一番守りたい場所 ~とある師弟の物語~
「マルス、今日の鍛錬を始めようか」
「はい、お師匠さま」
お師匠さまがボクのために作ってくれた木刀を握り締めて素振りを始める。
「うん、なかなか良くなってきたね。やっぱり木刀のサイズが合ってなかったんだよ」
「はい、ありがとうございます!!」
ボクのお師匠さまは剣神と呼ばれている世界一の剣士だ。
昔、魔王を討伐したパーティにいたこともあるすごい人なんだけど、今は現役を引退して片田舎でのんびり暮らしている。
お師匠さまのところには世界中から弟子入り希望の剣士が毎日のように訪ねてくるけれど、絶対に弟子を取ろうとはしないんだ。勝負を挑まれたときは気分次第で応じることもあるけれど。
「あの……お師匠さまはどうして弟子を取らないんですか?」
「教えるのはあまり好きじゃないんだよ」
お師匠さまの銀糸のような髪がキラリと揺れる。遠くの空を眺める翡翠のような透き通った瞳は初めて会った時と少しも変わっていない。
五年前、ボクの故郷は魔王軍の主力に襲われて全滅した。たった一人ボクを除いて。
『ごめんね……間に合わなかった』
地獄のような場所で出会ったその人は、華奢なのに凛として咲いている一輪の花のようで、ボクの折れそうだった心を優しく包み込んでくれたような気がしたんだ。
『……強くなりたいです、アナタのように』
『そうか。強くなってどうするんだい?』
『守りたい……大切な人を……守りたいです』
『キミの名前は?』
『……マルス』
『わかった。一緒においで、私が剣を教えてあげる』
あれから五年、お師匠さまは、そんなボクをここまで育ててくれた恩人でただ一人の家族のような人。
「ボク頑張ります!! 強くなって皆を守れるようになりたいです」
「うん。その調子で私も守ってくれるようになったら嬉しいな」
本気とも冗談ともつかない調子で微笑むお師匠さま。ボクはそのそよ風みたいなふんわり優しい声が大好きだ。
「でもお師匠さまは誰よりも強いじゃないですか」
見た目は華奢な少女のようだけど、その一振りで山が消し飛んだとか一人で国を落としたとかドラゴンを真っ二つにしたとか数えきれないほどの武勇伝がある歴史書にも載っている伝説の人物だ。
一度本当の話なのか尋ねたことがあるけれど笑って否定はしなかったからある程度事実なんだろう。お師匠さまはボクの知る限り絶対に嘘をつかない人だから。
「そんなことないさ。私にだって弱いところや苦手なことだってある」
いたって真面目になぜか自慢げな表情で胸を張るお師匠さまのお腹がぐううと鳴る。
「そろそろお昼にしましょうか」
お師匠さまは空腹に滅法弱い。お腹が空くとただの駄目人間になってしまう。
「待ってました!! 今日は何かなマルス?」
「新鮮な卵をたっぷり使ったパンケーキです。ハチミツと生クリーム、生ハムをお好みで」
「やったああ!! マルスのパンケーキ大好き」
子どものように大喜びするお師匠さま。今年で二百歳になるとはとても思えない。
そして、お師匠さまは料理が絶望的に苦手だ。
『エルフは火を使うことを好まないんだ。だから料理はしない』
なんて言っていたけれど、火を使わない料理の殺傷能力もかなりのモノだったので単純に得手不得手の問題だと思う。そして火を使うことは嫌がるのに焼き物は大好物だったりする。
ボクが危機感を覚えて料理を作るようになるまでは、三食外食で済ませていたしね。
「お師匠さまは何でも大好きって言いますよね」
「うん、マルスの作るものは全部大好きだよ」
お師匠さまは好き嫌いが無いのが素晴らしいと思う。たまには外食でも良いかなと思う時もあったりするけど、お師匠さまが喜ぶ顔が見たくてつい頑張ってしまう。
いつの間にか剣の腕よりも料理の腕が上がってしまっているような気がしなくもないけど。
「……また失敗してしまいました」
五歳の時からもう五年間毎日練習しているのに、お師匠さまの剣技の中でも一番初歩的な技さえ一度も成功していない。
お師匠さまに呆れられてはいないかな?
このままじゃ……もう教えるのはやめよう、なんて言われるかもしれない。
ボクにはたぶん剣の才能はない。わかってはいたけどお師匠さまと一緒に鍛錬するのが楽しくてそのことに気付かないふりをしていた。そんなことはお師匠さまが一番良くわかっているだろうけれど。
「マルス、キミはまだ十歳なんだよ? 焦る必要なんてないさ」
お師匠さまはいつも優しく微笑むばかり。
そしてボクはその笑顔にホッとするんだ。
良かった。まだ続けて良いんだって。
「マルス、今日のお昼は何かな?」
「今日は昨日狩ったイノシシ鍋です」
「それはご馳走だね!!」
「はい、お師匠さまが大好きな採りたての山菜や果物もあります」
「マルス……君は神かな?」
「あはは、お師匠さまは大袈裟です」
ボクが十三歳になった時、お師匠さまとボクは人里離れた山奥に移り住んだ。
毎日やってくる客人という名の邪魔者の相手をするのがほとほと嫌になったかららしい。
山の奥にはお店も無いから不便だけれど慣れてしまえば静かで暮らしやすい。
なによりお師匠さまが居る場所がボクのいる居場所なんだから。
「もう一度見本を見せるね……神速斬!!」
お師匠さまが棒切れを軽く振り抜くと、百メートル以上離れた場所にあった大岩が真っ二つに斬り裂かれた。音速をはるかに超えたその一撃は、風切り音が聞こえた時にはすでに終わっているんだ。
剣神と呼ばれるお師匠さまの代名詞的な剣技で一番初歩的な技なんだけど……。
「……すごい」
修行を始めて八年が経った今でも、ボクは一度も成功していない。
「お師匠さま……ボクはやっぱり剣の才能が無いのでしょうか?」
「そうだね、マルスには剣の才能は無いと思うよ」
やっぱり……わかってはいたけど、お師匠さまの口からはっきり言われるとショックが大きい。
「ははは、そんな顔しない。いいかいマルス、私は今まで剣の才能を持つ人間を山ほど見てきたけれど、そういう人間は成長は早いが限界に到達するのも同じぐらい早いものだ。己の才能の範囲でしか伸びしろが望めない。そういう人間は教わることも教えることも出来ないからね」
そういうものなのだろうか? ボクはお師匠さましか知らないからよくわからない。
「マルス、キミには素直さと努力する才能がある。それは一見地味に見えるかもしれないけれど、驕ることなくコツコツと積み上げられたものは決して裏切らないものだよ」
素直さと努力する才能……そんなこと考えたことも無かった。
でも……なんだか嬉しいな。お師匠さまがそんな風に思っていてくれたなんて。
「マルス……私がキミに剣を教えているのはね、キミが決して剣を傷付けるために使わないと信じているからだ。そのしなやかで強い心は誰かに教われるようなものじゃない。キミは強い子だよ……この私なんかよりもずっとね」
少しひんやりとする掌で頭を撫でまわすお師匠さま。じんわりと心が温かくなる瞬間。
「お師匠さま、ボクにこれからも剣を教えてくれますか?」
「もちろんさ。キミには伸びしろしかないからね」
「はい!!」
よく考えたらお師匠さまは世界一の剣士なんだ。
剣の才能が無いボクが出来なくて当たり前じゃないか。だったらお師匠さまの言うことをちゃんと聞いて出来ることを頑張るしかない。
森の広大さは中に居たら気付かないように、お師匠さまの凄さはボクには一生わからないのかもしれない。でもその森でしっかりと根を張る一本の木になることは出来る。
疲れた時は背もたれになったり、雨が降ったら雨宿りしてもらうことくらいは出来るんだ。
「……エリスさま、どうか……私たちを……もう一度世界を救ってください」
ボクが十五歳になったある日、沢山の国の代表者たちがやってきて一斉にお師匠さまに頭を下げた。
なんでもかつてお師匠さまが倒した魔王よりも強くて凶悪な邪神が出現して世界を滅茶苦茶にしているらしい。
「見ての通り私はとっくの昔に現役を引退しているんだけどね。他にもほら、勇者とか剣聖とかいるじゃない強い人が」
「はい……実はすでに勇者も剣聖も邪神討伐に向かったのですが……音沙汰がなく……おそらくは……」
悔しそうに俯く人々。きっと万策尽きて恥を忍んでお師匠さまを頼って来たのだろう。
「そうか……」
お師匠さまがジッとボクの顔を見つめる。
何だろう……今まで感じたことのないこの気持ち。
「わかった。邪神討伐引き受けるよ」
「本当ですか!! ありがとうございます……ありがとうございます!!」
人々が大喜びで引き揚げてゆくと、いつもの静かな空間が戻ってくる。まるで夢でも見ていたかのように。
「お師匠さま……ボクも一緒に行きます」
「……マルス、ごめんね。それだけは聞けない。キミはここに残って私たちの家を守っていてもらいたいんだ。いいね?」
こんなに真剣で厳しい表情をしたお師匠さまは初めてかもしれない。
「連れて行けないのはボクが弱いからですか?」
わかってる。ボクが一緒に行きたいのはワガママだって。足手まといにしかならないのに離れたくないからだって……。
「違うよマルス、それは違う。キミは強い。弱いのは私の方だ。キミが一緒に居たらきっと私は全力を出すことが出来ないだろうからね」
「やっぱり足手まといですよね……」
「そうじゃない。邪神の話を聞いた時、私ははっきりと気付いてしまったんだよ」
「……お師匠さま?」
なんでそんなに悲しそうな顔をしているんですか? それじゃあまるで……
最後のお別れみたいじゃないですか!!
「マルス……私は何よりも……キミが大切なんだ。邪神討伐を引き受けたのはね、世界のためじゃない。キミとの生活を守りたいからだ。だから……守って欲しいんだ、私が一番守りたいものを。それが出来るのはキミしかいないんだから」
「わかり……ました」
ボクはそれ以上何も言えなかった。
「それじゃあ行ってくるよ。さっさと終わらせてすぐに帰ってくる。マルスの作る食事が食べられない日々なんて拷問みたいなものだからね」
「どうかお気を付けて。美味しい料理を作ってお帰りを待ってますね」
「うん、楽しみにしてる」
ちょっとそこまで散歩に行くみたいな軽い感じでお師匠さまはボクの前から居なくなった。
お師匠さまが出発してから三日が過ぎた。
そういえばお師匠さまと二日以上離れるのは初めてのことだと気付く。
朝、寝坊助なお師匠さまを起こしに行ってもベッドには誰もいない。
朝、日課の鍛錬を終えたら昼食の準備に取り掛かる。
いつお師匠さまが戻って来ても大丈夫なように必ず二人分用意する。
さすがにまだ帰って来ないだろうけれど、あのお師匠さまのことだ、あり得ないことなどない。
お師匠さまが出発して三か月が過ぎた。
何か情報が無いかと町へ買い出しに行くついでにギルドに立ち寄ってみる。
「邪神がどうなったのかって? この町に入ってくる情報はかなり遅れて入ってくるからね……今のところは目新しい情報は無いね」
「そうですか……そうだ、あの毛皮を売りたいんですけど買い取ってくれますか?」
山で狩ったイノシシやクマの毛皮を山と積んだ荷車を指差す。
「おいおい……これって危険度A級指定の魔物、猪嵐と熊雷じゃないか……いったいどうやって!?」
目を丸くするギルド職員。
「危険度A級指定の魔物? いや普通に山で狩っただけですけど?」
何か勘違いしているのかな?
「そ、そうか……ええっとちょっと待ってくれ、全部で金貨千五百枚でどうかな?」
「ちょっと待て、俺なら金貨二千枚出す、俺に売ってくれ!!」
「ちょっとズルいぞ、俺は二千五百枚だ!!」
なぜか周りに居合わせた冒険者や商人たちが競争し始めた。
「……こんなに貰ってしまって良いのかな?」
結局、金貨三千枚で売れた。お金の価値はよくわからないけど、ただの毛皮なのに貰い過ぎのような気がする。だって一度の買い出しにかかる費用は金貨一枚も必要ないくらいだし。
でもお師匠さまが帰ってきたら美味しいものをたくさん食べてもらいたいから、思い切って色んなものを買って帰ろう。
だって世界を救ったお祝いなんだから奮発しないとね。頑張ったお師匠さまを目いっぱい甘やかすんだ。そうだ……甘いモノ大好きだからケーキの材料も忘れずに買って帰らないと。
ふふ、早く帰って来ないかな、お師匠さま。
「……神速斬!!」
遠く離れた大木が大きな音を立てて倒れる。
ついに成功した。
五歳から修行を始めて十三年かかってようやく。
「お師匠さま……褒めてくれるかな?」
お師匠さまが出発してから三度目の夏が終わろうとしている。
きっと邪神の居る場所はものすごく遠いんだろう。
片道一年半で往復三年、そろそろ帰ってくる頃かもしれない。
いや……違う。
本当はわかっている。
邪神が出現したのは王都だって。ゆっくり歩いて行ったって片道三か月もかからない。
邪神が居なくなったっていうニュースが届いたのはお師匠さまが出発してから半年経ってからだった。
だからきっと……たぶん歩けないほどの怪我をして回復に時間がかかっているのかもしれない。
それともお師匠さまはとても素敵な女性だから、王都で王子様にプロポーズされたのかもしれない。
「でもお師匠さまは帰って来るって言ったんだ」
だから今日も二人分の食事を作る。
「うん、とっても美味しいです」
すっかり冷めてしまった二人分の料理を食べる。冷めても美味しいのが自慢だ。
この三年でボクの料理の腕も剣の腕もずいぶんと上がった。
二人分の食事を食べていたせいか身体もずいぶん大きく逞しくなった気がする。
「マルスさん、良かったら私の娘を嫁にどうだい?」
ギルドマスターが最近そんなことを言ってくる。
ギルドマスターの娘さんってたしか町で一番人気の受付嬢だったっけ。何度かカウンターで会ったことがあるけど、たしかに可愛らしいお嬢さんだった。
そうか……ボクも十八歳、世間じゃ立派な大人になったんだ。
「ごめんなさいギルドマスター。お話は光栄なんですけど、今は結婚なんて考えられないんです」
「そうか……もう三年も経つもんな。誤解して欲しくないが好きな娘を見つけて幸せになっても良い頃合いだと思うよ」
「そう……ですね。また来ます」
ギルドマスターに御礼を言って町を歩き出す。
もう三年……まだ三年。好きな……娘か。考えたことなかったな。
でも……いくら考えてみても浮かぶのはお師匠さまの顔だけ。
優しく微笑む大好きな顔がボクの世界のすべてだったんだ。
「会いたいです……」
言葉に出せば一層募る想い。愛しさと懐かしさとそれ以上に胸をギュッと締め付ける苦しさに息が詰まりそうになる。
「お兄さん、今、好きな人のことを考えていたでしょ? 良かったら見て行かない?」
道端でアクセサリーを売っている露天商に声をかけられた。
「あれ? お姉さんもエルフなんですか?」
「ん? お兄さんの知り合いにエルフが居るのかい?」
「はい、世界一強くて優しくて……尊敬していて……ボクの一番大切な人です」
「……そうかい。なら良いモノがあるよ」
にっこりと微笑むエルフのお姉さん。同じエルフでもお師匠さまと雰囲気が全然違う。
「……コレは?」
「時の指輪。エルフに贈るならコレしかないっしょ。お兄さん男前だしもう店じまいするから金貨百枚のところを十枚にサービスしておくけど?」
「買います!!」
「毎度アリ!! お兄さん、大切な人とお幸せに!!」
満面の笑みで手を振るお姉さんに見送られながら町を出る。
「はは……今更こんなの買ってボクはどうするつもりなんだ?」
自嘲気味に問いかける。
お金なんていらない。喜んでくれる人がいないのなら。
強さなんていらない。大切な人を守れないのなら。
なぜ……あの時ボクは無理にでも付いて行かなかったのだろう。
戦えなくたって食事を作ってあげることぐらい出来たはずだ。
なぜ……あの時ボクは伝えなかったのだろう。
ボクにとってお師匠さまが何よりも大切なんだって。この世界よりもお師匠さまとの生活が守りたいすべてなんだって。
本当に守りたいものは……ずっと目の前にあったじゃないか。
情けなくて悔しくて涙が止まらなくなる。
それでも――――今のボクに出来ることは、この場所を守り続けることしかない。お師匠さまが一番守りたいと言ってくれたこの場所を。
嫌になるほど不器用で、心底うんざりしてしまうけれど。
ボクは決して折れたり諦めたりはしない。
お師匠さまが褒めてくれた努力する才能でもっと強くなるんだ。
それはボクにしか出来ないことだから。
「ただいま」
さて、すっかり遅くなってしまったけれどお昼の準備を始めないと。
「お帰りマルス、今日のお昼は何かな?」
「えっと、鹿肉のハンバーグに山菜のフライです――――ってお師匠さま!?」
とうとう幻聴が聞こえるようになってしまったのか?
「どうしたんだい? 幽霊でも見たような顔してさ」
幻聴でも良い、幽霊だって構わない。
ずっと願ってきたんだから。大好きなあの人にもう一度会いたいって。
「ご無事……だったんですね」
「ああ、邪神の奴……最後の力で私を世界の果てまで飛ばしやがってね? 帰ってくるのにずいぶん時間がかかってしまったよ。それよりお腹空いた~!!」
待ちきれないとお皿をフォークでチンチン鳴らすお師匠さま。
いつもならお行儀が悪いですよって注意するんだけど、胸がいっぱいで言葉にならない。
「さあ、どうぞ召し上がれ」
「うわああ……夢にまでみたマルスの手料理……いただきます!!!」
美味い美味いと泣きながら料理を頬張るお師匠さま。
「ん? どうしたんだい、そんなに見つめて? 顔に食べカスでも付いてるのかな?」
「いえ、お師匠さまは全然変わらないんだなって」
しっかり食べカスは付いてるけれども。
「あはは、私はエルフだからね。三年ぐらいじゃ何も変わらないさ。それよりマルスはずいぶんと……その……カッコよくなったじゃないか。くそ、邪神のせいで一番美味しい時間を逃してしまったのか……」
今度は何やら苦悩し始めるお師匠さま。
「あはは、やっぱり良いものですね」
やっていることは何一つ変わらないのに、こんなに違うものなのか。
食べてくれる人がいる。喜んでくれる人がいる。
足りなかった最後のピースが埋まって失っていた色彩が鮮やかに甦ったみたいだ。
「ありがとうマルス。私の大切な場所を守ってくれて」
頭を撫でようと背伸びするお師匠さま。
「む……いつの間にか身長まで逆転されているとは……人間の成長の早さは恐ろしいね」
「そういえばお師匠さま、ボク、神速斬出来るようになりましたよ!!」
撫でやすいように身をかがめるとお師匠さまの撫でる手がわしゃわしゃと更に加速する。
「すごいじゃないかマルス!!」
「あはは、十三年もかかっちゃいましたけど……」
「何言ってるんだ? 私なんて習得するまでに三十年もかかったんだよ。私の読みだと十五年はかかるかと思っていたけど……なるほど、一人になったことが良かったのかもしれないね」
そうだったんだ……もちろんゼロから生み出したお師匠さまと教えてもらいながら最短距離で出来るようになったボクじゃ比較にならないのはわかっているけど、剣士として認められている気がしてたまらなく嬉しい。
「あ……あの……お師匠さま……コレ……プレゼントです。帰ってきたら渡そうと思って……」
エルフの露天商から買った時の指輪を差し出す。
これをもらって喜ばないエルフはいない、とお姉さんは自信満々だったけど……本当に喜んでくれるだろうか。
「コレは……!? そうか……もうマルスも立派な大人だからね……」
これは……喜んでいるというよりも驚いているような微妙な反応なんだけど……?
「よしわかった、マルス、結婚しよう」
「……へ?」
変な声が出た。聞き間違いじゃなければお師匠さまは今結婚って言ったのか?
「いやあ、いずれとは思っていたけど、まさかマルスの方からプロポーズされるとは思ってもいなかったから嬉しいよ」
「あの……プロポーズって?」
「え……まさか知らなかったのかい? エルフに時の指輪を渡すのはプロポーズの証だってこと」
今度は逆にお師匠さまがショックを受けている。しまった……せっかくの雰囲気が台無しに!!
「ち、違います、いえ知りませんでしたがお師匠さまと結婚したい気持ちは本当ですから!!」
「そ、そうか……わ、わかった、気持ちはわかったから落ち着こうか」
無意識に両手を握り締めてしまっていたようで、お師匠さまの顔が少し赤い。
「ところでマルス、話は変わるけどそれいくらで買ったのかな?」
「指輪ですか? えっと……金貨十枚です。エルフの露天商から」
「金貨十枚!? 本物でもそんなにしないよ!! そもそも売っているものじゃないしね」
「え? 本物でもって……まさかコレって……?」
「ああ、真っ赤な偽物だね。よく出来ているけど金貨一枚の価値もない。ずいぶんボッタくられちゃったね。作ったエルフに心当たりがあるからお仕置きがてら取り返してきてあげるよ」
「良いんです」
「え?」
「おかげでお師匠さまにプロポーズ出来ましたから、あのエルフのお姉さんにはむしろ感謝しています」
「……そうか。うん……それもそうだね。マルスがそう言うなら今回は見逃してあげようかな」
「ありがとうございます!!」
「なんでぼったくられたキミが御礼を言うのかな?」
お師匠さまの優しい微笑み、ずっと見たかった笑顔があれば他には何もいらない。すべてに感謝したい気分だ。
「ちなみにこれが本物の時の指輪だよ。本物はちゃんとこうやって対になっているんだ。エルフなら誰でも持っているけど、使う人と使わない人がいる」
「なるほど……石の輝きも少し違いますね」
「本物の石には魔力が込められているからね。はめてみるかい?」
「良いんですか!!」
「ああ、ただしはめたら最後、死ぬまで外せなくなるけどね」
「はめれば正式に夫婦になれるんですよね?」
「ああ」
「だったらはめます」
「後悔しないかい?」
「しません」
「そうか……マルス、それでは共に指輪をはめよう。左手を」
「はい」
本物の時の指輪は合わせ鏡のようにくっ付いていて、互いに掌を向かい合わせた状態でないと指輪をはめることが出来ない。
「我が愛と半生をこの時の指輪に託し、この身が朽ち果てるまで汝を愛し最後の瞬間まで側にいることを誓う。時を超えた想い、生と死を共にする決意を持って汝の手にこれを託す。この指輪が二人の魂と運命を結びつけ、幾星霜を共に歩まんことを」
繋がっていた指輪が二つに分かれてそれぞれの指に同化する。外すどころかずらすことさえ出来ない。
そして同時に指輪からものすごい力が流れこんでくるのをはっきりと感じる。
「お師匠さま……これは一体!?」
「これでマルスは私が死ぬまで長生き出来るようになったんだよ。長命種であるエルフが短命種との婚姻に際して使う祝福の魔法なんだ。ただし私の寿命の半分を代償として差し出すことになるけれど」
「なっ!? なんでそんな重要なことを言ってくださらなかったんですか!!」
「言ったらマルスが嫌がると思ったからだけど? 別に気にしなくていいよ、孤独な千年を生きるより、マルスと五百年一緒に生きることを選んだのは私自身だ。後悔など微塵もないよ」
「……それなら良いんですけど」
「もう一つ言ってないことがある」
「ええっ!? まだあるんですか!?」
「寿命前にどちらかが死ぬと相手も死んでしまうんだ」
「えええっ!? 待ってくださいそっちも大問題じゃないですか!! わ、わかりました、ボクが死んでもお師匠さまを守ります!!」
「話を聞いていなかったのかい? キミが死んじゃったら私も死んじゃうんだよ」
「……死なないように守ります」
「ああ、頼りにしているよ、旦那さま」
「だ、旦那さま!? もしかしてボクのことですか?」
「当たり前じゃないか。もう夫婦なんだし当然だろう? 私のこともエリスって呼んで欲しいね」
「ええええっ!? そんな急に無理ですよ……え、え、エリス……師匠さま?」
「うーん、せめてエリスさまにしてくれると嬉しいけどね。まあ、少しずつ慣れて行けばいいさ」
「が、頑張ります……」
「期待しているよ、キミは努力出来る男だからね」
「あの……お師匠……いやエリス……さま?」
「なんだい?」
「夫婦ってどんなことをすれば良いんでしょうか?」
「私もよくわからないけど……そうだね……一緒に食事をする……とか?」
「なるほど、それなら出来そうですね!!」
「そうだろう? ってあまり今までと変わらないような……? まあ良いか、時間はたっぷりあるからね」
「はい、お師匠……エリス……さま!!」
強力な魔物が生息する人里離れた山奥に、かつて魔王と邪神を倒し剣神と呼ばれた美しいエルフの剣士と、後にあらゆる剣術流派の祖となった剣王と呼ばれた最強の夫婦が仲睦まじく暮らしているという。
嘘か真か、運良く生きて辿り着くことが出来たなら、至福の料理が味わえるらしいですよ。




