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諸々の騒動が一段落して、私は無事に11日目を迎えた。
この後、それなりに事情聴取はされるだろうが、私は高位貴族の令嬢で被害者だ。今日はゆっくり休むようにといわれて、1日部屋で大人しく過ごす予定だった。
今回は瑕疵になるようなことは何もしていないし、小細工したあれこれも証拠が残るような真似はしていないので、私はなんの気がねもなく、ゆっくりとくつろいでいた。
本の頁をめくる手を止めて、私は顔を上げた。
「お茶の用意は頼んでいないわ」
「以前、気に入っていただいた茶葉が手に入りましたので」
彼はうちの使用人のお仕着せをきっちり着こなして、ワゴンをテーブルの脇につけた。
こんなに長身で筋肉質な内勤の使用人はいないのに、あの服はどこから調達したんだろう。
私が呆れている間に、彼は慣れた手つきできびきびとお茶の用意をした。
「殿下は河に落ちて風邪をお召しになったから、大事をとってしばらく医師の付き添いのもとで療養されることになったわ」
私はあの後の顛末を彼に話した。
私を排除して王子を堕落させようとしていた一党は逮捕、拘束の上、順次取り調べ中。殿下を籠絡した娘も捕まったらしい。
「逃走の妨害ありがとう。お陰で裏にいたのも含めて一網打尽だったそうよ」
「それは良かったですね」
カマをかけてみたら否定しなかった。やっぱり何かしてくれていたらしい。
私は香りの素晴らしい紅茶を楽しんだ。
「もう、会えないと思っていたわ」
「これを……お返ししていなかったので」
彼はテーブルの上に短剣を置いた。
「すみません。少し刃が傷んでしまったかもしれません」
「気にしないで。それ、安物のペーパーナイフよ」
長剣と渡りあっておいて、少し傷んだで済ますのがおかしい。もっと言うなら、こんなもので王子殿下の長剣を斬り飛ばしたのは非常識極まりない。
私は刃をそっと撫でた。なんの変哲もない普通のナイフだ。
「欲しいならさしあげるわ」
「ありがとうございます」
彼は大切そうに短剣を胸元にしまった。私は彼のその胸元に身をあずけていたときのことを思い出して、少し気恥ずかしくなった。
「あなたはどこまで事情をご存じなの?一体何が起こっていたのかしら」
私はずっと聞きたかったことを尋ねてみた。
「俺も詳しくは教えられていないのだが」と前置きして、彼は理解しがたい話を説明し始めた。
「この世界に別の異界が接触したときに、そちらの異界の主の影響がこちらの世界に出たらしい。ミーム汚染みたいなものだな。影響のある概念に一番近い存在だった王子と君は変異の焦点になったが、君自身がその変異を是とせず抗ったことで、結節として時空間異常を引き起こしていたそうだ」
彼は空になっていた私のカップにお代わりを注いだ。
「ただし、君自身が自覚的に変異を収束させられるほどの力を持たなかったので、変異が蓄積し続けて危険な状態だった。それで時空監査局の奴らがなんとかするまでの間、君を守るようにと知り合いに頼まれたんだ。君が抗う意欲を無くして、自分を見失い精神的に壊れてしまうと、蓄積された異常のエネルギーが一度に解放されて、世界が崩壊してしまう危険があったからな」
私はぼんやりと彼を見上げた。
「あなたの話の重要な単語がほとんど聞き取れないわ」
「では、ここの言葉では存在しない概念なのか、あるいはこの世界には開示されていない情報なんだろう。要するに、安全にこの世界を正常化するには、君自身が自暴自棄にならず、きちんと自分の世界を取り戻すことを望む必要があったので、俺はそれを手伝いに来たんだ」
彼は真面目な顔で私をじっと見つめると「君はよくやった」と言った。
「あなたのお陰だわ」
「いや、俺は不要なストレス源を少しだけ減らして、気晴らしを手伝っただけだ。君は常に冷静で自分を見失わず的確にやるべきことを選択して実行した。尊敬に値する」
彼は私の手を握った。
「おめでとう。君は自らの世界を取り戻した」
私はその称賛が嬉しかったが、素直に喜べないところもあった。
「あなたはこの世界の人ではないような言い方ね」
「その通りだからな」
彼はあっさりと自分がこの世のものではないことを肯定した。
「こんな話、誰にも信じてもらえないわ……指輪の精霊が助けてくれたという話の方がまだ通りが良さそう」
「誰にも話さないでもらえるとありがたいんだが、やむを得ず何か説明する必要があればその線でいいぞ」
彼は私の手にはめられた婚約者の証の指輪を指でなぞった。
「この指輪に込められた思いが、君を守ったとか、手助けをしたとかそういう迷信臭い話だろう?一見不可解な現象に対して神だのオカルトだのを持ち出して安易に思考停止するのは現実を探求する姿勢としては好きではないが、俺のやったことをここの世界の住人に説明するのは難しいからな。そういう神秘系の作り話でいい話風にごまかすのはありだと思う。この世界って魔法や呪いは実在する?」
「祝いの呪や悪しき呪はあるわ。物や土地に願いをかけるの。効果はそれほど明確なものではないわ。精霊が力を貸してくれるというのは伝承ね」
「君の指輪に付与されているのはそれか。ループのトリガーになる程度には効いていたみたいだから、その線で通るだろう。ついでに、もし君の狂言誘拐がばれて追及されたら、学校に悪しき呪がかけられてあのボンクラがおかしくなっていた可能性があることに気付いたから外に連れ出したぐらいのことを言っておけ」
確かにその可能性は検討していた。騎士団や王室の調査部隊でも今頃調べているだろう。
「そうすることに異義はないけれど、殿下の思いが殿下の浮気から私を守ったっていうのは、作り話にしても、ちょっと腹立たしいわね」
彼の存在が王子に置き換えられてしまうようで、なんだか不快だった。
「王家の誠意とか……婚約者として誠実であった君自身の思いではダメなのか?」
私は彼の顔を見つめた。
無愛想で地味な顔だ。
……それでも好ましいと感じた。
「あまり誠実とは言えなかったかもしれないわ」
私は視線を落としてため息をついた。よりによって初恋が今頃とは我ながら情けない。
「大丈夫。君ほど貞淑で誠実な人はなかなかいない。君はあのバカが下半身の欲に流されてラリっているときも、けして見捨てず、寛容に対応していた。無節操に言い寄るアホどもにもなびかず、悪い評判を立てるために近づく奴らを完全に無視した」
奴らには本当に腹が立ったから、できる範囲でそれなりの目にはあわせてやったが思い返すだけで腹が立つと、彼は拳を握った。やはり、その手の相手には足止めにしてはやり過ぎなあれこれがあったのは、そういうことらしい。
彼が引き起こした諸々を思い出して可笑しくなり、私はくすりと笑った。
「あ、笑った」
「え?」
「いや、なかなか見れなかったから」
「そう?」
「ずっと君の笑顔が見たかったから嬉しい」
彼は武骨な顔の口元をわずかにゆるめて、柔らかく微笑んだ。
なるほど。好きな人に笑顔を向けてもらうというのは、かなり嬉しい。
私は自分が赤面しているのを自覚した。
「あ、あなたが起こした騒動のいくつかは面白かったわ。それに本や課題も興味深かった」
私は恥ずかしくて急いで別の話題を持ち出した。
「用意してくれた本のいくつかをもう一度読み返したいのだけれど、あれはどこから持ってきたの?」
「ああ、あれはここの王城の暗部の禁書庫とか軍部の戦略室の本棚の本だ。君の父上や叔父上なら閲覧可能なんじゃないかな」
彼は事も無げにひどいことを言った。
「部屋の場所を教えておこうか?潜入の基礎は一度読んで習得していたよね?禁書庫は場所が分かりにくいだけで鍵は単純。見張りもいない。戦略室の鍵は複雑な数字式で番号は日替わりだけど、例のパズルの鳥と魚のやつのパターンで解けるから。忍び込んでばれるのが嫌なら叔父上に頼んで見せてもらうのがいいよ。近隣諸国の暗部の符丁を解いてあげれば、きっと喜んで出入りさせてくれると思うな」
「……まさかあなたが出してた問題って」
「君、暗号解読の才能あるよ。ここの国と近隣諸国で大手が使っているメジャーどころは一通り制覇したよね」
「なんてこと……」
「変換コード表いるか?この件、表向きは内部の権力抗争に他国が介入したってことで収まるから、一式持っていると訴追に便利だぞ」
彼は全然表向きではない話を呑気に語った。
「指輪の精霊からもらいましたって言いづらいからいいわ」
私はめまいをこらえながら、すっかり冷めたお茶を飲んだ。
「それでは、これで」
彼はティーセットをワゴンに片付けて一礼した。
「もう会えないの?」
「頼まれていた用件は済んだから」
「あなたはお仕事だから私を助けてくれたの?」
私は無駄だと思いつつも一縷の望みをかけて尋ねてみた。
「仕事……ではない」
彼は言い淀んだ。
「その…こんなこというのは恥ずかしいんだが」
柄にもなく照れたようで、彼はわずかに頬を染めた。
「実は依頼元の奴には借りがあるんだ。ある人と同じ世界にいられるように手配してもらったんだよ。その人は違う世界の人で、本来、俺は一緒にいられない相手なんだけど……そのう…実は一目惚れの片想いみたいな感じで……」
彼は恥ずかしそうにうつむいた。
「(ソレはワタシのコト?)」
都合良く解釈したい心が声にならない問いを投げ掛ける。
私はそっと彼の腕に触れた。
彼は真摯に私を見返した。
「君のおかげでこの件がうまく片付いたから、奴には借りを返せたよ。この分ならこの後も彼女と同じ世界に行かせてもらえると思う。ありがとう」
私の初恋は遅かったが、失恋は目も当てられないほど早かった。
「そう。良かったわね」
私は身分と立場にふさわしい態度で、悠然と微笑んでみせた。
「この世界にとって君はとても重要な役割を果たしている。倦まず恐れず健やかなる健闘を!君ならなんだって必ずやりとげられる」
彼は寿ぎの呪を私にかけて、去っていった。
そんなものに縛られてこの先を生きるのは願い下げだったが、「望むなら俺のことや今話したことを全部思い出しにくくしてあげられる」という提案よりは、よほどましだった。
「忘れてやるもんですか」
この世界に干渉する何らかの組織があって、私がこの世界に対してそれなりの影響力をもっているのなら、彼らに接触する方法は何かしらあるはずだ。
私はこの先のプランを練るために、椅子にゆっくりと身を沈めた。
当初は、忘れてしまうエンド予定でしたが、書いているうちに彼女はそうじゃないなーとなって、想定以上にたくましい結論に。
あれ、これ時空監査局の協力者として裏で世界を仕切るコース?
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補足:21/8/11追記
今回、モブだった彼の話は別連載の長編「家に帰るまでが冒険です」参照。
(時系列的には9章の後「小話 塔の少年と烏①」)
彼はそちらでは主人公ですが基本的にモブ気質です。
元は高校生ですが、異世界を廻るうちに、馬の世話やら、お茶の煎れ方やら、編み込みの仕方など地味な仕事を着々と習得中。
・馬の世話:33話 旅の従者
・編み込み:49話 居候
・お茶など:53話 補佐官改め侍従心得見習い
トップページのタイトル上のシリーズのリンクから飛べると思います。




