【その55:ぬこ様と魔王様と(6)】
このダークベットの計画は完璧であったはずだ。
魔王を最強たらしめているのは、その無尽蔵とも言われる魔力量である。
とはいえ、本当に無限に魔力を内包しているわけではない。必ず、底をつく時が来る。
だからこそ危険を承知で古代の魔獣を目覚めさせ、魔王をぶつけたのだ。
魔王が負ければそれでよし。そうでなくても無傷ではあるまい。そうして疲れ切った魔王を間髪入れずに呼びつけて、弱っているところを叩きのめす。
そのための餌も用意した。
魔王が寵愛している人間の娘だ。魔王が人間を愛でているとなれば、大きな問題となろう。露見すれば魔王の威厳失墜にも繋がりかねない。
ならば、魔王にとっては隠しておかねばならない存在。必ず単独で助けにやってくる。
もしも、こちら想定外の動きを見せ、魔王軍を動かしたとしても問題ない。保険はかけてある。
娘はハーロットという人間に攫わせたのだ。
このハーロットという男、私の配下が人間界に潜伏していたのを見抜きながら、どういうわけか誼を求めてきた。
『魔王を殺すならば協力すると』
何を考えているかは分からんが、少なくとも目的は一致した。概ね、親しい者を魔王に殺されでもしたのだろう。
ハーロットはずっと人間界の情報をこちらに送ってきた。偵察用の道具についてもハーロットの提案。
人間など信用できるものではないが、利用できるものは利用させてもらう。
今回の人質もそうだ。早々に私の仕業と露呈したのは残念だが、本来は魔王の大切なものを奪うリスクを他人に負わせるために、ハーロットを利用した。
そしてここまでは、全てが計画通りに進んでいる。……進んでいたはずだ。
古代竜との激闘を経た魔王は、満身創痍で単身やってきた。そしてこちらは魔王と戦えるだけの実力者達を揃えた。
完璧だった。これで魔王を殺し、大魔王を名乗るのになんら問題なかった。
「……そのはずだ。そのはずなのだ!」
なぜ今、このような光景を見せつけられているのだ。
瞬きをする間に同胞が一人消えた。文字通り消えたのだ。
魔王が使った聖魔法によって。
それからも次々に消え去ってゆく戦力。何もできず、ただただ蹂躙されゆく様を眺めるしかない。
「魔王! 人質がどうなってもいいのですか!」
せめてもの抵抗に対して、4人目を聖魔法で消し去った魔王はこちらを見て邪悪な笑みを浮かべる。
「やってみるが良い。今、お主を後に回してやっているのは慈悲ではない。お主から居場所を聞き出すのが一番手っ取り早いと思っているだけである。おかしな動きを見せてみろ、次に消え去るのは貴様ぞ」
睨まれて己身体が萎縮するのが分かる。
古代竜と戦ってきたのではないのか? 魔王に立ち向かえるだけの仲間ではないのか?
―――化け物め―――
無意識に息が荒くなる。額から嫌な汗が流れ始めた。
どこで間違えた? 一体どこで間違えだのだ?
「ひっ人質を……」
最後の希望に縋るように、もう一度魔王にそれを口にするれば、
「もしも、もしも我がぬこに危害を加えてみよ。貴様を300年は吊るし、晒し上げ、延々と煉獄の炎で焼き続けてやろう」
圧倒的な殺意。
ようやく気づいた。“ぬこ”という娘に手を出したのが間違いだったのだ。
逃げなければ殺される。
だが、身体が動かない。どうしても動かない。
そうして全ての同胞が光のなかへと消え去った。
魔王がこちらへゆっくりと近づいてくる。
身体が動かない。動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かない動かないうごか……。
◇◇◇
なんだ。完全に心が折れたか。
我が近づいていっても、ダークベットは怯えた目で小さく首を振るばかり。
「さて、ぬこをどこへやった?」
「……し、知りません」
「知らぬということはないであろう? お主が始めた計画ではないか」
「さ、攫ったのは私ではない! 私はただ、情報を流しただけだ!」
「誰に?」
我が詰め寄ると、ぎりりと歯軋りをするダークベット。その怯えた目に、わずかにほおのが灯る。
「……い、言うものか! 寵姫を失って、後悔の中で苦しむといい!」
なるほど、これがこやつの最後の意地か。
しかし攫ったものが別にいる? ならば一度部屋に戻って痕跡を探す方が話が早いな。いや待て、こやつが嘘をついている可能性もあるか?
我がダークベットに視線を移せば、ダークベットはガチガチと歯を震わせながら、それでもどうにか我を睨もうとする。
うむ。嘘ではなさそうだ。
「……一応、我軍団を支えた者である。せめてもの情けをくれたやろう。最期に言い残したことはあるか?」
「……今、貴方の魔力量は、どのくらいなのですか? 私は、貴方を追い詰めることができたのですか?」
ふむ。適当に答えても良いが。最期の頼みとあれば、ここは正直に話してやるべきか。
「流石に半分以上に魔力は使った心地であるが、使い切ったことがないのでよく、分からぬ」
「これでもまだ、半分……この化け物め」
「うむ。化け物であるが故に、我は魔王である」
我が聖魔法を唱えると、ダークベットの身体が消え始める。
我はそれを最後まで確認することなく、再び魔王城へと飛び立ったのであった。
◇◇◇
王都に連行されてすぐに、私は教会本部の地下牢に放り込まれる。教会の地下二階、こんな奥底に牢屋があることさえ初めて知った。
カビ臭いし、壁には鉄製の拘束具がぶら下がっており、床には嫌な感じのシミもある。
ただ、牢屋について文句を言う前に、優先しなくてはいけないことがあった。
「ぬこさんはどこですか?」
私が睨む先で、ハーロットは薄ら笑い。
「……この場所は、教会の本部でも最も古い施設の一つだそうです。元々は異教徒を捉えて拷問したとか、教団に仇なす者をここに幽閉したとか、そんな噂が残されています」
「……牢屋の歴史など聞いてはいません。ぬこさんは、どこですか?」
ハーロットの表情は変わらない。
「たかが猫一匹心配するよりも、貴方の命を案じた方がいい。偽の聖女、ルラ」
「いいですか、ハーロット。よく聞いてください。ぬこさんに何かあれば、教会どころか人類が滅びかねません。冗談では済まされないのです」
「随分と大袈裟な事を、それほど魔王が恐ろしいですか? 命乞いをするほどに」
「あの魔王は強すぎます。それに、無理に戦う必要などないのです! 魔王もそれを望んではない!」
「……もはや、そこまで成り下がりましたか。所詮、単に力を持て余しただけの小娘。聖女などに認定した事自体が間違っていた」
吐き捨てるように口にしたハーロットは、すぐに「くくく」と薄暗い笑いをこぼす。
「貴様が信じる魔王は、今頃罠に嵌められて窮地にあるはずです。人に構っている余裕など、どこにもない。いや、すでにどこかで骸を晒しているかもしれません」
「……それは、貴方の仲間が、魔族が魔王を狙っていると言う事ですか? なぜ? 魔王をそこまで憎みながら、どうして魔族と通じているのですか!?」
私の訴えに小さく首を傾げたハーロットのその目、その目を見て私の背筋は寒くなる。何を問われているのか、まるで分からないと言わんばかりだ。
「どうして? 魔王は教会にとって必ず討伐しなくてはならない“悪”。我ら教会の正義を守るために、悪を倒すための必要な策を講じただけではありませんか? 何をそんなに怒っているのです?」
言っていることがめちゃくちゃだ。
「今の魔王を倒しても新たな魔王が生まれるだけ。何ら解決にはなりません。むしろ、人類を敵視する魔族や、野望に塗れた魔族が魔王となれば、もっとひどくなるかもしれないのですよ!」
私の訴えはハーロットには届かない。彼はまた、首を傾げた。
「新しい魔王が出たら、また討伐すればいいのです。それが教会の、神のご意志。魔王を殺すことこそが、我が正義」
「……大司教様がそのように?」
「いいえ。あのお方は、魔王に怯え、金と権力に逃げた俗物。神の使徒たる存在はこの私、ただ一人」
私はこの時、確信した。この人が、ハーロットこそが、『悪意なき悪意』だと。




