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「ごめんなさい。あなたを元の世界に戻してあげる方法はわからないの。時空監査局に仕事は依頼されていたけれど私から連絡を取る方法はないのよ。それに、行方不明になって別世界にいる私を、あちらから探し出すのは無理だと思うわ」
「任されていた仕事というのは例の石の関連か?」
「ええ。知ってたの?」
「別働の本隊がいるとは聞いていた。俺はメインで関わってはいないから詳細は知らされていない」
「私も簡単なお手伝いだけよ。あなた達に同行して状況を確認したり、便宜を図ったりする役」
「ああ、なるほど」
彼は、では仕事に戻らないといけないなと呟いた。
「待って。無理に戻る方法を探さなくてもいいんじゃない?」
帰れないなら、ここの世界で私と一緒に暮らしましょう。
私は彼の傍らに行って、その左手に自分の手を重ねた。そうしないと彼が消えてしまう気がした。
「向こうでは私達はきっと死んだと思われているわ。だから……」
私じゃない人が待つ世界に戻らないで。
あなたを助けたのは私なの。
だから私のそばにいて。私を一人にしないで。
向こうの世界にいたとき、異国の婚礼の宴の晩に、彼がしてくれた歌劇の怪人の話を思い出す。
己の孤独を埋めるために、恩を売った相手に愛を乞う怪人は好きになれない、と彼は言っていた。でも今、私はその怪人の気持ちがとても良くわかる。
君を愛す。
元いた世界から連れ去って、自分の世界に閉じ込めてでも。あなたが命がけで救いに行く相手が他にいると知っていても。それでも手に入れたい。
手ひどく振られて、一人残されて、またその件を引き摺ったまま延々と生きることになるぐらいなら、この生を終えたい。
「……”怪人はここにいる”」
私は少し震える声で歌を口付さんだ。
彼は私の頭を優しくなでた。
「大丈夫。心配しなくてもあなたを暗い世界で生きていくような目にはあわせない。俺は怪人じゃない。金髪の王子様みたいなヒーローではないけれど、女性はちゃんと家まで送る主義だ。あなたをきちんと向こうの世界の家族の待つ家に帰してあげるよ」
「え?」
「今いるこの世界は、確かにあなたと最初に出会った世界だけれど、ここはもう今のあなたの"家"ではないだろう?」
そう……ここは、もう無くなった国の無用になった城にある古い塔。全て無くして死んだ私にはふさわしいかもしれないけれど、けして今の私が帰るべき家ではない。
「向こうに両親や叔父さんがいるなら、そこに帰らないと」
私は転生先の家族を思い出した。
破天荒な娘をかわいがって、自由に生きることを許してくれた良い家族。
愛情深い善良な人々。
「それともここに会いたい人がいる?」
私は首を振った。この世界には再会すべき人はもう誰もいない。
この世界での私はすでに死んだ。
「では帰ろう」
彼はなんでもないことのようにそう言って、私の手を取って立ち上がった。
「どうやって?」
「行ったことがあって覚えているか、教えてもらって座標がわかっているところなら、自力で転移できる」
なんてことだ。彼は最初から私の手の中には囚われていなくて、いつだって好きなところに飛んでいけたのだ。
「あなたの家を知らないので、まずは俺が知っているところに戻るけれど、それでいいよな。着替えも調達が必要だし、食事や入浴もできるところか……突然出現しても四の五の言わずに協力してくれそうな相手というとあの人のところかな」
何やら段取りの算段がついたらしい彼は、戸惑っている私を安心させるように握った手にもう片方の手を重ねた。
「戻ったら石はとっとと元の持ち主に突き返して、あの件にはケリをつけてしまおう。そうすれば俺もあの世界での仕事が終わって戻れる」
「戻れるって……あなた、時空監査局に頼んでわざわざあの世界に行ったのではないの?」
「いや?別に志願はしていない。急な欠員が出て困っているから代役で入ってくれという程度で関わって、あとは成り行きというか強制的に放り込まれたというか……早く普通の自分の生活に戻りたいんだけど」
私はなんだか思っていたのと違う話に首を傾げた。
「あなた、好きな人と一緒にいるために好きな人がいる世界に戻ったのでは?」
彼は喉の奥で変な声を上げた。
「会えてません………」
「え?全然?」
「ぜんぜん……長いこと……まったく」
「私と分かれたの随分前よね?」
「はい」
「なにやってるの」
「……返す言葉もございません」
私は、しおれきってガクリとうなだれた彼を前に、呆れた。
「好きな人に会いに行きもせず、好きでもない人を命がけで助けに行ったりしてたの?」
「一応、護衛任務系だったので。それに俺は俺なりに安全係数は十分に取っていたぞ。むしろあなたのほうが無茶をしていた」
「だって私は」
好きな人のためだもの!
「……奥の手があったもの」
「帰還魔法かぁ……一度きりなのに俺のために使わせてしまって悪かったな」
彼は面目なさそうにしょげた顔をした。
「それに怖い思いをさせて無理をさせてすまなかった。この埋め合わせはする」
私は目を瞬かせた。
なんだろう。なにか思いがけない話が出てきた。
「なにをしてくれるの?」
「えーっと、あー………そのぅ………なにかあなたが楽しめて笑顔になれるようなことを」
「いつ?」
「いつ?」
「戻って事件のかたがついたら、あなたまた消えちゃいそうなんですもの」
図星だったのか彼は言葉に詰まった。
「今からがいいわ」
「と言っても、ここでできることなんて」
「贅沢は言わないわよ」
私は重いパラシュートを下ろして、ゴワゴワした男物のジャケットを脱いだ。
お茶もお菓子も花束もいらない。
ただ抱きしめてキスしてくれるだけで、幸せになれるのよ。
何故か追い詰められた顔をした彼は、「そうだ!」と突然、彼にしては不自然に明るい声でわざとらしく楽しそうに提案した。
「どうせあの世界からは出てきてしまっているんだし、最終的に向こうの世界の直後の時間軸に戻ればいいだけなんだから、この際、盛大に寄り道してから帰ろう」
わかりにくい話だが、世界ごとに時間の流れは違っていて、因果律が薄い世界間で転移する場合、片方で長い時間を過ごした後でも、もう片方では一瞬しかたっていない時点に戻ることができるらしい。
私は昔、船長と夜遊びをしたときのことを思い出した。あのときも色々な世界を何日分も渡り歩いたが、帰ってきたのは同じ夜の夜明け前だった。
「それじゃぁ、ここを出てどこか食事ができそうなところでも探してみる?この付近に何がどれくらい残っているかわからないし、ここのお金もないけれど、そこはどうにかできると思うわ」
「あなたがそうしたいのなら付き合うけれど、もっと楽に良いレストランで食事をする方法がある」
火星の保養地のバーか、銀河連邦有数の高級レストランか、世界樹の麓の町の素朴な食事処か、どこがいい?
よくわからない選択肢を提示されて、私は返事に困った。
「どれも行ってはみたいけれど、まずは落ち着いて話ができそうなところを」
「わかった」
彼は姿勢を正すと、エスコートの作法に則って、私の手を取った。
「贅沢に育ったお嬢様を驚かせるワンランク上のおもてなしをさせていただきますので、ぜひあの後何があったのか、ゆっくりお話を聞かせてください」
よろしいですか?なんて聞かないで!
よろしくないわけ無いでしょう!!




