銀盟会、再び
「……………………なん……だ? いったい、これは……」
しかめっ面屋で有名な雷哮団の長ソルルガムの驚愕に満ちた顔など、滅多に見られる代物ではない。
普段のバルッコニアであれば、お喋り屋の面目躍如とばかりにたっぷり軽口を叩いたであろう。
だが当の本人も、今はそれどころではない有り様だ。
そのよく回る口はぱっくりと開かれたまま、呻き声一つ出てこようとしない。
それは二人の背後に居た嵐峰同盟の盟主であるチルも同様だった。
いつもの猛禽類のような鋭い眼差しが、ひよこのようにまん丸に見開かれてしまっている。
三人の眼前にそびえ立つのは、石造りの巨大な建物だった。
大きな石を隙間なく積んだ壁は、頭上高く伸びている。
角にはきちんと物見櫓を兼ねた小塔まであるようだ。
それは疑う余地もないほど、しっかりと造られた砦であった。
ただし男どもが驚いているのは、その威容だけではない。
まず場所が場所だからである。
こんな瘴地の奥、選ばれたほんの一握りの冒険者しか立ち入れないはずの妖かしの沼のほとりに、その砦は堂々と存在していた。
だがそれも、もう一つの点に比べればささやかな問題だ。
もっとも驚くべきことは、こんな建物は昨日まではなかったという事実である。
親とはぐれた幼子のように、三人は石壁へ恐る恐る手を伸ばす。
そして冷たい石がそこに紛れもなく存在する感触に、途方に暮れた顔を互いに見合わせた。
言葉を失くし立ち竦む屈強な男どもだが、その鍛え上げられた勘まで黙り込んだわけではないようだ。
不意に背後に気配を感じた三人は、息を合わせたようにいっせいに振り向いた。
そして目の前の人物の姿に、またも声を失った。
城壁の角から現れたのは、二足歩行の白い獣だった。
といっても、大きさは臍の辺りまでしかない。
それとなぜか蛇革の紐をたすき掛けにしていた。
その紐の先にぶら下がっているのは小さな四角いかごだ。
奇妙な出で立ちの白い獣は、三人を前に手足をいきなり大きく振り始めた。
そのまま身を翻して、その場でくるくると回りだす。
最後にピタッと動きを止めて、頭部の皮をいきなり後ろに引っ張った。
中から現れたのは、愛らしい金髪の巻毛と紫の瞳を持つ子どもの顔だ。
得意満面な表情を浮かべながら、幼い子は高らかに言い放った。
「ようこそ、ムーのおしろへ!」
そしてまたも身を翻すと、スタスタと角を曲がって消えてしまう。
残された大人どもは、慌てた顔でその後を追いかけた。
砦の沼に面していない側の一階部分には、馬車が乗り入れできる大きな厩舎があった。
軛から解かれた馬たちが、くつろいだ様子で水を飲んでいる。
ここではあまり見られない光景だが、感覚が麻痺してしまった三人は足早にその前を通り過ぎた。
二階へ続く石段の上で、先ほどの獣の皮を着込んだ子どもが手招きしている。
互いに頷きあった男たちは、意を決して階段に足をかけた。
そのまま騒がしい音に導かれるように、三人は通路を進み奥の部屋へと向かう。
そこは広々とした一室だった。
明かり取りの小窓が並んでおり、石に囲まれていながらも開放されたような雰囲気がある。
壁の一面には暖炉があり、赤々と燃える炎が鉄の網を焦がしている。
その前に屈み中を覗き込んでいた少女が、ソルルガムらに気づき歓迎の色を瞳に浮かべた。
振り向いて部屋の奥にいる人物に声をかける。
「トールちゃん、お客様きたよー」
「お、来てくれたか。呼びつけて済まなかったな」
声に応えて近づいてきたのは、中年の冒険者だった。
見た目は冴えないがボッサリアを解放した英雄であり、その実力は三人とも確認済みであった。
そしてそのトールこそが、今回の銀盟会の主催者でもあった。
トールたち一行が二日ほど前に沼に来ていたのは、部下たちの報告で三人とも知っていた。
砦跡で地面にしゃがんで何かを探していたようだが、捜し物の正体は教えてもらえなかったと。
その代わりに今日の昼、ここに来るように伝言を頼まれた次第であった。
「…………ここはなんだ? どうやって……」
「ここで何が起きているんですか? これ全部、トールさんの仕業でしょうか?」
「英雄殿、早く説明を頼む! 分からなすぎて頭がおかしくなりそうだ」
矢継ぎ早に話しだした三人にトールは肩をすくめると、ぽつんと置かれたテーブルを指し示した。
「まあ、まずは昼飯にしないか?」
足代わりの赤い丸太の上に木の板を置いただけのテーブルは、全員が座るとかなり手狭となっていた。
椅子もよく見ると、冒険者が使う簡素な折りたたみの椅子だ。
三人の視線に気づいたのか、トールは顎の下を掻きながら説明する。
「建物は戻せたんだが、中身までは無理でな。なんとか間に合わせで作った代物だから、ちょいと不格好なのは勘弁してくれ」
「戻した?」
「…………まさか!」
「英雄殿がやってのけたのか!?」
トールが口を開いたその時、割り込むように皿を手にした少女が現れる。
「おまたせー、焼き上がったよ」
次々と並べられた皿からは、異様に美味そうな匂いが漂っていた。
赤みがかかった肉は分厚く、肉汁を滲ませながら湯気を上げている。
隣に添えられた青豆も、食欲をそそる彩りを放つ。
思わず生唾を飲み込みそうになったチルの耳に、ソラの声が再び響いた。
「パンは一人二つまでですよー」
口々と上がった返答に、バルッコニアは素早くテーブルの面々を見回した。
真正面には、黙々と切り分けた肉を口に運ぶトール。
その横には先ほどの白い獣の毛皮を着込んだ子どもが座り、同じ顔をした翠羽族の男たちが甲斐甲斐しく世話を焼いている。
反対側には青いリボンを付けた少女が、素晴らしい勢いで肉を消化中だ。
さらにその隣には、銀髪の灰耳族の美女が座り、優雅に盃を傾けていた。
角を曲がってテーブルの奥。
そこには首に白いナプキンを巻いた赤髪の見目麗しい女性が、軽やかに肉を噛み締めていた。
後ろに立つ茶角族の男が、さり気なく空いたカップに葡萄酒を注ぎ入れる。
さらにその後ろでは、蒼鱗族の女性がなぜか竪琴を爪弾いて、食事中に相応しい音楽を奏でていた。
まるでどこかの高級レストランのような光景に、ソルルガムらは再び沈黙するしかなかった。
そんな三人に話しかけてきたのは、隣で豪快に肉を食らっていた茶角族の男だ。
「ほら、早く食わないと冷めちまうぞ。竜の尾の肉なんて、なかなか味わえるもんじゃねえから遠慮してると勿体ないぜ」
「これはもしや、ボッサリアの湖水竜の群生相では? トールさんが退治したとの噂は聞いてましたが」
「よく知ってんな。さすがはお喋り屋だ」
「本当にアレを倒したんですね。でしたらお聞きしたいことが――」
「そこら辺は飯のあとで説明するだろ。とりあえず食った食った」
促された三人は、無数の疑問を抱えたままナイフに手を伸ばした。
そして旨味が凝縮されたようなその味に、夢中になってかぶりつきだす。
その後、ムーとチルは三つ目のパンに手を伸ばして仲良く叱られていた。
食後のお茶を喉に流し込み一息ついたところで、ようやくこの砦についての説明が始まった。
「いろいろと聞きたいこともあるだろうが、簡単に言うとここは俺が<復元>した」
「…………<復元>だと?」
「ボッサリアの街を直したと噂の魔技ですね。位置を変えたりしたのは見ましたが、これもその一種ですか? 他にどれほどのことが?」
「人を治せるだけではなかったのか! 凄まじいとしか言いようがないな」
口々に感想を述べる三人だが、トールの言葉を疑う素振りはない。
ここに砦が実在し自分たちの足元を支えているという事実は揺るがしようがないと、すでに受け入れているからだ。
冒険者を長く続けているほど、現実を受け入れる力がつきやすくなる好例である。
トールは淡々と、冒険者局の資料室で当時の砦の仕様を丹念に教えてもらったこと。
それを基に、この地の記録を二日かけて丁寧に読み取り、そっくり再現してみせたことを語った。
その理由は、自分の力をよく知って信用してもらうこと。
それと魔女を倒すために、三人の力を貸してほしいとトールは続けた。
その瞬間、さすがに男たちの目の色が変わった。
「…………本気か?」
「そ、それは、その、まともじゃないと思いますが、こんな砦まで元に戻せるのなら、もしかして……」
「俺の数枚上を行く男だな。やはりチタの婿に欲しいぞ!」
「勝算はもちろんある。この木を見てくれるか」
トールが指差したのは、テーブルの足になっていた赤い丸太だ。
部屋の奥にも、それなりの数が積んである。
「紅樹と呼ばれる木で、ボッサリアの血溜まりの湖の周りに生えている。こいつは腐敗に強いので、埋れ木の代用として使えるはずだ」
そこから足場を作って、魔女をどう攻略していくかを仔細に語りだす。
最初は荒唐無稽すぎる提案だと考えていた三派閥の長たちだが、徐々にその話に引きずり込まれていく。
トールが話を終えるころには、男たちの心境は半信半疑までになっていた。
「今すぐ決めてくれとは言わない。とりあえず、持ち帰って話し合ってみてくれないか」
「…………あ、ああ」
「ふむふむふむふむ。面白い、なるほど囮とは。霧に対してもそのような手が……」
「そうだな。その<加速>とやらは非常に興味深い。ぜひ、一度試させてくれるか?」
好感触な三人の態度に、トールは満足げに頷いた。
そして念押しとばかりに尋ねる。
「他に何か聞きたいことはないか? 疑問があるなら今のうちに出してくれ」
その言葉に顔を見合わせた三人は、揃えたように似たような言葉を発した。
「…………それほどの力があるなら、お主はもう前に出ないほうがいいのではないか?」
「ええ、あなたを失うことは、途轍もない損失に思えますね」
「うむ、婿殿は安全な場所に居たほうがいいな」
だが首を横に振ったトールは、小さく唇の端を持ち上げながら答えた。
「どうやら俺は、それが我慢できない性分のようでな」




