【その56:ぬこ様と魔王様と(7)】
悪意なき悪意の正体を知り、呆然とした私の様子を見て、ハーロットはわずかに顔を歪める。
「ようやく事の重大さに気づき、恐怖を感じ始めたというわけですか」
いや、それは誤解だ。けれどそれを説明するわけにもいかない。
下手なことを口にすれば、魔族領まで逃げたオレックにまで、良くない影響が及ぶかもしれないのだ。
口を開かぬ私に、ハーロットは続けた。
「……一応申し上げておきます。その牢の中には、魔法を封じる術式が組み込まれている。魔法を封じられた非力な存在では、この牢を破壊できないでしょうな。ちなみに術式は教会本部を守る結界にも使用されている代物。足掻いても無駄です」
「……随分と私を恐れているのですね」
「偽の聖女を、恐れる? この私が? いいえとんでもない。魔王と繋がっているような相手を、念には念を入れて拘束しているに過ぎません。勘違いしないでいただきたい!」
急に激昂し始めるハーロット。何かが癪に触ったのか? 何が? 考えられるとすれば、やっぱり……。
「……魔王への恐怖」
私がそう呟いた瞬間、ハーロットは鉄格子ごしに私の胸ぐらを掴んだ。
「きゃっ!」
「私が魔王如きを恐れるわけがないでしょう! この、神の使徒たる私が! すでに魔王を殺す方法は用意してあるのです! ……まあ、ここまでやってくることができれば、の話ですが」
何かを思い出したのか、今度一転笑みを見せると、私を床へと突き飛ばした。尻餅をついた私を見下ろしながら、ハーロットは「ふふふ」と笑う。
「もしも、もしも魔王が助けに来るのを期待しているのならば、それは叶いません。魔王がやってくるまでには10日以上はかかります。その頃には異教徒ルラは、処刑済み。というわけです」
「10日? ……まさか、転移魔法陣を破壊したのですか!?」
「そのまさかです。あの転移魔法陣は教会ごと焼き払いました。故に魔王は来ない」
「なんてことを……」
もしもその間にぬこさんに何かあったら、魔王は……。
「さあ、おしゃべりはここまで。死ぬまでのわずかな時間、教会を裏切ったことを後悔しながら過ごしなさい」
「……どうしてすぐに処刑しないのですか?」
「私としてはこの場で殺しても構わないのですが、偽物とはいえ、教会が一度は聖女の肩書を与えた相手。処刑するまでには少々面倒な手続きと根回しが必要なのですよ」
そうなると、私に残された時間はどれくらいだろう? 一日二日ということはないかもしれないけれど、あまり猶予は残されていない。
もう一度、ぬこさんを保護するように訴えようか? でも、ハーロットの様子を見る限り、あまり魔王とぬこさんの関係性を印象付けるのは得策ではない気もする。
「……」
迷う私に、満足そうに頷いたハーロット。
「では、私はこれにて」
そんな一言を残して立ち去ってゆく。
ハーロットの姿が完全に見えなくなってから、私は試しに聖魔法を詠唱してみる。……やっぱりだめか。不思議な力にかき消されるように、集まった力が霧散してしまう。
そもそも私が使えるのは聖魔法だけなので、鉄格子を破壊できるようなカードはないのだけど。
古い牢屋だ、もしかしたら腐食している部分があるかもしれないと、微かな希望をかけて、鉄格子を一本一本確認しても駄目。完全にどうにもならない。
私は牢屋の隅で膝を抱えて座り、ため息を吐いた。
ハーロットは分かっていない。
彼は魔王を殺せると思っているけれど、多分、無理だと思う。最強の聖魔法を浴びてケロリとしているような相手なのだ。必ず全ての謀略を潜り抜けて、ぬこさんを助けにやってくる。
転移魔法陣が破壊されていれば、遅かれ早かれ誘拐犯は人だと気づくはず。あの速度で空を飛んできて、10日もかかるものだろうか?
極端な話、もしもこのまま私が処刑されれば、多分その時が人類が滅ぶ時だ。
この最悪な状況を止めることができるのは、全ての事情を知っている私だけ。
でも……。
一体どうすればいいんだろう?
どうにもならない絶望に包まれ、私はそのまま動けなくなってしまう。
それからどれだけの時間が経ったのか。
そのままの姿勢で、少しうとうとしていた私の耳に、
「こんな状況で寝ているとはな……」
そんな呆れたような声が届いた。




