【その9:パニックまいるーむ】
思う存分ぬこを観賞しながら茶を飲むひととき。最近の朝は、我にとって極上の時間である。
もはやこのルーティーンがなくては、やる気が微塵も起きぬ。
ようく観察していると、ぬこにもぬこなりに朝のルーティーンが存在している。まずは我が用意した餌(主に、細かく切り刻んだ肉。魔力でレアに焼く)を食し、トイレタイム。
それから入念に毛繕いを行うと、晴れた日は窓際に用意したクッションで日向ぼっこ。
そして最近はそこに、もう一つ重要な行動が追加された。毛繕いを終えたぬこは我の元へとブラシを咥えてやってきて、自らブラッシングを要求するのである。ぬこは天才に違いない。
それにしても、あのぬこが、我にブラッシングをおねだりしてくるとは。最初にそれが起こった日は、魔族の記念日にしようかと思ったほどだ。
しかしこの日、至高の時間を邪魔する異変が起きた。
それはいつものように餌をやり、ぬこが毛繕いをしているのを微笑ましく眺めている時であった。
「ぬ? 魔力の妙な揺らぎを感じるな」
不安定な魔力の出所を探れば、先日部屋の片隅に設置した転移魔法陣が原因であるようだ。なるほど、人間どもが気づいたのであろう。
だが並の人間の魔力では、魔法陣に仕掛けた結界を破れはすまいて。しかし念の為、今一度魔力を込めておくか。
そう思って魔法陣に近づいた瞬間。
転移魔法から娘が現れたのである。
流石の我も驚いた。確かに人間の作った術式であり、我にはやや不慣れであったとしても、我の仕掛けた防壁を突破して、魔法陣を起動させるとは。
しかし残念ながらここまでだ。我の私室にやってきて、無事に帰すわけにはいかぬ。ここで消し炭になってもらおう。
手に魔力を込めながらゆるりと近づけば、見知った顔であった。娘は気配に気づいてこちらを向く。
「魔王!? 何故転移魔法の場所に!?」
「ぬお! 聖女ルラ!? 何故お主がここに!?」
「どうして私の名を!?」
あ、そうか、人間界では認識阻害を使っていたのであった。
しかしなるほど、聖女の力だから魔法陣を起動できたのか。確かにあの魔法陣は聖魔法を中心にした術式であったからな。納得した。
それにしても困った。他の者ならば即座に消
し炭で良いが。ルラにはいささか恩がある。
我は気づかれぬようにため息を吐いた。
「……いつぞやの聖女よ。一度だけ見逃してやる。悪いことは言わぬ。このまま黙って帰るが良かろう」
「何を偉そうに! 以前は遅れをとりましたが、ここで逃げては聖女の名折れ! 人々が安寧に暮らせるようになるため、あなたを前にしてのこのこと逃げるわけにはまいりません!」
ぬう。変なところで責任感が強い。
「いや、そもそも、前に一度我に殺されかけたであろう? 自慢の聖魔法も効かぬし。しかも今回は一人。どうあっても勝てる見込みはないぞ。さ、ほれ、帰れ」
「……確かに状況は厳しいかもしれません。でも、こうしている間にも、人の住まう地侵略されていると思えば、一刻も早くあなたを倒さなくてはなりません!」
「ぬ? なんの話だ? 侵略?」
「とぼけても無駄です! さあ! どこからでもかかってきなさい!」
なんだか面倒なことになった。仕方なし。本人が望むのであれば、ここで終わりにしてやるのも温情というものか。
室内を緊迫感が包む。
その時であった。
てこてことブラシを咥えてやってくるぬこ。
ああ。毛繕いが終わったのであるな。我の前にブラシを置くと、
「にゃっ」
と鳴く。大変に可愛い。
「いや、今それどころではない。ぬこよ、ここは危ない、下がっておれ!」
ぬこに聖魔法が効くかどうかは分からぬが、怪我でもしたら一大事だ。
我がぬこの前に立ち塞がるも、しかしルラはなんとも言えぬ表情で我を見る。
「……え? ぬこ? え?」
何やら混乱している様子の聖女。早くブラッシングしろというぬこ。
「え? もしかして貴方、マオ、さん?」
何故バレたのか? 認識阻害魔法は完璧だったはずだか?
「……まあ良い。マオは我の仮初の姿である」
「まさか……、私を謀っていたというのですか!?」
「謀ったも何も、別に何もしておらぬであろうが、それよりも正体が判明したのであるならば……」
「私を口止めに殺すつもりですね! 簡単には殺されませんよ!」
「……先にぬこのブラッシング、やっても良いか?」
噛み合わぬ会話の合間で、ぬこが我を急かすようにもう一度「にゃっ!」と鳴いた。




