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「もう逃げられんぞ」
王子殿下は、肩で息をしながら剣先をこちらに突きつけた。
これまでの周回での行動パターンからして、来るとは読んでいたが、本当にこんなところにまで、取り巻きを引き連れてやって来たのにはビックリだ。それでもさすがに女連れは難しかったのか想定通り浮気相手は連れてきていない。
「殿下!」
「貴様、そのような男と駆けお……」
「助けに来てくださってありがとうございます!!」
私は"悪漢"の腕の中でもがきながら、大きな声で叫んだ。
誰が駆け落ちだなんて言わせるか。
「婚約者である私のために、尊い御身、自ら駆けつけてくださるとは!さすが殿下でございます」
「いや、それは……」
私を糾弾する気満々だった王子は目を白黒させたが、私は相手に二の句を告げさせず畳み掛けた。
「されどそのお気持ちだけで十分。これ以上は御身に危険が及びます。叔父上の騎士団の皆様も来てくださったようですからここはお下がりください」
王子殿下はあわてて振り向いた。それなりの数の重い馬蹄が近づいてくる。タイミングはバッチリだ。我ながら上出来である。
「この者は何をするかわからぬ凶悪な暴漢です。安全なところにお下がりください。皆様方、殿下をお願いいたします」
"凶悪な暴漢"というフレーズに、ゆっくりさんの眉がわずかに動いた。
彼は私を抱え直して、片腕で縦抱きにすると、もう片方の手に短剣を握った。ナイスフォロー。
「きゃぁあ!」
私は悲鳴を上げて気を失いかけた。ぐったりとして見苦しくなく手近なものに自然に倒れ掛かる技術は、淑女の基本技能である。日頃あまり使わないだけで、もちろん私も習得済みだ。
ただ今回は手近なものが、ゆっくりさんの胸と肩しかないというのがいささか気はずかしかった。気を失いかけに見えるぐらいぐったりすると密着せざるを得ないのだ。
彼には適当なタイミングで私を置いて逃げろと言ってある。だから、すぐに下ろしてくれるだろうと考えて、私は恥ずかしさをこらえながら、できるだけ楽な姿勢で彼にもたれ掛かった。
「やああっ!」
驚いたことに取り巻きの一人が剣を抜いて切りかかってきた。刃物を持って人質を抱えている誘拐犯に正面から切りかかるなんて普通はあり得ない。一つ間違えば私を切りかねないとかそういう考慮は一切していないらしい。さすが毎回、私を突き飛ばす男だ。
ゆっくりさんは、私を抱えたまま応戦した。短剣が長剣を弾き飛ばす音が頭のすぐ近くでして、私は本当に気絶しそうな気分になった。
「どういうことだ。話が違うぞ!」
ゆっくりさんは大音声で叫んだ。
「追っ手はあんたが押さえてくれるんじゃなかったのか」
目の前の男に話すにしては大きすぎる声で、彼はなにやら不穏当なことを言い出した。
「なんの話だ!」
「しらばっくれて口を封じようって魂胆か。全部、あんたの指示通りにしてこの女を拐ったのにひどいじゃないか。わずかばかりの報酬を払うのが惜しくなったか。お前があの女に渡している金に比べればはした金だろう」
ビックリするほど見事な"悪党の仲間割れ自白"だ。駆けつけた騎士達に聞かせる気満々であるらしい。
「なにを戯言を」
焦って切りかかってくるのを軽くかわす。人一人抱えているとは思えないくらいその身ごなしは素早く、ゆっくりさんと呼ぶのが申し訳ないくらいだった。
「知っているぞ。お前、あの女に金を渡して、そこのボンクラを色仕掛けで骨抜きにさせているだろう。興奮剤だか精力剤だかまで一服盛らせて大変だよな」
「なっ!?」
「このお姫さんに証拠を握られて、焦って俺に拐わせたが、思った以上にそこのボンクラの執着が激しくて、たまらず自分で手を下しに来たか」
ここぞとばかりにベラベラ説明臭い台詞を捏造している。薄々わかっていたがタチの悪い男だ。
虚実要り混ざった話に相手はうろたえた。後ろ暗いところが一部当たっているだけに、私が証拠を握っている云々の虚実を判断しかねたのだろう。残念ながら確たる証拠は入手しかねたが、それなりに確信に至るだけの材料は得ている。この場でこれだけ騒がれたら騎士団の取り調べは避けられまい。叩けば埃の出る身にはたいそう都合が悪いに違いない。
相手はこれ以上何か暴露されてはたまらないと思ったのか、激しく攻撃してきた。共犯の他の取り巻きも剣を抜いて加勢してくる。
「苦し紛れの戯言です。信じてはいけません!」等と叫びながら次々と切りかかってくる。……だから私の安全を考慮しないのは不自然だろう、お前達。
騎士達が止めて下がるように叫んでいる。現状では王子のご学友に迂闊に怪我はさせられないので、彼らに対して武力で強硬介入はしにくいのだろう。
どうするのかと思ったら、とりあえず完全に悪者であることが確定しているゆっくりさんから、私を取り返す方針で参戦してきた。
すぐに下ろされると思ったのに、ゆっくりさんは私を抱えたまま戦いだした。屈み、仰け反り、ジャンプする。抜群のホールド力で支えられた私は、剣が間際を空振りしたり、弾かれたりする気配を気にするのは止めた。
彼は大人数に囲まれた状態で、短剣1本で的確に相手の長剣をいなした。取り巻き達を次々と蹴り飛ばしてノックアウトさせると、騎士の間をすり抜けるように跳躍して、王子の間際に迫った。
「お前が盛られてた薬、家畜の繁殖用だってさ」
彼はとんでもないことを王子の耳元でささやいた。
「そんなもんでさかってんじゃねーよ」
ひどい侮辱に王子は顔を真っ赤にして剣を振り上げた。が、次の瞬間、その長剣の柄から先は斬り飛ばされていた。相当飛んだらしい。河に落ちた水音がした。
「頭を冷やせ」
彼はその場に私を下ろすと、呆然としている王子を両手で掴んで、河にぶん投げた。
「殿下~っ!」
大きな水音と騎士の声と殿下の悲鳴が聞こえた。
横たえられた私は、ゆっくりさんを見上げた。
彼はちょっとだけ口角を上げて笑ってから、身を翻した。
「逃がすな!追えーっ」
捕まるような彼ではなかった。
私は婚約者である王子殿下の"献身"により、悪漢から助けられたことになった。




