8 ――そして新たな局面へ――
「なんかあんま迫力なかったね」
思い出してみると、想像とはかけ離れた滑稽具合である。
玉座の間を後にして、階段を一段一段、心を落ち着かせるように降りる彼女へと告げると、
「もう、お前と居たら寿命が何年あっても足りないね」
頭が良さそうな考えが垣間見える一方で、簡単に間抜けな状態に陥る彼を思い出して薄く笑むと、ハイドも安心したように笑顔を作った。
城の中には気配がなく、静まり返っていた。城の門の前には居ると言うが、果たしてそれだけで用は済むのだろうか。
「でもお陰で奴の頭はパンクしたんだ。感謝して欲しいな」
「焦った表情を悟られたくなかっただけじゃない? まぁなんにしろ、前国王の命次第で国の命運は決まるから……」
適度に鼓動が高鳴る状態。決して落ち着きはしないが、そわそわしているというほどではない。静か過ぎる廊下を歩くと一行は然程時間を掛けずに行き止まりへ。
そして、旧地下牢獄へと繋がる扉の前へとたどり着いた。
その前には一人の男。顔面蒼白の男がこちらへ気がつくと、弱々しく口を開いて、
「何の、用でしょう」
弱々しく、今にも倒れてしまいそうな貧弱な声で彼は空気を震わせる。ついでに腕も脚も震えていたことに気がついて、ハイドは仕方なく、元の姿に戻ってみた。
物陰に隠れると途端に光が溢れて――――また警備兵の前に現れたのは、彼にとって見覚えの在る少年の姿であった。
「は、ハイド……、ほ、本物……なのか…………?」
衰弱して姿まで変わっているが、彼は前国王の側近であった近衛兵である。側近から地下牢の扉警備へと成り下がったのは可哀想なことでは在るが、ハイドには少しばかり時間が無い。
だから小さく頷いて、
「ここを警備してるって事は?」
彼に尋ねると、今にも泣き出しそうに瞳に涙を浮かべて大きく、何度も頷いた。
「そう、生きてるんだよ……っ! サミュエル様は……生きてる……っ!」
誰かが生かしていたのだろう。最も、聞く限りの理不尽に殺された国王を生かさないはずが無い。男は静かに喜びながら、扉を閉める鍵を開けた。
錆びた音を立てて、鉄の扉は開いて――――奥からそよぐような冷たい風は、瞬く間にその場に居る全員を撫で回す。そんな風に不意に背筋を凍らせてから、
「ここは俺が見張ってる。ダメだと思ったら叫ぶから、それを合図にしてくれ」
そうして先ほどの泣き顔とは一変、ハイドが最後に見た逞しい表情を垣間見せる近衛兵は鼻を鳴らして、彼等が階段を降りて行くのを見送ってから、静かに扉を閉めた。
――――扉が音を立てて、さらに外からの光が消えるのを感じながら、彼等は降って行った。
一段降りるごとに冷気は増して、餓死はなくとも凍死があるのでは、と大袈裟に彼女へ告げると、
「それじゃ暖めてあげようか」
「……はぁ?」
頬を殴り抜ける拳は勢い余って、ハイドの頭を壁へと叩きつけてしまった。女性は皆頬を殴るのが易いのか。それとも好きなのか。妙な疑問が浮かび、また彼女が妙に心を開くように笑い始めるので、ハイドも仕方なく笑い返す。
暗い階段の中で響く明るい笑い声が収まると、隣に居る彼女は手を差し伸べて言った。
「私はクリス。気軽に呼んで貰って構わない」
なるほど、仲良くしようと言うわけか。だがしかし、本当に短い期間なのに……全く律儀な奴だな。
ハイドは馬鹿にするというわけではなく、素直にそう思ってから、相手の自分より少し小さな手を強く握り締めた。
「俺はハイド=ジャン。ご存知かもしれないけどな。勇者だ。気軽に勇者様と呼んでくれ」
軽い自己紹介の直後に、階段が終わる。その正面は壁であり、時代遅れにも火のともった蝋燭が、壁に備え付けられている燭台に刺さっていた。
それだけでも灯かりがあることは大助かりであるが――――壁に沿わせて居たハイドの手はスイッチを見つけた。
クリスにどうするか訊こうと迷ったが、そのままスイッチを押すと、天井に下げられている傘の中の白熱電球が何回か明滅を繰り返した後、薄暗いが、奥まで見える光が広がった。
長い通路に、一定間隔でソレがあり、その通路の両脇に鉄格子の牢獄が。
いかにもな寂れた雰囲気に、近場の牢獄の奥に無造作に放られる人骨。クリスはソレを見ながら、
「多分、ここに入れられた新人が暴れないようにとの脅迫用かな」
なんて冷静に言ってのけた。先ほどの女の子のちょっと悪戯で言ってみたような台詞はどこへやら、彼女の瞳は真面目そのものである。
「王様ー、どこー?」
迷子でも捜すようによく声の響く所で言うと、隣のクリスが早くも見つけたらしく、肩を叩いて指を指した。
それに応じて顔を向けると、そこはやはり鉄格子の中――――テーブルの上に上等なワインと食事が並べられて、それを上品に食べている初老の男が居た。
「……ん、ああ。お主か」
喰うか? と言わんばかりに霜降り肉を突き刺したナイフを掲げるので、「いらん」とだけ返して鉄格子にしがみつく。
「やらんぞ」
「喰わん! ってか……上でどれだけ酷いことになってるか、分かってるんですか?」
ハイドの真剣な眼差しを受けて、サミュエルは自分の得物が狙われているハイエナのように肉を頬張り、ゆっくり咀嚼し、飲み込んでから――――またサラダにフォークを突き刺した。
「いやちょっと! 喰うの一旦止め!」
「食事中なんだから邪魔しないでくれ。知らないのか? デブは一食抜いただけで餓死するんだぞ」
デブというよりは小太りの前国王は偉そうに言いながら、ドレッシングの滴るレタスを音を鳴らしながら噛み砕いた。
それ以降誰も口を出さない。そういえば朝から何も食べていないなと、サミュエルの食事を見て腹を鳴らすと、答えるようにクリスも腹を鳴らした。
「……なんか、ここだけ空気が違う」
そうしてクリスがそんな気恥ずかしさをごまかす様に口を開いた。
確かに、上へ行けば恐ろしいほど静かで、いつ王の理不尽な命令で首が飛んでも分からぬ状況である。街に行けば街に行ったで、旅人が居ないから宿屋は殆どつぶれており、警備兵の目に掛かるのが嫌なので道を歩く人も居ない。
常にどこも緊迫しているのに――――この空間だけは、妙に落ち着くのだ。
「まぁ……」
サミュエルが食器を鳴らしてナイフとフォークを置き、口元を手で隠してゲップをしてから鉄格子へとやってきた。
「あのマートスとか言う小僧はワシの息子じゃないからのう」
「えっ?」
「ワシの息子そもそも居ねーし。妻は子を生む前に死んでしまったからのう」
とうとう痴呆かと思われたが、こんな寒くて静かで暗いところでも呑気に食事を続けることが出来る男が簡単に呆けるわけもなく。
故に――――それは驚くべき事実となる。
「じゃあアイツ誰!?」
今まで王族なので、仮にも王様なので、という事で手を出せなかったマートスである。もしそんな衝撃的事実が発覚すれば、世襲制のこの国では王の椅子から引き摺り下ろすことは至極簡単。
なぜかというと、サミュエルが生きているからである。
世襲は簡単に言えば親から子に地位を受け継がせること。それを『絶対的な地位の国王という立場』でやってのけるのが世襲制君主である。
それなのに、子でない者が自身を偽って国王を殺し、その席にのさばる事は――――王族殺しを伴わずとも重罪である。
「その昔この国に流れてきた、寂れた貴族の一人でな。恩情で仕方なく食わしてやってたんだが、気がつくとあの有様だ。名もなき貴族で、良くも悪くも評判の在る勇者が大嫌いらしい」
さらに何の努力もせず、平民の癖に王族並の信頼がある、という理由だろう。その実情を知らないのは良いことであったか。現在では誰もが自信を持って首を振れる。
サミュエルはまだ半分以上料理が残った皿を鉄格子の手前に並べ始める。恐らくは彼等の腹の音が聞こえてしまったのだろう。
彼等は遠慮しながらもナイフやフォークを受け取って、それを食べながら聞いた。
「勿論事情を知らぬ兵士ではない。だが貴族より地位は低いので口が出せんでな。確か子が居たはずだが……、その娘も自分の子供ではなく、拾った子供らしい。酷くぞんざいな名前で覚えやすかったが、失念してしまった」
「覚えやすくないじゃないですか!」
肉を飛ばしながら叫ぶと、王の鉄拳がハイドの頭に降り注いだ。
「……っていうか、兵士ですら貧相なものを食ってるのに、だれがこんな上等なモノをおすそわけしてくれんの?」
「僕だよ」
質問の答えは予測し得ない方向から即時返答された。
それは直ぐ後ろの――――鉄格子の中。
薄暗い中にはその声の主、義父が居て、また隣に母親が居て、シャロンがいて、リートが居た。
なんでこんなことになっているのか。何故彼等がここに居るのか。――――ハイドは数秒の空白を置いて、叫んだ。
「逃げ道かッ!」
腰から出す鍵で鉄格子から脱出し、また急ぐ歩調でハイドをどかし、王の居る牢屋の鍵を開錠してから、肉を頬張るハイドを見下ろすのはやはり義父だった。
「結果的には立ち向かってるんだけどね」
本来は牢屋から外へと逃げるものだったのだろうが、城が篭城に近い現在ではそれが役に立っていた。ろくでもない脱獄犯は、思わぬところで活躍していたのだ。
だがその実、出入り口に近い其処は何らかの事態に備えた、緊急で入り口として造られたのである。
「あの骨は脅迫用じゃなくて、ダミーだよ。骨が在るトコになんか誰も近寄りたくないだろ?」
――――最初から聞いていたのか。クリスは得意げに言ったことを訂正されて、そこは素直に顔を紅く染めていた。
「いやー……どおりで見たことの無い息子さんだと思ったよ」
リートが起きたばかりのように頭を掻いて呟く。サミュエルは苦笑してから、義父を見た。
「今回もまた大きく出たな。随分とまぁ、変わらぬなぁお前も……」
「あは、王様ほどじゃありませんよ」
――――妙に仲がよさそうなのか、それとも皮肉の言い合いなのか。ハイドは気になってちょろっと訪ねると、
「コイツは諜報員じゃよ。ワシのな……。目も見えず耳も聞こえない状況になるとは思ってたのでな」
「えっ、で、でもマートスに利用されてたってのは」
「本当だよ。でも首を突っ込みすぎて怪しまれて、彼女を殺せって命令されたから困ってたんだよ」
義父は母親を見て軽く笑う。大体のことを聞かされていたのか、もしくは関係者なのか、ハイドの母はなれたように笑い返した。
「さぁ、ハイド。圧されてた我々は貴様によって転機が現れた。全てはこの時の為に力を蓄えたのだ。予期せぬ事態を覆す力を持つ者。勇気あり、弱きを助ける者。それがお前だ。それが勇者だ。ハイド=ジャンは『役に立たぬ者』ではない。『役に立つ機会の無い者』だ。履き違えるなよ――――ハイド=ジャン!」
演説ぶって叫ぶ台詞は、図らずもハイドの胸へと突き刺さる。
王が頼っている。仲間に頼られている。心の奥底に、絶体絶命でもないのに力が湧いてくる。
それが今まで以上に、誇らしかった。
「わかりました――――が。全てをやって差し上げるわけじゃあない。民を、国を救うのは貴方で、救えるのは貴方だけだ。道は作って差し上げます。だから最期まで王様をやりとげてくださいよ」
「うむ。忠義なことだ。どの衛兵よりも」
「皆の衛兵。それが勇者ですから」




