伸ばしたトールは、ムーを抱き上げて肩に担ぐ。

 

 視界が高くなった子どもは嬉しそうに笑うと、頭の上に載せたままだった虫かごを開いた。

 そして手を突っ込んでかぶと虫を取り出すと、器用に紐を結びつける。


「いけ、くろすけ!」


 子どもの命令に従ったかのように、黒光りする昆虫は軽やかに飛び上がる。

 小刻みな翅音を響かせたかぶと虫は、鉄格子の間をあっさりとすり抜けた。

 そのまま鎖にまっすぐに向かったと思うと、鮮やかに舞い降りてみせる。


「おっ」

「おー、やったね!」


 子どもが紐を引っ張ると、離れたくないかぶと虫がしがみつき鎖が揺れた。

 さらに引くと鎖ごと、鉄格子に近づいてくる。

 

「がんばれ、くろすけ!」

「よし、あと少しだぞ」

「その調子だよ、くろすけちゃん!」


 だがあとわずかなところで力尽きたのか、かぶと虫は足を離してしまう。

 反動をつけて戻っていく鎖に、一行は大きくため息を吐いた。


「おしい!」

「もう一回やれるか? ムー」

「次は私が手を伸ばしておきますね」

「もう、なーに。うるさいわね」


 口々に声を上げるトールたちの会話に、不意に気怠そうな誰かの声が加わった。

 同時に階段の上に人影が現れる。

 ゆったりとした足取りで降りてきたのは、前に見かけた紫眼族の女性たちであった。


「ったく、なに騒いでんの? 入れないなら呼べばいいじゃない」


 そう言いながら先頭の女性は、無造作に鎖を引っ張る。

 たちまち軋んだ音を立てて鉄格子が持ち上がった。


「ああ、助かったよ。休憩を邪魔して悪かったな」

「べつに。ええっと貴方はたしか……、なんとか漁り、ああ泥ね。ありがとう、ネネ」

「それはあだ名だな。トールだ」

「私はキキリリ。この子はネネミミよ。よろしくしなくてもいいわ」


 ようやく至近距離で対面を果たしたトールは、眼前の女性をしげしげと眺めた。

 顔立ちはソラの言った通り、美人の部類に確実に入るであろう。

 だがトールの受けた印象は別物だった。


 目尻が天を向く大きな紫色の瞳は、獲物を見据える獣のような鋭い眼光を放つ。

 目立つ髪の模様や少しだけ持ち上がった唇から覗く犬歯と相まって、眼前の女性はまるで大きな猫がそこにいるかのような雰囲気をまとっていた。

 クロとシマを連想して思わず緩みかけた頬をさり気なく押さえたトールは、その背後へ視線を移す。


 こちらは姉と見かけはそっくりだが、威圧的な空気は微塵も感じ取れない。

 ただ影のように静かに佇むだけである。

 トールと一瞬だけ視線を合わせたが、すぐに逸らされてしまった。


 だがトールの頭にしがみつく同郷の存在は、無視できなかったようだ。

 ムーに視線を動かしたとたん、その紫の両目が大きく開かれる。

 同時に姉のほうにも、同様の変化が起こった。


「それって……!」


 双子が注視していたのはムーではなく、その頭上に回る黄金色の輪っかだった。

 一瞬だけ怯んだような色を浮かべたあと、強く睨みつけてくる。


 次の瞬間、天威の雷環はキキリリの手の内にあった。

 恐ろしいほどの早業だ。

 いや速いというより、動作の起こりがまったく見えなかったといったほうがいいか。


 腕が動いたこと自体は、トールにも察知できていた。

 だが、その軌道は完全にトールの虚を突いた動きであり、仮に武器を手にしていたら致命的な一撃を放たれていた可能性もある。

 まさに見た目だけなく、キキリリの所作も獲物を仕留めるしなやかな猫そっくりであった。


 手にした環を忌々しげに持ち上げたキキリリは、吐き捨てるように言い放った。


「こんな悪趣味な首輪、喜んでつけてるんじゃないわよ」



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