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11 ――許せる悪、許せぬ悪――

紅く染まる視界は、彼が本物の魔族になったことを示すように薄れていく。色合いが弱くなり、どうやら鮮明な視界にろ過されていくようであった。


危機的状況を感じるわけでもなく、ただ起きたら魔人化してたという――――実感の無い状況に、ハイドは小さく息を吐きながら、腹に突き刺さる鉄の矢を引き抜いた。


鮮痛が腹を走り、手から脱力させる。だが少なくとも、最初の行為だけで矢は壁から離れて、ハイドはそのまま床に叩きつけられるようにして落ちた。


夢の中にいるような感覚だが、痛みだけはしっかりと感じる。タチの悪い夢だと思いながら立ち上がると――――予測できぬ内に降り注いだ鉄製の矢はハイドの顔の横の壁に突き刺さった。


「魔族は人間の敵です。たとえ元が誰であろうとなんであろうと」


ハイドが正面を見ると――――ノラの眼光が胸に突き刺さる。恐らく矢は、外れたのではなく外したのだろう。自分は敵対しているぞと、教えるために。


魔族は魔法を扱えない。例外は居るが、それは絶対的な事実である。だからハイドは、それを確認するために集中力を高めて、


「瞬間移動」


唱える言葉は虚しく宙に溶けていく。魔力はちっとも動かされることが無く、彼の頼りになるのは、握ったままである剣だけだった。


「わたしは魔族と戦います。ハイドさんが、そうしてきたように」


また流れるように矢が穿たれて――――ハイドはそれを弾くように剣を振るうと、それは見えぬ力に弾き返されて、


「くっ」


弾かれた勢いに乗るようにしてハイドは低く飛ぶと、矢は彼の腹を掠って壁に突き刺さる。


「ちょっと待て――――ノラァッ!」


叫びは逆に心の空虚を生ませてしまう。無情にも続く矢の雨は、魔族故に強化された反射神経によって全ては寸での所でかわされ続けていた。


鉄製、というのは恐らくこれを見越して準備したものだろう。そうすると、合流した時の彼女は嘘と言う事になる。


仮に、旅を共にするという一番最初からそうだとしたら一体何が目的だったのか、という話になる。だがハイドが魔人化するようになって、またその恐れが現れてから、ノラは魔物や魔族に有効な倭皇国の魔術を熱心に学んだ。


そうなることも、その国へ行くことも全ては偶然なのだが、どうにも素直に飲み込めない。


考える間にも矢は底なしのようにハイドへと降り注いだ。


「ノラッ! 悪い冗談は――――」


走り、跳びながら避けていると、目の前にはスミスが迫っていて、思わず後の言葉を飲み込んだ。


咄嗟に胸の前に両腕を重ねて壁を作ると――――予測どおりにそこに拳が飛んできて、強い衝撃がハイドを襲った。


強い力にハイドは押され、地面に跡を残すブレーキを掛けながら勢いを殺すと、身体が停止した瞬間を狡猾に狙った鉄製の矢は、止まったばかりで動けぬその身体を射抜く。


まず狙われたのは足だった。的の小さい頭を狙って一撃で仕留めるよりも、より確実な方法。移動できなくすれば簡単なのだ。


男の方を危惧したが――――テンポ遅れて飛び込んだシャロンが相手をしてくれているようである。


ハイドは矢が突き刺さったまま、狙いを定めているノラを見て――――直線に突っ込んだ。


走り回って逃げていても、方向転換する際や、動きを読まれて先回りされたときなどは必ず身体は止まってしまう。であれば、敵に真っ直ぐ突っ込んだほうが早い話である。


相手に虚をつけなければ攻撃は続くが――――。


打ち放たれる矢は頭の横を通り過ぎて――――ハイドは素早く、弓の弦を剣で断ち切った。


「……お前は一体、なんなんだよ」


彼女の矢は既に残り少なくなっているが、それも全て遠くに放り投げて武器を全て失わせる。これで少しは話を聞いてくれると、そう思ったのだが、


「全てを語らなくても、今を見れば分かると思いますが……?」


小ばかにするように言いながら、彼女は魔力の籠る拳を打ち出した。だがノラは飽くまで弓使い。武術なんてのはみようみまねでしか出来ないので、それは非常にお粗末な動作で――――背後に回られて、彼女は身動きを封じられてしまう。


「分からねぇよ! さっきは仲間だったのに、一体、どうなってんだ……」


「仲間のフリをしていたのですよ。それとも何のためにハイドさんに近づいたかを知りたいのですか? 今までの関係が、本物だったのかが聞きたいのですか?」


だが彼女は飽くまで余裕そうに言葉を紡いでいた。


一方で、ハイドの頭はそんな容易なことを納得できないと我侭に首を振っていた。


ノラが敵だったなんて事は――――認めたくは無い。嘘だと信じたい。悪い夢だと思いたいのに……。


「ハイドさん、まだ分からないんですか? 敵を騙すにはまず味方から。今ならスミスさんはシャロンさんの相手をしているので、マートスを捕まえるのは簡単です」


「えっ……、の、ノラ……――――」


「等という嘘を、わたしにつかせ続けたいのですか? 自分がずっと見続けたい幻想の為に、事実を事実だと受け入れずにどうであれ元は仲間であったわたしの純真さを傷つけたいのですか?」


彼女はハイドが言葉を返す間も無く、矢継ぎ早にそれを続ける。


「勇者が、いつまでそうしているんです! 貴方の目的はなんでしたか? 裏切ったわたしを更正させることでしたか? ――――違うでしょう。貴方は国を元に戻すんです。わたしはそれを邪魔する敵の一人。今まで貴方の金魚の糞だったわたしの答えがソレですっ!」


そんな台詞で、ノラが今どんな心境であるか、どんな経緯で今を立っているのか、少しだけハイドは分かった気がした。ただの分かったふりかもしれない、だがハイドはそれに少しだけ安心する。


「……敵と敵って事か」


複雑な事情が絡み合っているのか、思いつきでこうなったのかは分からない。だが彼女は今、一人の敵としてハイドに認められたがっていた。


彼女はハイドの言葉に頷いて、


「わたしは少なくとも、あの旅の思い出は嘘では無いと断言します」


彼女は掴まれる手を離されると、ダランと下げたまま。為すがまま為されるがまま、ノラはその首筋に冷たい刃が触れるのを感じた。


ハイドの後ろのクリスは、最初から今まで、何が起こっているのかわからぬまま、それをじっと見つめて――――剣が閃くのを見た。


剣はノラの予想に反して首の遥か後ろを掠めて、大きな三つ編みに纏められる髪を瞬く間に断ち切っていった。


ボトリと、落ちる髪の塊を拾い上げて、ハイドは気障っぽく、彼女が振り向くのにあわせて微笑んだ。


「女の命である髪を切った。お前はこれで死んだも同然。つまり俺の敵は野郎とマートス以外居なくなったってわけだ」


漆黒の肌に合わぬ優しい顔をするハイド。それをノラは見て、力なく、ハイドの胸を叩いた。


「ハイドさんは、もう人間じゃない。わたしが人間だと認めても、世界が認めません……、もうハイドさんと一緒に居られなくなる。だったらわたしは――――生きている意味が無いです。今回の関係者だったわたしは、ここに寝返るふりをして敵に回れば、そうなるまえに死ねると思ったんです……、なのにハイドさんはっ!」


柄に無く、年甲斐も無く凛と張り詰めた表情は、それが感情の沸点だというように崩れ始めて、涙のたまる瞳からはぽろぽろと塩辛い液体が流れ始めた。


「良くも悪くも、予想を……裏切ってくれますっ! なんで、なんでわたしを――――」


「甘ったれんじゃねーぞ糞ッ垂れ」


人間の肌とは程遠いハイドの胸に抱きつくノラに、ハイドはまた、良くも悪くも予想を裏切ってやった。


「人間から魔族になると一生あえなくなるくらい縁遠い関係だったか? むしろ逆だろうよ、一生離れられない種族なんだよ、俺たちは。それにな、俺は死にたくても死ねないんだよ――――やることが腐るほどあるし、なによりも最強だからな」


優しい言葉は降り注がない。彼女の耳に届くのは手厳しい台詞と、励ますような声であった。


「それでも人間が、魔族を引き離すようだったら――――そうだな、どうせ伸びた寿命だ」


ハイドは少し、言うかどうか迷った後、それを恥ずかしげも無く口にした。


「世界を支配して見せる。どうせ勇者に戻れないんだからな、魔王になるくらいドでかいことを企んでやるよ――――ああ、いいな。そうだ、それがいい。今回のことが終わったら俺、世界征服するから」


ハイドはノラを引き離してから、鋭く爪の伸びる手でその頭を軽く二度叩いて、背を向けて歩き出す。


その足は、迷うことなくマートスへと伸びて、


「んじゃ、最後の勇者の活躍。とくとご覧あれ」


ハイドはそう言って――――体中から黒い電撃を迸らせた。

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