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「貴様との婚約を破棄する」
毎度お馴染みのセリフを、なにやら自慢たらしく宣言して、王子は私の目の前で"真に愛する人"とやらを抱き寄せた。
今さらショックでもなんでもないが、贈られた指輪を王子の取り巻きの一人に抜き取られ、突き飛ばされて床に頭を打ち付けられた拍子に気を失う。これが毎回かなり痛いのがツラい。
気がつけば私は馬車のなかにいた。
先ほどの騒動の10日程前の朝である。
最初のときはなにがなんだかわからなかったが、もはやお馴染みである。そう、私はこの10日間をこれまでに何度も繰り返していた。
この朝、私は婚約者である王子殿下が、学園で見知らぬ女生徒とキスしているのを目撃してしまう。相手は家格も低い、特に取り柄もない娘だ。初回の私は怒りに任せて相手を糾弾し、徹底的に思い知らせた。
その結果、10日後のプロムのパーティーで殿下直々に婚約破棄される羽目になったのである。
その後、なぜか10日前に戻ってしまう現象を繰り返すことになった私は、あの手この手で結果を変えようとした。
王子に切々と浮気は良くないと訴えてみた。……疎まれた。
浮気相手の令嬢への糾弾を、あからさまにではなく、遠回しにやってみた。……バレた。
穏当に誠意をもって身を引くよう頼んでみた。……脅したと言われた。
王子に愛しているとアピールしてみた。……打算的だと信用されなかった。解せぬ。
たしかに、これまでの長い婚約期間中に愛だの恋だのという思いは育んで来なかった。そんな付き合いは大人になって結婚してからで十分だと思っていた私が子供過ぎたのだろう。あまりに幼いときから婚約していたから、そういうものだと思って、普通に教わった通りの礼儀正しい付き合い方をして納得していた。
毎年、お誕生日には婚約者の証の指輪を成長にあわせて調整してもらい、改めて贈ってもらうことで気持ちを新たにする。それでいいと思っていた。
私の態度は大人受けは良かったし、誰にも文句をつけさせないだけのことはきっちりこなしていた。だからまさかすでに婚約をしている相手に媚びを売ることがそれほど重要だとは思わなかったのだ。
何をやっても裏目に出て、私は寝込んだ。……病床の枕元に婚約破棄の通知が来た。使者がわざわざ指輪を取り上げていったのはケチ臭いと思う。
自力解決をあきらめて、親にすがってみた。……権力にものを言わせて浮気相手の令嬢を排除して、王子の逆鱗に触れた。
お父様、それはもう私がやったよ。
血は水よりも濃いと、親子の絆を確認したが、解決には至らなかった。
私は王子との結婚を諦めて、こちらから婚約を辞退しようとした。……親の怒りを買って実現できなかった。
誰かに協力してもらおうと女友達に声を掛ければ、その子が勝手にしたことの責任まで追及された。相談相手が男性だと、同級生でも教師でも浮気相手と見なされて責められた。
それならばいっそ本当に浮気をしてみるかと一念発起してみたが、悲しいかな、歯牙にもかけていなかった相手に恋愛感情はわかなかった。
問題は王子殿下がハイスペックだったので、周囲の誰もがその劣化版に過ぎないということだった。私は情熱的に愛していなかっただけで、別に殿下のことは嫌いではなかったのだ。最上級品に惚れていないのに、これと恋愛とか妥協も甚だしいだろうと思うと、つい冷めてしまう。
しかもこちらはすでに何度も同じ10日間を繰り返している。基本的に発言も行動も見飽きていて、意外性がない。こちらが枠から外れた行動をしても、周囲は可能な限り速やかに規定路線に戻ろうとするのでパターン化が著しいのだ。
周囲の人々が、アドリブを許さない芝居の役者に見えてきて私はうんざりした。
そもそも物心ついてからこっち、恋愛なんぞしてこなかったのに、10日で恋なんてできる訳がない。
なにかをなすには時間が足りないし、羽目をはずすには品行方正に育ちすぎた私は、ループする袋小路で疲弊していた。
「(とりあえず毎回、殿下の浮気現場を見なきゃいけないのは気が滅入るわね)」
この馬車が車止めについて、降りようとすると、ちょうど生垣越しに中庭の一角が見えてしまうのだ。普通は見えない高さの生垣なのだが、馬車のステップからだと視線が通る。それなりに距離があるから、向こうからは気づきにくいだろうが、遠目にも明らかに抱き合って長々とキスしていれば嫌でも目につく。
「(せめて戻る時点が家なら、この時間に馬車で登校しないのに)」
憂鬱な気分で窓の外を見ていると、馬車の前をふらりと一人の男が横切ろうとした。
馭者の罵声が響き、馬車が大きく揺れた。私は椅子から投げ出されそうになったが、かろうじて無事だった。
胸がドキドキしていた。
こんなことはこれまで起こらなかったのだ。
窓から外を確認してみると、先ほどの男が馭者に謝っていた。慌てて飛び退いたらしく怪我は無さそうであった。
馭者は馬車を一度止めて、私の無事を確認した。どうもないと答えると、馭者は遅延を詫びた。
「少々、急ぎます」
ゆっくりでいいと言ったが、馬車は定刻通りに到着した。
「(せっかくあの人のお陰で見ないで済みそうだったのに)」
がっかりして馬車から降りると、中庭の二人は抱き合ってはいたがキスはしていなかった。少しだけ時間はずれたようだ。
私は顔も思い出せない見知らぬ通行人に感謝した。
始まり方が違ったから、何か新しいことが起こるかもと期待して、その回はいたって大人しく過ごした。しかしやはりいつも通りに私は弾劾されて気を失った。
次の周回で私は馬車の窓から、あの通行人の姿を探した。前回だけなぜあのように馬車の前に出てきたのか知りたかった。
行き交う人の中でどれがあのときの彼だったのかは見分けられなかったが、外の風景を見ていて私は違和感を覚えた。
「(いつもより遅い?)」
馬蹄のリズムが違う。わずかだが馬の歩みが遅い気がする。
車止めについたとき、馬車の扉を開けてくれたのは、いつもの馭者ではなかった。私は戸惑って降りるのが遅れた。その背の高い見知らぬ馭者は、私の戸惑いがうつったように当惑して、何を思ったのかまるでエスコートするように手を差し出した。
全く私と彼の身分と立場にそぐわない行動だったが、私はなんだか面白くなってその手を取った。
「あなた、送迎の馬車は初めてかしら」
その若い大柄な馭者は焦った様子でかろうじてうなずいた。地味で朴訥な感じだ。新しく配属された使用人なのだろう。
「明日からはこういうことはしなくていいわ」
スッと手を引くと、彼は深々と礼をした。
私は校舎に向かおうとして、そういえば王子の浮気現場をまったく見なかったことに気がついた。
「(帰りにあの馭者に礼を言おう)」
そう思っていたが、その周回ではそれっきり彼には会えなかった。




