3−1
すみません。
恋愛ジャンルっぽくはないです。
いい人生……だったかどうかはわからないが、精一杯生きた。
長くはないが、充実はしていたと思う。後悔はないと言うと嘘になるが、それなりに満足はしている。
だから、これで終わりだと思って静かに目を閉じたのに、私には"続き"があった。
そこは、静かで落ち着いたところだった。
屋外ではない。でも空気は淀んでいない。明確な光源はないが明かりはある。……気がする。
もう起き上がる力もなく横たわっていたはずの私は、気がつくとそこに佇んでいた。
「どうして、私、立っているの?」
『失礼。どうぞお掛けになってください』
深みのある声がどこからか聞こえて、眼の前に黒い大ぶりの肘掛け椅子が一脚現れた。
そういう意味で要求したわけでは無いが、その椅子があまりにも座り心地が良さそうだったので、私は奨められたとおり座った。
高級な椅子だ。玉座のように豪華というわけではないが、素晴らしい座り心地だ。
あらためて周囲を見回す。
室内は全体に、簡潔だが質素ではなく、節度と品格があり、椅子と同じように、明らかに高級な造りだった。
世界の覇王たる皇帝の宮殿も、異界の超テクノロジー都市も見たことはあるが、その自分の価値観で見て、これは特級の"応接室"だと思う。私を招待したものが何者であれ、その相手は私を丁重に扱うつもりがあるようだ。
「それで、私にどんな御用?」
『話が早いのは、大変助かる』
音を耳で聞いているわけではないだろうという感じの声から、声の主が微笑んだニュアンスが伝わった。
この部屋の主だろう。部屋の調度と同じ雰囲気がある。つまり、落ち着いた大人で、知性と品格があって、誇示する必要もないくらい富と権力を行使できる立場にいる大人物。そして常の世の存在ではあり得ないが、こちらに合わせて気を使ってくれているらしい。
『突然お呼び立てして申し訳ない。あなたの要望を確認するためにこの場を設けさせていただいた。あなたは今後どうしたいか、その選択をしてもらいたい』
神による死者の審判にしては丁寧な申し出だ。
「選択……というからには選択肢があるのね?というよりまず、あなたは誰なの?誰を相手にどんな立場で決断を迫られているのかぐらいは、把握してから答えたいわ」
声の主は、それはもっともだと言って丁寧に謝意を表明してから自己紹介をした。
『私は時空監査局の調停者だ。世界の不均衡を調整して、不要な混乱を起こさないようにする役割らしい』
「らしい?」
『新任でね。そう説明されて着任したが、実態と建前が一致しているのかどうかわかるほど、仕事をしていない』
「正直なのね」
『正確に真実を伝えているわけではないのでその評価は恐縮だが、大変わかりにくい概念を説明するためには、話を把握しやすい卑近な近似モデルに落とし込むのは有効だろう。私は概ねそういう立場にいるものだと理解して欲しい』
私の目の前に、大きな執務机と、その向こうに座る人物が現れた。
「この方が話しやすいかね?」
「そうね」
壮年の人物。若くして抜擢された新任の管理職。信頼性とカリスマはあるが、親しみやすい態度。
そして容貌の詳細はまったく把握できない。
整っていて不快感はないという印象ははっきりあるし、明確に見えていて、表情もわかるのに、どのような目鼻立ちなのかが認識に残らない。髪の色や髪型さえも見えているものが言語化して表現できない。
まいった。本物の怪異は格が違う。これが私が把握しやすいように用意した卑近な近似モデルだというのだから恐れ入る。
そう言えば昔、髪の色を覚えられるような時空監査官は下っぱだという評を聞いたことがあったが、こういうことだったのか。
私は内心で舌を巻いたが、努めて冷静に応えた。
「神様っぽい姿をした相手と話すよりは話しやすいわ」
「私は各世界の神には原則として干渉しない立場だから、偽装をする気はないよ」
コイツ、自分はローカル世界の神の上位存在だと言いやがった。
「それで、そんな方が私にわざわざ何の選択をさせにきたの。私は自分の国や周辺諸国にはそれなりの影響力を持っていたけれど、世界や時空を束にして管理するような相手と交渉できるような存在じゃないわ」
「こんな中世世界の出身者なのに、時空や複数世界の概念をなんの説明もなく把握してくれるだけでも、十分交渉しやすいんだがね」
彼(性別があるのかどうかは不明だが私が受けた印象は男性)は、苦笑して、私は世界に対して特異な存在だと告げた。
なんでも、昔、世界のループに巻き込まれたせいで、時空構造の歪みから生じたエネルギーが、私という存在に取り込まれてしまったらしい。通常、死ねば個人の存在はなくなり、元の世界に還元されるそうなのだが、私の場合、そうなるとまずいのだという。
「桶が溢れかけたときに汲み出した水を、桶に戻したらまた溢れるみたいな話かしら?」
「そうだな。ただし、桶は溢れかけたというよりは、何重にも分離してから1つに統合されたのだ。君に蓄積されたのはちょっと溢れたどころではない水量だ。一度に開放されれば、桶を破壊するし、あたりは水浸しになる」
「大惨事ね」
世界の調停者が看過できない事態というわけだ。
「しかも、あなたはループ以外にも、個人での複数世界への転移経験があるだろう」
ノーコメントでも相手はその前提で話を続けた。
「そのためにあなた自身の存在が、出身世界から独立して確立してしまっている。少しずつ世界に還元しようとしても分割することすら本人の協力的な意思なくしては困難だ」
「ああ、それで魂の解体に同意させに来たのね」
「話が早いのはありがたいが、早合点が過ぎるのは良くないな」
彼は私を安心させるように微笑んだ。擬似的な仮初の姿だと本人が認めているツクリモノの笑顔だが、それだけに良くできている。相当な捻くれ者以外は気を緩めてしまうだろう。
「我々はあなたに何かを強要する気はない。少なくとも私はあなたの選択を尊重する」
彼は、魂の解体以外に私が取りうる選択肢をあげた。
一つ目は、私が私としての自我を保ったまま転生すること。
余分な力が開放されないために、世界への影響は抑えられるが、私自身への力の蓄積はさらに重なるので、問題の先送りにしかならないらしい。
ただし、崩壊に直結する選択以外ならば、問題解決になるかどうかは考慮せず選んでいいと、彼は告げた。
「そもそも、ループ異常の解消時に、歪みを焦点だったあなたに収束させた対応が間違っていたのだ。そういう意味では、あなたのこの問題の責任は我々にある」
彼は率直に謝罪し「だから我々は、このトラブルを解消する義務があるし、その際にあなたに犠牲を強いることをしてはならないと私は考えている」と説明した。
組織と個人の見解を明確に分けて提示するあたり、ある意味、誠実な人なのだろう。
「あなたが望むなら、この方法を選択してもらっても構わない」
「いいえ。他に方法があるのなら、難のある手段を取る必要はないわ。それほど国の未来を憂いているわけでもないし、同じところに生まれ変わりたいとも思っていないから」
「そうか。では、異なる世界はどうかね?」
二つ目の選択肢は、自我を保ったまま異なる世界に生まれ変わる道だという。本来は難しいが今の私ならば可能らしい。
「間違った対応のために時空の歪みの力が収束した結果、あなたは非常に不安定な存在となるはずだった。だが、実際のあなたは非常に強固で安定している」
心当たりはあるかと聞かれて、私はわからないと答えた。
「おそらくは、あなたを他の時空に転移させた時に、あなたという存在を構築し直して不安定さを取り除いた人物がいるのだが?」
その口ぶりだと、具体的に誰だかはわかっているのだろう。
私は、本当につらいときに私を助けてくれた愉快な大魔王を思い出した。
親や先生に黙ってこっそり遊びに行くように出掛けた話を、こんな"親や先生"の権化のような権威筋に告げ口するのは、悪い子の仁義にもとるだろう。
答えない私を、時空監査局の調停者は見逃してくれた。
「とにかく、あなたは完全な記憶と自我を残したまま、別の世界に転生することができる」
私は以前訪れた様々な世界を思い出した。国や玉座に縛られない自由な世界……それは魅力的かもしれない。なにより、私には人生で一つ心残りがあった。
「それは、どこの世界でもいいの?」
「単純過ぎる小さな世界は遠慮して欲しい。そういう世界にとって、あなたという存在は影響力が強すぎる」
「どんな世界だかは、具体的には知らないのよ。でも、ある人がいる世界に行きたいわ」
「申し訳ないが無数の世界の中から個人を探し出すのは非常に困難だ」
「彼は時空監査局の人のはずよ。私が同じ時間を繰り返していたときに助けてくれたの。同じ組織の人なら、誰だか特定できるでしょ。私はあの人がいる世界がいい」
私は、彼の姿や特徴を説明した。忘れられない唯一の恋をした相手のことだ。歳月が経っていても明確に思い出せる。
「………わかった。それがあなたの希望ならば手配しよう」
まさか同じ時空監査局の相手を指定されるとは思っていなかったのか、調停者はうっかり苦いものを飲み込んだような顔をした。あるいは下っ端とはいえ工作員がこんなに明確に現地の個人の記憶に残っているのは失態なのかもしれない。上司としては頭痛がするだろう。
「出逢いたい年齢や立場に指定はあるかね」
転生先はある程度調整できると言われて、私は思案した。
彼と会ったとき、私は子供すぎてまったく恋愛対象として見てもらえなかった。もう一度あの轍は踏みたくない。王族や貴族で早々に誰かの許嫁にされるのも願い下げだが、貧しすぎる生まれは自由度が低い。
「成人女性で、経済的にも身分的にも、移動や結婚について制限が少ない自由な立場がいいわ。それに、その世界での教養が十分に得られる環境で育ちたいわね。できる?」
「準備させよう」
ノータイムで保証した。権力者っぽいだけではなく本当に権力がないとこうは言えない。
「容姿に希望は?」
「できればこの世界での私の特徴はそのまま残してもらいたいわ」
出逢ったときに私だと気づいてもらいたい。
そんな女心は説明しなかったけれど、相手は容姿についても快く承知してくれた。対象世界基準で十分に美しいと評価される容貌の妙齢の女性として、私は彼と再会できるらしい。
詳細は後ほど実務担当と詰めることができるよう手配すると、有能な管理職の男はてきぱきと話を進めた。
「最後に1つ」
「なんでしょう?」
これは可能性のある相手に定例としてする質問なので深刻に考えないでも良いのだが、と前置いて、彼はこう尋ねた。
「時空監査局の仕事を手伝ってくれる気はないかね?」
「考えておきます」
「結構」
その時の調停者の微笑みは全くもって寛容だったが、時空監査局は使えるものは猫の手でも使う組織だった。
私は転生先の世界で、しっかり任務を押し付けられ、その途中で彼に再会した。




