英雄の素質
昼過ぎに戻ってきたガルウドの馬車に乗せてもらい、トールたちはダダンの境界街へ戻ることにした。
ベッティーナらも無事に真銀級へ昇格したとの連絡が来たせいだ。
サッコウ経由で受け取った手紙によると、もうすでに彼女たちは何度か妖かしの沼まで遠征済みらしい。
もとよりベッティーナのパーティとは、協力して沼の攻略にあたる約束を交わしていた。
ただそれも魔女の存在を知ってしまった今、どうすべきか話し合いをする必要がある。
ボッサリアの境界街だが、犬鬼の坑道や血溜まりの湖での問題は片付いたため、当面の危機は去ったと言えるだろう。
あとはシサンらや、ロロルフらの仕事である。
その先の常闇の渓谷や火吹き山の迷宮に関しては現在調査中のため、まだトールたちの出番が来るかどうかさえ分からない状況だ。
きちんと依頼を果たしてみせた英雄たちは、たくさんの住人に盛大に見送ってもらいながら街を後にした。
御者台に座ったソラとムーは、皆の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
半日かけて懐かしい我が家に帰ってきたトールたちは、荷物を置いてすぐに待ち合わせの冒険者局へ向かった。
ロビーに足を踏み入れたとたん、久しぶりの声が出迎えてくれる。
「もう、やっと来たの? どこで油を売ってたのかしら、地味な英雄さんは」
「野暮用で少し隣街にな。待たせてすまなかった」
トールの返しに、いつもの調子で話しかけてしまったお嬢様は、即座に真面目な顔へ切り替える。
「父の我がままを聞いてくださって、本当にありがとうございます」
「調子が狂うから、いつもどおりで頼む」
「はい、分かり――。分かったわ、泥漁りの英雄さん」
「おや、ソラ様、ユーリル様。その首飾りと額冠、たいへんよくお似合いですね」
「……元気だったか? 幼い子」
「……今日は一段と愛らしい姿だな」
褒められたムーは、その場でくるくると回ってみせた。
ソラも嬉しそうに、いっしょに回ってみせる。
「沼にはもう行ったそうだな」
「ええ、あのバカバカしい会合や、泥臭い野営地をたっぷり見学してきましたわ」
「奥には?」
その何気ない問いかけに、赤毛の美女は鋭く眉をひそめてみせた。
「もちろん見ましたわ。思っていた以上に深刻ね」
「ああ、厄介な問題だな」
「今はまだあの沼に留まっていますけど、大瘴穴の影響を考えれば、それも何年保つことやら」
「その間に監獄の底を封じるしかないということか」
「ええ、局長とも話したのだけど、特例での昇級が認められたので、監獄に注力しろとの命令、もとい依頼を受けたわ」
そこでベッティーナは、輪を描く髪を揺らしながらトールの目を覗き込んだ。
それから少しだけ間を空けて言い放つ。
「でも、どうにかする気なんでしょ?」
トールはすぐに答えることができず、黙ったまま顎を掻いた。
その様子に何かを感じ取ったのか、ベッティーナはいきなり振り向くと短く命令を下した。
「少し出かけてくるわ。後はお願い」
「かしこまりました、お嬢様。ムー様、ソラ様、今日は連絡板がほどよく空いておりますよ。ユーリル様、新しい茶葉を仕入れましたので一服いかがですか?」
歓声を上げて動き出す子どもと少女に、タパとタリがさり気なくつきそう。
すでにお茶の支度が整っていたテーブルにユーリルを案内しながら、ゴダンは器用に片目をつむってみせた。
「では、ごゆるりとお二人で楽しんでくださいませ」
「ついてきてください」
短く囁いたベッティーナは、そのままスタスタと歩きだしてしまう。
小さく息を吐いたトールも、紅髪の乙女の後に続いた。
冒険者局を出たベッティーナは、大広場の喧騒を避け外壁に向けて進んでいく。
その背中を追いかけるトールに、前を向いたまま柔らかな声音で話しかけてきた。
「そういえば最初に出会った時のこと、覚えていますか?」
「あれも冒険者局のロビーだったな。隠れた英雄を探しているとかどうとか」
「ふふ、そうでしたか?」
「とんだ茶番だったな。あらかじめ俺のことは知っていたんだろ?」
「それはまたどうして、そうお思いに?」
「ああ、初対面の俺の名前をなぜか知っていたからな。泥漁りと呼ばれたなら、まだ分かるんだが」
「もうゴダンたらうっかりね。あとで言い聞かせておきます」
「それもわざとだろ。あのやり取りだけなら、逆に付き合いを避けていただろうしな」
今度は答えず、ベッティーナは涼やかに笑い声だけを上げてみせた。
そのまま軽い足取りで進んでいた乙女は、不意に立ち止まると振り向いてまたも問いかけてきた。
「ご存知ですか? トール様。この街には九年前にも隠れた英雄が居たんですよ」
なんの変哲もないこの路地が、彼女の目的地だったようだ。
懐かしそうに周囲を見回しながら、ベッティーナは話を続ける。
「その日、たまたまその子は父親についてきて外街に来てましたの。でもお仕事の話ばかりで退屈になって、冒険という名のお散歩に勝手に出かけてしまい、そして運悪く、ホブゴブリンの大発生に巻き込まれる羽目になって……。この路地に逃げ込んだ私は、この世にはどうしようもない事柄があるのだと、ここで生まれて初めて思い知りました」
指を丸め拳を作りながら、ベッティーナは薄暗い路地に立って淡々と言葉を紡ぐ。
「泣いても喚いても、命乞いをしても、なんにもならないんだって。死ぬってことが、どれほどあっさり訪れるのか……。舌なめずりした小鬼に髪を掴まれて宙釣りにされて、私は涙もなく震えてました。もうなにもかも終わりなんだって諦めて……」
当時を思い出したのか、ベッティーナの目に赤みが増していく。
その紅玉のように輝く瞳で、元少女はトールを真っ向から見据えた。
「でもその時、誰かが手を差し延べてくれたんです。私の喉を噛みちぎるはずだったホブゴブリンの牙の前に、文字通りその手を差し出してくれたんですよ」
しばしの沈黙の後、ベッティーナは口を開いた。
「その後のことはよく覚えてません。私は背中に傷を負ったようで、その恩人に背負われて施療神殿に運んでもらったと記録に残ってます。その方は名前も告げずに立ち去ったそうです。ボロボロになった左手を治すこともなく……。その人こそが私だけの隠れてしまった英雄なんです。ね、どこかの誰かさんに似てるお話だと思いませんか?」
トールは何も答えずに、続きを促すように首を傾げた。
反応を窺っていたベッティーナは、唇の端をわずかに持ち上げて話題を変える。
「ソラに聞きました。あの子を救うために、二十五年もずっと独りでスキルを育ててきたそうですね」
「アイツには返しきれない借りがあったからな」
「それだけですか? でしたら、この間の大発生から街を守ってみせたのはどうしてですか?」
黙ってしまったトールに、赤毛の乙女は畳み掛けるように言葉を重ねた。
「あなたは誰かのために、その身を躊躇なく差し出せる人です。……私も英雄になるために、この身を捧げることに強い憧れを感じます。でも、あなたは違います。経緯や結果を考える前に動いてしまう。その行動こそが真の英雄と呼ばれるものなんです。私や他の誰かには無理だけど、あなたはそれができます。だから……」
そこでベッティーナは、もう一度路地奥へ視線を移した。
そのままトールに背を向けたまま、小さく呟いてみせる。
「だから、迷わないで」
目をつむったまま、トールはゆっくりと己の心に問いかけた。
その脳裏に、この街で出会った様々な人の顔が横切っていく。
最後に二匹の猫が仲良く日向ぼっこをしている居間の光景を思い出し、トールは大きく頷いた。
「そうだな、そのままにして先へ進むわけにもいかないか」
早足で歩き出したトールを、追い抜かれたベッティーナは弾んだ声で呼び止める。
「ねえ、どこへ行くのかしら? 地味な英雄さん」
「まずはできることからだな。とりあえず下調べから始めるか」




