3ー3
墜ちていく。
私は炎の中から彼を救い出し、ともに翼から飛び降りた。
しかし……パラシュートは開かなかった。
このまま彼を殺してしまうのかと思うとゾッとした。
どこまでも二人で堕ちていく?
このまま彼を誰にも渡さず、私が抱きしめたまま終われるのかと思うと、それでもいいかと思いかけた。
いいわけあるか!
強い風。耳鳴りがする。
彼が私をぎゅっと抱きしめてくれた。
絶望なんかしない。
絶対にあきらめない。
この人は私が救う。
余裕で笑え!もっとピンチだって切り抜けた。家だの国だの国民だの、そんなもののためにあれだけ頑張れたのだ。
本当に自分が守りたい相手のためになら、全身全霊で全力であらがえ。
大丈夫。いい女はいつだって切り札を隠し持っておくものだ。
万策尽き果てたって、私には最後の一手がある!
視界がホワイトアウトした。
私は彼の胸に顔をうずめて目を閉じた。
風が止んだ。
一瞬の静止と短すぎる再落下、そして軽すぎる衝撃。
私達は抱き合ったまま。硬い床に転がった。
落ちたのは人の背の半分ほどの高さだったようだ。とっさに彼が下になって受け身を取ってくれたらしい。私にはほとんどダメージはなかった。
私はそっと目を開いた。
雪花石膏の窓からうっすらと月の光が差している。
……もう無くなった国の無用になった城にある古い塔の小部屋。
『そうだ。餞別がわりに呪をひとつかけておいてやろう』
あの日、船長は言った。
両足の踵を3回打ち合わせてから、"おうちほどいいところはない"と何度も唱えると、ちゃんとここに帰ってこられるおまじない……餞別代わりに送られた、たった一度だけ、本当に自分ではどうしようもなくなったときのための最後の手段。
「(本当に帰ってきた)」
一生使わなくてもいい、ただの気休めの冗談かもしれなかったおまじないは、一番助けてもらいたいときに私を救った。
手が震えて、視界がうるんだ。
私は彼にすがりついたまま泣いた。
助かったことが嬉しかった。
彼を救えたことが嬉しかった。
船長が子供だましの慰めで私を誤魔化していなかったことが嬉しかった。
私は信じて、そして困難にうち勝った。
彼は、私が泣いている間、ただ静かに私を抱きしめていてくれた。
死の恐怖で強張って震えていた体の自由が少し利くようになった頃、私の頭に雑念が過ぎった。
「(パラシュートが邪魔)」
せっかく抱きしめてもらっているのに、大きなバックパックがあるせいで背中に彼の手がまわっている感触がない。肩のベルトも硬くてかさ張る。もっと言うと借り物のフライトジャケットが分厚すぎてせっかくの彼の体温もへったくれもわからない。
せめてもと、彼の背にまわした手の位置をちょっと変えて、彼の胸元に埋めていた顔をちょっぴり襟元に寄せてみる。
身だしなみにスキを作るなと教えはしたけど、こんな時まで襟首まできっちりボタンをかけてタイを崩していないのはどうかと思う。油煙の香りがついた上着に頬を擦り寄せて、はたと気付いた。
「(やだ。私、汗臭いかも)」
髪はぐしゃぐしゃだし、ひどい状態だ。
せっかく最高のシュチュエーションなのに……と、ちょっぴり顔を上げたところで彼と目があった。
「もういいか?」
「うひゃ……は……はい!」
慌てて身体を起こす。
彼もゆっくりと上体を起こした。
私は自分が彼の腰の上に座っているのに気がついて、急いで下りて座り直した。
「(しまった。もっと普通に隣に座ればよかった)」
後ろめたい雑念だらけだったせいで、慌てすぎて飛び退いてしまった。
彼はなんとも微妙な顔をしている。
やってしまった。失敗した。
「えーっと。俺達が今、こんなところにいる理由は、おそらくあなた側の要因だと思うんだが、そのあたり、どこまで把握してるか聞いてもいいかな」
雰囲気を仕切り直すように、彼は真面目な様子で、極めて実務的に現状確認を始めた。こうなると現状の問題点に一定の回答や解決策が見出されるまで、この男にロマンチックなシュチュエーションを求めるのは不可能だ。
私は、無知でか弱い女を気取ってもう少しエモーショナルに彼にすがってみる可能性を一瞬検討して、すぐに却下した。そんな無様な私を彼に見せたくはない。
私は諦めて、理性的に対応することにした。
ここは、私達が空から落ちたのとは別の世界で、私が使った魔法の一種で瞬間的に移動したのだと説明すると、彼は荒唐無稽だとは言わずに、ちゃんと理解した。まあ、元々、荒唐無稽な魔法使いは彼の方なので、この程度は理解して当然だろう。
「時空や異世界の概念はあなたのほうが詳しいでしょ。時空監査局員さん」
「俺は厳密には正規雇用ではないんだが……あなたからは時空監査局が干渉した痕跡を感じるのだが、今の転移自体は時空監査局の術式ではないように思う」
理解度が荒唐無稽な魔法使いのレベルだった。「守秘義務に抵触しない範囲で事情を教えて欲しい」と請われて、私は簡単に説明した。
「確かに私があの世界にいたのは時空監査局の手配よ。でもここに戻ってきたのは別の方法なの。局と接触する前に、かけてもらった呪だから局とは無関係よ」
「あなたの世界にも時空転移術式を使える人物がいたのか。術の構築方法の詳細はわかるか?」
私は、教えられた発動手順などは説明したが、原理はさっぱりわからないし、かけてくれた相手に会うすべもないと答えた。
なにやら転移先の指定方法に会得したい技法が含まれていたらしく、彼は残念がったが、そんな高度な説明は流石に無理だ。彼もそこは私を追求しても仕方がないとわかっていて、くどくは問わなかった。
「帰りたいと思ったとき、帰ることができるおまじないか……」
「一度だけね」
「一度で十分だから欲しいよ」
彼はしみじみとそう言って苦笑した。




