砦の宴
熾烈な戦いが終わったその日の夕暮れ。
ムー城塞の大広間では、にぎやかな宴が催されていた。
といっても沼まで運べる食料には限りがあるため、いつもの携帯食か現地の食材を使うしかない。
なので各自でちょっとした料理を持ち寄ってのささやかな夕食である。
それに明日になれば、街に戻って凱旋パレードとご馳走の山が待ち受けているのだ。
本日は疲れ切った体と心と胃袋を少しばかり休ませておこうという趣旨に、異論を挟む者もいなかった。
風呂場で念入りに泥を落としたトールは、濡れた髪のままガルウドと広間へ向かっていた。
貴重な水と燃料であるが、今日は特別ということで雨晶石と余った紅樹を使い倒して熱い風呂を用意したのだ。
その後片付けもあって、二人はやや遅れ気味な参加となっていた。
「前々から思っていたが、お前は俺を便利に使いすぎだ。今日はさすがに死ぬかと思ったぞ」
「優秀な盾士がいないと始まらんからな。そこら辺は諦めてくれ」
「ったく。本当なら今ごろ、娘を抱いて悠々と引退生活中のはずなんだが」
「すまんな。お前が居てくれるから無茶な作戦ができるんだ。いつも感謝してるぞ」
「それ、たまにはソラ嬢ちゃんにも言ってやれ――」
そこで二人は会話を止めた。
部屋に入ったとたん、皆が動きを止めいっせいに見つめてきたからだ。
静まり返るその様子にトールたちが戸惑っていると、ゆっくりと拍手が巻き起こり始めた。
視線を巡らすと、それぞれが畏敬の念を込めた眼差しを向けてくる。
どうやら活躍した二人を待っていてくれたようだ。
顔を見合わせたトールとガルウドは、唇の端を持ち上げながら拳を軽くぶつけあった。
「な、引退はちょっと早いだろ?」
「……かもしれんな」
大広間は中央に大きなテーブルがあり、そこに料理や酒樽が山盛りになっている。
どうやら椅子が足りないので、気に入った品を自由に皿に盛って好きなところで食べる形式のようだ。
どれから手をつけようか迷うトールの背中に、急に小さな重みが加わった。
そして耳元で幼い歌声が響き出す。
「ムーのむーはむてきのむー♪」
「また、ずいぶんとご機嫌だな」
「もう、こわいのなくなったもんねー、ムーちゃん」
「そんなおーむかしのはなしされてもなー。もう、ムーにこわいものはない!」
「あら、勇ましいですね。ムムさん」
いつもの笑みを浮かべたユーリルが差し出してきたのは、白っぽい肉が乗った皿であった。
燻製されたような香ばしい匂いが漂ってくる。
「沼地蜘蛛のお肉を、松の実といっしょに焼いたそうですよ」
「あ、おいしい!」
「もっとないのか? ユーばあちゃん」
「おや、お気に召していただけたようですね。こちらは蒸し焼きに近いので、肉の柔らかさを損なうことなく芳醇な仕上がりとなっております。どうです? 松の実の香りが素晴らしいでしょう」
流れるような口上を挟んできたのは、お喋り屋と名高いバルッコニアだ。
もう酔っているのか、首元がすでに赤く染まっている。
ニッコリと笑みを浮かべた"灼炎の担い手"の隊長は、その視線をトールを通り越してその背中の子どもへと向けた。
「失礼、立ち聞きとは無粋の極みですが、ぜひお祝いの言葉を述べたく存じましていさかかご容赦ください。ムーさま、怖いのがなくなったそうですね。ええ、真におめでとうございます。羨ましい限りですよ。私なんてこの歳になっても怖いものばかりで」
「そうなの? じゃあムーがいいことおしえてやろうか?」
「おお、それはぜひ!」
「じゃあ、おみみかして」
耳を近づけてきたバルッコニアに、子どもは顔を寄せたかと思うと不意にその頬に唇をくっつけた。
「ごほうびのちゅうです。きょうはよくがんばっていたので」
「これはこれは。淑女の口づけをいただけるとは光栄の極みに存じます」
「こわいのなくなった?」
「ええ、勇気が溢れんばかりに湧いてきましたと言いたいところですが、残念ながら大人はそう簡単ではないのですよ」
「そっかー。おとなもたいへんだ」
少しだけ考え込む顔になったムーは、自分の頭を指差しながら言葉を続ける。
「ムーはこわいの、ここからないないしたらきえたぞ」
「ないない? 考えないようにしたということでしょうか?」
「えっとトーちゃんとか、くろすけのことばっかりかんがえてたぞ」
「えー、わたしはー?」
「ソラねーちゃんはこれくらい」
トールの背中にしがみついたまま、ムーは器用に両手を広げてみせる。
嬉しそうに笑ったソラは、ムーのほっぺたを指で突いた。
「むむ。くろすけよりすくなくない?」
「そんなことないぞ。くろすけ、こんだけだし」
「ほとんど変わらないよ!」
他愛もないやり取りを始めた二人に、バルッコニアも楽しそうに頷いた。
それから少し考え込む顔になると、手の盃を持ち上げて別れの仕草をする。
「では私はこの辺で。皆様、またお会いできる日を心からお待ちしておりますよ。……ふむ、思考を他で埋める方法か。試してみるのも悪くはないな」
退場した饒舌な炎使いに替わって現れたのは、いつもの鋭い視線が緩みきったチルであった。
近づいてくるなりトールの手を握って、上下に激しく振ってみせる。
「今日の戦いぶり本当に素晴らしかったぞ、泥漁りの英雄殿。いや、その名は相応しくないな。泥破りの英雄殿とでも呼んだほうがいいか?」
「好きにしてくれ」
「名に拘らんのは相変わらずか。我らとしては信じ難いが、それもまた英雄殿らしくもあるな」
一息ついたチルは、満足げに言葉を続けた。
「この度の栄えある戦いに名を刻めたことを心から誇りに思う。至極、愉快だったぞ、英雄殿」
「はねのおっちゃんいたのか?」
「弓士は伏せてこそ輝くものだからな。さとられるほうが恥なのだ」
「じゃあムーがごほうびあげるぞ」
手招きする子どもに、嵐峰同盟の盟主は上機嫌に顔を寄せる。
そして頬にムーの口づけを受けたチルは、ニヤリを笑うと子どもの頬にお返しとばかりに素早く唇を押しつけた。
「ちゅうがえしか! やるなー」
「ヤられたらやり返す。我らの掟だ」
そこで少し真面目な顔になったチルは、トールの目をまっすぐに見据えた。
「今回はともに戦ったが、次からは競い合いだな。よき好敵手としてよろしく頼む」
「そうか。次は監獄だな」
「中で会えるのを楽しみしているぞ。それはそうとユーリル殿、これは馬の乳を醸した我が国の酒でな。癖が強いが味は保証する。よかったら飲んでくれ」
「ありがとうございます。とても楽しみですね」
酒瓶を手渡されたユーリルが嬉しそうに礼を述べると、チルは目元を緩めてから小さく頷いてみせた。
鷹の目をした男が去った次は、紫の眼を持つ巨漢だ。
傍らには、大きな蓋付きの深皿を抱えた副隊長の女性が付き添っている。
「少しいいか? トール殿」
トールが頷くとソルルガムは少し間を置いてから尋ねてきた。
「あの魔女の最期。あそこで終わらなかったら、まだ策はあったのか?」
「そうだな。その時は塀も戻して、ひたすら切り刻むつもりだったな」
「……やはり、そこまで考えていたか」
黙ってしまったソルルガムに、いつの間にかトールの肩に座っていたムーが身を乗り出したかと思うと、その頬に唇を押し付けた。
「でっかいおっちゃんもごほうびなー」
不意打ちの口づけに、雷哮団の団長は驚いたように目を見開く。
そして厳しい顔をいきなり崩したかと思うと、くぐもった笑い声を上げてみせた。
その様子の副隊長も目を丸くして、驚きの呟きを漏らす。
「わ、私、団長が笑ったの初めて見たかもしれません」
「ふ、俺も笑ったのはいつぶりか思い出せんな」
「笑った顔も素敵ですね」
「そうか。たまには笑うのも悪くないな」
眉間のシワが取れたソルルガムは、トールにこぶしを差し出してきた。
ぶつけ合うと、再び破顔してみせる。
「よく気づかせてくれた。礼を言わせてもらう」
「こちらこそ、いろいろと世話になったな」
頷いたソルルガムは、隣の副隊長へ視線を向ける。
その意味を察したのか、進み出た得意顔の女性はよく見えるよう深皿の蓋を取ってみせた。
「皆様に教わったので、より美味しくなるよう改良を加えてみました。どうぞ召し上がってください」
皿の中に鎮座していたのが、大きな蛇の頭であった。
どうやら青縞大蛇の頭部をまるごと煮込んだ料理らしい。
沸き立つ香りは申し分ないのだが、問題はその見た目だ。
こちらを睨みつけるかのようなグロテスクなモンスターの顔に、ムーは怯えたようにトールの頭にしがみついた。
「さあ、どうぞ、ムー様!」
「えっ」
「この目玉のところは絶品ですよ」
「えっと、ムーはもうおなか、むやみだからむりかな」
「無闇?」
「えーと、さんわりだぞ」
「三割? じゃあまだまだじゃないですか!」
「た、たすけて、トーちゃん」
新たに怖いものができてしまったムーであった。
宴もほぼほぼ終わり、腹がくちくなったトールは大きな窓から入ってくる風に体を涼ませていた。
日が落ちて真っ黒になった沼面を眺めていると、隣に黒髪の少女がやってくる。
しばし黙ったままトールと同じ方向を見つめていたソラは、思い出したように尋ねてきた。
「そういえば魔女の正体って、なんだったのかな?」
伝承の存在とまで言われた沼地の魔女だが、息絶えるまで火の中に置かれたせいで黒焦げになり原型が全く分からなくなっていた。
「そうだな。蔦によく似ていたし植物の一種かもしれんな」
「水棲生物にも、あのように触手を生やした生き物がいるそうですよ」
穏やかな声でユーリルが会話に混ざってくる。
その腕には、すやすやと寝息を立てるムーが抱きかかえられていた。
「沼地だし、それかもしれませんね」
「でも紅樹のように、変わった根を張り巡らす植物もありますからね」
「うーん、謎は深まるばかりだねー」
「ふーむ。どのような経緯で、何がどうなったのかは、結局分からないまま終わりそうだな」
そこで会話が途切れ、またもトールは沼へと視線を戻した。
ここからでは見えないが、暗い闇の向こうにある古びた建物の姿が脳裏へと浮かんでくる。
「……次はとうとう大瘴穴に通じる固定ダンジョンです。ついてきてくれますか?」
「もちろんだよ! トールちゃん」
「はい、どこまでもご一緒しますよ」
「うにゃむー」
仲間たちの返事に深々と頷いたトールは、何も言わず空を見上げた。
霧が晴れ渡った夜天には、美しい半月が輝いていた。




