冥王
いつの間にか、空には晴れ間が見えていた。
その空の下で、大志は目の前に倒れるアベルを見下ろしていた。意識は、完全になくなっているようだ。それを見た大志は、ようやく終わったことを実感する。
「――大志さん!!」
ことが終わったのを見届けたステラは、少し遠くの位置から大志の元に駆け寄る。
彼女の声に大志は気付き、笑顔を向けた。
(大志さん……良かった……)
それを見たステラも、安堵の笑みを浮かべる。だが―――
「――か…は……」
短く声を漏らした大志は、その場に倒れた。
「―――ッ!? 大志さん!!」
慌てて彼の元に辿り着いたステラは、彼の体を優しく抱き上げる。
「大志さん!? 大志さん!! しっかりしてください!!」
彼女の声に、大志は反応することはない。ぐったりと四肢の力を抜いた彼の意識は、完全に途切れていた。
彼の様子には、見覚えがある。それは、英雄の街での戦闘の後のこと。あの時も、彼は突然意識を失った。
(まさか、あの時と同じように―――)
そう理解したステラは、彼の顔を覗き込む。
……やはり、彼は何かを背負っている。それが何なのかは教えてくれないが、何か制約のようなものがあるのかもしれない。
魔法を使う時の彼は、まさに鬼神の如き強さを見せる。だが一方で、どこか儚さも垣間見えていた。その理由は、今の姿にあるのかもしれない。
――その時、瓦礫の中で何かが動いた。
「―――ッ!? 誰!?」
ステラはその方向に注視する。そしてそこに現れた人物を見た彼女は、表情を凍らせた。
「……あ、あなたは……!!」
「――ずいぶん、派手にやってくれたな……」
そこに現れたのは、他でもない。アベルであった。
彼は体中がボロボロとなっていた。鎧にはヒビが入り、頭部から血が滴っていた。
彼の姿を見たステラは、とっさに大志の体を庇うように抱き締めた。
「どうしてあなたが……!! あなたは、確か……!!」
「ああ。そいつに、やられたよ。……だが、俺は一体だけ残してたんだよ。まさかのことを想定してな……」
「そんな……」
「しかし、完全に予想外だったよ。俺が、役に立つなんてな。力もずいぶん落ちてしまった。正直、立っているのもやっとだ。――それでも、意識を失った奴と、ナーダ程度には遅れは取らん……」
冷たく言い放ったアベルは、ゆっくりと剣を抜いた。
「―――ッ!!」
「残念だったな、黒瞳の雷帝……終わ―――」
「――終わらせるのは、ちょっと早いかもよ?」
「―――ッ!?」
突然、アベルの背後から声がかかる。アベルは瞬時にその場を跳躍し、声の元から距離を取る。
「……あなたは……」
ステラもまた、その人物に顔を向けていた。
二人が視線を向ける先……そこには、瓦礫に座り込む人物がいた。――ハルムフェルトである。
彼は軽い口調で、話を続ける。
「いやいや……まさか、大志の力がこれほどとはね。――“無限のアベル”を、ここまで追い込むとは……まあ、詰めは甘かったけどね」
「……“無限のアベル”?」
ステラは、彼の言葉を復唱した。
「あれ? 知らないの? ――そこの彼はね、先の魔界進攻において、多大な功績を上げたシュバリエだよ。彼は天界の中でも、指折りの戦士だ。そんな彼を、ここまで追い詰めたんだ。
――さすがだよ、大志は」
ハルムフェルトは、倒れる大志に、優しい視線を向けていた。
そんな彼に、アベルは叫ぶ。
「なぜ貴様がここにいる!! 答えろ!! ――“冥王”!!」
アベルの叫びには、殺気が込められていた。しかしハルムフェルトは、一切怖気づくことなく、淡々と答える。
「なぜ? おかしなことを聞くね……。僕は、大志と同じ牢屋にいたんだよ? 彼が脱走したということは、僕も然りさ」
「……クソッ!!」
言葉を吐き捨てたアベルは、体を発光させた。そして彼の周囲には、数人のアベルが浮かび上がる。
「確かに俺の疲労は溜まってるがな!! まだこのくらいは出来るぞ!!」
アベル達は一斉に剣を構えた。大地を踏み締める足には力が入る。今まさに、彼らは飛び掛かろうとしていた。
――だが、その時……
「……クス」
ハルムフェルトの微笑と共に、周囲のアベル達は一斉に、弾け飛んだ。
「な―――ッ!?」
残ったアベルは、驚愕の眼差しで周囲を見渡す。血飛沫が舞い、倒れる残骸達……アベルの動きは、一瞬硬直する。
――と、次の瞬間……
「――余所見とは……感心しないね」
「―――ッ!?」
気付かぬ間に、ハルムフェルトはアベルの懐に入り込んでいた。絶望が、アベルを包む。その顔を前にハルムフェルトは、ただ不気味な笑みを浮かべていた。
「そうか―――貴様の魔法は――!!」
「―――さよ、なら……」
ハルムフェルトが呟いた瞬間、残るアベルもまた破裂した。一瞬のことだった。……断末魔すら、与えないかのように。
瞬く間にアベルを殲滅させたハルムフェルトは、大きく体を伸ばした。
「……よし。これで大志の尻拭いも終わりだね。さて……」
そして、まるで何事もなかったかのように、彼は返り血を浴びた顔を大志達に向ける。……いや、大志達ではない。彼が向けた視線の先は、ステラだった。
「……久しぶりだね。まさか、こんなところでキミと会うとはね……。もしかして、大志が言ってた魔界人の連れって、キミのこと?」
「……そうですよ。冥王……」
ステラは、鋭い目つきのまま彼に言葉を返す。
「私も驚きました。まさか、あなたがこんなところにいたなんて……天界に、何をしに来たのですか?」
「う~ん……ちょっと確かめたいことがあってね。そのついでに、ちょっと“天帝”でも狩っとこうかと。捕えられてそのまま天界の本国に行く予定だったんだけどね。大志が全部壊しちゃったよ。まいっちゃうよね」
ハルムフェルトは、クスクス笑いながらそう話す。
だがすぐに表情を冷たい笑みに変えた彼は、ステラと大志を交互に見た。
「……でもまさか、大志がキミが一緒とはね。つくづくおもしろい男だよ、大志は。ますます興味が湧くね」
「……大志さんを、どうするつもりですか?」
「どうもしないよ。僕はね、大志を見届けたいんだよ。――彼が、これからどうするのか……。だから、ここは大人しく魔界に帰らせてもらうよ。
――みんな、出てきてよ」
彼の言葉の直後、彼の背後に一斉に複数の人物が現れた。ある者は空から降り立ち、またある者は足元から岩を砕き現れる。中には、空間から這い出てきた者までいた。
彼らが現れたのを確認したハルムフェルトは踵を返し、ステラ達に背を向けた。
「……みんな、魔界に帰るよ。それで食事にしよう。僕、お腹空いたし」
彼の言葉に、全員が深々と頷く。そして仲間の一人が空間に切れ目を作り、続々とその中に入って行った。
――ふと、空間に一歩足を踏み入れたハルムフェルトは振り返る。
「――あ、そうそう。目が覚めたら、大志に言っててよ」
「………」
「……もっと、強くなってって。このままじゃ、勇者にやられちゃうからさ。――それじゃあ、つまんないし」
「……分かりました」
「よろしくね。――じゃあ……」
そして彼もまた、空間の隙間に入る。彼が入ると、たちまち裂け目は閉じていった。
残されたステラは、眠る大志を見つめた。
「……大志さん……あなたは、大変な者に目を付けられたようですよ……」
その言葉は、誰にも聞かれることはない。
それでもステラは、大志に瞳を向けていた。揺れる、紅い瞳を……




