8 ――副所長という男――
冷たい空気のお陰で、酷い臭気はない。どこから湧き出ているのかと、注意を振るうことも出来ないハイドは、背にいる男に言葉を投げる。
「アンタは俺には勝てんよ」
一撃。言葉を無視して男はハイドの背中に短剣を突き刺した。――――だが、それもまた革の鎧に阻まれてハイドに傷を与えられずに居る。
男は剣を引き抜いて後退。大きく跳んで、出入り口付近まで下がるのを、ハイドは振り向き様に確認した。
――――ハイドの革の鎧。それはただの革製ではない。確かに革が大部分を占めるが、それを強化するために魔法繊維が使用されているのだ。
たった十数本の糸。だがそれは、十分すぎるほどの魔力が蓄えられていて、それが革を強化する。
現在ハイドが装備しているソレは、鋼鉄並みである。
だから――――男の強さは十分に知ることが出来た。
自分より強い。遥かに。だが、勝てる。
その確信がハイドの中にはあった。
「舐めたことを――――言うんじゃねぇッ!」
また姿が消え、前方で強く床を叩く音がしたと思うと、肩に何かが突き刺さった。見上げると、天井に深くしゃがみこむ男が居て――――地面のようにそこを蹴って、急接近する。
頭上を剣で切り上げると、強い衝撃と同時に甲高い音が鳴り、男はハイドの後ろに着地した。それから、肩から生える剣を抜く。
――――短剣はやはり、ハイドに傷を与えない。それは、肩当てが防いでくれたから。
コレまで3度、ハイドに致命傷を与える場面があったが、その悉くが失敗に終わる。
勿論、鎧のせいで完全無欠というわけではない。露出している頭を狙えば即死は勿論、脚甲はただの皮製なので剣は突き刺さり、肉体に大きな損傷を与えることが出来る。
篭手を装備していないので剣を扱えなくさせることは出来る。――――全て、男が出来る範囲のことだ。
だがそれをしない。否、出来ない。それは――――。
「運も実力のうち。だから俺は、アンタより強い――――どう取ってもらっても、構わないがな」
ハイドが強運なのか、男が運から見放されているのか。誰にも分からないが、だが確実に、戦闘の流れはハイドのモノとなってきていた。
「だったらなんだ? 神に『どうかお助けください』とお祈りすればいいのか?」
「それもいいかも知れないな」
クツクツと笑い、”わざと”余裕を見せるハイド。男は次第に激情しているようで――――再び姿を消して、ハイドの胸に剣を突き刺す。
だが衝撃はそれだけでは終わらず、何度も、何度も、姿を消してまた現わし、ハイドの上半身のみを突き刺していった。
すれ違い様に胸を突き刺し、また後ろから。今度は振り下げて、振り上げて。
ハイドも負けじと剣を振るが、切り裂くのは先ほどまで男が居た虚空である。たまに、足や顔に掠り傷が来るので、やがて見せる笑顔も消え始め、それは焦燥の汗に塗れていく。
一向に終わる気配の無い、高速の連撃。捉えることが出来ない速度。一瞬前よりさらに速度を増しているような感じがして――――最後に、ハイドの腹に剣を突き刺して、男は停止した。
”肉を切り裂いた”短剣が、男の手によってグリグリとハイドの体内で更なる激痛を追加する。
半分程抜いて、また刺して。ソレさえも凄まじい速度で行う男に、ハイドはそっと手を回して――――抱きしめる。
が、そんなことなど承知の上だというように、男はハイドの間合いギリギリ外の位置に移動する。勿論、お得意の高速移動で。
――――体内に溶かした鉛を流し込まれるような激痛が、全身を麻痺させる。
鎧が邪魔なら壊せばいいじゃないと、予想外の前向さにハイドは戦闘の流れすべてを持っていかれてしまった。
「神に祈る、までもねェよ」
男は身を低く構える。また攻撃が来る、そう察知したハイドは激痛も無視して剣を構えるが――――一瞬にして背後に移動した男は、静かに、血に濡れた切っ先をハイドの首横に突きつけた。
「じゃあま、敗因は自信家さんの勘違いってことで。さよならさん」
切っ先が、その皮膚を、ゆっくり切り裂き始める。その瞬間――――ハイドはそのナイフに魔力を流した。
「稲妻の裁断」
流した魔力は『糸』のようにナイフに絡まり、またそこから伸びる糸は男を一瞬にしてがんじがらめにする。
否、それはハイドの作り出した魔法の糸ではなく――――革の鎧に使用されていた、魔法繊維である。
革を鋼鉄ほどにまで強化する魔法繊維。それは高速度で振るわれるナイフ如きで切断されるほどやわではない。
数は少ないが、ボロボロにするほど革の鎧を傷つければソレを切り裂いたナイフに絡まっていても不思議ではなく、また高速移動していた男にナイフに絡まる前に糸が絡み付いてもなんらおかしいことは無い。
ナイフは絡まっている部分から、まるで紙でも切るように切断され、音を立てて床へと落ちる。男もまた、その糸を骨にまで食い込ませていた。
「アンタが所長かい?」
男の、ハイドに救いを求める叫び声がその声を掻き消す。ハイドは溜息を着いて――――肩に乗る、男の手を引いた。
癪に障る断末魔が、耳元で叫ばれた。ハイドは指で耳栓をしてから、その声が止むのを待って、それから振り向く。
バラバラに、さらに血まみれになるタキシードの残骸。綺麗な切断面を見せる部分もあった。
いやに強い血の匂いを我慢しながら、胸に付けられているネームプレートを、タキシードから引きちぎって見る。
『部長・シノダ』とかかれているのを見て、「なんだ、副所長か」とハイドはソレを投げ捨て、指を鳴らす。
下へと向かう扉の”手前”で展開していた炎を消して、ハイドは地下へと向かう。
――――様々な情報を聞き逃したなと、その階で一番の溜息を吐くと、ハイドはボロボロになった鎧を脱ぎ捨てながら回復魔法を掛けていった。




